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嵐の前 2


同時刻。

真渦 雄五郎は紅椿一家会長の屋敷にいた。


おそろしく広い,四十畳はあろうかとおもわれる座敷の隅に端坐して、彼は背筋を伸ばして目を瞑っている。

開け放たれたふすまからは、見事に生い茂った松と大きな池が見えた。

街中にあるというのに車の音ひとつ聞こえてこないのが、この屋敷の広さを物語っている。


ただ、無音という訳ではない。

かすかだが、この端正なたたずまいの空間に不似合いな、荒い女の嬌声がしていた。

それが聞こえているはずなのに、雄五郎は顔色も変えずじっとしている。


やがてひときわ高く甲高い声があがったかとおもうと途絶え、しばらくたってから、髪の薄い色白で小太りの男が座敷の中へと入ってきた。


趣味の悪いベージュのガウンを着込んだ男は、上座までゆくと、無遠慮に畳の上にごろりと身体を横たえた。


雄五郎は、ガウンからむき出しになった毛脛をがりがりと掻くその男のそばににじり寄ると、野太い声で話し始めた。


「会長のお言葉を若に伝えてきましたが、納得していない様子でした。それにここ最近の若を見ておりますと、どうも稼業のことを嫌っているように思えてなりません。今はまだ大丈夫ですが、いずれ二代目となられるお方があのように腰が据わっておられぬのでは、少々心もとなく感じます」


言い終えた後、しばらくは静寂が座敷の中を支配していた。


やがて紅椿一家会長・義隆は、煙草を取り出すと、口にくわえて火をつけた。

ふーっと煙を空へと吹き上げ、その口から、妙にねばりつくような声をだした。


「ヤクザ辞めたそうなんか?」


一拍おいてから雄五郎が答える。

「はい会長。この目にはそうみえました」


眠そうな目が雄五郎の顔を見た。

ある種の両生類をおもわせる、ぬめりとした眼だった。


「墨、入れたれ」


口の端に煙草をくわえたまま、畳に灰を撒き散らしながら言葉をつづける。


「カタギなんぞになれんように、立派な彫りもん背中にしょわせたれ」

「・・・・・・」

「そしたらちっとは腰も据わるやろ。 それでしまいじゃ」

義隆はそういって、鼻から煙を吹いた。


「わかりました。腕のいい彫り師をすぐ手配します」

その場で一礼すると、雄五郎は一度も表情を変えずに座敷を去っていった。


ひとりそこに残った義隆は、ゆっくりと煙草をふかし続ける。

薄く細められた目は、丹精に手入れされた樹木に向けられていた。


深沈とした一時の後・・・・・・


ペキッ


虫のささやきさえ聞こえぬ無音の間に、何かを握りつぶす音がした。


無表情な義隆の手の中で、折れた煙草が白い煙をあげている。

次の瞬間に、それを庭にむかって投げ捨てるとつぶやく。


「・・・・・・わしになつかん可愛げの無いガキやが、まぁやるこたやってもらわんとのォ」


灰を散らして立ち上がると、また妾の下へといくために廊下に歩み出た。

義隆の背後で、庭に投げ捨てられた煙草がくすぶり、揺れる白い煙を立ち上らせている。


すぐそばを、大きな蛾がよたよたと横切るのが見えた。






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