それから 2
「若。意外にみつからへんもんですね、ちっさい町やのに」
「せやの。紅椿に渡りつけるついでに、サクッと終わらせよおもてたんやが、なんやめんどい気ィしてきたわ」
昼下がり。宿泊しているホテルを出て紅椿一家の事務所に向かいながら、鬼小島組の二代目・雄也とお付の若衆は、繁華街周辺を見回しながら話していた。
おやっといった顔で若衆がたずねる。
「めんどい、でっか?」
「せや。組長の方は本部入りの餌ぶらさげとるさかい、心配ないんやが、あの二代目っちゅう奴の目つきが気に入らん。 あれはこっちを疑ごォとる目ェやったわ」
「ですけど若。あのオヤジがまだそいつ抑えとるんですから、事あらへんのとちゃいますか?」
「・・・・・・いいや。 調べてみたらもォ組員はボチボチ二代目の方に付きよるらしい。 まァあのガメツいオヤジよりか人望があるんやろのォ」
そこで雄也は足を止めて言葉を切ると、若衆の肩をかかえこんで耳うちした。
「念のためや。 何人かこっち呼んどけ」
「え、そないなことしてかましまへんのでっか?」
「ああ。 わしのカンやけど、この人探しであんまりここのもんはアテにでけへん気がするんや」
「ですけど、よそのシマに兵隊連れてきて、妙なことにならしまへんか?」
「かまへんかまへん。 あのオヤジは本部入りっちゅうて舞いあがっとるさけ、なんとでも言いくるめれるわ。 アホなやっちゃでほんま。本部っちゅうても執行部に入らんとなんの意味もない。名刺に書く肩書きがいっこ増えるだけや。 まァこれで億は銭引いてこれるさけ、こっちはホクホクやからあんまし悪口も言えへんけどな」
雄也はフフフッと楽しそうに笑い声をたてた。 話を聞いて若衆がびっくりした目をしてその顔を見た。
「億でっか!? そないにぎょーさん引けまんのか?」
「ああ、あのオヤジは銭は持っとる。 それにの、今度『冷たいヤツ』のルートも渡してやることにしてんねん。・・・・・・うちらの地元の大阪も最近はポリや麻取がうるそォてかなわんさけ、こっちで捌かして売り上げをハネたろっちゅうてな」
ひぇ!と若衆は小さく奇声をあげて、あわてて周りをうかがう。
「シャブもでっか。 ・・・・・・若は頭よォ回りまんなァ」
「アホ! わしをおだてたかて、なーんも出ェへんぞ」
そこで二人はクククッと含み笑いをすると、また歩き出した。
紅椿一家の事務所では、雄也たちを迎えて、洋一以外すべての組員が顔をそろえて待っていた。
会議室に皆を集めた義隆は、自分のそばに雄也を立たせると、機嫌のいい声で話し出した。
「今度こちらの鬼小島の若の口利きで、うちら紅椿一家が神戸の本部入りできそうなんじゃ。 もしそうなったら箔も付いて、この街以外にも睨みが利くようになる。そんで弱いとこを吸収して、ますます一家も大きゅうなるやろ。 まっ、本家の直系に入ったら、これまでみたいな上納の金額じゃ追っつかんようになるよって、気持ちええモンでも捌くしかない。その辺のことも若とこれから話して詳しゅうに決めるよって、皆もそのつもりでおってくれ」
義隆はそう一方的に宣言すると、直立不動で居並ぶ組員達を睨みまわした。
その目が、最前列にいた雄五郎のところで止まった。
「雄五郎。 洋一はどしたんじゃ?」
「若はすでに依頼の人探しに出ておりまして、連絡がつきませんでした」
義隆の顔にいぶかしげなものが走る。が、無表情な雄五郎の顔には、何も浮かんではいない。
元々義隆は、この件では久しぶりに陣頭指揮をとるつもりだったので、言う事をあまり聞かない洋一がいない方が好都合と思いなおし、
「よし、ほしたら解散! おまえ等、精出してあの歌手探せよっ」
と発破をかけてから、雄也と共に部屋を出て行った。
その姿が消えてから、雄五郎のところに組員たちが集まってくる。
「真渦の伯父貴。 おやっさんの話に出たのって、ありゃクスリじゃねえんですか?」
「クスリは本家でも御法度ですよ。 なんでまたそんなもん、うちらが捌かんといかんのですか?」
そう不安げに口々に言ってくる組員に、雄五郎は薄く目を開けたまま何もこたえない。
古参の組員の一人がぼそりとつぶやく。
「クスリはいかん・・・・・・ あれだけはわし、捌きとォない」
「でも組長直々の指示で、しかも本家の直若から来た話ですよ。断れっこねえ」
「なにが本家じゃっ。 あんなとこ入っても、ええ目見んのはオヤジさんだけじゃ!」
「おいっ」
雄五郎のとがった声と鋭い視線を受けて、男は「すみません」と小声で謝ったが、表情は悔しげで苦渋に満ちていた。
まだざわざわと話をしているみんなを押しのけると、雄五郎は大股で歩き出し、部屋を出て行った。
マンションの外に出た二人は、ロータリーに止まっていたジャガーに歩み寄った。
玲の前にいた洋一が、カチャと後ろのドアを開けて振り返る。
「玲。おまえ後ろに乗ってくれ」
「え? うん・・・・・・」
助手席に乗り込む洋一をいぶかしみながら、玲がバックシートに身体を差し入れると、運転席にいた大きなオーバルサングラスの女性ドライバーと目が合ってドキッとした。
濃い琥珀色のこのサングラスが似合う日本人はほとんどいない。
芸能人でも似合わないのに、妙に小作りな顔にはまっている。
だがそれ以上にミステリアスな空気を持った大人の女性だった。
洋一と同じようなスーツを着ているその人から、どうしてか視線をはずせない。。
ステップに足をかけたまま自分を見つめて固まる玲に、彼女は艶やかな笑みを浮かべて見せる。
それで魔法が解けたように玲はまた動き出すと、ちょこんと広い後部席に一人座った。
『どっかの女優さん? なんか見たことあるんだけど・・・・・・ 雑誌?テレビだっけ?』
この娘にしてはめずらしく、遠慮がちに運転席の彼女に視線を走らせていると、洋一がその人の方を向いたのがわかった。
気づいた玲が「あっ!」と小さく声をあげるのと、洋一が「かあさん」と言ったのが重なった。
呼ばれたその人は、ハンドルに手をかけたまま、ゆっくりと顔を洋一に向ける。
一時、ふたりは見つめあった。
洋一の真剣な表情を、玲は初めて見た。
「これが俺・・・・・・いや、凛花です」
そういった声は、男のままだった。
玲に見せた笑みのまま、凛は洋一を見つめている。
サングラスに隠されて目の動きはわからないが、変わり果てた息子の姿をつぶさに観察しているのだ、そう玲はおもった。
そんな凛を見ながら、玲はなぜか自分の胸がドキドキしてくるのを感じた。
『この人がこいつの母親なんだ。 よく似てるのにぜんぜんちがう。 こんなに息苦しいほど綺麗な人、みたことない・・・・・・』
凛の手がハンドルから滑ってはずれた。
スーツに包まれた腕が顔の方へと動き、白い海泡石の色をした指がサングラスを額の上に押し上げる。
美しく力強い。
野生動物に似た気高い瞳があらわになり、玲の息がうっと詰まる。
グラスをさわった指が前へとのばされた。
スローな手つきで目の前にいる洋一の頬を撫で、親指がわずかに唇に触れた。
「凛花・・・・・・そうね。 息子もいいけど娘もほしかったのよ」
普通の親とは思えぬ台詞をするっと口から放つと、いっそ艶やかに凛は微笑んだ。
凛の手が離れてからも、ずっと固い表情のままでいる洋一の口が動く。
「俺は・・・・・・いや、あたしはこの凛花といっしょにこれからいきます」
声が変わった。
意味はわからないが、何か大事なことを宣言したんだ、そう玲が感じ取り、身を固くした。
だからわざわざ凛花になって、母親の前に姿を見せたのだ。
その立会人の役目をなぜか振り当てられた玲は、今までに感じたことのない緊張に襲われた。
それぞれの思いの中、真剣な顔をしている二人の前で、凛は変わらぬ表情でいる。
世界から隔離されたジャガーの車内で、凛花と玲が時間の感覚を失うほど時が流れた。
凛花の目はずっと凛から動かず、その目を見つめている。
やがて凛の口が別の生き物のように動いた。
「いいよ。 好きなように生きなさい」
その言葉と共に、凛が身体を前に投げた。 玲にはそう見えた。
彼女の身体と凛花の身体が重なり、肩にまわした腕を軸に凛の顔が伸び上がる。
綺麗な顎のラインがあらわになり、唇が凛花のそれと重なるのを、玲は唖然として見た。
とっさに連想してしまったのは、観てはいけない倒錯のワンシーン。
まるで百合-----ビアンな芝居の一幕のような一瞬が過ぎた後、玲の顔がボッと赤く染まる。
そのときには凛の身体は魔法みたいに元の姿勢に戻っていた。
やがて何事もなかったようにキーをひねってエンジンをかけると、ジャガーをスタートさせた。
うつむいて膝の上で両腕を突っ張り、ギュッと拳を握り締めながら、なぜか玲は一生懸命に自分に言い聞かせていた。
『ちがうちがう、あれは女同士じゃないのよ! さっきのは母親が息子にした挨拶なんだからっ ・・・・・・ああもォ! 目の前であんなことすんなよな、こっちが恥ずかしいじゃん』
高校生にはまだ刺激が強すぎたようだった。