第1色 迷える子羊【幼馴染】
景色が落ち着く。
足が地面を感じる。
体が風を感じる。
頭の揺れが治まる。
ふぅー、と大きく息を吐いて、深呼吸をする。そして、周りを見回す。
幾本かの木が植えられ、四角い建物がいくつも建っており、綺麗に立ち並んでいる。建物にはそれぞれ、等間隔に窓が付いており、すべての建物が、二階部分が通路で繋がっている。前方には、バックネットなどがあるグラウンドを見渡すことができる。
ここは……俺が通っている高校ではないか!
という大げさなリアクションは取らず、普通に、高校か、ぐらいにしか思わなかった。
なぜここにいるのだろう? まぁいいか。知っている場所にいるのだ。気にするほどの事ではない。でも、ラッキーかも。あのドアを潜れば、ここに行くことができる。それがわかれば、これからは、朝はもう少しゆっくりと寝れるかもな。今夏休み中だから、学校に来ることないけど……。ああ、そうだ、早く薬を買って帰らないと、薬局は学校の近くにあったはず……ああっ! 自転車置いたままだ……どうしよ……先に自転車だな。盗られても嫌だし。とりあえず、さっきのドアを……。
後ろを振り向くと、そこには何も無かった。
ええっー!? 無くなってる……。
…………。
……仕方ない。ここからだとかなり時間がかかってしまうが、道もわかるし。……歩くか。とりあえず校門に……。
そう思い、校門に行くことにした。
校門には一人の女子高生がいた。ここの制服。人待ち顔で立っていた。時折、辺りを見渡している。
澪だった。
今度こそ声をかける。
「よぉ」
「えっ……」
澪がこっちを見る。
小顔に整った鼻、薄い唇、くっきりとした二重瞼に、少し吊上った、吸い込まれそうなくらいに綺麗で大きな瞳。
そんな綺麗な顔が、一気に驚きに満ちてゆく。
そして次の瞬間、耳を劈くような声で叫んだ。
「えっ、なんで!? なんで、まーちゃんがいるのっ!? どういう事!? なんでなんでなんで!?」
明らかに混乱している。ちなみに、まーちゃんっていうのは俺の事。三歳くらいの時の呼び方を、高一でされるのは少し恥ずかしいが、今や、その呼び名で、高校の友達からも呼ばれている。別に構わないが、澪にだけは呼ばれたくはなかった。
見栄だと思うが。
虚勢だと思うが。
もう子供じゃない、って言いたいだけなんだろうな……きっと……。こんなこと思ってる時点で子供なのに……
閑話休題。
澪は未だに混乱していた。えっ……何で……、をひたすら繰り返し呟いている。こんなに慌てている澪を見るのは初めてだったので、見ていて面白かった。中学まではずっと一緒にいたのに、なんか新鮮だ。
……もう少し見ていたかったが、そろそろ本題に入らないと。
「とりあえず落ち着けって。俺だっていろいろ聞きたい事があるんだよ。先に聞いていいか?」
「…………。……えっ、あっ、うん。……どうぞ」
まだ混乱状態みたいだ。
「それじゃあ、まず最初。ここは――どこなんだ? いくら夏休みだからといっても、静かすぎる。あまりにも静かすぎる。部活とかやってるはずなのに……。一体、ここはどこなんだ? 知ってるはずなのに知らない場所みたいだ」
そう、ここは二人だけを残してすべてが消えてしまったみたいに何の気配も無い。
「えっと……ごめん。私もよくわからない。――あっ、でもこれから来る仲間なら知ってるかもしれない。『歩く辞書』って呼ばれてるんだよ」
歩く辞書? 何の事だ?
「そうだ! まーちゃんのも見せてよ。私はねー……」
そう言いつつ、鞄から、何やら手の平サイズの薄い長方形のカードのような物を取り出す。そして、俺に突き付ける。
「学生なのだ!!」
堂々と、胸を張って、誇らしげに彼女は言う。
……………………。
そんな当たり前の事言われてもリアクションに困るのだが……。
「違う! カードを見て!」
突き出されたカードを見てみる。そこには、
名前 葵月 澪
職業 学生
と書かれていた。
……なんだこれ?
「まーちゃんのも見せてよ」
「その前にそれ……何?」
「えっ? これ持ってるでしょ? じゃないとここに来れないもの」
通行証みたいなものか。だとすると、俺は――。
「……あー、持ってない」
「えー、嘘だー。それじゃあ、あのドア開かないよ。恥ずかしがらずに見せてよ。……えっ、本当に無いの? 全く? えっー!? じゃあ、どうやって開けたの? 開くはずないんだよ。どうして!?」
「知らん。澪はどうやって手に入れたんだ?」
「ゴミ山に落ちてた」
「ふーん。それなら、俺のも落ちてるかもな」
「そうだよ。きっとあるよ。仲間が来たら探しに行こうね」
「……ああ」
仲間……。そういう存在がいるという事は、澪は何度もここに……。
「なぁ、澪。お前ここに来たの、何回――」
「それよりさ」
露骨に話題を変えられる。……話したくないのだろう。別にいい。人は皆、人には言いたくない秘密を持っているものだ。俺にもある。そしてそれを、親しい人間には明かさなければいけない、なんてルールはどこにも無い。
「何?」
「この制服、可愛いでしょ?」
俺の前で、くるっと一回転し、俺にニコッっと笑いかけながら聞いてくる。その仕草に俺は、ドキッっとした。思わず、目を伏せる。
「馬鹿な事言ってんじゃねーよ」
悪態をつくことしかできなかった。
「似合ってないかな?」
「いや……って、なんでお前がそれ着てんの? 学校違うじゃん」
澪は有名な超難関進学校に行ったはずだ。この学校の制服なんて持ってるはずがない。コスプレマニア? まさか、そんな秘密を抱いていたとは! 嫌いじゃないけど! むしろ好きだけど! 何言ってんだろう……俺……。
「……いや、人の趣味をとやかく言わないが、女子高生が女子高生の真似をするっていうのは、どうかと思うが……せめてナースとか……」
なんか暴走しているぞ、俺。幼馴染相手に何を要求しているんだ。
「…………? 何言ってるの、まーちゃん? 大丈夫?」
「えっ? ああ、気にしないでくれ」
どうやら、コスプレマニアではなかったらしい……。別に残念だとか思ってないよ? 本当ですよ? 本当ですってば!!
改めて澪を見る。
高校を卒業してから四ヶ月。
長かったようで短かった四ヶ月。短かったようで長かった四ヶ月。
澪は綺麗になった。
昔から可愛いかったと思う。周りの奴等が言っていたから。正直俺は、近すぎてよくわからなかったけど……。
長かったようで短かった四ヶ月。短かったようで長かった四ヶ月。
中学卒業してからの四ヶ月。澪に会う機会が無かった四ヶ月。
その期間で澪は変わった。少女から女性になろうとしている。……まだまだ少女だろうけど。それでも確実に……。
その間、俺は何をしていたのだろう。成長もせず、退化もすることなく、ただ停まっていたと思う。
停滞。静止。停止。
自分が情けない。この四ヶ月。本当に自分はこの時間を通過してきたのか、と思ってしまう。澪と同じだけの時間を過ごしてきたのか? 自分だけの時間は止まっていたのではないか? そう思ってしまう。そう思わされてしまうほど。
澪は綺麗になった。
「まーちゃん――」
不意に声をかけられる。じっと見ていたのを悟られたか?
「まーちゃん――大きくなったね。小学校じゃ私より小さくて、中学校で同じくらいになって、今では、私が見上げないといけないくらい大きくなってる。時間って……経過しているんだね」
成長したんだね、と言ってくれた。俺も時間を歩んでいる事を肯定してくれた。素直に嬉しかった。誰にも聞こえないほどの小さな声で、ありがとう、と呟いてみた。
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