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お散歩

その夜、母のマンションに来た洋一は、昨日とは別のメイド服を着て鏡の前に立っていた。


昨夜は黒。

そして今夜は黒を基調に白いエプロンが強調された、本格英国風ハウスメイドであった。


----- 母さん・・・・・ なぜあなたはこんな物を持ってたんですか?

10年前といえば、東京は秋葉原でようやくメイドブームが隆盛し始めた頃だろう。

なのに凛はこの地方都市に住みながら、何ゆえこんな代物を、またどこで手に入れたというのだろう。


自分の知らなかった母の一面に洋一は、マリワナ海溝をダイブしてのぞいたような戦慄を感じて身を震わせた。

だが、何者も恐れる必要の無いヤグザの彼を、それ以上にビビらせていたのは、内なる自分からのメッセージであった。


----- 出ちゃえ・・・ そのままの格好でお外を散歩しちゃえっ!

内なる者は、彼の脳内にダイレクトにそう語りかける。

あの日から自分の中に魔性が宿ってしまった、そう洋一は感じていた。

そいつが耳をふさいでも、目をつぶっても、ずっとささやきかけてくるのだ。

----- 絶対にバレないってっ。夜だし、コスもメイクもカンペキだし!

なぜか内なる魔性の声は、うら若い女性の声であった。


それはさておき。

あくまで自分基準だったが、割とよく似合っているのもまた事実。

それに、なにより外へ出たいという欲望は、檻から出された獣のように凶暴で押しとどめようが無い。

理性と言うか細い手綱が切れるのは、もはや時間の問題であった。

洋一はなんとか気を静めようと、キッチンにあるバーカウンターから無造作に酒瓶を選んでつかみ取ると、そのまま口をつけて一気に飲んだ。

そしてその瞬間に豪快に吐き出した。

洋一の口は、まるで農家のスプリンクラーにように、アルコールを霧と化して部屋中に撒き散らす。

「ゴホ、グホ、ゲホ、グハハハッ」

あらゆる擬音を並べながら、咳き込んで、床に膝をついて苦しむ。

手放されて転がった酒瓶のラベルには、「スピリタス」と書いてある。

それはアルコール度数96°と言うウォッカであった。

もはや酒ではないと思われるそれを、吐き出したとは言え、ボトル半分は一度胃の中に納めてしまっている。

おまけに今日は、シンの淹れてくれた紅茶以外の物は何一つ口にしてはいない。

すぐに強烈な酔いが全身に回ってきた。

洋一は腰が抜けてしまい、そのまま床にへたりこんだ。


「あ・・・あははははははっ」

女装の快感にアルコールの多幸感が加わって、彼はヘラヘラと笑い出す。

お出かけストップ作戦はこれで成功かと思われた。

----- この調子で酔いつぶれてしまえ!

メイド洋一は、あらゆる酒を棚から出してきてグラスに注ぐと、とっかえひっかえ飲み始めた。

バーボン、ラム、ウィスキー。焼酎に泡盛、紹興酒。

凛のアルコールギャラリーは、場末のバーなら軽くしのいでしまうくらいのラインナップだった。


そうこうする内に、やがてアイライナーでパキッと決まっていた目がとろーりと緩み、シャドウを塗ったまぶたが下がってくる。

そうなると、今まで涼しげだった瞳が、なんだかエロティックなものへと変化してきたように洋一には思えてきた。

なんとこの男は、小さな手鏡を手に、己の顔を肴に酒を飲んでいるのである。

わずか二日という短い期間で、洋一は完全無欠の変態さんと化してしまっていた。


「う・・うふふふ・・・・あははは」

よかれと思ってやったアルコールで撃沈作戦は、別の効果を表し始めていた。

ドキドキを落ち着けはしたが、同時に理性をも眠らせてしまっていたのだ。

なぜなら、笑い声がすでに女性化してきている。


「行っちゃおっか?」

心の中でつぶやいたつもりが声に出ていた。

もう完全に染まってしまっている。


「行っちゃえーっ!」

内なる魔性の声も、言葉となって口から出た。


洋一はフラフラと立ち上がると、揺れながら玄関へと歩き、豪奢な彫刻の施されたシューズボックスを開いた。

ずらりと並ぶ靴の中から、茶色い編み上げブーツを取り出して足に突っ込んだ。

お約束のようにそれはピタリと彼の足に収まる。


もう縛るものなどどこにも無い。

洋一はドアを勢いよく開けると、羽ばたくような足取りで、部屋を出て行ってしまった。






午前2時の夜の街。

繁華街から少しだけ離れた通りを、ぽくぽくと行くメイドさんが一人。

左手にシェリーの瓶を持ち、楽しげにハミングしながら、満面の笑顔で歩いている。

夜もふけたとはいえ、そこは街の中心地。人っ子一人いないわけではない。

薄暗いネオンの下を、大手を振って行進するメイドの姿は人目を惹いた。

ある者はヒューッと口笛を吹いて感嘆し、またある人はおおっと酒臭いため息をついた、

そんな人々の視線などお構いなしで、かっぽかっぽとブーツを鳴らして、紅椿一家の二代目・メイド洋一が行く。


「うふふ、楽しいわぁ、愉快だわぁ、幸せだわぁ」

まったく客観性のない感想を口にしながら、にこにこと笑い続けている。

そうやって裏通りを歩くうちに、ふと脇を見ると、震えながら店の残りの酒を探している、老いたホームレスの姿が目に映った。

「おじいさん、これを差し上げましょう」

笑顔で洋一は手に持っていたシェリーを押し付けると、おどろく老人を後にしてまた歩き出す。


すると今度は、小さな居酒屋の店先で、数人の若者が一人のおじさんをボコっている光景が見えた。

「ダメですよー、そんなに大勢で蹴ったりしちゃ。加減しなさい、かげん」

「あァ?なんだよねえちゃん。ヤっちまうぞコラ!」

凄む男の顔面に綺麗な前蹴りが入り、何かが砕けるイヤな音がした。

「うわぁ!なにこいつ!?」「あぁ・・・見えた、黒いの・・・・」

残っていた二人にも、それぞれ回し蹴りと裏拳がご馳走された。

「う、早い!・・・・」「おおっ! 今度はヒラヒラが・・・・」

その言葉を最後に、二人は崩れ落ちた。


ボコられて丸まっていた会社員Aさん(45歳・課長)は、笑顔で三人を秒殺してしまったメイドさんを唖然とした顔で見ていたが、彼女がくるりとこちらを向いたので、本能のままに逃走した。

「メリメリっていったねー、あの子の顔・・・うふふ」

恐い事を可愛くいってからまた歩き出す。


今度は妖しいネオンが点るバーの前に、原型がわからなくなるくらいまで化粧をした少女たちがいた。

職業上のクセで、じーっと目を見ながら通り過ぎようとした洋一の背中に、剣呑な声が降りかかった。

「ちょい待てよおまえ!なにジロジロ見てんだよ」

振り返って蹴りの軸足を決めたところで、彼の足が止まった。

ニセフェミニストな性格がよみがえって、女性に蹴りを入れることを阻止したらしい。

少し考えてから、ひょいっと服の両袖をつまんだ。

一瞬の内に、闇にキラリと光る細長い刃物が二本あらわれた。

それを見てひるむ少女たちの前で、小さく洋一の左手が動いた。

並んで立つ少女たちの間を縫って、真後ろにあったバーのサインポールに刃物が突き立つ。

「こ、こいつなんかヤバい!」

笑顔で超絶テクを見せたメイドに恐れをなし、彼女たちはワーッと逃げ出した。

可愛く手を振ってそれを見送ってから、サインポールに刺さった刃物を抜いて袖の中にしまうと、洋一はまた歩き出した。






「フンフンフ~ン♪ あはははっ」

楽しくって笑いが止まらない。こんな気分を味わうのは初めてのことだ。

危険なメイドの洋一は、そう思いながら手を振ってトコトコと歩いてゆく。

その後姿を、路地裏を横切っていた黒い猫が、不思議そうな目で見ていた。



いつの間にか裏通りを出て、車の走る国道脇の歩道を洋一は歩いていた。

走る車のライトで照らされて、さっきよりその姿がよく見える。

ひたすら破滅への道を行く彼の頭の中には、今の自分に対する違和感や見られることへの恐怖は微塵も無い。


そうやって歩いている内に、後ろの方からハデなバイクや車に乗った、地方にしか生息しない人たちが現れた。

ゆっくりと蛇行しながら走る彼らの内の一人が、洋一の姿を目に捉えた。

「あ、メイドがいる!」「うひょー!エロいぞこのやろうっ」「おねーさーん!俺らと遊んで」

欲望丸出しのセリフに、洋一が笑顔で手を振って答える。

その仕草が、彼らの中に暗いものを沸き起こさせた。


キーッとブレーキ音を響かせてバイクと車が止まり、全員が洋一の方へと輪を作ってやってくる。

「メイドさーん、ダメだよ、こんな夜中にそんなかっこうで歩いてちゃ」

「そうそう、ヘンなことされちまうよー」

おまえらが今からやるんだろうが、と突っ込みたくなるくらい分かりやすいセリフだ。

なのに、なんのことだかわからないという顔でしばらく洋一は考えていたが、やがて大きくうなづくと、サッと男たちの間を駆け抜けた。

「あ、逃がすな!」

振り返って追いかけようとした男たちの前で洋一は立ち止まると、道に止めてあったバイクや車のキーを片っ端から抜いて、「えいっ!」と叫んでビルの谷間へと放り投げた。

男たちは、えっ?という顔をしていたが、やがてそれぞれキレた顔つきになって飛びかかってきた。


右手で一発、左手で連続二発で三人を沈めると、くるりと身をひるがえして洋一は逃げだす。

長年の経験で、多勢を相手にするやり方を、忠実に身体は実行していた。

----- 残りは6人ねっ

だが心中のセリフは女性のままだ。

初めて履いたヒールの高いブーツにもかかわらず、洋一の足は軽く男たちを引き離す。

ちらっと振り返って、少し彼らがバラけてきたのを確認すると、すばやくターンして、先頭の男のみぞおちに手のひらを叩き込んだ。

次の男は木刀を持っていた。

上から襲ってきたそれをステップでかわし、ブーツで踏んづけてから膝蹴りを顎にお見舞いする。

木刀があればもう無敵だった。


「あっははははは!」

甲高い声で笑いながら洋一が、うっと手を動かすたびに、男たちは一人づつ倒れてゆき、誰も自分に近づけない。


恥骨の奥の痺れに熱い何かが加わり、そこから背筋へと駆け上がってくる、電流のような気持よさに脳が麻痺した。

アドレナリンと女性ホルモンが全身を駆けめぐり、不思議なエクスタシーをもたらして洋一を震えさせた。

歩道には、いつの間にか何人もの野次馬が集まり、口々に何かを言い交わしながら自分を見ている。


ドックン。


大きな音をたてて何かが流れ込んでくるのを感じた。

それは、眩暈がしそうなほどの快感の液体。

----- あ・・ なんかきそう、これ・・・・・

その時、辺りに無粋な男の声が響いた。


「コラーッ! うちの事務所の前でなにさわいどんじゃ!」

叫び声がした後ろのビルの中から、数人の男が駆け下りてくるのが見えた。

----- あっ、シン!

その中の一人を見て、洋一は正気に戻った。

逃げ回っている内に、どうやら自分の組の前で暴れていたらしい。

木刀を投げ捨てると、洋一はダーッと走って野次馬の中に突っ込んだ。


「すっげぇ!メイドさん、カッコイイ!」「おねえちゃんやるなぁ」「顔見せて!」

見物人の中をうつむいて駆ける彼の背中に、そんな様々な声が降りかかる。

----- ヤっべぇ! とんでもねぇことしちまった

男にすっかり戻って深く後悔したが、すでに遅い。


スカートをひるがえして夜の街を駆け去る洋一は知らなかったが、今夜、彼は伝説の扉を開けてしまっていたのだった。







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