起動
どこかで電話が鳴っている。
----- うるせー、誰か出ろよ早く!
眠りの中を浮上しながら、洋一はそう思ってうなるが、電話の音は止まらない。
----- 誰もいないのか? 真子、綾乃、水音、出てくれ。 ・・・・・・シン。おいシン、出ろ!
そこで飛び起きた。身体中が痛い。
どうやら床の上で寝てしまったらしかった。
座り込んでぼんやりと首を回した先に鏡があって、その中をのぞいた時、洋一はカッと目を見開いた。
長い黒髪に薔薇色のリップ。
昨日の記憶が音をたてて流れ込んでくる。
起き抜けだったが、頭はすばやく事態を把握していた。
ケータイを探し出すと、ボタンを押して耳に当てる。
「兄貴、おはようございます。今どちらですか?」
爽やかなシンの声が鼓膜に流れ込み、昨夜の彼とのニアミスがまざまざとよみがえってきて、洋一は顔を真っ赤にした。
「・・・・兄貴?具合でも悪いんですか?すぐに迎えに行きますから、今いる場所を・・・・・」
「大丈夫だ、くるな!」
思わずそう叫んでしまってから、うっと言葉に詰まる。
いらぬことを口走ってしまったと、死ぬほど後悔したがもう遅い。
はたしてシンは、己の兄貴の異変を的確に察知して、声をひそめて聞いてくる。
「・・・・・・わかりました。大丈夫です、誰にも言いませんから。で、新しい彼女のところですか?」
「ま、まぁそんなとこだ」
「では秘密にしておきますので場所を・・・・・」
「それはダメだ!」
「えっ?」
「あ、いや・・・・・ この人はカタギの娘さんでな、ヤクザの俺が迷惑をかけるわけにはいかねぇんだ」
「・・・・・兄貴。真子さんや綾乃姉さんも一応カタギですよ。水音さんなんか大学の先生ですし」
「バカヤロウ!事情があるんだよ、事情が」
「ですが、二代目の居場所も知らないでは、組に顔向けできません」
そう言われてもこっちも困る。
墓穴掘りまくりだったが、なんとか誤魔化そうと洋一は必死になった。
だが、シンの執事的とも言えるカンの方が早かった。
「兄貴・・・・・ 彼女とかではなくて、何か妙なことになってるんじゃないですか?」
彼が重要な事をたずねてくる時の、控えてはいるがうむを言わせない強い口調である。
「え、妙なことって?」
「病気とか」
おしい。半分くらい当たっている。だがその言葉に洋一は蒼ざめた。
なんと鋭い男なんだと舌を巻くが、ここは認めるわけには行かない。
「いや、元気元気。ちょっと二日酔いだけど」
「何か心配事でもあるんじゃないですか?」
「ないってそれ。 ほら、仕事も順調でトラブルとかもないし」
「そうじゃなくって。プライベートとかで」
「充実してるよ。それ、なんていうの、リア充ってやつ?あれだし」
「それにしては声が微妙に震えておられますが・・・・・・」
おまえは刑事か、と叫びたいくらいのカンと追及だったが、じっと洋一は耐えた。
----- シンには使いたくなかったが・・・・ しかたがねぇ、二代目パワーで行くしかない
ドスの効いた声で言った。
「おう、シン。てめぇ二代目の言うことうたがってんのか?四の五のいわずに言うこと聞けや!」
「・・・・・・申し訳ありません」
「今から事務所に行く。おまえはそこで待ってろ」
わかりました、と悲しそうな声でこたえたシンに胸がチクリと痛んだが、こればっかりはしかたがない。
洋一はケータイを切ると、バスルームに飛び込んでメイクを落としてシャワーを浴び、出かける支度をしてマンションを後にした。
すっかり落ちてしまった太陽に背を照らされながら、洋一が事務所に入っていったのは午後5時だった。
シンと顔を合わせるのは気まずかったが、そこは彼も付き人。
しかも超一流なので、表面上はいつもと変わらずに洋一に対して接してくれる。
今の肩書きである組長代行として、二、三の案件の報告を受けて指示を出し終えると、もう洋一の仕事はなくなってしまった。
責任はあるが、はっきり言ってメチャクチャ楽勝のお仕事内容である。
まぁこのポジションに上がるまでが大変なのだが、親の七光りでスポンとなんの苦労も無くそこに収まった洋一は、そのありがたみにまったく気づいていない。
普通はそこからでも所属している広域組織での上を目指すので、何かと政治的な気苦労が絶えないのだが、上昇志向皆無でまたその必要性も理解していないから、今のところ遊んでいるようなものであった。
しかし彼はその生活に満足していなかった。
前も、そしてあの時まで、ずっと。
だが女装子とぶつかってしまった、あの夜からちがいはじめた。
本皮のデスクチェアに深く身を沈め、あごに手をあてて、アンニュイな表情で洋一は考え出した。
----- まさかあんな世界があったとは、まったく知らなかったぜ
男である時とはまったく違う、見られることでの快感。
女性の物を身に付けることでの開放感。
そして、女装した自分と暴力との不思議な一致感。
今までは置かれた状況の為にしかたなく、どちらかと言えば嫌々暴力をふるっていたのだが、昨夜は違った。
躊躇い無く放った前蹴りで砕いた鼻骨の感触を思い出し、洋一はうっとりとした。
また恥骨の奥がピクリピクリと震え始め、その快感によだれが出そうになって、はっと口を閉じる。
変態を音速で通り越して、異常者として覚醒してしまったのだろうか、この男は。
その一方で洋一のクレバーな部分が、自分を冷静に分析する。
----- でも、ついに女装で外に出てしまった。てことは、次は誰かとその姿で会いたくなるんじゃ・・・・・・・
恐怖が身体を突きぬけ、うわっと叫びそうになって口を手で押える。
心臓が16ビートで踊り始めた。
そう、この欲望はエスカレートしてゆく定めなのだ。
一般人なら茨の道くらいだろうが、極道稼業の洋一にとって、それは破滅への階段である。
しかもその段数は、絞首台へと上がる13階段より短いと思われた。
じんわりと嫌な汗が脇の下を伝う。
しかしその一方で、ビビればビビるほど、女装に対する欲望と快感を求める声が高まってくる。
内なる魔性がふわりとささやきかけた。
----- 仕事もう終わったんでしょ? 行こうよこれから。ほら、すぐに。 まだ暗くなってないからドッキドキもんだよー!
洋一の表情が、上半分がヤクザフェイス、下半分が笑顔という、複雑怪奇なものへと変化した。
----- はぁぁぁぁぁ、もぉたまんないっ!
がっくりと首を垂れた。
やはり普通ではなくなっていたのだろう。
自分をじっと見つめている視線に、洋一はまったく気がついていない。
二代目の影としてひっそりと壁の花と化しながら、シンはずっとマイ兄貴のことを観察していた。
----- 兄貴には絶対に何か困っていることがある!
忠実な付き人は今、そう確信した。
シンの心の中にある、エキセントリックスイッチがパチンと入る。
今の洋一と同等、いや、それ以上に危険かもしれない男が、ついに起動してしまったのだった。