兄貴
「やっと出てきた」
マンション前に止めたありふれた紺色のワゴン車の中でシンはつぶやいた。
だが、玲と共にエントランスから出てきたピンクのナースを見て、思わず目をそらせてしまう。
「兄貴・・・・・・ 今夜はナース、ですか・・・・・・」
大きなため息を吐き出してから、気を取り直して車を降りると、気づかれないように二人の後をつけ始める。
そう、彼こそが玲のいった他の手、なのであった。
彼女の指示や機転ではカバーしきれない出来事-----本職や警察の介入-----といった事態が起こったとき、シンがこっそりと、あくまで洋一に気づかれないように処理する。
それと、自分たち以外の第三者が、洋一をスクープしようとした場合の妨害。
それが玲が兄へと与えた作戦だった。
暗闇から街灯の下へ。
そうして明かりの中にナース姿が浮かび上がるたび、シンはため息をつく。
「玲のやつ、兄貴をどうしようっていうんだ。もし少しでも迷惑をかけるなら、いくら可愛い妹でも、ケジメはつけなくては・・・・・」
そう一人ごちるが、今のシンに玲の指示以上のことなどできそうにない。
だから不本意ながら、こうして影で見守っているのだ。
「しかし、兄貴は女の姿になってもカッコイイ・・・・」
うっとりと洋一の後姿を追いながら、シンは初めて彼と出会った時のことを思い出していた。
目標のない大学生活にいやけがさしていた時、街でしつこいキャッチに捕まって往生していたサラリーマンを助けて、地回りのヤクザともめてしまった。
五人を返り討ちにしてしまい、残る一人が懐に飲んでいたドスを抜いて自分へとむかってきた時、洋一は現れた。
「バカヤロウ! カタギに光りもんむけて、それでもてめぇ渡世人かっ」
その一喝でドスを納めさせ、次に輝く白い歯を見せながら洋一は自分に笑いかけた。
「兄さん。とんだ行き違いですまないが、ちょいと訳をあっちで聞かせてもらえませんか?」
そう誘われて入った静かなバー。
ここで何か無理難題をふっかけられる、そう緊張したが、洋一は気を使って店の奥に隠すように自分を座らせてから、ちゃんと話を聞いてくれた。
始めに突っかかってきたのは向こうで、こちらは非を正してから謝ったこと。
だが自分の指摘した非で、相手が激昂して殴りかかってきたことなどを、正直にシンは話した。
彼の性格なのだが、まちがったことが嫌いで、それゆえに大学でもプライベートでも孤立していた。
誰も自分の相手をしてくれず、言えない言葉ばかりが胸の内に貯まってゆく毎日だった。
シンの話を洋一は真剣に聞き、また地回りとキャッチの関係や立場も語ってくれた。
「たしかにやってることはひどいことです。 あたしも少しはマシな稼業になればとおもってやってはいるのですが、まだ若輩の身で、なかなかうまくいきません・・・・ それで街の皆さんや兄さんにまで迷惑をかけてすまないと思ってます」
そういってから、かなり立場は上だと思われる男は、自分に頭を下げて謝った。
その素直な態度にかえってシンの方が恐縮してしまい、こちらも怪我をさせてすまないと謝る。
話が収まったところで洋一は、はははと涼やかな声で笑うと、まるで子供のような目になっていった。
「それにしても兄さん強いねぇ。あいつらうちの中でも腕っぷしじゃかなり上の方なんだぜ」
がらりとくだけた口調になった洋一に、いつしかシンは心をほだされていた。
手打ちだといってその場で酒を酌み交わす内に、いつの間にかシンは、日頃かかえている鬱屈した思いまで語ってしまったのだった。
全てを話し終えた後、恥ずかしさで赤面してしまった自分に、優しそうな目をむけて洋一はいった。
「シン・・・・って呼ばせてもらっていいか? おまえ、いい奴だな。俺はこの通りのヤクザなんだが、カタギの連れもほしいっていつもおもってたんだ。嫌でなけりゃ、たまに会って話を聞かせてくれないか? もしおまえに迷惑がかかるなら、すっぱり目の前から消えるから」
始めは目をみながらぶっきらぼうにしゃべっていたが、言い終えると少しはにかんだ表情になって、洋一は顔をそらせた。
シンはその時、洋一が見せたわずかな揺らぎの中に、自分と同じ孤独を感じ取った。
----- この人は助けを求めている
そう思った瞬間、おもわず言ってしまっていた。
「あなたの元で働かせてください。おねがいします!」
洋一は笑ってその言葉を取り上げなかったが、日々日参するシンを持て余して、半年後ついに受け入れてくれたのだった。
こうしてヤクザとなってしまった今思い出せば、それは稼業としての人集めの一環だったろうとおもう。
だがシンは、あの時の洋一の顔と口調の裏に感じたものに間違いはなかった、いまでもそう思っている。
日々接する兄貴との時間の中で、その思いは色あせるどころか段々と硬く強くなっていった。
『兄貴を助けられるのは俺だけだ』
その想いが今のシンの全てを支えていた。
懐かしくも切ない回想が終わり、シンの目がふたたび己が兄貴の姿をとらえる。
----- 兄貴・・・・・ あなたのお背中はこの冴島 心が必ず守ってみせますっ
心中そう叫んだシンの視界に、桃色にうごめく艶めかしい腰が揺れている。
「あ、兄貴っ。でもその服はあまりに短すぎではないですか!?」
そう。
洋一の着用しているピンクのワンピース風ナース服は、膝上15cmのタイトなミニであった。
自分の発した言葉が、男に対するものではまったくないことに、この忠実な付き人は気づいていない。
ため息をついたり顔を赤らめたりと、忙しい百面相をしながら、あくまでこっそりとシンは二代目をつけ回すのだった。
悲しい事実ではあったが、その姿は平成の世では、「ストーカー」と呼ばれる。