紅椿 2
義隆の屋敷を出た洋一は、雄五郎のファントムに乗せられて、車中の人となっていた。
ふと横顔を照らしていた陽光に冷たさを感じて窓に目をやると、もう日が落ちかかっていた。
てっきり組事務所に戻るとおもっていたのだが、車は別方向。繁華街の外に向かっている。
「おい。どこいってんだ?」
「会長に言いつかった用事がありまして、若にも同行してもらいます」
横目で睨む洋一を見ずに、雄五郎はまっすぐに前を向いたまま、わずかに口を動かした。
それ以上たずねる気を失って、また外をながめる。
環状線の高架橋から下に見える家々の向こう、海の彼方に日が沈んでゆく。
どこか物悲しさを感じさせる、その燃える落日を見ているうちに、思い出さないようにしていたシンの顔がよみがえってしまった。
仕事もほったらかしで今も探しているが、それもどことなくうわべだけで、必死になれないことに早くから気がついていた。
理由もわかっている。 だがそれは誰にも言えぬ想いだった。
本当はシンがまた自分の前に姿をあらわすのが恐かった。
あの夜、あきらかに舎弟としての絆を越えてしまったシンに、どういう顔をして会えばいいかわからない。
『凛花のことを男として見てない気がしてた・・・・・・』
玲の言葉が深く胸に刺さったままだ。
凛花と自分は別だと考えていた。
女装は楽しみであって、それ以上でも以下でもない。
『凛花のこと、本当の女の子っておもってるんじゃないの?』
快楽のために見失っていたことが、玲の言葉で明確にその姿を見せ、いやでも気づかせてしまう。
そう、いつの間にか凛花と洋一は同化していた。
今の自分は男でありながら女の心を持っている。
なぜならシンに抱かれた時、嫌悪感もなく拒みもせず、力が抜けてしまった。
わからないが、これ以上進めば、もう本当に引き返せない場所までいってしまう。
それは死より恐ろしいことのように洋一には思えた。
男と女の境すらあやしくなっている自分。
----- またシンに会って、もう一度、触れられてしまったら・・・・・・
つづく言葉を洋一は殺した。
音が聞こえてこないファントムの中で、頬づえをついたまま、そっと目を閉じた。
半時間ほど走って着いた場所は、古い町並みが続いている、閑静な屋敷町だった。
唐破風の大きな門構えの前に止まって二人が降り立つと、ファントムはすっと走り去ってゆく。
すっかり暮れてしまった薄暮夜の中、長屋門をくぐって、飛び石の敷かれた小道を歩いて玄関へと立った。
雄五郎が明かりが奥に点る引き戸をからりと開ける。もの言わず、二人は中に上がって歩き出した。
しーんと静まり返った渡り廊下を歩む足の下で、檜板がぎしりと軋む音を立てた。
義隆の家ほどではないが、かなり広い屋敷らしい。
いくつもの間を通り過ぎ、三度ほど角を曲がった先が行き止まりで、雄五郎はそこで足を止めると、右手の障子を開けた。
暗く沈んでいた間が、つけられた明かりの薄い光に照らされて中の様子を映し出す。
二十畳ほどの畳座敷で、そこには誰もいない。
ようやくこの状況に不審をいだいた洋一が立ち止まった。
そしてゆっくりと部屋の奥へと進む雄五郎を呼び止める。
「おい。 ここに誰が来るってんだ」
答えない雄五郎の体が床の間の前で止まり、しゃがんで正座すると、刀架に掛けられていた白木鞘の太刀を手にする。
膝立ちで、きょっとする洋一の方を向くと、それを左脇に置いた。
「もうきてます」
「あァ?」
三白眼が洋一を見た。 力を込めてそれを睨み返す。
「会長の言いつけで、若の背中に墨を入れさせてもらいます」
ヤクザ者としての永遠の烙印を意味するその言葉に絶句する洋一に、畳み掛けるように雄五郎の声が覆いかぶさる。
「極道として生きてゆく覚悟を固めてもらうためです」
その一言で、前ならすぐに背中を見せて逃げ出していただろう。
だが今はそうする気は起こらなかった。
それどころか、治まっていた甘い疼きが火を噴くように燃え上がるのを感じる。
「素直に俺が言うこときくとでも思ってんのか?」
「いいえ」
「刀に賭けても・・・・・・そういう意味か?」
「そうです」
話し合いもなにもない。
同時に二人は刀と小柄を抜いた。