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夢の痕
作:石鍋 盥囘し



第六話




演壇にあがる。

初めてこの位置に立ったときには聴衆に生唾を飲み込んだ。

だが、今の高道には全国の人の前にたっているというのに、それはない。


天井が異様に高く、広い部屋。
今たっているのは左右にゆるい弧を描いて広がっている舞台。

その横長の前面の向こうに、くぼんだ部屋の広がりがある。



アリーナや講義室のそれに似た場所だ。

その、舞台の上に立ちつくす高道の一挙手一投足を見つめているのは記者や、スピーチを聞きに足を運んできた人々。
そして、ごくわずかなクローン。

………フォンは、居るのだろうか。

スピーチをすることに対する緊張などは微塵もなかった。

ただ、高道を支配していたのはあの事故の日から、延々と繰り返してきた自問自答。

そして向かい合った人達の言葉。

そして、粘つくように頭の後ろにこびりつく焦燥感だった。


幾十と焚かれるフラッシュが、酷く眩しい。

目の前にしつらえられている台を前に、隣に質疑応答などのサポート役である初顔合わせが一人。
神経質そうな、やつれた男性だった。

左右にはお偉いさんたちとスタッフが控えている。

薄っぺらな紙、数枚を原稿として渡されている。


台の上に置かれたそれは、白紙の上に小虫が這い回っているようにしか見えなかった。

隣の彼がしばらく記者たちに向けて淡々としゃべり、しばらくして俺に小声で合図してきた。
気もそぞろなまま一歩前に踏み出して。

『予定通り』の言葉から、俺のスピーチは始まったらしい。


フラッシュが焚かれる音、そしてそのヒカリ。

いちいちどこかで上がる野次や小さな拍手。

すべてが、俺には不必要なものだった。


「―――二〇二四年六月。ご存知の通り、クローン人権が採用されました。それによって一体どれほどの人が嬉々として歓声を上げたのか想像もつかないほど、現在世界はクローンに依存しています。しかし、その裏で、一体どれだけの人が涙を流したのか。それもまた、クローンを愛する人々は知らなければなりません。我々は……」


薄っぺらな紙の内容はもうすぐ一枚分消化してしまう。

やはり、スピーチの内容は俺の中に入ってこないまま、俺はスピーカーにでもなったように淡々と言葉を垂れ流す。

「今でこそ、クローン技術はこれだけ普及していますが、その当初、クローン技術は医療のために発展してきました。全身に癌細胞が転移してしまった。原因がいまだ不明の病を患った。もしくは複数の臓器を移植しなければならない重患者など。本来、彼らを助け出すべく発展した技術こそがクローン技術なのです。」


高道の目だけはただ、呆然とフラッシュの海に向けられていた。
思考は、ずっと固まったまま。


そのくせ、口だけは達者に言葉をつむぎ続けている。


――多くの部位を移植しなければならないような重病を治療するために。

全身移植を行うために、当時は患者の精巧なクローンを作り出していました。

細胞の劣化を抑え、限りなく本人に近いもう一人の体を作り出したのです。

顔も、体つきも、恐らく思考まで瓜二つであろうもう一人の自分を。

ただ、自分と記憶を共有していないというだけの自分。


拒絶反応の無い、免疫抑制をしながら療養をする必要がない、理想の他人ドナーを作り出したのです。


クローン技術。

これは、はるか彼方、消え入りそうな小さな星のヒカリを、ただ希望と信じる日々を送っていた人達に、まるで太陽のように確かなヒカリを与えたでしょう。

しかし、そのヒカリを遮ってしまったのがクローン人権でした。
法は、その精巧に複製された患者のクローンに人権を与えたのです。

自分の肝臓に疾患があるとき、電車で偶然隣に座った適合者の肝臓を無理やり奪い取るわけにいかないのは、年端のいかない子供でも幼稚園で習うことです。

会場の一角では、一つ、下卑たさざめきが起こった。

クローン人権法は、クローン技術をつかい『顔も、体つきも、恐らく思考まで瓜二つであろうもう一人の自分を。

ただ、自分と記憶を共有していないというだけの自分』を作り出し――つまり『一人の人間』から、無理やり臓器を奪い取って『殺す』ことを禁じたのです。

「――黒く、厚く垂れ込めたクローン人権という名の暗雲は晴れる事無く、希望のヒカリを覆い隠してしまいました。我々はいつから…っ!」




『何時から』




フォンに言われた言葉。

それが脳裏を駆け巡り、固まっていた思考を溶解させた。


瞳孔が閉じ、焦点が絞られ合わされる。
像をむすんだのは手元の原稿。


急に黙り込んだ高道に隣のサポートが、袖のスタッフたちが、そして記者たちが一際どよめき、ここぞとばかりに焚かれたフラッシュが暴力的なまでに鋭く高道を貫いていく。




『何時から』




「…違う。」

消え入りそうな高道の言葉で、幾億の霙が地面を激しく叩きつけるように会場は騒然となった。

「俺には……すべてを捨てても護りたい人がいる。ただ俺は。どんなことをしても、あの時護れなかった彼女を助けたかった。」


決壊したダムの水のように、空っぽだった体の中にありとあらゆる感情の奔流が駆け巡る。

「彼女が治るように、事故があった日から今日まで、駆けずり回ってきた。明日には雲雀が目覚めてくれるに違いない、そうしてきっと。あいつはまた笑いながら能天気に美味しそうにケーキでも食べるに違いないって。」


しん、と。
会場は静まり返る。


書き起こされた原稿ではない、理論的ですらないこれは、高道の言葉だと気付いたからだろうか。

会場は静かに固唾を飲んで高道の言葉を待っていた。


「朝、目覚めてから夜に意識が切れるまで、今の自分に出来そうなことをすべてやることで雲雀は目覚めてくれるんじゃないかと、そう信じなければ押しつぶされてしまいそうだった。」


語気は荒い。

その色合いは悔恨にまみれた悲壮。

泣きじゃくっているかのような言葉はまるで懺悔だった。


「今日、つい一時間ほど前、いつものように雲雀にあってきた。そしてそこで雲雀のクローン乳母にいわれたんだ。『何時から』と。『何時からそうなったのか』と。」


自分自身に慄然とした。しかし、この先の言葉を、もはや胸にとどめるつもりはなかった。

他人につきたてられる罵声の刃より、恨みの弾丸より遥かに鋭く凶悪な、自分の本当の弱さを。

フォンがいっていたように、自分に、雲雀に嘘をついていたことを。

高道の目から、一筋の熱いしずくが落ちた。


「俺は…ずっと、面会時間ずっと彼女の手を握り話しかけ続けることしかできない自分を赦せなかった。でも……それは違った。」


そう、それこそが、俺の弱さ。


「俺は、雲雀に訴え続けることで雲雀がまた笑ってくれる日が来ることを、信じ続けることが出来なかった。それしか、最初から俺に出来ることなんて無かったのに、雲雀が何時目覚めてくれるのか分からない不安に、恐怖に、負けたんだ。」


さわさわと人波が揺れる。

舞台袖は会場には聞こえないものの大騒ぎになっているのが分かった。隣の男もどうすべきかはかりかねて、ただ、俺を見つめている。


高道は、目元を拭うと、大きく息を吸い込んだ。彼にはまだ、言わなければならないことが残っていた。


「朝から晩まで、『雲雀のために』と盲目的に働き続け、がむしゃらに調べ続け、そしてクローンを否定し続けることで、信じ続けること、考え続けることから逃げたんだ……」


カサリと音がした。

握り締めていた拳の中には、スピーチ原稿がくしゃくしゃに丸まっていた。


「雲雀が助かるために、確かに全身移植は必要だ。でも、きっとこれは…俺は――」


駄々をこねる子供の八つ当たりと同じ。

きっと、キッカケはランを憎いと思った。
ただそれだけの理由だ。


「……本当に、すいませんでした。」

高道は最後に、頭を下げた。
深く、深く、目前の台に額を擦り付けんばかりに。


そして、ここに至る前、雲雀に言葉を残せなかったことを思い出した。

最後の最後の一線、毎日『次のデートの約束』を取り付けることで、雲雀の明日の目覚めを信じ続けていた最終ラインを、さっき踏み越えてしまったことを。


「…以上です。失礼します。」

高道は舞台袖に駆け込み、そのまま自分の車に乗り込むべく駆け出した。

今まで止まっていた時が再び動き出したかのように聴衆の怒号とも悲鳴とも歓声ともつかない地響きがかすかに耳に届いてきた。


走る俺について何人かのスタッフが怒声交じりにいろいろなことを言ってきた。

詳細にはどう返事をしたのかも覚えていないが、はっきりと、団体を抜ける旨を伝えたことだけは、覚えていた。







クルゥセは取り出したハンカチで、その目元を拭っていた。

会場はさまざまな叫びで満ちている。

舞台の上では責任者と思われる人物が額の汗を頻繁に拭いながらいろいろなことを言いつくろっていた。

「コゥ。本当にコゥはバカ、ダヨ。」


喧騒に紛れ、その片隅でクルゥセの言葉はすぐに掻き消え。




クルゥセは隣のフォンと共に、寄り添うように会場を後にした。












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