第四十五話 命の値段は廉価
人の思いは、言葉に変わることで無駄にされているように、私には思えるのです。それらは皆、結果をもたらす行動に変わるべきものなのです。
~フローレンス・ナイチンゲール~
「なんかすっげぇ勘違い乙的な感じがする」
「単経、どうしたのだ?」
「いや、孫権さん。私って何でしょうね、何で生きているんでしょうね」
「……深遠な問いだな。私も、今その答えを求めている」
「……(あれっ?こんなになんか重い話してたっけ?あれっ?)」
真剣な顔で空の果てを見つめる孫権。
頬を引き攣らせて苦笑いを必死に隠そうとしている波才。
同じ話題を共通しているはずなのに、何故ここまで差が出たものか。
何となくだした話題が、相手の変な琴線に触れる。
その結果は良いものになった試しがないだろう。だからこそ波才は、早々に話題を変えることにした。
「それにしても―――」
「気を使わなくていい。解っている、解っているわ」
「―――ええ、では私は何も言う必要はありませんね(いや、だから何が!?)」
何故か孫権が首を振って波才の言葉を遮った。
冷や汗をかきつつ、から笑い。そんな微妙な空気の二人を、周りの兵は興味深そうにちらちらとうかがっていた。
助けろよと兵に視線を向ければ、何故か逸らされ。
助けてくださいと甘寧に視線を向ければ、何故か睨まれ。
なんとかさんなんとかしてと周泰に視線を向ければ、何故か怯えられ。
ここで波才はようやく気が付いたのだ。
「(あれっ?味方いなくない!?)」
ぶっちゃけ気が付くのが遅かった。
彼は良くも悪くもマイペース過ぎたのだ。
「……単経」
「はい、なんでしょう」
「……なんでそんな急に畏まるのかしら?」
「お気になさらず」
「え、えぇ」
そうなると小心者の彼は身の振り方を正し始めた。まぁ遅いとは分かっていたが、やらないよりはマシである。
「姉様は、何か私の事言っていたかしら?」
「雪蓮様が、ですか」
凜とした、しかしどこか怯えを含んだ目。
その姿を見て人一番そのような感情に敏感な波才は、すぐになんたるかを察した。
「可愛らしくて、胸が大きくて、お尻が安産型だって言っていました」
全然察していなかった。
「貴様……蓮華様になんて事を。斬り殺してくれるっ!」
「い、いいのよ思春。言葉足りなかった私が悪いのだから」
「ありがとう、孫権さん。でも他ならぬキミから受けた張り手がすんごい痛いんだ。あ、やべ。なんか目から涙が出てきた」
剣を抜きだして今にも飛びかからんとする自らの配下を、後ろから羽交い締めにしている孫権。
そういう彼女も顔は燃えるように真っ赤であり、どこか声も上擦っていた。
頬に真っ赤な銀杏を咲かせながらさめざめと泣く波才をよそに、甘寧は目を細くしながら渋々と下がっていった。
「そういうことではなくて、姉さんが私に対してどのような評価をしているかということで―――」
「いやだから可愛らしくて、胸が大きくて……」
「だからそういうことではないってばっ!」
あ、と呟いて波才を見れば、にやにやと意地悪く笑っていた。
はめられたと気が付いた時には遅かった。頬を僅かに膨らませて、睨みつけた。
「少しはお気が晴れましたかな?いくらこれから大事な戦が始まるとはいえ、そのように気を張っていては見えるものも見えませんよ」
「……」
「まぁ、雪蓮さんが言っていたのも本当。話の中身も本当だったことには驚きましたが」
「~っ!!もういいわっ!」
そういって頭に怒りの四つ角を浮かべてそっぽを向く。
姉である孫策は、ずいぶんとあっけらかんとしており、剛胆であった。だが妹である孫権はずいぶんと冷静で落ち着きがあり、このような言葉遊びは好かないようだ。
言葉遊びは互いに交われば遊戯に、一方だけが語り続ければ耳障りな雑戯と化してしまう。
私はその雑戯すら愛している。しかし雑戯を愛しすぎれば、目障りな悪戯に姿を変えてしまう。
代償にこの首を持って行かれそうだ。
現に凄まじい怒気を甘寧が私に向けてはなっている。まるでぎりぎりまで引かれた弓の弦だ。
見ていて心躍るのは私の人間性の問題かも知れないが、
「さっきの話を不躾ですが繰り返させていただきますと、貴方の評価はそう悪いものではない」
その言葉に驚いたように孫権は振り返った。
「嘘……私はただ姉さんの影でしかないわ」
「そう思われているうちはそうなのでしょう。ですが貴方が求められた答えは間違いなく先ほど私が言った通りなのですよ」
「……詳しく、聞かせてもらっても良いかしら」
「構いません」
やはり孫権は孫策とは正反対の性格なのだろう。
いや、根っこの部分は同じなのかも知れない。だが気性が激しい孫家にしては珍しく、まずは一歩退いて物事を見定められる人間なのだ。
「私から見れば貴方には雪蓮さんと同じく王たる才が備わっております。人を率いる才、人を導く才が。そうですね、雪蓮さんが『覇王』ならば貴方には『仁王』たる才が備わっている」
いまいち明瞭を得ないと言わんばかりの孫権は、波才に己の疑問を投げかけた。
「つまりお前は私に、こんな小娘に王たる才があるというのか」
「過分な自己評価は、貴方に付き従う臣下にそのまま向けられるものです。それともなんでしょうか、貴方は自らの最高の臣下である甘寧殿と周泰殿は王を支える逸材ではないと思っておられるのですかな?」
「……ふふ、意地が悪い。そう問われれば否としか答えられぬではないか」
「そう答えられぬようにお話したのですよ。貴方のお姉様しかり、曹操しかり、劉備しかり。この大陸でおよそ王たる器を見せつけられた者が言っているのです。信用せずとも、しっかりと一評価としてお受け入れくださいませ」
儚げに、華のある笑みを見せる。対して彼も仮面の下で微笑む。
袁紹にもこの気品がある笑いを是非とも学んでいただきたいものだ。あれはどうもそこらへんをあまりにも理解していない。
今の彼女の華麗さこそが、真の上品で美しさをかもし出すというのに。
「貴方はどうも『王』という言葉に押しつぶされている。そこまで孫策様が恐ろしいですかな?曹操が恐ろしいですかな?劉備が恐ろしいですかな?」
「……貴様、そのあまりにも不遜な物言いは許し難いっ!そこに直れっ!」
甘寧が屈辱に耐えがたいとばかりに手に刃を携え咆えるが、さらに波才は面白げに鼻で笑った。
「ほぉ、甘寧殿は孫権様が『王』であらせられるかという問いを不遜であると答えられまするか」
「屁理屈をこねるかっ!」
「貴方が屁理屈と述べるのならば、我が問いは屁理屈なのでしょうなぁ。それとも燕雀は姉の背中にいるとでも?」
雀や燕は屋根の下での縄張り争いで満足している。その家のかまどが壊れ、火が溢れ出し練が燃えても顔色を変えずにいる。災いが自らに降りかかっているのに気が付かない様は愚かだ、と孔子は語っている。
『燕雀、屋に処る』、この話を波才はわざわざ持ちだしたのだ。
今の孫権にとってこれほど懐を抉る話はないだろうに。
現に彼女の中心の額には怒りのあまり筋が浮き出ている。
険悪な雰囲気に周りの兵達の顔は緊張に強ばった。
今にも血の華が咲かんばかりの睨み合い。均衡を破ったのは孫権であった。
「止めなさい」
「しかし、こやつは」
「この男は姉様からの使者、いわば彼の言葉は呉王となる人の問いなのだ。そうなのであろう?」
「……左様でございます」
波才が感心させられたのは二つあった。
一つは孫策自身が孫権を試しているという事。
もう一つはこの波才に礼儀を欠いた物言いは、これ以降呉王孫策の名において許さないと暗に告げていたことだ。
私自身の身の振り方により、今後の孫呉との付き合いを左右する。それでよいのかと彼女は言葉の裏に潜ませて問うたのだ。
なんと面白い、やはり彼女はただの一武将では断じてないのであろう。
「しかし単経よ、その問いに答えることはできない。これをもってその問いを答えたとにならぬか」
「ハッ!」
『彼を知り、己を知れば百戦してあやうからず。彼を知らず、己もしらざれば戦うごとに必ず破る』
孫策であればそれこそ波才と同じように鼻で笑い飛ばし、『恐れなどない、むしろ心躍る』と言ったかも知れない。
それこそが誠の事実なれば異存は無い。それこそが偽りのない答えであるのならばだ。
しかし、恐れを隠す事ほど恐ろしい事は無い。
恐れは過剰な戦気を纏うことになり、振り上げた刃は勢い余ってその手から離れてしまうであろう。手から離れた刃は一体誰に降りかかる火の粉へと変わるのだろうか。
他でもない、己に降りかかる火の粉へと変わる。火の粉を剣で払おうにもその剣はなく、手で振り払うことで己を傷つけることになるだろう。
彼女は自身を冷静に見極め、『恐れ』を感じ取った。しかし恥じることはなく、むしろ自身をつかさどる要素の一つとして達観すればいい。
だがここまでしか分からぬのであれば、それは十分な『王』とはお世辞にも言えないであろう。
自分が恐れを漏らす王に付き従うほど、兵は優しくはないのだ。
今王である彼女がここでそれを公言すれば、これからの戦いの士気に関わるだろう。だからこそ、それを公言することはできない。
ならばそれをわざわざとこの場で語る事はない。
彼女は一時の感情に流されず、先を見て答えを選んだ。その答えはこれ以上に無いものであった。
「今まさしく、私は貴方の中に孫策様が見込まれた王の姿を見ました。確かに今貴方には経験と知識が足りませぬが、やがてそれらは身につくもの。そして貴方は孫策殿とは違い、彼女を超える能力がおありのようです」
「私が、姉様を超える?……からかっているのか」
「おお、孫呉の姫君は天下の忠臣の声をお疑い為されるのですかな?」
「「「(狂人の間違いでは?」」」
奇しくも孫呉の三人の考えが一つになった瞬間であった。
取り繕うように三人は微妙な笑みを浮かべるも、空気が読める波才はしっかりとそんな彼らの心の声を聞き取っていた。というか後半声が出ていた。
「……」
「その、あの」
「いや、いいんですよ。なんか敬語キモイだとか仮面とかマジダサイとか今時戦えない主人公とか使えないとか。そんな事言われまくってるのなんて百も千も承知なんですよ」
「そ、そんな事ないですよっ!」
「うわ~周泰ちゃんありがとね~でも気を使わなくていいんだよ~。どうせさ、みんな優しいからさぁ。焦土作戦とか暗殺を『卑怯』とか言っちゃってさぁ。ろくに動けやしないっていうか。いいじゃん毒盛っても暗殺しても、人間だもの」
目の位置からハイライトが消えた仮面。ぼそぼそと一人呟く内容はよく聞こえなかったが、危なげな雰囲気が彼を取り巻いていた。
「まぁ、いいんですけどね。私の評価なんて。最初っから地どころか岩盤突き破っちゃってるもの」
そう締めくくると、くるりと器用に馬上で孫権の方へと向き直る。その姿に先ほどまで彼を覆う暗い何かはなかった。
「しかし孫権殿は違います。貴方は孫策様とはまた違ったベクトル、ではなく異なる方向性を持つお方なのですから」
「異なる、方向性?」
「孫策様は乱世の王ですが、貴方は治世の王となれるお方です。まぁようするに血の気が多い孫策様はどうにも政治に関しては不得手のようですから」
「ようするに、私は戦下手って事かしら?」
「うん」
厨房、じゃなくて仲謀伝説はもういろいろ半端ない。
三十うん何歳まで家臣に咎められようが、虎刈りにヒャッハーと出かけまくった。折り合いがつかない家臣の家を燃やしてヒャッハー。女癖が異常に荒く、袁術の娘でさえもヒャッハー。酒癖も悪くて部下との関係がヒャッハー。後年老いぼれて呉の国がヒャッハー。
国政は上手くても、戦は微妙に下手であったことでも有名だ。詰めが足りないのだ。まぁ、抜けていると言うべきか。
「……ずいぶんと、はっきりと言ってくれるわね」
「少なくともお話ししていて交渉事が苦手じゃないかって感じますね」
そうからからと笑うと、さっと孫権の顔に赤みが差した。
「そうそれがいけない。もっと飄々といかなる時も余裕を崩さない。そうでなければ」
「蓮華様、無礼を承知で申し上げます。その行き着く先がこの男であるならば、今の蓮華様で構わないかと。蓮華様が手が届かぬ所は我ら臣下が補えばいいのです」
まさに的をついた言葉であった。
あまりにも直球ど真ん中ストレート過ぎて波才は泣いた。
「……あの、単経さんよければこれ使ってください」
「ありがとう、ありがとう周泰ちゃん。そのままの優しくて可愛いキミでいてください。というか結婚してください。周りが色物ばっかで貴方の癒しがたまらないのです」
「え、は、うぅ……」
「……私まで、色物扱いなのか?」
差しだされたハンカチで涙を拭う波才。
窶れた顔で頭を痛そうに抱える孫権。
真っ赤になっておろおろする周泰。
またもや腰の剣へと手を伸ばす甘寧。
空気を読んで静かに進軍するその他将兵達。
なんと辛い職場なのだろうか、これが職場内のいじめなのだろうか。
と波才は嘆いた。
本当に姉様はこいつが逸材だというのだろうか、というかそもそもこいつはちゃんと戦えるのだろうか。
と孫権は頭が痛くなった。
この人は何を考えているのでしょうか、す、少なくとも、わ、私はそんな可愛くなんて……。
と周泰は顔の熱をさらに高めた。
蓮華様に変な事をいうつもりならば……殺す。
と甘寧は殺気を剣に込めた。
おい、誰かそろそろ突っ込めよ。いやだよお前行けよ。無理に決まってんだろうが、下手しなくてもあの辺火薬庫だぞ。
と兵士達は胃をキリキリと痛めた。
「お前は何をもってして私にそのような事を伝えるのか。お前の進言一つとっても何か根拠があるのか?」
「生憎ですが、根拠はありませんね。まぁ、あえて一つ言うのであれば」
『勘』、ですかね。
そう言って波才は仮面の下で悠然たる笑いを浮かべた。思わぬ答えに周囲の将兵達は唖然と固まってしまう。
しかし、奇しくも自らの尊敬する姉と同じ答えを用いた波才に、孫権は思わず笑いを溢してしまった。
「そうか、『勘』か」
「『勘』ですね、ただの勘と侮ることなかれ。この私の勘ですからね」
「まだ明日の天気は槍が降ると言われた方が信憑性はある」
「おお、つまり明日は槍が降るのですね」
「いいや、明日は恐らく雪が降るだろう」
「冬は遠くにありますが」
「お前の真似をしただけだ」
そう言って孫権と波才は互いに笑い合ったのであった。
そんな二人を相も変わらず唖然としている配下達は何があったのだと静かに見守っていた。
少なくとも、ここにいる孫権はかつての孫権ではない。
それがよいものであったか、悪いものであったかは誰も知るよしもない話ではあるが。
そんなこんなでしばらく軍を混乱に貶めた波才であったが、何を感じ取ったのか。
顔を上げて北北東に向けるやいなや、今までとは違う空気を身に纏う。
「……南方から軍氣」
波才はそういうやいなや、懐から奇妙な筒を取り出すとそれを覗き込んだ。
先ほどまでめそめそと情けなく泣いていた姿からは、余りにも予想出来ない切り替えの速さに周囲は驚く。
「それはなんなのだ?初めて見るが……カラクリか何かか?」
「あ~これは望遠鏡って言って、遠くのものが見えるカラクリなんですよ。先日うちの開発斑が完成させまして」
関心を持ったのか、孫権は波才の手の中にある望遠鏡を注視した。
これ一つあれば敵を早い段階で発見できるほか、信号をいち早く察知することができるのでは?
「その横についている丸い円盤は何だ?」
興味をもったのは孫権だけではなかった。
江賊であった甘寧は思わず声をかけてしまった。そして間諜の役割を果たしている周泰もこのカラクリの有効性に気が付いたのか、身を乗り出して波才の望遠鏡を観察している。
「これは羅針盤という方角を正しく指し示すカラクリの小型版です。まぁ持ち運びを重視しているので誤差は五度から七度程ありますが。この針の朱い部分が一定の方角を指し示し続ける仕組みになっております」
「「「!?」」」
愕然とする三人をよそに、波才は望遠鏡を見ながら表情を様々に変えている。
波才が語った話の内容はあまりにも荒唐無稽なものであったのだ。大陸であれば山中などの迷い易い行軍に有効性を示すことになる。
海洋においての移動では、これ以上ない革新的な発明だ。明確な目印が無い海の上では、熟練の漁師であろうと時には迷い果ててしまう。だがこれがあれば例え初めてのものであろうと、明確な行き先を認識し続けることができる。
海に面して漁業での産業が盛んな呉においては、咽から手が出るほど欲しい発明だ。
望遠鏡との組み合わせではなく、単体としてもこの二つは大変な役にたつというのに。
「まさか、それは単経さんがお作りに?」
「まぁあれこれ指示だしただけですけどね」
驚く周泰達をよそに、のんびりと彼はレンズを覗き込んでいた。
本人は至ってこれが自分の功績だとは感じていなかった。
そもそもこの時代の職人が異常過ぎるのだ。ドリルとか眼鏡とか、余りにも時代錯誤なオーパーツ。
眼鏡ができるんなら望遠鏡も、ドリルがあるんなら羅針盤もいけるのでは。というか何で眼鏡とかドリルが先で、望遠鏡と羅針盤が後になるんだよ。本人は突っ込まずにはいられず、波才のだした案に燃え立つ開発陣に、思わず引かれてしまったのは言うまでも無い。
少なくとも、本人は間違ってもこれらのものを三国時代で発明できるとは思っていなかった。よくて羅針盤の劣化版ぐらいだとしか思っていなかったのだ。
彼は己よりも、むしろ完成させるほどの技術力を持っていた開発陣に唖然としていたのだから。
だが呉の三人の彼を見る目が変わったのはまさにこの時からであった。
「あれは呉の協力者ですね、合流なさいますか」
「……ああ。単経一つ聞かせて欲しい」
「なんでしょう」
その疑念を確かなものにするべく、孫権はある問いかけを行ったのだ。
袁術をどう思うと。
それは何故この場にて尋ねることになったのか彼女でさえも分からない。私怨か、それともこれから打倒すべきものを見据えたのか、ただの興味本位なのか。
だが、その答えは自分の求めるものであったのに間違いないだろう。
「彼女は自分の高い位を願い、自分が王となれる国を創った。だが王を尊ぶ国は作れなかったようだ」
そう言って仮面の下で笑う波才、孫権は自身に問いかけているのだと感じた。
『では、貴方は彼女が創れなかった国を創れますかな?』
孫権は笑った。
その笑みは小覇王孫策のそれを同じだと周囲はいきり立つ。今まさにここに王による問答が行われ、主君はその答えを出したのだ。
甘寧は感情を珍しくその顔に激しく浮かべて戦意を新たにし、周泰はさながら猫を超えた虎のように獰猛な顔を覗かせた。
兵達は押し寄せたまるで先代孫堅の戦に望むような気勢を感じ、旺盛に進軍を力強く進める。
「私は――――――」
波才は、この『王』の言葉を耳にして嗤った。
既に、三国は産声を上げたのだと確信して。
■ ■ ■ ■ ■
時を同じくして、袁術の居城の廊下をある女が歩いていた。
顔は十代半ばほどか、歩く姿勢は整っておりきびきびと進む姿は威風すら感じ取れる。
身につける服は女中のものであり、宮内の業務にせいを出していることが感じ取れた。
だが不思議なことに、歩くことに伴って発生する『足音』が彼女の歩方からは一切聞き取れない。
さらに彼女自身の目は女中というにはあまりにも冷たく、まるで死人を思わせるほどその目の中には何も映ってはいなかった。
女中は慌ただしく走り回る兵達と何度も交差するが、兵達は彼女に気が付いた様子がない。
彼ら自身が慌てていたこともあるであろうが、この女中は気を周囲に放っていないために彼らは気が付けなかったのだ。
やがて女中は城の宝物庫の前へと辿り着いた。
鍵がかかった門の前には二人の鎧を着た兵士が控えており、突然現れた女中に不審な目を送っていた。
「おい、ここはお前のような者が来るところではない。さっさと仕事に戻れ」
「まったく、ただでさえ賊軍がここに攻め込んで来ているというのに」
緊急の事態によって気が害されているのだろう、声を荒げて威嚇する兵士に二人。
しかし女中はそんな彼らに対して何も思わぬのか、能面のような顔を崩すことを良しとしなかった。
「おい……聞いているのかっ!?」
ついに焦れて収まりがつかなくなった片方の兵士が、彼女を追い払おうと小手のついた手を伸ばした。
だが不思議なことにその手は虚空を掴み、所在なさげに宙を突き進む。
女中が自分の手をはね除けた、そう分かり兵士の顔が赤く染まった瞬間。
女中は瞬く間にその兵士の背後に回り込むと、首を二の腕で固定。体勢を足で払って崩すやいなや、倒れる体そのままに首を百八十度回した。
肉が不自然に潰れるような音が廊下に鳴り響く。
何が起きたか理解できない。
そう見てとれる男の目が、成り行きを見守っていたもう一人の兵士の目と合った。
「あぁ……?」
声にならない声、後半はただ息が不自然な音をたてて漏れるそれを二人の兵士は聞き取った。
鎧が廊下に激しい音をたてて衝突。その音でようやく事態を理解したまだ若い兵士は、目の前の女中に向けて剣を抜き放とうと急ぎ腰に手を伸ばす。
女中はその手が剣を抜き出すこと良しとしなかった。
手を伸ばして兵士の手を押さえ込み、剣を抜くことを防ぐ。そしてそのまま宝物庫の扉に兵士を押し飛ばした。
扉に衝突し鈍い声を上げる兵士。もしここで彼が衝撃に目を瞑る事がなければ、結果は変わっていたのかもしれない。しかし兵士の生物的衝動は、残念な事に彼の目を閉じさせた。
再び目を開けたときには目の前に女中の姿があった。手に短い短刀を携えた女中の姿が。
兵士の口に直径九センチほどに丸められた竹巻がたたき込まれ、それに伴い歯が血をまき散らして何本も宙を舞う。
叫ぶ声すら封じられた兵士の首には、女の手にあったはずの短刀がそびえ立っていた。
驚愕の瞳そのままに、兵士はずるずると守るべき扉に寄りかかりながら命の炎を消していったのであった。
「……明埜様の言う通り、緊急時にここは人手が減りますね。誰か、この人達を持ってくださいな。それと僅かな血も残さず消しておくように」
影から数人の袁術の鎧を纏った兵士が進み出てきた。
それを確認するや、女中は懐に入った鍵を取り出すと、宝物庫の扉を開ける。
「宝物庫の影にでも隠しておいてください、二人は誰か来ないか見張っておくように。貴方は私と共にきなさい」
そう言うやいなや宝物庫の扉を女中は配下を伴ってくぐり進んでいく。
その女中の顔は、いつぞや孫権の屋敷でお茶を波才に運んできた女のものであった。
やがて一番奥の箱に辿り着いた女中は、慣れた手つきで鍵を次々と解除していく。
この宝物庫の中で、一番厳重に封じ込められた箱の中身を彼女が取り上げるのに、十分もかかることはなかった。
「全て事前の調査通り……」
手に収めたそれを愛おしそうに女中は一撫ですると、足早に宝物庫の外へと飛び出す。
再び扉が閉じられ、鍵がかけられる。そうしてみれば宝物庫の前はまるで何事もなかったかのように、平穏な状態が戻っていた。血糊もなければ、息絶えた兵士二人の姿も無い。
「お前達二人は代わりにここで警備を行っているように。残ったものは私に続いてください、最後の仕事です」
手の中にあった宝、玉璽を麻袋に入れた女中は誇りもせずに兵士達と走り出す。
残された二人の兵士は、何事もなかったかのようにその扉を背にすると意味を失った宝物庫を守る道化を演じるのであった。
活動報告でアンケートを行いました。
白蓮と天和どちらがヒロインだと思う?、と。
結果から見たら良い具合に拮抗している件について。これはあれかなぁ、二人書けというのか。
悩む今日この頃、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
私は「私がモテないのはお前らが悪い」を読んで鬱になっていました。
そういえば何となく思い付いたもしもシリーズ。波才がチートだったら
波才「黄巾の乱は起きなかったし(未然に防いでいたし)、今ものんびりアイドル活動にせいを出していますが何か」
白蓮・明埜・美須々・琉生「「「出番が無い……だと?」」」