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二人の夜間飛行 1


シンが不思議な女、火女と出会ってから一週間ほどたったある日の夜。洋一の姿が女装ルームにあった。

めずらしく一人である。

玲はタウン誌の仕事、綾乃と真紀からは連絡がない。

つまり待ちに待った「自分だけナイト」なのだ。


洋一はソファの横にちんまりと正座して、さきほどから床の上に並べてある物をじーっと見つめている。

それは人肌の色をした、こんもりと柔らかそうな物体だった。

その半月状の物を見ながら、頭の中ではエンドレスで女帝の妖しい声が響きつづけていた。


「洋ちゃんにいい物あげるわ・・・・・・これ。 つけ方はここに書いてあるから。特注だからね、うふふ・・・・・・ まぁ、ゆっくりと愉しんでちょうだい。おほほほほ」


そう、いま洋一が熱心に見つめている物。それこそは究極の女装アイテム、シリコンパット。

通称「偽パイ」であった。


神か悪魔か。

綾乃は臨時チーム結成で湧くドサクサにまぎれて洋一に近寄ってくると、そっと彼をさらに深いカオスの海に沈めてしまう危険物を渡したのだった。


眼をランランと輝かせ、ありえないほど荒く呼吸しながらパットを見つめている洋一の姿は、混じりっ気なし・純度100%のデンジャラスパーソンだった。


さっきから手は、パットの手前で行ったり来たりを繰り返していた。

かろうじて残っている、紙のように薄くなった理性が警告を発して、それを手にすることを止めろと言っているのだ。


これを装着するだけならいいだろう。

しかしそうすることによって、更に大胆な衣装をまとって外に出てしまうのは一目瞭然。

それこそは、二度と戻れぬ航海-----すでに戻る意志は無いのだろうが-----への旅立ちを意味していた。なので、最終防衛ラインを死守しようと、最後の理性が発動しているのだ。


だがもうお分かりの通り、こういう場合はすでに秒読み段階である。

きっかりタイムを計ること10分後。

洋一は万引きする子供のように、さっとパットをひったくると、寝室に駆け込んでドアを閉めた。


「わっ、ほんものみたいにやわらか~い! うおっ、たぷたぷ揺れるのか!? すっげーっ!」


これ以上は見るに耐えないので目をつぶるが、一時間ほどの試行錯誤の結果、この道二十年の歴史を誇る業界の老舗、「ジュパリデ・デオン」社謹製のシリコンパットは、二代目の胸に収まった。

それからまた一時間が経過して、やっと寝室のドアがカチャリと音を立てて開いて、凛花にチェンジした彼が廊下にすくっと立った。


道行く人のド肝を抜くこと間違いなしの、大きなウサ耳。片方は当然、ペコッとかわいく垂れている。

黒い粗めの網ストッキングに包まれて伸びる脚線。


そしてなんと言っても「隠す気ないだろ!」と突っ込まずにはいられない、バニーの衣装。

上から羽織っている、燕尾服風の黒い上着がかろうじて露出度を下げてはいるが、後は目も当てられないモロダシ振りである。


バニーになった瞬間から、どんどんと高まる恥骨の奥のうずきに、すでに凛花の目は大きく開き、イッてしまっていた。

小脇に抱えた黒いステッキをくるりと空で回すと、熱い声を漏らした。


「さぁ、いってみよっか」


そして凛花=洋一は、奈落より深く、沼のように魂を絡め獲る、妖しい夜間飛行へ旅立ってしまった。









バニー姿の凛花を車の中から見た時、もうシンはおどろかなかった。

ただ「あぁ・・・・・・」と、かぼそい声をもらしただけだ。


だが、口を開けて、泣き笑いの表情で、彼は静かに涙を流していた。


到底、言いあらわすことなどできぬ喜びと感動と幸せが、心の中のとまどいと想いに混じって、彼から言葉を奪ってしまっていた。


好きなんだ。 そう今ならはっきりとわかる。

認めるとか認めない、男とか兄貴とかは、どこかへ消し飛んでしまっていた。


シンは夢遊病者のように車から降りると、凛花の後について歩き出す。

もういつものように物陰に隠れることはしなかった。





凛花も違っていた。

見られることへの喜びのみ感じ、破滅とか恐怖はみじんも心の中に無い。

瞳孔が開きっぱなしの眼を辺りに向けながら、颯爽と繁華街へむかって足を進めて行く。


----- もっと高めなくっちゃ・・・・・・ もっと気持ちよくならなきゃダメ・・・・・・

それだけを求めていた。


やがて街に出た彼女の姿は、人目を惹くどころの騒ぎではなかった。

客の送り出しで店の外に出ていたクラブのお姉さんまで、あんぐりと口を開けて、目の前を悠々と通り過ぎてゆくバニーを見送ってしまう。

「どこの店の子、あれ?」 

「いぁ、どっかの店に来てるショーの人じゃない?」


丸くてふわふわの尻尾が揺れるのを、老若男女問わず、おもわず振り返って見つめてしまう。

凛花の胸のドキドキと恥骨の甘い痛みは留まるところを知らず、人々の視線を受けるたびに、彼女をめくるめく恍惚の世界へといざなって行く。




飲み屋街を抜けてアーケードに足を踏みいれた凛花は、見覚えのある男たちを見つけた。

横に大きく広がって、大声で話しながらこっちへむかってきているのは、地下街でやりあったあの若者たちだった。


あの夜の喧嘩を思い出した途端、一段と強いうずきが奥を駆け抜けて、声を漏らしそうになる。

躊躇うことなく凛花は足を前に進めると、彼らに気づかれるより先に「はぁーい」と声をかけた。

急にあらわれて微笑むバニーに、男たちはぎょっとした顔をした。

だがすぐにあの時のメイドだと気づいて、くるっと背を向けると逃げ出した。


「あらぁ、つまんないの・・・・・・」

快感を得られる機会を失って、がっかりとしてまた歩き始める。

暴力を求めている自分への驚きとか疑問すらなくなってしまっていた。

気持ちよさにとろりとしていた瞳が、肉食獣のそれに変わっていることにも気がついていない。


凛花の後ろをふらふらとついて行っているシンも、彼女の変化に気づかず、放心気味に足を運んでいる。

はっきりと自分の想いを知ってしまったシンは、もうどうしていいかわからなくなって、心のままに行動していた。


----- 凛花さん、綺麗だ・・・・・・ この世のものとはおもえない・・・・・・


光りに集まる虫のような、人々からの好奇の視線を浴びて歩く凛花だったが、その華麗な行進が終わるときが来た。

彼女の目の前に、バラバラと20人以上の男があらわれ、行く手をふさぐ。その中にさっき見た顔があった。

男たちは逃げたのではなく、仲間を呼びにいっただけだったのだ。


あの夜の凛花の膝蹴りで、まだ鼻が微妙に曲がっている男が、こっちを指差して朗らかな口調でいう。

「おねーさーん。 しかえしにきたよーっ!」

笑っているが、眼がいびつな暗い光を放っている。


凛花の望んでいたものがついにやってきてしまった。








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