―――――隆太君見てる?ほら、君の花が咲いたよ。
「何で私が入院なのよ!?」
美希は病室をあてがわれ、不機嫌に叫んだ。
「ちょっと鼻血が止まらなかっただけでしょ?私どこも悪くないの!」
「美希…我慢してちょうだい。」
美希の母、薫はだだをこねる娘を白く整頓されたベッドに座らせた。
「なんなの?ねぇ、もしかして私なんかヤバい病気だったりして。」
いつもと少し様子の違う母に、違和感を感じた美希は言った。だが、母は笑ってそんなことないわよ、と言った。いや…ごまかした。
「……それじゃ、母さん先生と話して来るから…」
薫が病室から出ていくと、個室だからだろうか…一気に室内に静寂が広がった。
「………。」
岡澤美希。私は公立高校に通うごく普通の女子高生だった。昨日、部屋で電話してたら突然鼻血が止まらなくなって今に至る。先生も親も、私には何も話してくれなかった。
「……あ。今日の体育バレーだ…やりたかったな〜も〜!!」
美希はこの苛々した気分を紛らわそうと、病室の窓を開けた。
顔を出せば、病院の綺麗な庭が見えた。庭には散歩を楽しむ患者や車椅子を押すナースの姿があった。
「………やっぱなんかの病気なのかな。」
大学病院のしかも個室。妙に優しい母親や先生の態度。得体のしれない自分に忍び寄る病魔に、美希の心の中には不安が募っていった。
忘れもしないあの日…私は担当医から、病名の申告を受けた。
【急性骨髄性白血病】それが私の病気だった。
夕焼けが差し込む病室で、私は大声を張り上げて泣いた。涙が枯れ果て無くなるまで泣き続けた。母は黙って私を抱き締めて泣いた。
担当医から聞かされた、驚くべき受け入れがたい事実は…骨髄移植をしなければ、私は生きれないということだった。余命…半年。
宣告を受けた直後はまだ、よく実感がわかなかった。白血病がどんな病気かさえも知らなかった。だけど、時間が経つにつれ私の心は絶望で暗闇が支配した。
「私死にたくない!!嫌だ、死にたくないよ!!何で私なの…!?……やだ…うっ…うぅ」
「…美希…大丈夫…大丈夫…」
薫は美希を抱き締めたまま、そう何度も何度も繰り返した。それは、薫自身にもそう言い聞かせていたのかもしれない。
「………。」
美希は一人、病室の窓から外を見ていた。あれから薫は仕事帰りに毎日通院してくれる。父親が幼い頃に事故で亡くなってから、薫は一人で美希を育ててきたのだ。
――ガララ
病室の扉が開く音が聞こえ、美希はゆっくりと視線をそちらに向けた。母にしてはまだ時間が早い。そこには、一人の小さな男の子が立っていた。見た感じ小学校低年ぐらいの男の子だった。
「………何?」
美希が冷たく呟くと、男の子は顔に無垢な笑顔を浮かべて手を振ってきた。
「お姉ちゃん新しい人でしょ、ボク隆太だよ。」
男の子はそう笑ってベッドに近付いてきた。少し顔色が青い。まあ、こんな場所だから当たり前か…などとぼんやり考えながら美希は男の子を見ていた。
「お姉ちゃんなんの病気?」
美希はその質問には応えずに、視線を隆太から再び外の庭に移した。すると隆太が言った。
「ボクは心臓病だよ。」
心臓病。そう言って明るく笑う隆太を見て、美希は衝撃を受けた。先の見えなくなってしまった未来に、絶望している美希とは正反対に、隆太は自分の病気を受け入れていたのだ。
「…何で…?ど―して笑えるの…」
「笑ったら幸せが来るんだよ!ってママが言ってた。だからね、お姉ちゃんも悲しいときは笑ってみて!」
隆太はふっくらした頬を引っ張って、美希を笑わせようとしてくれた。美希は瞳に涙を溜めて、隆太の頭を撫でた。
「…強いんだね」
その日から、隆太は毎日のように美希の病室を訪れるようになった。美希もしだいに、そんな隆太に心をひらいていった。
「隆太君お友だちは?私とばっかじゃ飽きない。」
「ボクお友だちいないもん。でも、美希お姉ちゃんがいるから寂しくないよ。」
隆太君は先天性の心臓病患者らしい。だから、ほとんどを病院の中で暮らしてきた。学校も休みがちだから、あまり友だちがいないんだとか。なので、私が来たことを知ってとても喜んでいたと、隆太ママから聞いた。
「私ね、いつも同じ夢みるんだ。朝起きたら私の部屋で、それで元気に登校するの。…でもいつもそこで覚めちゃうんだ。」
現実は病室の白いベッドの上で、このまま覚めなければいいと思うときさえある。
「元気だしなよお姉ちゃん!あ…そうだ、お庭に行こうよ!いいもの貰ったんだった。」
そう言って、隆太は美希の手を引っ張った。中庭の芝生を横切り、ベンチの前を過ぎて花壇の前でようやく止まった。
「これ!」
隆太はそう嬉しそうに叫んで、ポケットから何かをくるんであるティッシュを取り出した。
「なにそれ?」
「ガーベラの種だよ。美希お姉ちゃんと一緒に、ここに植えようと思って!」
美希と隆太は花壇の隅に穴を掘り、そこに種を埋めた。
「じゃあ隆太君、この花が咲いたら一緒に見ようね。」
にっこりと笑った美希に隆太も、約束だからね!と笑顔になった。
今日は隆太が来るのが遅い。いつもなら、今頃元気に病室の扉が開く筈なのに。
「おかしいな……………え」
何気なく髪をといてみた。すると、髪が大量に抜けた。美希は暫く呆然と自分の指に絡まる髪を見ていた。
―――ガララ
その時、病室の扉が開いて薫が入ってきた。今日は仕事が非番の日だ。薫は美希の抜け落ちた髪を見て、手提げバックの中にてをいれた。
「お母さん……私の髪無くなっちゃうのかな…」
「抗がん剤の副作用で仕方がないことなの…。美希…これ」
薫が美希に渡したのは、かわいい黄色の帽子だった。美希の気持ちは、ショックに張り裂けそうだった。だが、美希はにっこり笑って帽子をかぶって見せた。
「どうかな…似合う?」
薫は、とても似合ってるわよ。と優しく微笑んだ。
美希の骨髄移植のドナーはいまだに見つかっていなかった。骨髄移植とは、白血球の血液型(HLA型)が、移植対象患者とドナーの間で適合しなければ、拒絶反応(GVHD)が起こるのだ。
適合の可能性は、同父母の兄弟姉妹間で25%、非血縁者間では数百〜数万分の1の確率になってしまう。…母親である薫のHLA型は、美希のHLA型とは不適合だった。美希には他に、血の繋がった兄弟姉妹はおらず、骨髄バンクにすがるしかなかった。
「…隆太君?」
黄色の帽子をかぶった美希は、隆太の病室を覗いた。いくら待っても来ないので、心配になって訪れたのだ。すると、美希に気付いた隆太がにっこり手を振った。
「何してるの?」
隆太のベッドの机の上には、折り紙とハサミが置いてあった。隆太は器用にハサミで折り紙を切り抜いていく。
「はい!これ、美希お姉ちゃんにあげようと思って。」
「…わぁ、ピンクのチューリップだぁ。」
渡されたのは折り紙で出来たピンクのチューリップ。
「これはね、【病気の回復】って意味があるんだって。草花大図鑑にかいてたんだよ。」
隆太は美希のために、早く病気が治るようにと折り紙で花を作ってくれていたのだ。美希は暫くピンクのチューリップを眺めたあと、隆太にハサミを借りて折り紙を切り抜いた。出来たのは、自分が貰ったものと同じピンクのチューリップ。
「私も隆太君にあげる。だからね、絶対に病気に負けちゃダメだよ!一緒に元気になるんだよ。…約束!」
美希はそう言って、小指をたてた。隆太も小指をだし、2人は指きりを交わした。
「「指きりげんまん嘘吐いたら針千本のーます、指きった!」」
だが、病魔は刻一刻と美希を蝕んでいった。
「……いたた」
時々背中に激痛がはしるようになり、ベッドの上から動けない日さえあった。
それは隆太も同じだった。つい先日まで元気だった隆太の容体が、昨日の夜に急変した。苦しそうに発作を起こし、今は集中治療室の中にいる。瞳は閉じたまま管に繋がれていた。
「…頑張って隆太君」
美希はガラスの外から、ピンクのチューリップを握りしめて祈っていた。
「お……ね…ちゃん」
意識を取り戻した隆太は、弱々しく傍で泣いている美希に視線を送った。集中治療室の中には、美希の他に隆太のお母さんやお父さんが来ていた。
「……泣いちゃ…ダメだよ…」
「うん…泣かないよ。だから…隆太君も頑張って生きるんだよ。信じるんだよ。……一緒に咲いた花を見るんだからね…!」
「……ありが…とう」
隆太君は微かに微笑み、それっきり目を開くことはなかった。
土屋隆太 八歳
四月八日午後四時七分
永眠
昨日…隆太君は、僅か8歳という若さでこの世を去った。私は、隆太君がいなくなった病室で一人空を眺めていた。もう、あの笑顔を見ることは叶わない。
私に生きる希望をくれたのは、隆太君だった。絶望していた私を励ましてくれたのは、隆太君だった…。
ふと、いつか隆太が口にしていた言葉を思い出した。
「ねぇ美希お姉ちゃん、ガーベラの花言葉知ってる?」
「え?う〜ん……知らないかな。何て言葉?」
「それはね」
美希は背中の痛みをこらえながら、中庭の花壇の所へ駆けだした。ナースの制止の声がしたけれど、かまわず走った。
「はぁ…はぁ…」
花壇の片隅には、小さな花が咲いていた。あの日、隆太君と植えたガーベラの花。太陽の光を浴び、そよそよと春の暖かな風に揺れていた。
「咲いてる…。ほら、見て!隆太君…君の花が咲いたよ…!」
美希は大空に向かって叫んだ。笑顔で、だが瞳からは、涙がとめどなくあふれた。
「あれ…おかしいな、私やっぱ…隆太君みたいにうまく笑えないよ!…悲しいよ…涙が…止まらないよ…」
美希の中で、隆太の笑顔とあの言葉が蘇る。
「ガーベラの花言葉はね…【希望】だよ!」
未来への希望。
生きなきゃ…私が、隆太君の分も生きていくから…
美希は風に揺れるガーベラの花を、いつまでも眺めていた。
数ヶ月後には奇跡的に美希に骨髄移植のドナーが見つかり、美希は手術を受けることが出来た。その結果、美希は徐々に回復の兆しを見せ、白血病は寛解した。
―半年後―
美希は太陽の日差しを浴びながら、腕に小さな花束を抱えてアスファルトの道路を歩いていた。
「…もうすぐ夏だね。」
青く澄んだ大空は、気持ちいい風を運んでくれる。
たどり着いたのは墓地。線香の匂いがするのは、先程まで誰かが来ていたのだろう。美希は真新しい墓石の前で足を止めた。隆太のお墓。
美希は線香をあげ、持ってきた花を水の入った花瓶に入れた。
「私の病気が治ったのも、隆太君のおかげだね。ありがとね。」
美希は手を合わせ、瞳を閉じた。風の音と虫の鳴き声だけが耳に聞こえる。
「……じゃ、また来るからね。」
美希は顔をあげ、にっこりと優しく微笑んだ。
美希が帰った墓石の前では、花瓶に供えられたモルセラの花が風に揺られていた。
花言葉は
【永遠の感謝】
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