ゴミ箱も食べます
拙者は伍味之助。先祖代々受け継がれてきた天板付き円筒型のボディを駆使する、ゴミ箱である。
どのような仕組みでこの体を世代交代するのかは不明である。
一人称が拙者であったりどこか武士風な口調であるのは、生まれたときに時代劇を見ていた影響である。
因みに、人間に拙者の声は聞こえないが、拙者は人間の声を聞き取れるようである。
「むごぉっ!」
早速だが、人間から強引な「あーん」が入った……。もっと手加減しても良いのではないかと常々思っている。そもそもこの翔とかいう奴は拙者の口を開けてから食べさせようとしないのが悪いのだ!
――うむ、甘し!
綿菓子のような口溶け、甘み。赤くしょっぱいソースが甘さを後引かないように加減されている。
これは紛れもなくティッシュペーパーなり!
……糖尿病が心配になる今日この頃。
がしかし拙者には消化器官は無いから、栄養は吸収されないのだ。
ふむ、まだ腹の六分目といったところか。
にしても人間とは不思議であるな。拙者のごとく動かずに食物確保するようなシステムにすればよいものを、わざわざ己で動こうとする。
まあ、人間に恩恵を受けている身でこのような戯れ言を言うのもおかしなことであるが、他にも、二足歩行をしては疲れただの足が痛いだの、ならばこの家の犬のごとく四足歩行をすればよいのではないかと何度 鬱憤したことか。
観察してきた結果、どうやら翔に限らず人間はベッドの上でしか四足歩行をしないようであるがな。
それを言ってしまえば拙者も同じか。そもそも脚というものが存在しないが、ずっと座ったままである。これもまた疲れるから、倒してしまったときはそのまま寝かせてほしいというのが本音である。
おそらく奴らには何を言っても通用しないことであろうな。尤も、言葉が通じんがな。
「ただいまー」
おっ、あの芯のある高く通る声は、朱美ちゃん!
朱美ちゃんは あーん のとき、口を疲れない程度で最大限開いてくれるから、大好きだ。
おっと、拙者、告白をしてしまったでござる……。
「翔、あんた最近何かしたの? ご近所でも噂になってるよ」
そう言いながら、拙者の下半身――人間にペダルと呼ばれている部分――をお後ろ足で踏んで、本日もご褒美のあーんをしてくださる。もう昇天してもよいでござるよ~。
「あぁ? 知らねーよ。何もしてねー」
ぬぅ、せっかくの贅沢がまたもや翔に阻害されてしまったではないか。こやつめ!
「まあまあ二人ともやめたまえ」と言ったところで声は届かないので収まるはずもなく。はぁぁ……。
拙者、とりあえず朱美ちゃんがくれたご飯を味わうことにしたのである。
ん、なんだ、味があまりしないな。表現するとなると、空気を吸うような感じに近く、酸味や塩気、辛味など際立った味付けはされていない。
それもそのはずか。拙者が食したものは埃の塊であった。
「あーあ、美味い飯でも食えんものかなー」
そう、思わず口に出したのである。
「コラ! いま何時だと思ってんの!」
とは二人の母である。
母の名前は優花さん。名前に見あわず鬼嫁のイメージが強いのは気のせいではない。さん付けであるのはそのイメージが定着し過ぎているからである。
例としていくつか挙げると、翔には門限を破った罰として三日間不馴れな弁当を自作させたり、夫には会社の飲み会だと偽って同僚や上司と夜の街へ繰り出したとして翌日のいってきますのキスがビンタに変わったり、朱美ちゃんには少女漫画ばかり読みすぎて成績が上がらないからといって小遣いを一ヶ月ゼロ円にしたりして、拙者には あーん をするときに下半身を足蹴にしたりと、散々な様子であったことは、拙者の滞在期間に把握済みである。
しかし今日だけは感謝しよう。
翔と朱美の喧騒が収まって、優花さんが二階へ来たついでに、野菜の菌付き水滴を放り込んでいったからである!
本来は人間にとって有害であるとされている菌は、水回りから離れたゴミ箱たちにとってはレア物。菌が多ければ多いほど腹に溜めにくくなる――人間が捨てようとするため――が、それだけ美味しい。人間の食べ物でいうところのトリュフや松茸である。
台所のゴミ箱ともなればそれが毎日食えたりするというから羨ましい。
あんな野菜やこんな野菜、はたまた多様多種の食物があるから、バラエティに富んだ非日常な毎日を過ごせるのかとワクワクするが、ゴミ箱にとって一生を同じ場所で過ごすことは珍しくないので、これはただの夢物語である。
とそのとき、一回だけ音階の変わる心地よい鈴音が鳴り響いた。
これはいわゆるチャイムというやつだ。インターホンともいうらしい。
「はーい。いま開けるよー」
他人と話すときのごとくやや上ずったような声ではなかったので、おそらく夫の和雄が帰ってきたのであろう。とすると、またもやカギとかいうものの紛失か。
たしかあの日も酷い有り様であったな。
和雄の鞄からなにやら煌びやかでセクシーな名刺を取り出したかと思えば、優花の顔はみるみるうちにさくらんぼのように真っ赤になって前足で殴り付けていた。
逆に和雄はといえば、悪さをしたときの翔のごとく挙動不審になり、葡萄のような血色になっていた。気のせいか背も少しばかり小さくなったようにも見えた。
どうしてこのような些事を記憶しているのかというと、その日、優花に足蹴にされたからである。
であるからして、あれ以来優花には、畏怖の念を抱いているのである。
伍味箱神様、どうか拙者がとばっちりを受けませんようにお見守りくだされ!
「むーんただぁいまぁ~んゃ」
これがよく翔が叫んでいる、終わった……ガクブル、というやつか。腑抜けた挨拶のあとには惨劇が待っているに違いない。
「あなたぁ……? お酒臭いわよ~?」
ほらきた。「今日はすぐ帰るねママ」とかほざいていた和雄はもうここにはいない。いるのは「ごめんなさい」とひたすら床に頭をぶつける気弱な男だけである。
優花は、前回のごとく和雄の鞄を探りだした後、煌びやかでセクシーな名刺を拙者の口に無理やり突っ込んできたのである。もはや あーん の域を越えたレベルである。
擦れて切れそうな口を抑えながら、前回味わえなかったこの紙を味わってみる。
お、おおぉ! ベリィデリシャス! ブラボー!
滑らかな舌触りになんとも深い味わい、されど余計な苦味や渋味が一切ない、洗練された恍惚たる甘味!
これぞまさしく最高級のデザートであるぞ!
よいよい、余は満足じゃ。天晴れなり!
「あなたもそろそろお風呂に入ってきなさい。もういいから」
と、これは優花である。
和雄がお風呂へと入るとき、拙者も入浴するのが日課である。
といっても、人間と同じような入浴方法ではない。
食したものを別な袋へと吐き出し、前足で軽く胃洗浄をするだけである。
ところがこれがまた気持ちがいい。和雄は優花と違って優しく洗ってくれるからである。
「人間をバカにしても、これだけは人間でないと出来ないぞ~、ふふふ」
とつい拙者もはしゃいでしまう。
まず天板が外される。キャッ!
……オホン、続いて全開した口から飲み込んだ物を吐き出す。
そして前足で、食物を残らず掻き出される。これがこそばゆいったらありゃしない。腹を抱えながら笑うと、勝手に飲み込んだ食物が出ていく。
最後に天板を閉め、所定の位置に置かれる。
たったこれだけの作業であるが、かなりの満足感である。人間にとっての掃除は、ゴミ箱にとっての入浴であるぞ!
さて、そうこうしているうちにもう夜も更けてきたようである。
この時間帯になると人間は眠り、辺りは静かになり、カチカチと針が時を刻む音で部屋が満たされるようになる。
ゴミ箱は夜も座りっぱなしで、眠ることはない。
人間と共に夜を過ごせないことは悲しくもあるが、これぞゴミ箱の使命として、誇りでもある。
これにて拙者、ゴミ箱の伍味之助は一日を終えたのである。
へんてこで体をなす物語をと思っていましたら、ゴミ箱に辿り着きました。
皆さん、面倒くさがらずに適度にお掃除してあげましょう。
ゴミ箱はきっと喜びます。