メイク
そして太陽が沈み、やがて月がのぼって夜になる。
午後10時。
母のマンション改めここ女装ルームで、玲と洋一の初女装ミーティングが開かれていた。
何を強要されるのかとおどおどする洋一だったが、まずはメイク講座ということで、ほっと安心した。
「いい?まず女装前に大事なこと。それは髭、ヒゲの処理ね。あんた、自分はヒゲが薄いから大丈夫とか思ってるんだろうけど、全然ダメ!照明あたればバレバレよっ。剃ってもね、隠し切れないの。毛穴のポツポツとかも女の子じゃないしね。 で、まずは抜く!」
そういって銀色に輝く毛抜きを出してくると、ぎょっとする洋一の耳をしっかと掴んで、情け容赦なくヒゲを抜き始めた。
「いたい、痛いって! せめてタオルで温めてから・・・・・・」
「うっさい!あんたヤクザでしょ?こんくらい我慢しなさいよ、ほら修行だと思ってさ」
「そんな修行あるか!」
聞く耳を持たず玲は毛抜きを使い続け、やがて全てのヒゲというヒゲが抜かれて、洋一の顎は血だらけになった。
「これでよしっと。後はあたしが持って来たSPコンシーラで毛穴を隠せばOK。あとあんたね、アイラインの引き方がヘタ!シャドウのぼかしとかも。昭和のオカマじゃないんだから、ベッタリ塗ればいいってもんじゃないの。いい?鏡見てなさい」
洋一の顔を鏡の正面に向けると、自分は彼の膝の間に座り込んで、チューブから褐色の液を手の甲に少しづつ出して塗り始めた。
見る見るうちに顎が平らになってゆき、やがて完全に毛穴と青い部分が消えてしまって洋一はおどろいた。
「これ舞台用の強力なやつだからね、市販品よりいいよ、高いけど。 あ、領収書もらってきてるから後でお金おねがい!」
ヤクザに領収書って、と鼻白んだが、彼女はそんなことにはかまわず、今度はアイビューラーとリキッド状のライナーを出してきて、まずまつ毛をグリングリンに上へと跳ね上げてから、慎重な手つきでアイライナーを引き始める。
「まつ毛のね、根本をちょんちょんってつっつく感じでまずは埋めていくの。あんたいきなりベタッっていってたでしょ?」
うんうんとうなづくと、頭をはたかれた。
人生初の頭はたきに唖然とする彼に玲がどなる。
「うごくな!ズレてへんになるじゃない、もう。 リキッドのライナーは決まると目がパッチリだけど、その分むずかしいんだからねっ」
玲は、ものすごく真剣なまなざしをして、二重まぶたの下、まつ毛のギリギリのラインを縁取ってゆく。
「よっし! 次はシャドウね。お水とかならパープルでもいいけど、今夜はもうちょいナチュラルにラメとかも控えめでいくね」
たくさんの色が並んだパレットに、シャドウスティックをはたはたとつけ、ポンポンとまぶたの上あたりにはたくようにつけてから、ささっと指で広げてゆく。
やがて出来上がった自分の目を見て、洋一は驚嘆の声をあげた。
「わぁ! すんごいパキっとした、目が」
「でしょ? じゃ、落としてきて」
「え?」
「え、じゃないわよ。次は自分で最初っからやるの!覚えらんないっしょ、やらないと」
「・・・・あい」
それからも玲のメイク指導は、若干いじわる気味に二時間に渡って続いた。
「まぁはじめはこんなとこかなぁ。あとは回数かさねて慣れだからね」
なんとかお許しのでた顔を、改めてじっくりと見た。
----- たしかに今までとは全然違う・・・・・ さすが本職だ!
胸が高鳴ってくるのを感じる。
そして頬を喜びでほころばせていると、また玲のきびきびとした声が飛んできた。
「次、ウイッグ付けて! 髪のセット教えるから」
「はい!」
なぜか女子高生に顎で使われて、喜んで従っていることに彼は気づいていない。
多種類のブラシや櫛の使い方、服やイメージによる髪型の整え方など、一から彼女は教えてゆく。
「女装でも普通のお化粧でも、なんでもイメージなの。それを綺麗に描いてその通りに演出する・・・・・ つまり自己自演の自分を絵に描くみたいな感じ? だからこれからは女性誌とか見てもっとイメージをふくらませなさい。ほら、買うの恥ずかしいだろうと思って持ってきてあげた」
そういって玲はスポーツバッグからたくさんのファッション系雑誌を取り出すと、洋一の鼻先に突きつけた。
ついでに領収書を渡すのも忘れてはいない。
それでもまだミーティングは終わらない。
服の着付け、またその種類や見た目に対する印象など、日付が変わっても指導は続く。
「で、今夜はどんなかっこしたいわけ?」
「・・・・・・・・ナース」
顔を真っ赤にしてうつむけた洋一が、消え入りそうな声でつぶやく。
「はァ?この真性のヘンタイがっ!そんなのあるわけ・・・・・ あれ?あるじゃん。なにこれ!? あんたのお母さんっていったい・・・・・・」
その先を言おうとしたが、あまりに洋一が恥ずかしそうにしているので止めておいて、玲はなぜかワードローブにかかっていたピンクのナースセットを取り出すと、さも嫌そうな顔をして前に突き出した。
「自分で着て! ヘンタイコスはあたしの範囲外だから」
「・・・・・・」
しかたなく洋一は一人でそれを着た。
玲はふてくされた顔でそっぽを向いていたが、要所ではちらりと見て短く指導する。
やがてナースへと変身を完了した洋一に彼女はいった。
「まずそこに座って!」
「はい」
なぜかフローリングの床の上に正座したので玲はおどろいたが、ソファーに座れといい直すのも面倒だったので、そのままにした。
「これから言うのが一番大事なことね。まずは戦闘天女のコンセプトです」
「すみません・・・・・その名称は確定ですか?」
控えめに言った質問は無視された。
「いい?きのうあんたがホームレスの人たちに差し入れしてるの見て思いついたの。天女はまず、街の弱者に喜びを運ぶ役目をします」
「それってどういうこと?」
「ええっとね。差し入れとかはもちろん続けてもらうけど、どっちかっていうと、変な男に絡まれてる女の子を助けるとか、道いっぱいに広がって通行の邪魔になってる奴を指導するとか、そんなトラブルシューターみたいな感じかなぁ、たぶん」
こいつ本当は思いつきで言ってやがる、そう洋一は感づいて玲をにらんだが、彼女がこっちをむくと笑顔になっていった。
「えっと、じゃあいままでみたいに不良をやっつけるってことでいい?」
「うーん・・・・・ ほんとはもっと慈善的なことしてもらいたいんだけど・・・・・・ まぁそれはまた考えとく!」
「・・・・・・」
「なによ? ちゃーんとあんたが大っぴらに女装できるように考えてあげてんのになによ、その目は?」
「いえ・・・・・なんでもないです」
嫌な目つきで玲は洋一を見ていたが、やがてふんと鼻を鳴らすと話しに戻る。
「でね。あんたのその活躍をあたしが記事にして、やがてそれは街の伝説に・・・・・・」
「ちょい待った!それ話がちがうし。バラさないってあんた言ったっしょ!」
「はぁ・・・・・・ 言葉遣いも指導しなきゃだわ。それは置いといて。うん、あんたの正体はバレないようにちゃんとするよ。そのために完璧なメイクも教えたんだし」
「でも写真でバレバレだろ!しかも記事なんかになって大勢が見にきたりしたら・・・・・・」
昼間に見た悪夢を思い出して身震いする洋一に、こともなげにあっさりと玲はいう。
「だーいじょうぶだってば。もう一回鏡みてみなさい。その顔とボーズ頭でヤクザ顔のあんたを結び付けれる人なんていやしないって。それでも心配なら、昼間はもっと恐そうな顔してることね」
「・・・・・・・」
「それに、他の手も打ってあるし」
「なにそれ?」
洋一の質問にはこたえず、腰に手を当てると、玲は高らかに宣言した。
「さぁ、天女さまの初仕事よ! きあい入れてこーっ」
黙って上目遣いで自分を見上げている洋一を玲が叱りつける。
「ほら、もっと楽しそうな顔しなさいよ!」
先行き不安でとても楽しめそうにはなれなかったけれど、今はこの娘のいうことを聞かなくてはならない。
拳を突き上げて気合を入れている玲に従い、洋一はアイライナーで書いた目尻を上げて、小さな声で「おーっ」といって手をあげた。