At that time the space was higher.
画面に映るものが生体種に切り替わった後も、次々と場面を移しながら映像は流れ続け、最初はブツブツと独り言を呟いていたユダはいつしか黙り込んでいた。
そしてチタンマグの中身がすっかり冷めた頃、唐突にスクリーンが水色になり映像の終わりが告げられる。
するとユダの首が、錆び付いたドアの様にぎこちなくログ爺の方を向いた。
「……何なんですかこれ?」
高速で回転する思考をよそに少年はシンプルに答えを求めると、老人はただ首を横に振る。
「はっきりとはわからん……じゃが石英盤に刻まれた年号が正しければ、この映像は【神の雫】よりも更に古い時代に作られた物じゃ」
老人は手にしていた盤をユダの前へ置くと、彫られた文字を指で撫でた。しかしユダの目はログ爺の指を追う事は出来ずにいた。
「原初暦……」
ユダは以前ログ爺に貸してもらった書物の中に出てきた単語を漏らす。
「そうじゃ。【神の雫】以降を天津暦。それ以前を原初暦と区別しておる。よく覚えておったな」
存在自体は確実視されているが、謎に包まれた人類種の前史。
当然ユダは原初暦と言う単語を知っている位で、詳しい内容はさっぱりだったが、ログ爺は貸した書物に記載があった事を覚えており、教え子の勤勉さに目を細めて誉めた。
「名前くらいしか分かりませんよ」
「それはワシも同じ様なものじゃよ。発掘される原初暦の情報遺物が少なすぎるからのぅ」
謙遜する少年だったが、老人自身も特段原初暦に精通している訳では無い様で、苦笑いを浮かべマグの中身を啜る。
ユダもそれに釣られレモネードに口をつけ一息に飲み干すと、映像を観た率直な感想を言った。
「……短絡的かもしれませんが、映像中の機械種と生体種から、人類種に対しての敵意や害意を感じられませんでした。それどころか……」
「仲睦まじくみえた……そんなところかの」
ユダが最後を言い淀むと、ログ爺はそっと言葉を沿えた。
「……はい」
「そうじゃな、ワシにもそうみえる」
ユダを肯定するログ爺が軽く頷く。
しかし自分の感想を否定する様に、ユダは首を振る。
「でもそんな事ありえるのですか?」
「少なくとも、ワシの知る世界では有り得ない事じゃが、それの中……その時代では有り得た、かもしれんのう」
そう言いながらも、探索者として様々な場所へ足を運んだログ爺は、一度として友好的な敵性種と出会った事が無かった、と付け足す。
「ではこれの映像は作り物なのですか?」
経験に裏付けされたログ爺の言葉に、テーブルの上に置かれた盤へ視線をやるユダ。その瞳には、先程までの好奇心は既に消えており、落胆が見てとれた。
しかし老人が発した次の言葉によって、少年の【これから先】が決まった。
「いや、本物じゃよ」
「え!?」
「それに映っているものは作り物なんかじゃぁない。とワシは思っておる。まぁ今は、まだ証明する事は出来ないのじゃがなぁ」
「証明……」
「そう、今はまだじゃ。じゃがこれから先に、証明出来る様な遺物が見つかるかもしれん。証明出来る様な出来事が有るやもしれ。証明出来る様な敵性種が現れるやもしれん。……だから、それが作り物と証明されるまでワシは、探索を続けるつもりじゃ」
老人は何故この時、十にも満たない幼子に【それ】を見せたのか分からない。
賢いだけでなく、身体能力にも優れた少年。だがそれは【唯一】に成り得る程では無く、ありふれた【優秀】さ。
そんな特別な出来事では無かったこの時が、ここにはいない一人の少女の運命を大きく変える。
ただそれを知る者はまだ誰もいない。
*
慌ただしくも活気に満ちた声が響く小さな村に、かつて枝葉の様に華奢だった肢体を、瑞々しい若木に成長させた少年の姿があった。
集落の中心にある広場に、ところ狭しと並べられている遺物と生体種。今朝遠征から帰還した一団がもたらした、近年稀に見る量の成果だ。
それも獲物の方は村に着く少し前に狩られた鮮度抜群の物で、それに真剣な眼差しを向ける少年に声がかかる。
「ユダいつも悪いんだが、傷んじまったら勿体ねぇから解体頼めねぇか?」
ユダが振り返ると、去年村長になったばかりの壮年の男が両手を合わせていた。
機械種の解体に比べ、汚れや臭いが酷い生体種の解体作業を、毎回ユダに頼むのが心苦しい村長は少年の顔色を伺う。
「あー了解です。じゃあいつもの場所でやりますんで、適当に運び込んで貰っていいでしょうか?」
しかしユダはそんな事は気にしておらず、直射日光を避けられる木陰を指差し足を向ける。
「おー助かるわ。運び込みは若い連中に言っとくから、よろしく頼むなー。あと礼と言っちゃアレだが、素材と遺物は出来るだけ優先的に回すからよ」
ユダの二つ返事で胸を撫で下ろした村長は報酬を約束すると、少年に手を振り次なる指示を飛ばしながら歩いていった。
その指示の中には、生体種の件も含まれており、簡単な目配せで各々の分担を決めていく作業者達。
最所に動いたのは、ユダと幼馴染みだった。広場の脇に転がしてあった手押し車を起こすと、そこへ兎型の生体種を積み込んでいく。一応首からの血抜き処置をされており、小ささも相まって女の子でも問題無く作業を進めていく。
続いて動いたのが屈強な体つきをした二人。日に焼けた浅黒い肌をもつ若い男達の顔は瓜二つ。一卵性双生児である彼等は目配せすらせずに作業に取りかかる。
折り重なる様に積まれた猪型。
二人は一メートルはゆうに越えるソレを一息で軽々と肩に担ぐと、手ぶらの様な身軽さで木陰へ運搬を始めた。
先に木陰に着いたユダはそれを横目に、味の出てきた革製の鞘から一本のナイフを抜く。
「八割ってとこかですかね……」
柄尻に表示されるゲージを確認すると円が二割程欠けていた。
愛用するヴィブロナイフの残エネルギーが充分な事を確認すると、慣れた手付きで鞘へナイフを戻しヒップバックから黄暗緑色のソフトシェルジャケットを取り出す。薄いストレッチ素材を立体裁断された作りの上着は、今年の誕生日にログ爺からプレゼントされた遺物だ。しかも強力な撥水加工もされており、臓物や血肉で汚れる生体種の解体作業には、もってこいの一着となっていた。
そして上着とセットのオーバーパンツを取り出し、ズボンの上に履き粗方の準備を終えたユダへ声がかかる。
「ユダー」
慣れ親しんだ声にユダは、既に身に付けていた皮手袋の位置を調整しながら答える。
「ミカエラお疲れさま」
「ユダもお疲れさまー。ってこれここでいいかな?」
軽く挨拶を交わすと幼馴染みの少女は、解体作業で出る血肉を地面に残さない為に、木陰の一画に広げられたビニールシートを指差しユダに確認する。
「うん、降ろさずそのままそこに置いて貰っていいですよ」
「りょーかいー。残りも同じ様に置いちゃってけばいいのかな?」
いつもと代わり映えのしない会話をした少女は、言われた通りに手押し車をシートの上に置くと、別の手押し車のもとへと駆けていった。
跳ねる様に走る幼馴染みの後ろ姿に、ユダの表情が緩む。
ユダがログ爺から【あの映像】を見せて貰った数日後、ミカエラは唯一の肉親だった兄を遠征先で亡くした。
既に両親はミカエラが歩き始める頃に流行り病であっさりと他界しており、心の支えだった兄を失った幼馴染みの憔悴は酷いものだった。
だからユダは心から笑う。
下を見てばかりだった幼馴染みが、元気に駆けるその後ろ姿を見て。