百花繚乱 -終章- 2
食事が終わり、後片付けをするシンを残して、火女はバスルームに入った。
入れてくれてあった湯の中に浸かったとき、外から機嫌のいいシンの歌声が聞こえてきた。
ホテルから連れ出した時に牛島に聞いた、レイラとかいう歌手の曲だった。
ぼんやりとそう思い出した瞬間、リンカの顔が頭を過ぎった。火女は湯船から出ると、それを洗い流すようにシャワーを浴びた。
バスルームを出て、髪を拭きながらリビングに戻ると、シンがビールを持ってきてテーブルの上に置いてくれる。
「シンも入ってきたら?」
「うん、そうする」
バスルームへと行くシンの背中には、普通の恋人同士のような雰囲気があった。
タオル地のバスローヴをまとった火女が腰をおろし、ビール缶のプルトップを引くと、咽喉に流し込む。
苦味のある泡が中ではじけ、すぐに下へと落ちていった。
「あたしはシンを・・・・・・」
急にあの時、リンカがこたえた言葉が聞こえ、むせ返った。
激しく咳き込みながら、涙目になった火女は、心の中で叫んだ。
『報われない!あの女を追いかけても、きっとシンは報われない。 このまま、このままでいいんだ』
咳がおさまると、火女は残りのビールを荒く流し込んで飲み干した。そして立ち上がると、キッチンの下からジャックダニエルのボトルを取り出し、グラスといっしょに持ってテーブルに戻った。
やがてさっぱりとした顔のシンが、上半身裸で戻ってくると、テーブルの上のボトルを見て「あれ? もう飲みだしてる」そうおどけた口調でいって笑った。
シンは自分のグラスをもってくると、テーブルに置いて火女のとなりに座った。
会話が増えたといってもお互いに無口な二人は、こうして酒を飲み始めるとしゃべらなくなる。
それでもはじめと違い、通じ合うなにかがあった。
連れてきた時、抱いていても遠く離れていたシンの心が、今ではこうして見たまま、すぐ近くにいる、そう感じられた。
シンがボトルに手を伸ばす。その手を捕まえると、火女はシンのグラスに琥珀色の中身を注いで手渡した。
そしてつかんだその手を放さず、そっと床に重ねて置く。
シンの手は逃げなかった。
高校生のように手をつなぎ、だまってグラスを口にする二人の間に、いつもと違うものが流れはじめる。
火女はその流れにのって、シンの肩に頬をあずけた。
アルコールではないもので火照る、火女の頬の熱さを感じたシンが動いた。
つながれていた手がほどけ、火女の肩にかかって引き寄せる。
温かく乾いた気持ちいいその手の感触に、甘える猫のように火女は目を閉じ微笑んだが、やがて瞼を開くと下からシンを見上げた。 同じようにシンが火女の目を見つめる。
ゆっくりとシンの硬く締まった胸をつたいながら、火女の身体が伸び上がってゆく。
それを迎えるように閉じられたシンの瞳を見て、火女は自分も瞼を閉じた。
押し当てられ、一つになった唇の間から差し込まれる、火女の舌をシンが受ける。
そのまま仰向けに倒れこんだが、二人の唇も身体も離れはしない。
確かめ合う行為から先に顔を離したのは火女だった。
床に倒れたシンの上で上体を起こすと、その手をとり、自分の胸へと導いた。
「明かりを・・・・・・」
「いいの。そのままにして」
溶けるような目をしたシンが、身体を起こして火女のバスローヴの前を解いた。
シンの唇が自分の胸を吸った時、火女の目から熱いものが溢れた。
はじめて男と女になった二人は、床の上を転がりながら、お互いを求め睦みあう。
「・・・・・・きて」
自分の身体を組み敷いたシンを見つめ、火女がささやく。目を見たまま、シンはうなづいた。
迎えるため、火女が首に回した腕に力を込めた。
何も考えず、そのまま一つになろうとした時、シンの中で声がした。
『シン!』
硬直してしまったシンの身体と瞳を見て、火女の顔がこわばる。
もうわかっていた、そこから先は。 でも止まらなかった。
「・・・・・・リンカのことなの?」
そうたずねて逸らされた目を追いかけながら火女が叫ぶ。
「それでもいい、代わりでもいいよ。だってあたし娼婦だもん。それで嬉しいんだから、あんたの、シンの好きにして」
「できないよ、そんなこと・・・・・・ あの人のことがなかったら、俺・・・・・・」
「いわないで!」
強く腕を引いてシンの顔を胸に抱えこみ、続く言葉を止める。
だが言葉を止めても、もう元には戻らない。
そうわかる自分が悲しくて、どうすることもできないことが悔しくて、火女はシンの身体を抱きしめた。
夢のかけらを胸に抱き、その破片で血を流しながらも、火女はわずかな名残りを惜しんで離れなかった。
しかしシンの身体は離れていった。
残されていた最後の侠気に火をつけて、火女は動いた。
シンが詫びの言葉を口にする前に起き上がると、
「ごめん、とかは言いっこなしね。あたしは好きでやったんだし」
そういって髪をかき回した。
突き放された子供の顔になったシンを見て、火女は笑顔を見せた。
そして告げた。
「リンカはレイラって歌手の手伝いをしてる。それを鬼小島の奴が邪魔してるの。 ・・・・・・助けるなら行きなよ」
貰うだけ貰い、何も返せない。そう悔やんでいるシンの表情を火女は見取ると、ドンとふざけてその胸を突いた。
「気にしないでってば。これはあたしの趣味だし。 まっ、今回のはツケにしとくわ。いつか払ってもらうからね」
そういって笑うと、火女は立ち上がって手早く下着と服を身に付け、歩き出した。
リビングを出る手前でくるっとシンの方を振り返ると、
「鍵はかけなくっていいから。 じゃ、元気でね」
そういって玄関にいくと、靴を履いて外に出た。
しっかりとした足どりで廊下を行き、階段を降りながら鼻歌を歌う。
無意識に口にしたのが、遠い昔に流行った別れ歌だと気づいた時、足が止まった。
「悪女になるなら・・・・・・・か。 はじめて失敗したよ、あたし」
笑いながら一人そうつぶやいた刹那、作っていた笑顔が崩れた。
火女は踊り場に座り込み、震える声で歌のつづきをうたいだした。