光臨 2
雄五郎の運転するファントムで自分のマンションに帰ってきた凛は、中に入るなり、迷わず寝室に向かった。
確かめるように室内を見回してから、ワードローブを勢いよく開いて中を確かめる。
念入りに引き出しまで調べてから、次にドレッサーにいくと、そこにある物を眼でさっと追った。
付き従う雄五郎に背を向けた彼女の表情はよくわからない。
次にキッチンに足を向けると、右手のバーカウンターを一瞥した。
そしてリビングに歩き、西向きの窓のカーテンをさーっと開いて外に目を向けながら、綺麗にとがったおとがいに細い指を当てて、うーんと声をあげた。
何かを考えているらしい。
その後ろに、背筋を棒のようにぴしっと伸ばして、雄五郎がたたずんでいる。
考え込んでいた凛の表情が、雲の隙間から急に太陽が顔を出したように明るいものになった。
そしてすぐ、いたずらっ子の笑みに変わる。
かかとで綺麗なターンを決めて、雄五郎の方へと向き直ると、素敵な笑顔のままこういった。
「なんかおもしろそうなことになってるじゃないっ」
「は?」
意味がわからず、不審な顔をする雄五郎にかまわずまたいう。
「雄さん。どっか別の部屋とってくれる?」
「え、ここじゃなにか都合でも悪いんで?」
「ま・・・・そんなとこかなァ。 なんならあんたんとこで毎晩飲み明かしてもいいんだよ。まァイロが家にいなきゃだけどねェ・・・・・・ふふふっ」
優雅から急にまた伝法と、くるくると猫の目のように口調を変えて、凛はからかうように雄五郎の顔をのぞきこむ。
ご冗談を、と頬の傷をゆがめて彼は顔をそむけた。
ふふーんと困る雄五郎を眺めていたが、凛はまた外へと目をやると、青空に負けない透き通った声で笑いだした。
凛が帰国して二日たったある日。
急な連絡を受けて、玲はあわてて待ち合わせの中央公園へ向かっていた。
落ちる陽のかげりで、芝生や道を行く人々がモノクロ写真に見える中、走っている玲の影だけが気ぜわしそうに動いている。
広い公園の西側に並ぶベンチの前まできて息をついた。
等間隔に横一列になったベンチの中央にある席で、ほっそりとしたシルエットがこっちに手を振っているのが見え、また駆け出す。
薄暗かったその姿が段々とはっきりとして、日本人には少ない、彫りの深いインディオのような若い女性が姿をあらわした。
浅黒く精悍な顔立ちで、流れる墨色の髪をそっけなくうなじのあたりでまとめていた。
目の前まできた玲が、肩を波打たせながら、両手を膝について彼女を見上げる。
洗いざらしたワークシャツとふくらはぎの下でカットしたデニム姿の彼女は、スニーカー履きなのにやたらと大きく見える。
玲にはその訳がわかっていた。 あの頃とはもう、身にまとうパワーの大きさが違っているのだ。
「ひさしぶりー、レイ・・・・あ、清水さん!」
「あはは、気つかわなくていいって玲ちゃん。ここならレイラっていっても大丈夫だよ。 ひさしぶり。ありがとね、きてくれて」
笑うと凛々しいものが消えて、人懐っこい顔に変わる。
このアンバランスさと恐るべき声量の歌声で、ミュージックシーンに現れるや否や話題をさらった彼女こそ、REIRAの名で呼ばれる歌手の清水麗羅だった。
じろじろと遠慮のない視線でレイラの姿をもう一度みてから、玲は少し声をひそめる。
「でもレイラさん。変装とかしてなくっていいの? ほら、サングラスとかさ」
「大丈夫よ。夜だし。 それにアイドルじゃないんだから見つかっても他人の空似でOK!」
ハスキーな声でこたえてから、レイラと玲は目を合わせると、同時に笑った。
その声と立ち姿のせいで、とても23には見えず、もっと年上の大人の女性に玲には思えた。
「やっぱかっこいいなぁ・・・・・レイラさんって」
ほやーっと呆けた顔で感じたままを素直に玲が口にすると、レイラはなにも言わずに微笑んだ。
背後で燃え落ちる夕日を背負い笑うレイラの顔を見て、また玲はうっとりとした表情になる。
レイラがうながして二人は後ろのベンチに座った。
玲がまた顔を向けて話し出す。
「でもびっくりしたよー、もうこっちに来てるって聞いて。 ライブは来月の頭の予定だから、てっきり直前に帰ってくるっておもってたし」
「あっちにいると雑音多くってね・・・・・・ それで早めにこっちきちゃった。 メンバーには言ってきたけど、事務所にはナイショ」
レイラが少しうつむく。
その横顔を見つめながら玲は、いろいろと葛藤があるんだな、と感じた。
「じゃ、実家とかには?」
「うん、帰ってない。 ホテルを転々と・・・・かな。 これ以上迷惑かけらんないし」
「あたしん家泊まればいいよっ。それならバレないっしょ!」
「ありがと。 でもね、まだ不安定だから、もう少し一人でいたいかなぁー、って ・・・・・・ごめんね」
あわてて「ううん、いいって」とこたえながら、いらないことを言ったと後悔した。
----- この人はもう大人なんだ。 自分のやりたいことを貫こうとしてるけど、最低限の迷惑で済まそうってちゃんと考えてる
見た目と同じ、力強いレイラの心を感じて、なぜだか玲の胸は震えた。
自分みたいな子供が心配する必要などない。 そうおもったが、ついつぶやいてしまった。
「やっぱ思い通りに・・・・ってわけにはいかないんだね・・・・・・」
スニーカーのつま先で地面を蹴る。
レイラが、うんとうなづく声が、ジャリッという土の音に混じって聞こえた。
「なんだかんだいっても、事務所は売る方だからね。 冒険はできないみたい」
「レイラさんならロックでもいけるとおもうけどなー」
見えないなにかに抗うように、玲は大きく地面を蹴っ飛ばした。
そんな子供っぽい仕草を見つめながら、「ありがと」そうぽつりとレイラがつぶやく。
けれどすぐ弱気な表情を消すと、暗くなった夜空に顔をあげて、はっきりとした声でいった。
「でも自分で決めなくっちゃ。 そうじゃないと歌自体嫌いになりそうだから。それだけはしたくないの。 だから今回のライブははっきりとした区切りになると思う」
迷いながらも決めようとするレイラの気持ちを感じて、玲は胸を突かれた気がした。
クールな表面とはまったく逆の、熱くまっすぐな内面を持つこの歌手のことをもっと好きになった。
自分ができることをしてあげたい。
そう強く決意して、玲はライブプランを話しだした。
動き出したなにかを感じたように、きらめきはじめた星空に、一筋の流れ星が瞬いて飛んだ。