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黄巾無双  作者: 味の素
孫呉設立の章
55/62

第四十二話 真人間に…なれないね…波才ちゃん

不安こそ、われわれが若さからぬすみうるこよない宝だ。


~三島由紀夫~

 「蓮華様、雪蓮様はどうやら動かれたそうです。我らを呼び出す手はずが整ったと」


 「姉様が?でもよく袁術がそれを許したわね」


 

 孫権は側に控える甘寧の言葉に首を僅かばかり傾げた。



 「何でも玉璽をえさにつり出したと聞きます。うまい具合に乗せる事が出来たらしく」


 「……ずいぶんと豪華なえさね。姉様の事だから吐き出させても後で返せというと思うけれど」



 孫策の妹である孫権は沸き上がる歓喜の心を押さえつける事が出来なかった。

 姉と同じく桜色の長髪は風に揺れ、赤き装飾で彩られた頭の飾りが嬉しげに弾む。


 彼女の腹心である甘寧は袁術に呆れながらも、やはりこれから起こるであろう躍進を想像したのか。微笑を浮かべて静かに頭を垂れている。



 「やっと……やっと来たのね」



 目を瞑り、孫権は今までの苦労を噛み締めた。


 母である孫堅が亡くなり、一時的に統治者がいなくなった故郷の地。それは横から奪われていった。

 今が好機とばかりに袁家の者達が暗躍し、気が付いた時は既に帝にまで手が回っていた。あっという間に自分の生まれ育った、孫堅が必死に守ろうとしていたこの呉は奪われてしまった。


 後任でこの地を任された袁術の目を背けるべく、孫権とその妹は姉である孫策の手によって遠ざけられた。

 これから迫る困難と危機から彼女達を守り、万が一の時のために孫家の血を絶やさぬよう考えられた結果であった。


 姉である孫策と腹心である祭、冥琳、穏が残り袁術の配下扱いとなった。

 それはどれほど辛く苦しい日々であったのだろうか。横から奪い取った簒奪者に仕え続ける日々はどれだけ我らの誇りを傷つけたことか。


 中央から離れ、忍んでいた私達でさえ堪え忍ぶのは辛く苦しい事であった。毎日がどうにもならない苦悩と苦痛にさいなまれる地獄の日々であった。

 しかしこの苦しみすらも、姉様達にとっては大海のほんの一区域でしかないに違いないだろう。あの愚かで義という言葉すらも知らず、礼を知ろうともしない子供のわがままにひたすら付き合う日々。

 私であれば十日と正気を保てはしない。ならば姉様達はどれほどの苦難を与えられていた事か、姉様の胸に潜む義憤を思うだけで、私までもが心苦しくなってくる。


 そんな耐え難き日々も、ようやく終わりを告げる時が来たのだ。

 長く厳しい冬を、山の獣達が乗り越えるように。夜の間をただただ堪え忍んでいた朝顔が、ようやく日の光を浴びて花を咲かせるように。

 この孫呉にも長い長い冬を、太陽を忘れた夜の帳を、全て打ち払い青き蒼天の空へと飛び上がる機会が訪れた。


 この機会をやすやすと逃すわけにはいかない。そしてこの機会を軽んじて手をこまねき、誤った行動を選択したともなれば、この孫呉に二度と光が訪れることが無いだろう。

 今、この時より真の孫呉が始まるのだ。いや、すでに始まっているのだ。


 決意を新たに拳を握りしめる。

 そうだ、今まで姉さんの影に隠れ続けてきた。それは自分にとって煩わしくもあり、姉の背中に隠れていることに甘えている自分がいる事も知っていた。

 これまでは守られ続けたのだろう。富豪の家の箱入り娘となんら代わりがない身分であった。

 


 だがこれからは正真正銘、孫呉の将の一人として羽ばたく事になる。

 これを喜ばずして、何が孫呉の将なるか。ああ、この空に叫びたくなる衝動を抑えるので精一杯だ。


 そう興奮を隠しきれず目を爛々と輝かせる孫権を、甘寧は眩しそうに見守っている。

 苦悩に塗れて苦しんでいた主君が、今や生き生きと天下を見つめようとしていた。これほど嬉しい事は他にない。もはや自らの命を彼女のために投げ打つことすら、甘寧は厭わぬであろう。



 「……加えて、雪蓮様の方から人を送るそうです。その方から詳しくはお聞きくださいとの事でした」


 「人……?向こうも忙しいはずなのに、大丈夫なのかしら」


 「何でも外部からの協力者らしく……鬼策の持ち主だとか。学ぶべき所も多くあるようで、その方と共に動けとも」


 「そう……姉様がそこまで言わしめる人間なのね」



 孫権はただ一度頷いて空を見上げた。

 一見何も無かったように振る舞ってはいたが、内心その人物に対して嫉妬の情を抱かずにはいられなかった。


 孫権は今まで何も成してはいなかった。常に姉の影に隠れた存在であり、自分の自信となるべき支えがこれまで何一つ作ることもできなかった。それは頭では仕方のないことなのだと納得はすれども、心の底からそう思えるものでは無い。


 彼女の前でその背中を魅せ続ける姉の姿は、彼女にとって尊敬すべきものであり、ぜひ自分もその隣に立ちたいと願うものでもあった。

 孫権は孫策に認められるような、姉のような立派な人物になれる事を憧れていたのだ。


 その孫策がこの孫呉の一大事というべき戦に参戦させるという事。それは姉がその人物を信に足り、守り続けた自分を託すに値する存在だと認めた事に違いない。

 考えれば考えるほど、その協力者に嫉妬の情を抱かずにはいられない。


 なんと羨ましい事だろうか。ああ、今の私の手が届かないところに彼らはいるのだ。そうであることを理解はできるが、やはりこう耳に入ってくると心にくるものがある。


 どのような人物なのだろうか。

 義に溢れ、公明正大であるのかもしれぬ。その人物からの評は、そのまま姉に伝わる事だろう。ならば私も孫呉の虎の娘として、姫としてその人物と当たらなければならない。

 孫呉の姫であり、虎の娘であるこの孫仲謀をしかとその目に刻ませる。


 そう意気込み甘寧を見るが、どうにもその表情は芳しくない。

 


 「どうしたの思春。何か言いたい事があるなら言ってくれて構わないわ」


 「……ここだけの話ですが、冥琳様はその人物を蓮華様のお供になさる事にたいそう反対されたそうです」


 「冥琳が……?姉様の見立ては間違っているということ?」


 「いえ……その……」


 「構わないわ」



 彼女にしては珍しく躊躇するように視線をさ迷わせていたが、決心したのか額に汗を浮かべながら口を開いた。



 「毒が……強すぎると」


 「毒?」



 意図しかねるように言葉を繰り返す。

 

 

 「っは、かの者は毒が強すぎる。故に蓮華様の下へ送るべきではない。雪蓮様の下にあの者はいるべきだと」



 つまりは自分ではどの人物を扱うのに力不足だと思われたのだ、そうこの時彼女は誤解した。

 故に頭に軽く血が昇り、ふつふつと苛立ちが込み上げてくる。


 真実はそうではない。


 孫策は波才という人間が周りに与える影響というものを理解していた。

  あれは自分というものを隠すことなく、ただ純粋に生きているのだ。そしてありとあらゆる全てのものを肯定する。本能を理性と常識、倫理に囚われることなく自由に動く彼の姿は、見る者に自分という存在を自覚させると共に、ある一種の人格を形成させる。


 それは『思うがままに生きるという事』。


 本来の自分を知ると共に、より精神をより上の世界に向上させるのだ。

 故に公孫賛などは、どこか魅力と自信に溢れており、彼女を見ていると波才と同じように『生きている』と印象づけられた。

 自分に悩む者、苦しむ者、何も持ち合わせない空っぽな者。彼らは波才と出会う事で自信をつけ、一人の確立した自己を手に入れる事ができたのかもしれない。


 だが、それは彼という存在の狂気に耐えきれる心が無くてはならない。

 でなければ自分という存在と欲望に飲み込まれる。下手をすれば彼に取り込まれる事を意味する。


 公孫賛はそこが絶妙な加減で生まれた奇異な存在なのだ。

 だからこそ自分というものを出しながら、彼を扱う事が出来るのだろう。少なくともあれは孫策や曹操などの天下の器を持つ者、そして公孫賛という存在でしか下ろしきれないのだ。


 孫策は己に悩む孫権が彼と共にある事で、今ある壁を乗り越えるだろうと期待した。

 周瑜は逆にその毒に飲み込まれ、良くない方向に王としての孫権が流れるのではないのかと危惧したのだ。


 しかし波才と会った事もなければ、面識もない孫権はそれを挑戦と受け取ったのだった。



 「(私とて姉様と同じ血を引いている。ならば私だって……)」


 

 そういう一人で背負ってしまうところを周瑜は心配していたのだが、当人達の心など彼女が知るよしもない話であった。

 故に孫権はますますその心を燃え上がらせたのだ。



 「孫権様!孫権様はいずこへ!」


 「どうしたのだ」



 より一層決意を固めたが、そこへ兵士が自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。甘寧が孫権の代わりに声を上げると、兵士は礼をした後、主君へ向けてやや緊張気味に顔を引き締めた。


 

 「っは!……その、外に『やきとりや』なる店主が周泰様に連れられてきておりまして。」


 「明命がいるならばここに案内してもいいだろう?」


 「あの、外見上どうも怪しく。一応ご報告に参った方が良いかと思った次第でして」


 「「……は?」」


 「こ、これを見せれば解るとおっしゃってはいるのですが」

 

 二人は差しだされた手紙を見て顔を合わせた。

 それは孫家の家紋が押されており、間違いもなく孫策の字で名が施されていたからだ。


 ……怪しい?


 二人はともに怪訝な顔で見つめ合う。言いようのないこのもやもやとした感情が込み上げてくる。

 しかしここでただ立っているわけにもいかない。件の人間を出迎えるべく、二人は重い足取りで歩き出した。

 



 ■ ■ ■ ■ ■





 「はっはっは、いやはいやまさか門番に止められるとは思ってもいなかった」


 「だから言ったじゃないですか、その格好は不味いって。あの女同様貴方達の格好はみんなおかしいのですか?」


 「棘がありますねぇ、姿見せるわけにいかないじゃないですかぁ。意地悪」


 「す、すいません。出過ぎた真似を。ですが、その」


 「ん?何ですか?」


 「……隠す意味はもう無いとは思いますよ?私達と一緒にいればそこまで騒ぎにはなりませんし、何故か呉で貴方の評判は良いんです。いや、呉だけではなく、大陸での評判も良いですよ」


 「え、マジで?」



 何かやったっけかと波才は頭をかいた。

 自分は世間を騒がせた事はあれど、人のためになる事なんてした覚えがなかったのだ。これは波才お得意の冗談などではなく、心からの疑問であった。


 

 「悪徳県令を打ち倒し、決して弱き者を襲わなかった。逆に同じ黄巾党すら相手取ったと聞きます。加えて百戦錬磨の曹操軍と互角の戦いを演じ、襲い来る官軍は全て皆殺し。黄巾党最後の戦いでは集まった群雄達を、まるで無人の野を駆けるが如く突破して消え去った、と」


 「……何それ怖い」



 悪徳県令のみを狙ったのは、もちろん罪も無い民を殺す事に抵抗はあったからというのもある。だが単純に私腹を肥やしまくっていて資材を狙う標的にちょうど良かったからだ。

 金と武器に加え、兵糧までもため込んでいるのである。これを攻めぬ道理など黄巾時代の波才達には存在しなかった。


 同じ黄巾党と殺し合ったのは、同胞が勝手に暴れてこっちの策を台無しにしてしまったからだ。

 だから仕方が無く官軍ごと皆殺しにしただけの話である。


 曹操軍は後しばらく戦えば、ぼろが出てこちらが追い散らされていただろう。

 曹操軍は精強で強く、農民あがりの軍では限界がある。いくら信仰があったとしても、死兵を使いこなす術など存在はしないのだから。


 官軍は皆殺しだったのは事実だが、皇甫嵩は取り逃がしている。加えて全員皆殺しに出来るほど弱かったのが現実であった。

 黄巾党最後の戦いにいたっては、単純に運良く逃げられた結果。それらがここまで都合良く改変されていれば笑えてくるものだ。


 おそらく新聞も娯楽も少ない時代では、このような面白珍しい武勇がうけるのだろう。官軍も本来は民の味方であったが、あの悪政以降評判は悪い。それを倒したとあってなお評判が上がったのかもしれない。

 こちらとしては寝耳に水である。


 他の黄巾党は民を襲ってはいたが、波才は商人との兼ね合いもあってそういう事はしなかった。いや、できなかったというべきか。

 それが結果的に様々な形で好意的に受け取られたのだろう。



 「そしてここ呉国では孫策様と共に、かつての道を踏み外した同胞を自らの手で討った事が決定打となりました。知っていますか?貴方が助けた男の子、貴方みたいな人間になるっていつも言っているんですよ」


 

 憮然としたようにこちらを見る周泰。それを波才は頬を引き攣らせながら見つめ返した。

 確かにこの話が本当ならば、私は仮面を外しても良いのかもしれない。漢王朝は連合で威信を完全に失った。もはや帝を利用、などという方法すら通用しなくなっている。


 これは転機が訪れたいるのではないか。

 そう考え込んでいた波才であったが、何故か周泰が彼の事を睨んでいる。最もまだ幼さを残すその顔は、怖いと言うよりもかわいいというべきか。

 波才は彼女をおちょくりたいという邪な感情がわき上がってくるのを感じ取った。



 「も~そんなに睨んじゃってかわいいなぁ」


 「へ!?」


 

 気が付けば思わず頭を撫でてしまっていた。

 最初は周泰も驚いて慌てていたが、次第に大人しくなる。今では眼を細めて気持ちよさそうに息をこぼしている。

 そんな姿を見て波才も楽しそうに眼を細めた。


 やっぱりあれだ。癒しがウチの軍には足りない。


 孫呉には周泰、蜀には張飛。きっと魏にも癒し要因がいるのだろう。

 これからの時代を勝ち抜くためには、やはり癒し要因が必要なのだ。軍に犬を連れて行き、兵士達の慰安に当てるという話は良くある。そのためにも是非とも彼女のような人間が欲しい。


 なんだかんだでウチの軍は黒い人達ばかりなのだ。最初は癒し系かと思っていた董卓こと月ちゃんも、結局は黒かった。何故だ、何故ウチの軍はここまで偏っているのだ。

 今私達に必要なのは、もやし祭りを行えるような新たな癒し系&元気系アイドルが必要なのだ。


 ぶっちゃけ黒いのは自分一人で十分である。

 さきほど彼女が言った自分のようになりたいといった子供には悪いが、己のような粗忽者は二人もいるべきではない。



 「そういえば周泰ちゃん、うちの明埜ちゃんと仲悪いようですけど。何かあったの?」


 「~♪……ってあわ、あわわわわ。えと、そのですね」



 しどろもどろに話す内容をまとめると。

 あの黄巾党最後の日。周泰は砦に間諜として放たれていた。しかし任務を全うしようとしているところに明埜が襲来。そのまま一騎打ちという流れになったらしい。


 お互いの実力は拮抗していたようなのだが、、明埜は途中から「別にこれ一騎打ちじゃなくてよくね?」と兵隊を投入。流石明埜である、一切の容赦が無い。

 さらに突撃させた兵士の合間を縫って手裏剣をとばすわ、拾った石を飛ばすわのイヤらしい攻撃を繰り返した。話に寄れば時には味方毎攻撃したりとやりたい放題だったらしい。

 分が悪くなった周泰は涙目になりながら逃走。それで洛陽での再会で、さらにいろいろと言い含められたようだ。


 ここまでくると明埜が悪者にしかみえない。

 それはルックスしかり、姿しかり、性格しかりで十割明埜が悪の将軍に見えることは否定できない。

 だが行動までも外道を突っ走っているようだ。もしこの所業が後世にしれれば、どんな姿で書かれてしまうのかと波才は苦笑いであった。


 ……それは正道を行く彼女と、外道を素で行く明埜では分が悪いに違いない。口喧嘩でもここまで純粋では、あの明埜に勝てるわけがない。



 「……周泰ちゃん。多分キミでは明埜は分が悪い」


 「っむ!私は役者不足だということですか?」


 「いや、多分見た限りでは貴方の方が明埜よりも強い。試合などを行えば間違いなく貴方が勝つ。……正しい、規則に則った戦いであるのならば」


 「……どういう事ですか?」


 「周泰ちゃんが十回彼女を斬りつけたとしても、彼女が一回貴方を斬りつければ勝ちだからだよ。明埜は武器に毒を塗る、人質を使う。君は自らのお母さんを盾にされて戦えるかい?」


 

 その言葉を言った瞬間、周泰はまるで雷で打たれたように動かなくなった。

 そんな周泰を波才は微笑ましい目で眺めながら、構わず彼女の頭を撫で続ける。



 「貴方は武人。正々堂々戦うはず。されどそれでは明埜には勝てませんよ。もし彼女に勝ちたいのなら、全てを失う覚悟を持ちなさい」


 「すべ……て?」


 「そう。貴方の父母、または兄弟に友達と親戚が全員死ぬ覚悟です。あの子はやりますよ、生きたまま臓物を引きずり出し、女は手を剣で刺された状態で為す術もなく輪姦される。子供老人に至るまで彼女の敵となれば皆平等に殺される。あの子はね、恐らく私以外は等しく殺すでしょうね。公孫賛、他の配下、親友恋人、全員敵になれば殺します」


 

 あまりの言葉に周泰は呆然と私を見上げる。

 あれだ、常人には明埜は理解できない。理解しようとする必要も無い。



 「貴方は親に大切にされて育ちましたか?友がいましたか?食べ物がありましたか?美味しい水を飲んで育ちましたか?」


 

 何も言わない、無言は肯定だと受け取っておこうと波才は言葉を紡ぎ続けた。



 「あの子は違った。幼い頃から親には嫌悪され、まともな食事すら与えられなかった。隠され、誰一人として理解者も共感者も、そもそも話す事が出来る人間は親を含めていなかった。愛を求めて、愛を失うどころか愛という存在を亡くしてしまった。家族、いや、もはや他人と言ってもいい。盗賊に親が殺された後は路頭をさ迷い盗賊となった。満足に食べる物すらなく、時には人の肉と血さえ啜り生き延びた。汚泥をすすり、明日の命さえ見えぬ今を生き抜いてきた。それが彼女の全てであり、正義であり、誇りでもある」


 

 普通なら死にたいと思うだろう。だが明埜はそれでも『死』というものを意識しなかった。

 だから私はそんな彼女がもし、己の命を賭けて敵を討つ事になれば恐らく自分が出来る全てをぶつけるだろうと予想する。命でさえも彼女は容易に秤に乗せる明埜は、本来人が持つ倫理性と人間性が欠如しているのだ。

 私でさえあるものが彼女には無い。

 

 

 「あの子に毒を使って卑怯なんて考えはありませんよ。それが彼女の世界そのものなのだから。仮に彼女が毒で死ぬ事になっても、無念のむの字さえ浮かばない事でしょう。それが彼女の常識なのです」


 「……私には、解りません」


 「解ろうとしなくていいのですよ。理解できたら彼女と同じになったという事、それは貴方の目指すものとは正反対なのでしょう?ならば理解しなくていい。それでも、もし明埜と真の戦いを演じるならば覚悟してくださいね。あの子は貴方の心と体をぼろぼろにしてでも勝利を手に入れようとするでしょうから」



 顔が青い、この子にはちょっと毒が強すぎたようだと波才は反省した。

 少しばかりこの世界は優しすぎる。その中で彼女のような存在は貴重であり、異常だ。波才はその異常さを見込んで彼女を用いているのだが、そんな私もまともではあるまいと苦笑する。



 「琉生はわかりませんが、美須々も中々に面白い。悪を知って悪を行う。堕ちる身に構わず信念を持ち闘い続ける。忌道を好み進むものなど理解できるはずがない。いや、理解してはいけない。だから」



 そう言って波才は膝を折って周泰の顔を覗き込む。

 言いようのない気持ち悪さと、例えようのないおぞましさに目尻に涙さえ浮かべている周泰は、びくりと大きく体を震わせた。

 そんな周泰を愛おしそうに眺めながら、波才は口の端をつーっと歪める。そしてゆっくりと仮面を持ち上げると、自らの口だけを見せて笑いかけた。

 

 そんな、おかしな人達にかかわってはいけませんよ。


 声にならない声でそう告げたのであった。

 そしてさらにもう一言、二言でも言って怖がらせようかと意地の悪い算段を重ねているうちに、二人の女性が目に入った。

 一人はどことなく雪蓮と似ている。あれがもしや噂の……。


 そう思い仮面を正して、屈んでいた腰を上げる。



 「……本当に奇妙な格好をしているのね。私の名前は孫権、姉である孫策の妹よ」


 「お話には聞いております。私は単経、公孫賛軍の軍事モドキをやっております。あと開口一番にそれは傷つきます」


 「ご、ごめんなさい。その……何で胸に関羽が描かれているのかしら?」


 「『関羽』は商売繁盛の印なのですよ。ご存じないので?」



 現代では関羽が亡き後に神格化されて、商売の神様に認定されていた。

 何で商売の神様なのか波才にはまったく解らなかったが、どうやらそれに肖ったらしい。それにこのエプロンは意外とお客さんに人気であった。

 特に百合の国で百着ほど注文があったらしい。


 そんな事を笑いながら話す波才に孫権は頬を引き攣らせていた。

 いろいろと考えて備えていたようだが、あまりのギャップに脳が上手く回らないようであった。



 「と、取り合えず遠路はるばるご苦労だった。早速、話に入らせていただきたいところだが、流石に長旅で疲れもたまっているはずだ。用意した部屋に案内させてもらいたい」


 「おお、お気遣いありがとうございます。実は咽がもうからからでしてね」


 「思春、この人を先に部屋に案内して差し上げて」



 真名で呼ばれたであろう目が鋭い女性が一歩前に進み出る。

 隙が全く無い、さぞ名のある将なのであろうと波才は彼女を評価した。そして自分を警戒しているのだと理解すると、肩をすくめてため息をついた。



 「この子は甘寧よ。お茶は後で持って行かせるわ。話は二刻後でどうかしら?」


 「構いません、お手数をおかけします」


 

 礼と分を弁える行動に、孫権は姿はおかしいが中身は正常で実直なのだろうと一安心する。そうでなくては姉に任せられる理由がない。

 甘寧に連れられて行く男の後ろ姿を見ながら、これからの事について思案する。だがふと横を見れば彼を引き連れてきた周泰の様子がおかしいことに気が付いた。


 体が小刻みに震えており、顔が青い。季節外れの風邪でも引かれてしまったのかと心配する。


 

 「明命、どうしたの顔色が悪いけれど?」


 「ひゅいっ!?あ、その、大丈夫です!」


 「これからの事もある。大事を取って貴方も休んだ方が……」


 「本当に大丈夫ですので、し、失礼します!」


 「あ、明命……」



 何かを振り払うように走り出し、すぐにその姿はどこかへと消えて行った。

 孫権は怪訝な表情を浮かべながら、首を傾けた。何かあったのであろうか。

 そう思い思案する、答えはすぐに出た。彼女は自分たちが来るまであの男と共にいた。そして彼女は周瑜の言葉を思い出し、眉を潜めた。



 「毒……か」



 一陣の風が彼女の髪を撫で、青い空へと消えて行った。

 

 今回の話のまとめ、『波才はいじめっ子。』



 さて、今回はちょっと真面目な後書きに挑戦してみます。

 なので『いや、別に味の素の真面目な話なんざ聞きたくない』と言う方は、他に面白い小説がたくさんあるので、限りある時間をこんな後書きなんかに使わないようにね♪


 ■ ■ ■


 石原都知事の尖閣諸島について、この前感想覧でどう思っているのかを聞かれました。とても面白い質問でしたので、ついつい長く返信してしまいました。

 とは言ったものの、私は石原都知事があまり好きではないのです。それ故にこの質問に独特の面白さと言うべきか、俗に塗れた背徳感を感じたのかもしれません。


 理由としては、前書きに書かれた三島由紀夫さんの死に対して、彼が荒唐無稽な愚言を当時吐き続けたから。という何とも個人主観が入った理由です。ですが三島フリークスではなくとも、彼の小説の一文、いや、一節にでも感動を起こされた一であるならば、当時の彼の言葉は許し難いものであったと断言できます。


 みなさん、本を読んでくださいね。特に18~20代の方。


 本は見る時期によって姿を変えます。今しか、今の貴方しか読めない本が、感動できない本があるのです。今見ている本も、十年もすれば姿を変えて、まったくの別の主観から捉えてしまうことでしょう。つまらなかった本が面白くなり、面白かった本がつまらなくなる重要な境目の時期です。


 二十代で感動した本は、四十代で感動できなくなります。これは断言してもいい、いまの若い二十代の自分でしか感動できない本が山ほどあるのです。


 『罪と罰』、『人間失格』。この二つは二十代前後の貴方には特にオススメしたい。両方落ち込みます、どん底まで気持ちが下がります。だからこそ面白い。

 そしてこの三島由起夫さんの本も、若く読解力がついてきた貴方達がちょうど楽しめる時期でしょう。


 作者が本から持ち出してきた問題を、自分がどう背負うことができるか。

 この問題を問い詰め行くだけで、本はどんどん色と味を変えて見る人を決して飽きさせないはずです。


 ……ああ、周泰ちゃんをもふもふしたい(おい

 そろそろ自分の真面目ゲージが限界ですね。まぁともかくみなさん、今しか楽しめない本と二次創作をみようぜっ!(おい

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