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夢の痕
作:石鍋 盥囘し



第三話




おとなしく眠っていることなんて出来るわけがない。
病院から家にたどり着きすぐだというのに、兎に角そのまま車を飛ばした。

無論、向かうのは連絡があった警察署。

十五分ほどして到着。

建物を見上げると、昼は清廉潔白の象徴のように白い署は、夜の闇に侵食され濃紺に染まっている。
規則的に並んだ窓から漏れ出したヒカリは闇を振り払っているように見えた。


足が、俺のすべてを支配しているように警察署へと向かい歩き出した。

正面、二重の自動ドアが開き入ってすぐ右側の受付で事情を話す。

無駄にまだるっこしい事務的な態度にイラつき、やや、説明の声に熱がこもったらしい。

二十代後半くらいの比較的若い警察官はちらりと、同僚に話しかけたときに肩をすくめているように見えた。

まもなく(といっても無駄に長い時間を待たされた気がしてならないのだが)先ほど警察署を見たときに思ったそれよりも更に深い紺色のスーツを纏った鋭い目つきの女性が出てきた。

綺麗な人だった。見た感じだと二十代後半から三十代前半くらいだろうか。

長い黒髪を後ろで一本にしばっている。
やや三白眼風の鋭い目つきはこちらに向くなり一瞬だけ更に鋭く、そして不愉快そうになり。


「こんばんはぁ。あなたが阿佐美雲雀さんの…彼氏さん、ですか?」

一転、柔らかい笑顔を浮かべて軽く頭を下げてきた。

「………齋井 高道です。」

「では、改めまして、私は三崎 みさき はるかというものです。私の担当となった今回の事件についての説明、ということなんですが…そうですね。立ち話というわけにもいきませんから、こちらのほうへどうぞ。」

と、彼女は俺を先導し、一つの部屋へと入っていった。

そう『取調室』と銘打たれた個室に。


彼女は重々しい鉄製の扉を手で開き続けるのが億劫なのか早々に三角形のゴムを床との隙間に咬ませていた。

――なんだよ、取調室って。

三崎は看板を不愉快そうに見上げている高道に気付き、参ったように破顔した。

「いや、あれなんですよ。大体、警察にいらした方々との話というものは酷く個人的な秘匿されるべきものであるので、不特定多数のいる場所で、というわけにもいかないでしょう?」

そういうと、招き入れるように手を、相向かいの机の奥側に設置されているパイプ椅子に向かって伸ばし、三崎さんはその三白眼で俺を見つめてきた。

どこか、品定めをされているような気がして俺が憮然とした雰囲気を表に出しそうになったとき。


「『取調室』とは書いてあるものの、ここは同時に『相談室』でもあるのですよ。」

皆さん気になるみたいなんですよね。我々は慣れてしまっているので……気をつけなければと思うのですけれど。

と、困ったように笑い、ドアノブを押さえドアに咬ませていたゴムをはずした。


「では、どうぞ。」

「……、はい。」

改めて、すすめられるままに奥のパイプ椅子に腰をかけた。

長年使われているらしいその椅子の綿は酷く硬くて、まるで鉄の上に皮一枚敷いただけのものに座っているようだ。

酷く息苦しく、当然窓もない部屋を外界と隔離するように重たい金属音でドアが閉まる。

途端に室内の空気は数倍も硬くなった気がした。



この『取調室』にあるものは俺たちが今座っているパイプ椅子一つ、三崎さんが座る少し良い黒い皮張りの椅子、部屋の奥側、俺の座っている後ろにあるこれまた鉄製のファイルがぎっしり詰まった本棚。
そして正面の無骨な机一つ。


白い壁紙は年数によりかすかにくすんでいて、小学生などが描いたらしき防犯ポスターの大賞が印刷されたものが年代別にいくつか貼られていた。

無駄に黒と赤が使われているものが多く、黒い人影に赤く口が裂けたデフォルメの犯人像が視界の隅でやかましい。


ドアを開く音を聞きながら視線を落とすと、机の上に敷かれたクリアシートの下には年号と西暦を合わせて年齢を確認できる一覧表などが入っていた。

「あれでしょう?たぶん刑事もののドラマなんかで出てくるような鉄格子がある部屋を想像していたんでしょう。そんなのは留置場くらいなのよ〜?」


周囲を見渡して、どこか自慢げに彼女はふわりと向かいに座った。
緊張をほぐそうとしているのだろうか。



でも今は…。

「……ここも、似たようなもんですよ。」

「う〜ん。」

周囲をゆっくり見渡して、三崎さんは曖昧に笑って、椅子に深く座りなおしていた。


「そういわれれば、味も素っ気もないものねぇ。ここは。にしても、取調室に通されたことを怒っているの?」

「いえ。別に。それよりも…。」

「そう、ね。ごめんなさい。もう晩いものね。」


やっと三崎さんは書類を取り出した。
そして、確認するように机の上に広げ始める。

「今回の容疑者は最新型のクローン執事。名前がラン、雄型。所有登録者が伊藤柳太郎(46)とその妻、伊藤恵(43)そしてその一人娘の伊藤広海(14)。」

カサリと音がして顔を上げると、三崎さんは次の資料を手に取っていた。

続けて紡ぎ出されていく言葉を受けて、俺の胸の中心には一本の針が生まれた。


「最新型として契約登録されて今日はおよそ一ヶ月らしいです。ラボから出てきてまだ二週間と少しだと。雲雀さんが、彼の運転する車に撥ねられた。これは広海さんを塾へと送った帰りに、余所見をしていたため起こったとのことです。」


針は、二本、四本、八本、十六本とあっという間に倍々に増えていき、俺の内側の臓器をずたずたにして、皮膚の一枚下すぐまでぬめるどろどろした液体へと破壊しつくし、体中を侵食していった。


「彼は酷く動揺したみたい。それはそうね。私たちでも事故を起こしたらあわててしまうもの。それを、彼は調整されているとはいえ、外界に出てすぐに事故を起こしてしまったのだもの。」


トリシラベシツには、衣擦れと紙の音、そして三崎さんの声だけが響いている。


きりり、と音が鳴ったのは、俺が強くかみ合わせる歯がかすかにずれた音だったんだろう。

「そして彼は動揺した勢いで減速後すぐにアクセルを踏み込んだ。登録者である彼の主人に事情を説明して指示を仰ぐために。彼はすぐに家にたどり着いた。といっても事故現場から二十分ほどかけて、ですが。そして事情を説明し、彼の登録者である伊藤柳太郎氏とともにこの警察署へ自首してきた、というわけです。」


資料に向けられている三崎の目は鋭い。
その三白眼の通り、さしずめ獲物を狙う猛禽の様な色をしていた。

そして、クローン医師がそうであったように、その表情はかたまっていた。

次々に現状での細かい状態説明、時刻の分析、その他もろもろのことがその口から流れだしていた。

しかし、後半部については飲み屋のどうでもいいバックグラウンドミュージックのように右から左、まったく頭に入ってこなかった。

そんなことよりも真っ先に、念頭に、ずっと、強い強い思いがあったからだ。

「……ということでそれが……」

「もういいです…!」

勢い良く言葉を遮り立ち上がった俺を、三崎さんは面食らったように見上げていた。


倒れかけたパイプ椅子の縁が鉄製の本棚とぶつかり合い、硬い金属音が響き渡ると、三崎さんが手に持っている書類は怯えた様にだらしなく、上半分がこちら側にお辞儀した。

「…はい。」

「それよりも今!そのクローンとは、ランには会えるんですか!?」

わずかに、自分でも言葉に怒気が籠もってしまった事が分かった。ただ、冷静でいる気も、また冷静でいられるはずもないことも、端から分かっていた。


「…ふぅ。――率直に言うならば、それは無理です。」

「なんで……」

「なんで、といわれましても、そういう決まりなんですよ齋井さん。」


とんとん、と軽い音を響かせて、三崎さんは書類を机でまとめて、改めて机の上におきなおした。

「そのクローンのせいで雲雀は…」

その続きをいえなかった。
その言葉が、もっとも不吉な予言となって、未来を決定してしまう気がしたからだ。


そして、その言葉を受けて最初にそうしたように、三崎さんは不愉快そうな、痛みを覚えそうなほど尖った視線を俺に向けた。

「クローン、クローン、ですか。いえ、クローンじゃなくても、例え今すぐ彼があなたと会う準備が整っていたとしても、今のあなたと彼をあわせることなどできはしませんよ。」

「なんでだよ!!!」

高道が拳を振り下ろし、机を叩いた鈍い音が密閉された空間を揺るがした。

今度はひるみもせずに、三崎は深く、椅子に座りなおす。


「会って、どうするのです?殴るのですか?それとも雲雀さんにしたように車で撥ね飛ばすのですか?それとも…」

たっぷりと一呼吸の間。
そして、三崎は口を開く。

憐れみとも、侮蔑とも取れるような尖った視線を高道に向けて。


「殺すのですか?」

「――――――っ!」

「人を殺した、もしくは重大な事故を起こした容疑者は、被害者と親密な関係を持つ人間と、すぐすぐ直接会わせるわけにはいかないのですよ。雲雀さんの容態についてはこちらも聞いています。齋井さんの心中、お察しします。ですが、齋井さん。ランは容疑者でありクローンであるけれども、それよりもまず、彼には人権があるのです。‘私たちと同じ’人権が、です。だから、私たちと同じ正しい手順によって、そして正しく法によって彼は裁かれなければならない。ここで、あなたが彼に手を出すことは、まったくの筋違いなのですよ。」


まして、あなたは今、私の言葉をすぐに否定できなかったでしょう?

付け加えるように彼女はそういい、その目の鋭さを解くとゆっくり頷いた。

拳は強く握り締めたまま、俺を支配していた足が勝手に麻痺してしまったみたいに折れた。

倒れ掛かっていた椅子が軋みをあげて、浅く、へたり込んだ俺を支えた。



「私がいうのもおかしいかもしれませんが。雲雀さんが目を覚ましたときに、齋井さんは、それで彼女が喜ぶとお思いなんですか?」








―――警察署からどうやって帰ったのかは覚えていない。

最後の言葉が、いや、三崎警察官の言葉が頭の中でずっと繰り返し聞こえ続けている。

とにかく、家に着いたころにはもう日付が変わってしまっていた。


雲雀が元気で、…幸せで。

そして今のようになり、俺の中に今まで生きてきた間のすべての感情よりも濃い感情の起伏があった一日は、何の変哲もなく、静かに過ぎ去っていた。


とても、眠れやしなかった。

眠らなければ、と思って酒を煽ってみてもまったく酔いもしない。


眠気なんて、やはり微塵もない。



今思えば、さっき警察署に行かなければ、三崎警察官の言葉を聞かなければ、俺の胸に湧いた一つの思いに気付かなければ―――まだ眠ることも出来たのかもしれない。


しかし、その浮かんできた思いは、俺の中にあった、たった一つの想いによって生まれてきたんだということは分かっていた。


だからこそ、雲雀には元気になってもらわなければダメだ。

どうせ眠気なんて訪れないのだから、パソコンを立ち上げて片っ端から調べて回った。



臓器移植について。

また、俺と同じような立場の人間たちが情報交換を目的で立ち上げているサイトについて。

移植の技術が最も優れている国内外の病院、医師、その他なにか役に立ちそうだと思ったすべての情報を。



目ぼしそうな医療関係の本を調べ上げてリストを作り、印刷してみたりもした。

外が明るくなってくるまで、ずっと。




暗闇でモニターを見つめ続けたせいか、もしくは……。

高道の目からは一筋、窓のカーテンの隙間から差し込んだ朝日を反射する光があった。


「朝、か。」

服の袖で目元を拭い、高道はパソコンを終了させる。


すぐにシャワーを浴びて着替え、一日の準備を始めた。

一年目で地獄の単位取りをしてあるので、二年目の今年は授業がかなり楽だ。

今日も十時に家を出れば良いくらいである。


『永久堂』が開くのが八時。学校に向かうのは雲雀に絶品イチゴ大福を届けてからでも十分、間に合うだろう。


高道は荷物をまとめて、車のキーを取り出し、家を出た。


霧雨が降っていたのだろうか。
気がつかなかった。




かすかに濡れたボンネットに反射した朝日が、いたく眩しかった。












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