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君の目をみて いえること
作:三小屋真尋



1―16 召し使い


 僕が逮捕されたのは、足の怪我の事故に遭う前だった。だからまだ函館で暮らしていた。

 勤めていた会社は燃料を売っていて、ガソリンスタンドも5店舗営業していた。親族経営の商店から始まった従業員数30人そこそこの小さな会社だった。

 僕の仕事はガスや火災報知器なんかの検査や点検だった。配管からガスが漏れてないかとか、メーターの期限は切れていないかとか、車で言えば車検整備のようなものだ。
 工業高校を卒業した僕は手先の器用さには自信があった。先輩を真似て給湯器だとかボイラーだとかの修理もこなしていた。 
 佐東伸幸さとうのぶゆきは、前社長の佐東伸一さとうしんいちの末の弟で2年前に社長へ就任した。
 前社長は肺癌でこの世を去った。最後の抗がん剤治療が成功したにもかかわらず、院内感染症で1週間苦しみぬいたあげくに亡くなった。
 厳しい人だったけれど、たまに誰も反応できない、子供のような事を言って驚かせる人だった。恐れられながらも尊敬されていた。
「社長に恥をかかすな! 」専務の笹木均ささきひとしは口癖のように激を飛ばしていた。
「目の前のラインをまたげ。そうだ! そしてそこからもう一歩だ! 踏み込め! 」部長も当然、手綱を緩める事をしなかった。いつでも臨戦態勢で爪先に体重がかかっていた。
 その頃の月給は管内でもトップクラスで、僕たちの鼻も高かった。必然的に仕事にも力が入った。
 それなり業績は、上がりはすれども下がることなどありえないと信じていた。
 
 新社長、佐東伸幸への期待はそれは高かった。
「前の社長より10歳も若いしな」と目を輝かせ「あの社長の弟だから! 」「厳しさについて行ければ・・・・・・」と、社員はこれまで以上に希望を持った。前途洋々だった。
 もちろん僕もそうだった。
「考え方だって、10年も若返る」だから、
「会社そのものも10歳以上は若返るはずだ」と・・・・・。

 しかし───。
 何ヶ月もしないうちにその期待はひとつ残らず裏切られ、社内の空気を一変するのに時間などかからなかった。

 そんなことはない、間違いない。この道は一本しかない。
 もう少し進めば水もあるし、光も射す───。
 
 全員が、一糸乱れぬ歩調で向かっていたはずだ。

 しかし道路はいとも簡単に寸断された・・・・・・。 

 正面玄関に高級車外車が2台横付けにされた。黒塗りのベンツと赤いBMW。
 さすがに機嫌が良い。「社用車と、私用車だ。どうだ? 」私用を公言する経営者がどこにいるのだ。
 そして夜の街を遊びほうけた話を恥ずかしげもなく吹聴する。
 金をせびるためかひとり息子が入りびたるようになった。真っ赤なドクロのピアスを揺らし、長い髪の毛は真っ白に脱色していた。車に傷が付いたといってはかえていた。シーマからセルシオにだった。
 思いつきで、気分で、担当を代えた。気に障る態度でも見せようものなら、資格がある者を担当から外すことなどお構いない。
「誰も言わなければいいんだ」
「俺の言う通り黙って働いていればいいんだ。何も言われなければ分からない」
「バレたところでそれが何だ? 大抵は始末書を書いた指で、ついでに頭でも掻けば今度から気を付けろで終わる。簡単だ」と。
 楽観視もここまで来ると、「それはそうなのかもしれないけれど・・・・・・」と弱気と面倒くささがそれを言い訳にしてしまいそうだ。
 しかし、扱っているのは危険物だ。なのに漏れ防止の消耗部品の仕入れにさえも苦い顔をする。決済の言葉を発しない。仕事はそこで滞る。
 経費が底を突けば社員の給料を下げ、残業やら旅費の精算はされない。自腹を切らざるを得ない。
「文句があるなら、直接俺に言え」と言われれば、誰も手を上げるものはいなかった。
 健康診断さえも「そんなものは経費の無駄遣じゃねえか」と中止した。

 気がつくと会社は20歳、年老としおいて、肩で息をしていた。

 それでもまだ、「これはわざと試練を与えているんだ」と、宗教団体の教祖に手を合わせるように、自分の期待に未練を持っている定年間際の係長や、「これから良くなる」と若い政治家のように絶望を口にしたくない同僚はいた。
 所詮は認めるのが怖かったんだと思う。

 ある、風が強い朝、突然全社員を集め、訓示をすると言い出した。何があったのか、機嫌がいいからか。悪いからか。
 訓示と言っても何を言っているのか真意が全くつかめない。関係のない昔の自慢話が延々と続いた。
 活舌かつぜつの悪い口調は訊き取るのに集中力を使い、神経が磨り減った。
 誰ひとり物音をたてる者がいない、幽霊でも息を潜めるようなしんとした室内で、厚い唇は滑りを増し、調子に乗り始める───。
「健康診断を受けたければ、そういう会社に勤め直せ」と言う言葉には耳を疑った。 
 皆、顔を見合わせた。
 最初から非難するつもりではなかった。僕はなるべく通るように声を出した。
「法律に違反していることを知っていて、言っているんですか? 」と、僕は普通の質問のつもりでそう言った。分からないことがあれば訊け、と言ったからだ。言葉を区切るたびに言っていたはずだ。何でも俺に訊け、と。
「なんだお前は? 」噴き出す言葉の音程がえらく重い方に切り替わった。たとえばエンジンブレーキをかけたように。
「社員の健康の確認をするのは、無駄な経費と言うことですか? 」
「ふん、お前。俺に言ったのか? 」続けて「やりたきゃ、自分でやれよ。儲かったら、それからしてやる」
「企業の最低限の約束ですが? 」僕の声が少し強くなった気がした。誰かが僕の口を借りて喋っているようだ。鼓膜が急に感度を増して、小さな音でも拾うようになったようだった。
「だからあ。なあ? 儲かったらやってやる。俺のなあ、ポリシーだ。儲かったら、だ」といって、ひゃーひゃーと通気ファンのような声で笑い出した。が、目は笑っていない。その代わりどす黒い電波を送ってきた。・・・・・・何がポリシーだ、意味も分からず使うんじゃない。
 僕の耳の鼓膜のずっと奥の小さな空洞でいつかの声が聞えた。(悪魔が来るぞ・・・・・・)
「そんな鼠のように小さいポリシーがなんだ! 」悪魔を見て口が滑ったのだろうか? そんな気がするので、たぶん言葉に出したはずだ。

 心の中で「昔にもどしてくれ! 」と叫んだ。

 陰では皆、愚痴や不満を口にしていた。そうする事で不安を体の外に追い出そうとしていた。のど飴で風邪を治そうとしているようなものだ。
「今に誰かが発するだろう」と予想していたその鬱憤うっぷんを、初めて言葉という形にしたのは僕だった。
 頭の中で悶々と成長した何かのスイッチが入る直前だった。
「専務! こいつはなんだ? 」佐東の怒鳴り散らす声が響く。
「あ、はいっ! 申し訳ありません! 」専務の笹木ささきはコオロギのように跳ね上がり、僕を外へ引きずり出した。
「そんなこたあ、バレてもなあ。始末書ひとつで終わるんだよ! 俺に何を言ってるんだ。おまえ。どうなるか分かってんのかあ! 」街のゴロツキと全く変わらない。佐東の声が後頭部へ刺さる。
「若造が、若造があ」が、罵声と怒声の間に挟まっている。
 無遠慮にかせるクラクションが鳴っているようだった。
 専務の笹木が「たのむ、たのむ」と耳元でいい、その後に「いいから、いいから」と大声で叫んで、僕の口を塞いだ。

「これでいいんですか? 」閉められた戸口で僕は笹木に言った。
「・・・・・・」うつむいたままだ。仕方がないということだ。
「悔しくないんですか? 」
「・・・・・・」───我慢するということだ。
「専務は社長の部下ですか? それとも・・・・・・召使めしつかいですか? 」
 目の前の、折られた枯れ木のように佇む老人は、社長よりも3つ若い57歳のはずだった。
 あんな、人間の小さな男に雇用されている悔しさで全身が震え出した。

 それを境に、されていた栓が取れたように、僕は何かあれば、噛み付く機会を狙っていた。最終的には告発も辞さないと覚悟した。
 本当に始末書で、「今度からは気をつけなさい」で、終わるのではないだろうか・・・・・・。いや、弱音は許されない。
 もう言葉は口を出た。そして、確実に聞かれた。
 
 形がどう変わるのかは分からないが、報復は必ずあると覚悟はしていた。
 しかし、「仕返し」は僕を通り越して、あるいはすり抜けて、当事者には掠りもせずに周りの親しい同僚めがけて冷たい牙をむいた。
 一言ひとことの意見や質問をするのにも首を賭け、家族と人生を賭けなければ口にも出せないほど、この会社は錆ついていた。
 血液が回っていない。心臓が送り方を間違えているからだ───。

 動かない水は腐った。

 他の社員、それも仲の良かった順番を守るように、僕に寄り付かなくなった。リストラというナイフをちらつかされて、脅されて不安感を植えつけられては、やはりたまったものではない。
 その脅しを周りの壁から狭めるように、外堀を固めて獲物を追い詰めるように、計画を勧めている。僕本人には、遠くから手毬さえも投げてこない。うすら寒いものを背中に感じる。
 社内の「虐め」か? 学校長が虐めを率先してどうするんだ。

 それから実際に数人が首を切られた。依願退職される前に小さなミスを理由に解雇した。退職金を出すことを惜しんでのことだ。
 ただただ、会社組織を食い潰すことが目的のような、怨んでいるようにしか思えない行動が目に余る。
「まだ、辞められない」と前社長の言った意味を理解した頃はすでに遅かった。
「悪魔が来る」と言っていたのはあのときだ。分かっていたならなぜ生きてるうちに手を打たなかったのだ。墓石を崩してやりたい気分になる。
 業績はこんなに急速に、崖から落ちる川のような角度で下降するものかと唖然とした。
 社長の「仕方ねーな」の決裁がなければ、昼の弁当の結び目をほどくことも許されないような、暗黙の命令が絶えず支配していた。

 社長の機嫌を取るものが我が物顔に活発に動きだした。夜行性の夜の隅で足を忍ばせていたイタチが、急にライオンになったつもりで寝そべっている。しかしお前はイタチじゃないか───。虎のを借る狐だ。
 裸の王様に着せた透明の着物をどう賛美するかにさえ気を使っていれば、それだけで守られて、その方が都合がいいと判断した課長や係長だ。
 それが利口なのかずるいのか、弱いのか強いのか、おぼろげなのはさすがに神経も麻痺をしてきたからなのだろうか? 
 当然、人間関係もぎすぎすとしだした。表面だけの顔を取り繕いながら内心の探り合いが始まった。
 あれほど有能だった専務の笹木均ささきひとしは、羽根のないペリカンのようにただ袋のついたくちばしを開けて、言いつけを待ってるだけの年寄りに姿を変えた。

「近い将来、佐東は社長を退くようだ」という噂が流れた。機嫌を取っていた者たちが中途半端な笑顔で話していた。
 憤りの勢いが熱せられながら増す。初めからこれが目的か? 自分の資産を増やせるだけ増やし、訊いたことのない金額の退職金をせしめてから辞める気だ。
 それほど社長の佐東伸幸のずるいしたたかさは、人間の神経とは思えないほど群を抜いていた。

 計画倒産だ。

 


ここでの社長、佐東と宮下のやり取りは実際にあった話です。
信じられない方も多いと思いますが、零細企業や親族会社ではこんな事は普通にあります。
昨今、製造日や産地の偽造で、トップを告発された方たちの覚悟とはいかばかりのものだったかと察します。











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