第一話
「ねえ、こ〜、おなかが減ったのだわ。」
「またか、ついさっき食べたばっかだろ?」
時刻は午後二時四十七分。
俺を愛称で呼び、タンタンくつを鳴らして、舞踏会のオヒメサマみたいにアーケードの色つきタイルを渡る目の前の女性。
午後の講義をサボる決意をしたのは『源流庵』の本格抹茶パフェを食べたくなった彼女が問答無用で俺の荷物(主にサイフ)を持ち出したからだ。
ちなみに、抹茶パフェのあとは『でんでん堂』のカスタードらやき。
その後『銀船』の大船たこ焼きを二舟。
『九色陶板』のココア、きな粉のあげパン各一個。
つまり昼食から食べっぱなし。
そして今が…
「ほらほら、あそこのラ・クルゥセ・トマリのフルーツタルトがまた絶品なの!!」
知ってる。
あそこのフルーツタルトは厳選素材をふんだんに使ってある直径三十五センチの甘〜いタルトだ。
俺もどっちかといえば甘党だ。でもさすがにコレだけ食べた後に……
いや。
違ったな。
眼前で、彼女は俺の腕を掴み、長年探し続けた財宝の眠る遺跡を前にした冒険家の勝鬨のような歓声を上げた。
俺は、ただ、苦笑する。
「なんなの?こ〜は私とタルトを食べるのが不快なの?」
温度差を感じ取ったのだろう。
彼女はぷぅと針の無い針千本のように口を膨らませた。
「俺甘いものそんなに好きじゃない。それに今日は食べ過ぎた。」
「嘘っ。今声のトーンが下がったわ!こーはいつも嘘つくときはそうなるのだわ!」
かなわないな。
頭を掻いて、また苦笑。
俺は、彼女と付き合って、甘党になった。
彼女は俺こと齋井 高道の恋人。名前は阿佐美 雲雀。
雲雀は高道の『高』を文字って『こー』と俺を呼ぶ。
俺が大学に現役で入学した年、一浪して入学した一つ年上の彼女だ。
入学してまもなく付き合って、もう一年半付き合っている。
俺は喫茶店を見つめて、これから味わうであろうその絶品タルトの味を想像し爛々と目を輝かせている雲雀に、小さく、今日何度目になるのかもうわからないため息交じりの苦笑をもらした。
手を引かれるまま(もっとも拒む気なんてサラサラなかったが)オープンテラスに座り込んだ。
ログハウス風のつくりの店にあわせ、こげ茶色の木目が強調された丸テーブルと椅子。
かすかに吹く風に、店の屋根から伸びた深緑色のパラソルがはたはたと揺れている。
オープンテラスの端には『蔦が絡まった木をデザインしたロールケーキをデザインした』手すりがあり、その上にはリスの彫り物がしつらえられていた。
この店に来たのはこれで二度…いや、三度目。毎回、その手すり越しに見やる街の雑踏には不思議な感覚を覚える。
こっち側は、背筋が冷やりとするくらい温度は低く、そのくせなんだか温かい。
向こう側は往来の人ごみで温度は高く、そのくせ冷たいイメージというか。
視線を戻すと、会い向かいに座った彼女はテーブルに備え付けられているメニューを開いてウンウンと唸っていた。
どうせ、どれも食べたいけれどダイエットを考えなくちゃ、とか考えているんだろう。
いつものパターンだ。困り果てたようにこっちに上目遣いの視線が……やっぱり向いた。
「こ〜…」
「安心してくれ、精一杯手遅れだから。」
「こー!薄情なのだわ!」
――どうやら、的中らしい。
とはいえ、雲雀は好きなものを好きなだけ食べても、それこそ用法用量をまもって一ヶ月間断食修行をしてもほとんど体重が変わらないことが自慢らしい。
おかげで俺は、というと付き合ってからは現状維持のために体を動かす比率が上がり、いつの間にか大概のスポーツが得意になっていたというウェハースのシールみたいなおまけがついた。
「好きなものを頼めばいいだろ。俺はそれらを一口ずつもらえれば十分だからさ。」
「そういってもらえれば話が早いのだわ。」
雲雀のくせである口をあけずに口の端をU字に曲げる独特の笑みを見つめて頬杖をついた。
テーブルの上のドーム上の物体の天辺についているボタンを押すと、店内でビィィという音が鳴っているのがかすかに聞こえた。
程なく。
濃紺のふわふわした服を纏い、その服の上にはレースのついた純白のエプロンをつけたメイド姿の女性がすべるように俺たちの前にやってきた。
髪を結い上げてこれまた純白のレースつきの帽子と髪留めであらわになっている耳はかすかに尖り、控えめに空をさしていた。
その肌はまるで今初めて日光の下に出てきたかのように白く透き通り、後れ毛がかかるうなじには、どきり、とするほどの妖艶さがあるようなきがした。
「ご注文は、お決まり、でしょうか。」
かすかにオーダーを求める言葉にたどたどしさがある。
なるほど、彼女は“クローン”の《ゴッデス種》だ。
今までぜんぜん気が付かなかった。
クローンが働いている店というのはまだこの界隈だと非常に珍しい。
とはいえ最近のオリコンにはゴッデス種の歌がトップテンに二曲は食い込むことが珍しくない。
また、ここ埼玉県内でこそ少ないけれど世界的に見たらすでに各分野に特化したクローン種は多数活躍している。
クローンの人権が提唱され、国連に加盟している国々で正式に採用されてからもう五年強。
そういえば、法案が採用される前からクローン乳母に世話になったらしい雲雀はさっきからただの店員に対する以上の愛情を込めて(もしくは多分に甘味に対する愛情が混じっているだけなのだろうか?)そのクローンにオーダーをしているようにみえた。
俺には、クローン人権法を拒絶する要素もない。むしろゴッデス種の歌は好きだ。
だからどちらかといえば巷にいるクローンの人権獲得反対派に嫌悪感を抱くし、多少、そう、多少クローンにプラスの思い入れもある。
「こ〜、コーヒーと紅茶どっちにするの?」
「ああ、そうだな…タルトなら紅茶にしておく。」
「そうね、そうだわ。じゃ、あとこの紅茶を二杯お願い。」
「かしこまり、ました。少々、お待ち、くださいませ。」
もとよりオペラや賛美歌などの英文に対応するように《調律》されているゴッデス種はやはり日常会話の日本語を覚えるのが難しいのだろうか。
しかし、たどたどしくもその声質は聞惚れるほど澄みわたっていた。
他愛のない会話を交わして五分くらいだろうか。
直径一メートルほどのテーブルの上には色とりどりのスイーツがぽつりぽつりと順に運び込まれ、一品目から十分ほどでその面積の大半を埋め尽くした。
やはり圧巻はテーブルの中心に座している巨大なタルト。
「見ただけで別腹まで一杯になりそうだ。」
「そう?たった今八つ目の胃袋まで空っぽになったのだわ。」
「……エンゲル係数って知ってるか?きっと、雲雀は下手な成金より断然高いと思うね。」
「光栄なことだわ。」
「……大食いウンジャク。」
「そんなことより早く食べなきゃパティシェに失礼なのだわ。」
宝物の前では善人に対する大岡越前より寛大になるらしい。
普段はウンジャクって呼ばれるとターボライターのように怒り出すくせに、今はこちらに視線を流しもせずに雲雀はナプキンを首元に垂れた。
ナイフとフォークとスプーンを同時に装備した無邪気で貪欲なその姿は征服者。
皿という土地の上に芸術といえるほど精緻にくみ上げられた数々のデザートはあっけなくあっという間に圧倒的に雲雀の胃の中に吸い込まれていく。
ヴァイキングは暴食だったという。
彼女にはその血が流れているのかもしれない。
幸せそうにイチゴに生クリームを絡めている雲雀をみてそう思ったとき、不意に彼女は視線を上げた。
そして俺を見るなりその整った柳眉を歪め、持ち上げた。
「なにかおかしいの?さっきからニヤニヤしているのだわ。」
ああ。と。
そして気付いた。
「いや、ホント美味しそうに食べるなって、さ」
照り輝くイチゴが乗った小麦色のパイ生地を削り取り、口に運んだ。
わずかな酸味が絶妙なバランスで全体の甘さを引き立て、味を引き締めていた。
「ん、うまい。」
「こ〜も、美味しそうに食べているわ。本当に美味しそうに。」
怪訝そうに歪んでいた眉毛がゆっくりと穏やかな弧を描く。そして、雲雀はまた征服にとりかかった。
まもなく。
そして確かに運び込まれた大量のスイーツはそのすべてが運び込まれた十五分よりもやや短い時間ですべてが更地になった。
「幸せだわ。今なら死んじゃってもいいかもしれないくらい。」
「バカ言うなよ。それにどうせ十分もしたら次の甘味処にいきたがるだろ?」
「ひどいこと言うわ。私そんなに食い意地を張っていないわ。」
「二時間ほど前にその言葉をいうべきだったな。」
「それも、そうだわね。」
さっきまでで平らげたものを思い出したのだろうか。
んん、と唸り視線を宙にめぐらしてから、悪戯っぽく雲雀はくすくす笑い出した。
それを見やり、思わず俺も苦笑した。
「おお、やっぱりヒバリじゃないカ!」
不意に背後から投げかけられたのはハスキーボイス。それも、やはりカタコトのそれだった。
「クルゥセ!!久しぶりなのだわ。」
雲雀は勢い良く席を立ち、両手を広げていたクルゥセに抱きついた。
褐色の肌。
漆黒の髪が、忘れられたように真っ白な長いコック帽とスーツに浮かび上がっている。
しっかりと清潔感を感じるものの、どこか、その着こなしはピザ職人のママさん。もしくは大家族の肝っ玉母さんといった雰囲気があった。
目を引いたのは雲雀の背に回されたその黒い手。
重労働をしているように皮が厚ぼったい様子だ。
ただ、キメは細かいという不思議な魅力がある手。
親父に叱られた幼い日に、泣いている自分に差し出されたお袋の手を彷彿とした。
なるほど、数々のスイーツはあの手によって作り出されているのだろう。
長さが五十センチに至ろうかという長いコック帽は、パティシェの長であることを物語っているようだ。
やや長く尖った耳が帽子にかかっていた。
三角形に帽子の側面が切り取られたように見える。
彼女はカテゴライズされたクローン。
一つの分野に適応、順応、そして発展させるように《調整》されている通称《ユーズ種》のようである。
「今日のスイーツも、どれも、すばらしかったわ。」
「うれしいコトいってくれるナ。ヒバリは。」
「一つだけ気になったのはタルトに使われていたブルーベリィがいつもと違ったのだわ。」
「まいったネ。ヒバリにはバレたカ。仕入先を変えることになってしまってネ。トコロデ。」
彼女、クルゥセは所在無さげに立ち尽くしていた俺のほうに向き直り、そして改めて交互に雲雀と俺を見つめた。
「彼は、ヒバリのいいヒトなのカ?」
「ええ。何度かいっしょに来たのだけれど、二人はきょうが初めてね。こー?」
「あ、ああ。どうも、齋井高道です。どれも、うまかったです。」
「こーはお世辞を言わないの。さっきも、本当に美味しそうにここのスイーツを食べていたのだわ。」
「そうカそうカ!」
満面の笑みを浮かべたクルゥセの顔には深い笑顔の皺が刻まれている。
クローンにはっきりした年齢を当てはめるのは難しいが、三十前後のように見える快活な笑顔だった。
「ヒバリには良くキてもらってるんダ。コゥ。これからもヨロシクだよ。」
雲雀にしたのと同じように彼女は両手を広げて見せた。
わずかにためらった俺に、むぅ、シャイなのカ?とつぶやいてからおもむろにクルゥセは抱きついてきた。
豪快に、存外強い力で拘束され、鼻の奥に滲み込んでくる様に、甘い香りと、ふっくら焼きあがった生地の香ばしいニオイがした。
「まあ、ほどほどには。」
俺の平生の返事に一瞬目をむいてから豪快にクルゥセは笑い飛ばし、雲雀は。
「もう少し、何かないのかしら。気を悪くしないで欲しいわクルゥセ。こーはいつもこうなのだわ。」
「そうカそうカ!」
クルゥセはというと、別段気分を害した様子もなく、再びからからと笑っていた。
その帰り道のことだった。良く食べ、良く遊び日が落ちてからだった。
俺はいつもより胸に温かい気持ちを抱いていたのに。
いつも口を突いて出てくる言葉は皮肉しかないのだけれど。
別れ際に珍しく雲雀に感謝の言葉を言おうとしたとき。
雲雀は、暴走してきた車に勢い良く撥ね飛ばされたのだった。
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