女装天女 2
日が落ちる前に隠れ家に着き、レイラに寝間を明け渡した洋一は、三人を座敷に集めて今の状況を話した。
そこでレイラは洋一が男だと知って目を丸くしたが、「ぜんぜん気がつきませんでした」と小さく笑っただけだった。
話が進むうちに、自分を探しにヤクザが来ていると聞かされ、さすがにそのときは顔を曇らせたが何も言わず、最後まで黙って聞いていた。
「・・・・・・というわけだ。 本当ならライブなんか諦めて大人しく東京に帰る方がいい。俺はそう思う」
すべてを話し終えた後、洋一がいった言葉に、レイラと並んで座っていた玲が眉を吊り上げた。
『いまさらなに言ってんのよ! ちゃんと準備も出来てきてるのに』
ケンカの前の猫になって睨みながら、玲がそう叫ぼうとしたとき、洋一に目を向けられて台詞を飲み込んだ。
わかってるから今は黙ってろ。目はそう告げていた。
洋一のとなりにいる凛も、レイラを見たまま少し煙る感じの笑みを浮かべているだけで、洋一の言ったことに口をはさまない。
しばしの沈黙の後、三人の視線を受けながら、レイラははっきりと言った。
「たしかにそうだとおもいます。 でもやめるわけにはいきません」
わかっていた答えを本人の口から聞いて、玲が元の表情に戻った。
「このライブをやることをずっと前から考えてました。でもどんなにうまくやったとしても、たくさんの人たちに迷惑がかかる。いつもそこで諦めてました」
そこで言葉を切ると、レイラはほんの一時、目を閉じた。
玲にはその一瞬が、彼女が迷い考えた長い時のように感じられた。
「でも私は自分の歌を、ロックをまた歌ってみたい。 周りの期待から逃げるんじゃなくって、もう一度思うことを全て歌ってからまたみんなに向き合いたいんです。
そうしなければ私のコアな部分・・・・・・その中にあるものを見失いそうなんです。それが消えてしまえば私はただ与えられた歌をうたう機械になってしまう。そんなのじゃ、誰の胸にも響かせられない。
これからもずっと私の歌を聴いてくれる誰かに届けるために、どうしてもやらなくっちゃいけないライブなんです」
熱を込めるでもなく、また激しい口調でもなく、レイラは淡々とそう語った。顔がわずかに赤みがかっていたが、興奮している風でもない。
しかし自分をしっかりと見据えて話すレイラの目を見て洋一は、彼女の真摯な想いを感じた。
「そんなきれい事じゃないってみんな感じると思います。 大勢の人に迷惑をかけて、自分のやりたいことを通すんだってわかってます。でも最小限の迷惑でやれる最後のチャンスだとおもってるんです。関わってくれているあなたたちに、頭を下げてごめんなさいじゃ済まないけど、起きた事は全て私が引き受けます。 ただ付き合ってください、とは言えません。私のこの言葉で判断してください」
言い終えてレイラは深く頭を下げた。 その上に洋一の声が降りかかる。
「わかった、もう何も言わない。 協力させてもらう」
厳しかった表情を緩めて、洋一はレイラに笑いかけた。
引き受ける気は変わっていなかったが、一度ちゃんと本人の口から話を聞いて、その気持ちを確かめたかっただけだったのだ。
洋一の答えを聞いて、ほっとした顔をする玲のとなりで頭を下げていたレイラが身体を起こすと「ありがとう」と小声でつぶやいた。
だがすぐ口をきつく結んで、痛みに耐える顔になる。
玲にはわからなかったが、レイラは今この時にでも、人に迷惑をかけてまでライブをやることに苦しんでいるのだろう、そう洋一は気がついた。
それを口にしてしまえばサポートする自分たちの負担になる。そう考えてこの娘は何も言わないのだとおもった。
人に配慮するが多くを語らないシンの姿が目の前のレイラにかぶさる。
洋一は少し目を閉じて、こみ上げる何かと向き合った。
そして再び瞼を開くと、目の前の歌姫を勇気付ける笑みを投げかけた。
夜になり、ゆっくりと休んでいなかったのか、顔に疲れた表情をみせたレイラを一人寝かせると、このまま泊まると言い張る玲を無理やりジャガーに押し込み、洋一と凛は家まで送り届けた。
また隠れ家へと戻る車中、洋一はなにげなく助手席のウィンドウを下ろした。
勢いよく入ってくる夜風は、少し渇き気味で頬に冷たい。 気のせいか家々や街並みも、冬を思わせる静けさを含んで見えた。
湿度の無い大気に浮かぶ月と星を洋一はしばらく見上げていたが、振り返って、ふと思い出した疑問をとなりでハンドルを操る凛にぶつけてみた。
「かあさんはなんでそんなに軽やかに生きれるの?」
「・・・・・・なによ、急に? へんな子ね」
ちらっと横目で息子を見て、母はおかしそうに笑った。
すっかりまた凛花になっているのがよほど面白かったようだ。
はぐらかされたとおもった凛花が、むうーっとふくれてまた窓の縁に掛けていた
腕に顎をのせて外をながめていると、背中で凛のこたえる声がした。
「女だからよ」
振り返る凛花に目に、夜風になびく凛の絹糸の髪がきらめいて映った。
窓越しに見える星空をバックに髪を乱すその横顔は、いつか観たミュシャの絵のように思えてしまう。
「女だから?」
「そうよ」
鸚鵡返しにそういった凛花に、凛が吐息に似た甘い声でこたえる。
風のはためく音しかしない静かなジャガーの中で、凛はこう語った。
「女はね。毎月毎月、身体から血を流して、そして時には腹を痛めて子供を産む。
当たり前のことだけど、もうそれだけで女ってのは強いんだ。
意識してない子もいるけど、それに気づけばなんだってやれるし、どんな場所にだって翔べる」
それだけが母が凄い理由ではない気がしたが、言った言葉には説得力があった。
あのレイラや玲-----そして綾乃にしても、男では持ち得ない、柔らかだけど強い芯を隠し持っている、そう思っていたからだ。
『それに比べて元が男のあたしは・・・・・・』
凛花と洋一。その狭間で揺れる心がまた言葉を紡ぎだした。
「じゃあたしは、凛花はやっぱりまがい物なんだね・・・・・・ だから教えてくれた秘伝もできないんだ」
まだうまく折り合いがつかないのか、陽炎のように男女とあわただしく性を入れ替えながら、ぽつりといった言葉に、凛の明るい笑い声がふわりとかぶさった。
「あはは、まだ疑ってるみたいね。 心配しなくていいよ。あんたは他に似た奴が少ないから迷うかもしれないけど、まがい物なんかじゃない。それどころか、あたしでももっていない両方の心があるじゃないの。 後はそれがちゃんと結びつけばいいだけよ」
「結びつけば・・・・・・」
「そうよ。 それに秘伝だって、あれは魔術じゃないんだから、教えたからすぐ使えるってわけじゃないの。 あんたにはもう技術は備わってる。後は技じゃなくって心のお話よ。 そんなもんなの、秘伝なんていうのは」
伝法な姉御口調ではなく、からっとした声で凛はそういうと、まだよくわかっていない凛花の首に腕を伸ばし、巻きつけてそばに引き寄せた。
「だいたいあたしの子供がまがい物なわけないじゃない」
そう言いながらさっと凛花の髪をかきあげる。
ウィッグなのになぜか気持ちよくて声が出てしまった。
「かあさん、この格好でそれはちょっと恥ずかしい・・・・・・ 外から見えちゃうよ」
夜目にも鮮やかに頬を染めうつむく凛花に、凛の悪戯な声が魔法のように降りかかる。
「ばか・・・・・・ 照れんじゃないわよ、女なんだから、今は」
いやそうだから余計に恥ずかしい。そういおうとした時、顔をあげて凛が威勢よく笑ったかとおもうと、ジャガーのアクセルを踏み込んだ。
急加速の衝撃でさらに母の胸の谷間深く押し付けられ、また凛花は甘くため息をつくのだった。