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夢の痕
作:石鍋 盥囘し



第四話




長く家で使われていたものを引っ張り出して持ってきたのだろう。
ポットは天辺の部分を押し込むたびにかすかな悲鳴のような音を上げて湯を吐き出している。


俺がイチゴ大福を持って見舞いに来るなり、フォンは軽く一礼し、イチゴ大福を受け取ると茶を入れ始めた。

やはり、手馴れているのだろう。

よどみない動きですぐさまお茶と皿に乗った大福が出てきた。


「フォン、君の分もある。それと雲雀にも、お茶を頼む。」

そういうと、フォンはかすかに微笑んで頷いた。

俺は雲雀の横の白い台の上に俺と同じものが出されたのを確認してから、一口茶をすすった。


喉から食道を通じて胃へ。ゆっくりと熱い塊が降りていくのがはっきりと分かった。

それが、広がって消えた頃、俺と雲雀の皿にそれぞれ二つずつ乗っているイチゴ大福を、一つ、雲雀の皿へ移動させる。

「今日、な。『永久堂』にいってきたら、大きく張り紙がしてあったんだ。和紙で作られている趣のある張り紙でさ。そこに、なんて書いてあったと思う?」

たっぷり、返事に必要な時間を置いてから、もう一口、茶をすする。

「さすがにわからねぇか。来週の火曜に、新作の和菓子が発売されるらしい。蛍火だとかいうやつでな。見本がおいてあった。水饅頭みたいに透き通った真ん中に、ほんのり淡い色がついた餡みたいなのがはいっていてさ、美味そうだった。」

淡い桜色の大福には、『永久』という達筆な焼印が入っている。

手を拭いてから、それを手に乗せた。なぜか、今日はいつものそれよりも、重く感じる。


「一日限定三十個って書いてあったから早く行かなきゃすぐ売り切れちまうと思うぞ。まったく……講義、またサボることになりそうだな。」

自分の言葉で苦笑して、一口、大福をほお張った。


もちの歯ごたえ。
そのあと餡の懐かしいような優しい甘さが来て、租借するとイチゴの果汁が、際限なく広がっていく餡の味の端をちょうど良い塩梅で引き締める。
邪道だという人もいるが、イチゴ大福を考え出した人間は本当に、偉大だと思う。


「ん、うまい。」

昔は、餡が大嫌いだった。
飲み込むときに執拗に喉に詰まるような、質の悪い蜂蜜の濁った部分みたいに澱んだ甘ったるい味がたまらなく嫌いだった。

もっとも、食べてみたら永久堂のそれはそういう餡ではなかったが。

そういえば、雲雀と最初に食べた甘味は、このイチゴ大福だった。





大学に入ってすぐの頃、お世話になっていた叔父の妻、つまり叔母が亡くなった。

少し歳の離れた俺のいとこ、天田幸樹あまだ こうき夫婦にはまだ小学一年生の息子―俊樹君がいて、共働きの天田夫婦は家に一人で残すわけにいかないと叔父のもとへ預けていた。

自営業で未だに家を空けることが多い叔父は、初孫の可愛さといえども俊樹の世話を叔母に任せることが多かったらしい。

流れで、講義がない昼間に叔母の代わりに俊樹の世話をすることになった俺は、しかし単位を詰め込んでいたために大学の近くの広場で俊樹の相手をすることが多くなっていた。

雲雀と始めてあった日。
その日は、俊樹と自転車を乗る訓練をしていた。

目が大きく、やや垂れ目の優しい顔立ちの俊樹は、その見た目の通り少し内向的で女の子みたいによく泣いた。

何でも、自転車に乗れないのを馬鹿にされたとかで、その日は俺の服を引っ張り倒して自転車の特訓をせがんできたからだった。

俺に言わせれば、別にまだ自転車なんて乗れなくてもいいだろうに、とも思ったのだが、断る理由もない。



クンレンに付き合うことを決めたとはいえ、すぐに乗れるわけなんてない。
補助輪をはずして、俊樹が乗る自転車の後ろを押さえてバランス取りの練習をしていた。

「手、離さないでね、絶対だからね。」

「離してないから。だからトシ、もう少し前向け前。」

「ぅわゎっ」

さりげなく手を離して何度目か盛大に転び、そのたびに目の端に涙をためてこちらを睨みつけてくる俊樹の視線をやり過ごして、まただましだまし自転車に乗せ。

一体何度目になるのかわからないくらい転び倒した後、ふらふらとしながらも俊樹が一人で進みだしたとき。


「お…?おおお!?乗れたぞトシ!でかした!・・・ってアブねぇ!ブレーキ!」

声もむなしく、なだらかな坂道の勢いで植え込みに突入し、そのまま俊樹は盛大に木に突っ込んでいた。

後は烈火のごとく泣き喚き、どれだけ慰めても、今自転車に一人で乗れていたのだぞ、と褒め称えても一向に泣き止まなくて、途方にくれかけたとき。




偶然、散歩していた雲雀が来たのだ。





黒く、長く、しなやかに腰の辺りまで伸びた髪と、闇夜にぽっかりと浮いた満月のように白い肌が目に焼きついた。

「ほら。大丈夫なのだわ。」

(……だわ?)

彼女はハンカチを取り出し、俊樹の涙を拭ってやって、そのガラス細工みたいな手でかすかに赤くなった額を撫でていた。

「大丈夫。」

一つ、目を合わせて彼女が頷いただけで。後は何をしたでもなく、うそみたいに俊樹のやつが泣き止んだ。

「……うん。だいじょうぶ。」


まだ、かすかにスンスンと鼻を鳴らしながらも、彼女のそれに合わせて一つ、俊樹は頷いて、そして、ぺかりと自分がぶつかった木に復讐のけりを入れた。

「コラ。」

それを見て、急に彼女は眉をきりりと吊り上げた。

そして指を一本、空に向けてぴんと伸ばしてから、それで俊樹の額をつん、とつつく。

「あぅっ!?」

何が起きたか分からないといった様子で、また泣き出しそうな俊樹は彼女を見つめた。


「木にぶつかって、おでこ痛かったんでしょ?」

「う、うん。」

「じゃあ、きっと木も痛かったんだから、そんな事しちゃダメだわ。ほら。」


俊樹の視線を受けて、再びその指は真上へ。そして俺たちの視線も指の先、さわさわと風になびく木の枝葉へと向いた。

「痛くて泣いているわ。だから…」

また、雪解けみたいに優しい笑みを浮かべて、彼女は自分がつついた俊樹の額に、またその手を当てて。


「謝らなきゃ、ダメだわ。」

それは、子守唄みたいに優しい言葉だった。

「うん。…ごめんなさい。」


ぺこりと、素直に俊樹はぶつかった木に頭を下げていた。

「いい子だわ。」

――なんていえばいいのか。



見方によればそれはひどく、滑稽な光景だった。


だって、彼女は木にぶつかって泣いている子供を慰めて、それで木に謝らせているんだから。




普通の人だったら、たとえば、彼女の位置にいたのが他の誰かであったなら、木のことを心配なんてするのだろうか。

俊樹が今のように、たとえ木といえども何かを思いやる優しい気持ちに気付けたのだろうか。

たったコレだけのことなのに、俺は彼女を、彼女自身の本質を見た気がした。


だから、なのかもしれない。


「あ…ありがとう、な。助かった。」

「ん〜ん、そんなたいしたものじゃないのだわ。じゃあ、気をつけてあげてね。」

「あ……おい、ちょっとまってくれ。……少し、時間あるか?」


さらりと去ろうとした彼女を、引き止めたのは。







あの後、永久堂の二階で山のような和菓子を並べ立てて幸せそうに食べまくりやがって、俺の財布への優しさなんて微塵もなくて、見解を最初のそれから百八十度変えて。

それでそのときに、なし崩し的に食べた嫌いなイチゴ大福が、実はうまいものなんだって知ったんだったか。


雲雀の皿には、まだ三つのイチゴ大福が乗っていた。

お茶はそろそろ、冷たくなっているだろう。



「講義の時間になっちまった。雲雀、約束忘れるなよ。朝一番だからな。寝坊したらゆるさねぇぜ?」

フォンは静かに一礼し、俺の前から皿を下げた。
一言礼を言って、雲雀に振り返る。

「また、来るから。」

最後に一度、手を握ってから。俺はまた病室を後にした。





講義の時間、買いあさった本を読み漁り、そして空き時間にバイトを探して電話を掛け捲った。

当然、雲雀の手術には莫大な金が必要だった。

力仕事で短時間のものを三つ、面接の約束を取り付けて、雲雀に会いにいき、そして家に帰る。


パソコンを立ち上げ、目ぼしい情報を探しながら片手で臓器移植の関係の本を読んでいたら、いつの間にか、意識は途切れた。

限界を迎えたからだが弛緩し、泥のように眠りについた高道の腕から、本が落ちてぱらぱらとページがめくれ上がる。


偶然開かれたページに書かれていた見出しの一つには、こう書かれていた。





――全身移植の成功例とクローン人権












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