彼女たち
ジリリリリーン! ジリリリリーン!
事務所をでたところで、洋一のケータイが古風な黒電話の着信音を奏で出した。
でると、彼女たちの一人である真子の声が聞こえてきた。
「洋ちゃーん、今夜ヒマぁ?」
「おぉ、あ・・・・・」
空いてると言おうとしたとき、ちらりと母の部屋が脳裏をかすめ、口ごもる。
「あーぁぁぁ・・・・ あかんわ、仕事やねん」
「ちょっと! その、あーの間と関西弁はなんなのよ」
甘ったるかった真子の声のオクターブが下がる。
「いや、さっきテレビで観た芸人のしゃべりがうつっちゃって」
「・・・・・なんかあやしいね。洋ちゃんテレビきらいじゃん」
もっと声が低くなった。
バカで能天気なキャバ嬢なのに、こういうカンはなぜすぐ働くのか、と洋一は舌打ちしたくなる。
「ほかの女の人とかじゃないでしょうね?」
「バッカ、ちげーよ。なんでそうなるわけ?」
「だって、今日の洋ちゃんなんかいつもとちがう。かわった気がする」
「だから、なにそれ?」
「カン。でもなんかゼッタイかわった!好きな子できたの?」
意味はまったく違うのだが、変わったというところは的を得ている。
洋一自身は決して認めないだろうが。
言いよどんだ洋一の耳に、殺気が送り込まれた。
「・・・・今から洋ちゃんの部屋いく。帰るまでずっと待ってるから」
うっ、とうめき声がでそうになって、洋一はあわててケータイを遠ざけた。
顔と身体は超一流だが、頭の中がお花畑の真子は、とても嫉妬深く、一度うたがいをもったことは全て明らかにしなければ、延々とそれを言い続けるのである。
なので、ぜひとも今は会いたくなかった。
----- や、ヤバい!部屋に帰れないとなると、あの部屋にずっといなきゃいけなくなる
そうなると、もうこちら側へは二度と戻ってこれない気がして、洋一はぞくっとした。
それにいつまでもシンの送迎を断るわけにもいかないから、マンションの存在も組にバレてしまう。
まだ初秋だというのに、まるでサウナに入っているように汗がドッと吹き出てシャツを張り付かせた。
「あはははは。まったくなにいってんだよ、おまえ。ちげーってば」
力なく笑いながら、洋一は考えた。
とりあえず今夜は部屋に帰って真子の誤解をとこうか。
しかし、妙にカンだけはいいあの娘は、自分の変化の理由を察知してしまうかもしれない。
そうなると破滅だ。
「わ、わかった!ちょい仕事まで時間あっから、今から会おうぜ」
「・・・・・」
「なんだよ、まだうたがってんの?しょうがねぇなぁ・・・ じゃ、これから信じられるようにしてやるよ」
これから・・・・の後に続くセリフに艶をもたせて、洋一はケータイに吹き込んだ。
力技で行く気だ。
真子は野生児だけにエッチが好きだった。
「あ・・・ じゃあいまからいつものホテルのラウンジいくね」
真子の声が一瞬で甘いものに戻った。
成功である。
洋一はニヤリと笑うとガッツポーズを決めた。
「おお、早くこいよー。あと、シャワーは浴びずに、な」
「イヤーン、洋ちゃんのエッチ!」
エッチはてめぇだろうが、と心の中で突っ込んでおいてから、洋一は二言三言はなしてパチンとケータイを閉じた。
「兄貴、お車出しましょうか?」
急に耳元でシンの声がして、さすがの洋一もびっくりして、ヒッと悲鳴をあげて飛びのいた。
「申し訳ありません・・・・・ おどろかせてしまって」
「し、シン! おまえ気配消しすぎだって!」
「失礼しました。お電話の邪魔かと思って控えておりましたので」
シンはそういって軽く頭をさげた。どことなくいつもより慇懃無礼な感じがした。
その仕草をみて洋一はハッとした。
----- こいつ、電話の相手が真子ってことも、その内容もわかってやがる!
そう気がつくと、さすがに気味が悪くなった。
「車を回してきますから、少しお待ちください」
くるりと優雅にターンして、足早に去ってゆくシンの背中を見つめながら洋一は、「きっとシンは忍者の末裔かなんかに違いない」そう真剣に思うのだった。
洋一のテクニックをもってしても、真子を納得させるのに3時間もかかってしまった。
セックスは嫌いではなかったが、同年代の男より数多くこなしてきたし、また様々なシチュエーションもお試し済みなので、最近ではあまり高かぶらなくなっていた。
疲れた顔でホテルを出た洋一は、シンの運転するジャガーに乗り込むと、ふぅーっと息を天井へと吹きあげた。
「兄貴、どちらまで?」
ハンドルを握って、まっすぐに背を伸ばして座っていたシンが、そうたずねてくる。
洋一は考えた。
息も絶え絶えで、ベッドに横になったまま真子が言ったセリフがよみがえる。
「今夜、洋ちゃんとこ泊まる。しばらく部屋にいるから」
彼女がそう言ったということは、洋一の作戦はミッションコンプとはいっていないらしい。
今夜部屋に戻らなかったら、真子は更に疑いをつのらせるだろう。
彼女一筋、と言うわけではまったくない洋一だが、長年染み付いたクセで、女性を泣かせるのは嫌いだった。
まぁ、本人は気がついていないだけで、河原の石の数ほど泣かせてきているのだが。
いつも悪気の無い加害者と言うこのタチのよくない男は、さらに考える。
----- そもそもなんで俺は、自分の部屋に帰りたくなくってイライラしてんだ?
答えはすでにでている。
目をそらせたい事実ではあったが、母の部屋に行きたいのだ。
もう一つ突っ込んで言えば、女装して遊びたいのだ。
そこまで考えて、恥ずかしさで顔がボワンと赤くなり、また恥骨のあたりもムズムズとしてきはじめた。
洋一はうつむくと、爪を噛んでそれに耐えた。
「・・・・・兄貴? どうかなさいましたか?」
ずっと無言でいる洋一を心配したシンが声をかけるが、耳には全然とどいてはいない。
行きたい。だけど行けない。
出ている二つの結論の狭間で、洋一の心は揺れにゆれている。
----- 兄貴、真子さんとなにかあったのですが・・・・・ あんなに苦しそうなお顔になってしまわれて
洋一の揺れがシンにも乗り移ったのか、兄貴の事ならなんでもわかる、そう強く思っていた心が揺らぎ始めて、彼も苦渋に満ちた顔になる。
シンはあるいは真子以上に洋一にたずねたかったが、いらぬことを聞いて兄貴を苦しめてはならぬと、じっと耐えて待った。
この男は昭和以前に、しかも女性として生まれてくれば良き妻、そして良き母として立派であっただろう。
だが現実は、男でヤクザ見習いなのだ。
そんなシンの存在などすっかり忘れて、じりじりと洋一は考え込んでいたが、やがて理性が勝って、毅然と顔を上げて命令した。
「シン、部屋に帰る。車を出せ」
「わかりました」
車体を沈みこませず、するりとジャガーはすべり出すと、ホテルのエントランスから車道へと走り出していった。
「兄貴、降りずにしばらくお待ちください」
洋一の住むマンションの駐車場でジャガーが止まり、外へ出ようとしたら、シンがそういった。
「なんだ、妙な野郎でもいるのか?」
ドンパチなど数年に一度あるかないかの、平和な街の暴力団だ。
ヒットマンなどいるはずもなかったが、いちおう職業柄そういってみた。
だが本当は、少しヤクザらしいことを口にしてみたかっただけである。
シンは何もこたえず、自分の唇に人差し指を立てて洋一に黙っているようにジェスチュアすると、さっとジャガーを降りて猫のように階段へと消えてしまった。
いぶかしく思いながら煙草をふかしていると、すぐに帰って洋一にささやいた。
「真子さんと綾乃ねえさんが部屋の前で言い争ってます。どうやら鉢合わせしてしまったようで。いま上がられると不測の事態になるかと思いますので、ここは離れましょう」
この街一番の高級クラブ「セブンシーズ」のNo1ホステス綾乃の名前を聞いて、洋一がひるむ。
----- あいつは物分りはいいが、浮気は許さないやつだ。血の雨が降る・・・・・
「どうしましょう?水音さまのところにでもまいりましょうか?」
大学の講師をしている水音の名前に洋一は、今度は首を横に振る。
「いや、あいつは今イグアナの研究で忙しいはずだ。邪魔しちゃならねぇ」
「・・・・・さすがです、兄貴」
彼女同士を激突させておいて、さすがもなにもないはずなのに、シンはそういって洋一をほめた。
「それではどこか部屋でもとりましょうか?」
そういって洋一の顔を見たシンが、あっとおどろいた。
----- あ、兄貴が笑ってらっしゃる!
洋一自身も気がついていなかったし、またシン以外の者ではわからないくらいだったが、微妙に彼は笑っていた。
あの部屋に行く理由ができた喜びが、隠し切れないものとなって出てしまったのだ。
おどろきを表情に出さぬように苦心しながら、シンは洋一の言葉を待った。
「おまえはここで帰れ」
「はっ?」
「俺を降ろして帰れ」
「兄貴・・・・・・」
逃げずに二人の誤解を解こうとしている、そう思ったシンは、やっぱり兄貴は立派なお人だと感動する。
「それではどうかご無事で。何かありましたらすぐに連絡をください。事後処理用の道具を用意して事務所で待機していますから」
洋一のことになるとおかしくなるこの男は、物騒なことをさらりと言うと、きっちり90°の礼をしてからジャガーに乗って去っていった。
車が完全に視界から消えた後、さらに10分待ってから通りに出て確認して、洋一は足早に自分のマンションから立ち去った。