新婚ごっこ
ベッドの脇に置いていたスマホから起床時間を告げるアラームが鳴り始めた。
いつものように手を伸ばそうとしたけど動かせない。
うん……なんか重い………?
私…後ろからがっつりホールディングされてる?
そう言えば昨日…隣に住む相澤先生のアパートが火事になって行くとこないって言うから私の家に泊まって布団が一個しかなくて…ああなってこうなって……
私の頭の中で現状把握をするためのパズルがカシャカシャと組み合わさっていった。
てことはこの腕は相澤先生??
私の腕とは明らかに違う、男の人の筋肉質な腕が私の上半身にまとわりついていた。
なんなの?襲わないってキッパリ否定してたくせに。
頭上から相澤先生の規則正しい寝息が聞こえてくる……
……これってやましい気持ちとかではなく、単に寝相が悪いだけ?
はっ…確かイルカの抱き枕がないと寝れないとか言ってたな。
もしかして私、抱き枕代わりにされてる?!
「相澤先生っ起きて下さいっ!」
起き上がろうとしたら相澤先生はさらに力を強めてきた。
うわっ…男の人にこんなに強く抱きしめられたのっていつぶりだ?
高校の時は一方的な片思いだったな……
大学の時に初めて付き合った人には性格が合わないって1ヶ月も経たずに振られたっけ……
って、感傷に浸ってる場合じゃないっ。
力を込めて離れようとしたのにビクともしない。
なんでこの人起きないの?
枕が動くわけないんだから気付けよ!
私はもそもそと相澤先生の腕の中で体の向きを変え、名前を呼びながら頬っぺたをペチペチと叩いた。
「……う〜ん。あと五分……」
なにこれ寝ぼけてんの?
これは私に言ったの?それとも抱き枕に?
にしても……
向かい合わせになったのは不味かったな……
流石にこんなに顔が近いと照れてしまう。
相澤先生の顔…超イケメンだからな……
長いまつ毛に見惚れていると瞼が動いてゆっくりと目が開いた。
焦点の合わない茶色の瞳が私を見つめる……
「相澤先生っ。とりあえず離してもらえますか?」
「……俺の…帰ってきた……」
意味不明なことを呟いた相澤先生は、あろうことか私の胸に顔を埋めてきた。
「ちょっ…相澤先生っ!!」
透けないように一枚上に羽織ったものの、まだノーブラのままだ。
「良かった…お帰り……」
もしかして私……
昔の彼女だとか思われてる?
別れたけどいまだに忘れられずに愛しているとか……?
どうしよう………
このまま強く求められてしまったら…私……
心臓の鼓動が一気に跳ね上がった。
「……俺の……」
「……相澤先生……」
「………イルカ………」
イルカかよっ!
コイツはいつまで寝ぼけてんだっ!!
私は相澤先生の顎を下から思いっきりアッパーカットした。
「悪かったとは思うけどなにもグーで殴ることはねえだろ?」
うるさいっ。
むしろそれだけで済んだことを有難く思え。
……って。なんか当たり前のように私が作った朝ご飯をよそって食べてるんですけど?
なんでこんなにも図々しく振る舞えるのだろうか……
呑気にみそ汁をすすっているのでムカついて睨むと、相澤先生の口元がフワリと緩んだ。
「このみそ汁美味いな。」
不意打ちの笑顔にドキリとしてしまった。
すっごく幸せそうに笑うんだな……
目に焼き付いちゃったかも…まだドキドキしている。
はっ…べ、別にときめいてなんかないしぃ!
うっかりイケメン顔に騙されるところだった。
しっかりするんだ、私の心臓っ。
しばらく泊めてくれと言っていたけどいつまで居る気なのだろうか。
もしかして次の給料日まで居座るつもりなのかな……
まだ10日以上あるんだけど……
隣が火事になるだなんて同情はするし火元の大家さんが入院中で今後の見通しが立たないのも理解出来るが、なるべくなら早く出ていって欲しい。
その為にも冷たく突き放さないと。
台所で手際よくお弁当を作っていたら相澤先生が私のすぐ後ろに立って覗き込んできた。
「な、なんですか相澤先生っ?」
「一個も二個も作るの同じだろ?俺のも作ってくれ。」
「相澤先生いつも出前じゃないですか!」
「金がねえ。」
だからって……こいつ何様?
もっと申し訳なさそうにへりくだれよ!
「それと、びしょ濡れになったスーツをアイロンで乾かしてくれね?学校に着てくものがない。」
だからなんで当然のように私に頼むの?
もっとこびへつらえよ!
「裸で行ったらみんな喜ぶんじゃないですか?」
「マキマキも俺の裸見たいの?」
「ちょっ…なに脱いでるんですかっ!」
「俺今、金ねえし。お礼は体で払うわ。」
「要りませんっ!!」
くっ……結局アイロンしてあげてるし……
どんどん相澤先生のペースにハマってる気がする。
ムっカつく〜っ。
昼休み───────
職員室の相澤先生の机にはいつものギャルグループが群がっていた。
「先生のアパート火事になったんだって?可哀想〜。」
「てめえらに同情されるほど落ちぶれてねえわ。」
文無しがなにを偉そうに言ってんだか。
「住むとこないならうちに来ていいよ?」
「あのなあ…行くと思うか?それに俺は今、彼女の家だ。」
はっ?誰が彼女だって?!
「えーっ!そのお弁当も彼女の手作り?」
「まあな。料理上手なやつなんだ。」
……うん?それはちょっと嬉し……
はっ…べ、別に嬉しくなんかないしぃ!
「先生って本当に彼女いたんだ。がっかり〜。」
「なんだおまえら、いないと思ってたのか?」
「だって〜彼女のこと聞いても教えてくれなかったし〜。」
「簡単に教えるかよ。大体そんなしょうもない嘘付くわけがねぇ……」
弁当箱を開けた相澤先生の顔がコンクリートのように固まった。
お弁当を見たギャル達も一瞬絶句したのだが、お幸せに〜と言って笑いながら去っていった。
白ご飯の上に桜でんぶをハートの形に乗せて、海苔でデカデカとLOVEと描いてやったのだ。
古典的ラブラブ弁当だ。ざまあみろ。
「凄いですね相澤先生。今時そんな愛妻弁当を恥ずかしげもなく食べる人がいるんだ〜。」
思いっきり嫌味ったらしく言ってやった。
「……ああ、羨ましいだろ。帰ったらこれでもかってくらい愛してやらねえとなコノヤロー。」
すっげぇ殺気立った目をしてる。
相澤先生は他の教師から冷やかされながらもお弁当をガッついていた。
午後からの授業にはまだ早いけど…ヤバそうだからもう行こう。
私はそそくさと用意を済まし、職員室をあとにした。
ちょっとやりすぎちゃったかな……
でもギャル達がドン引きしてたから相澤先生にとってはグッジョブだったんじゃない?
「………っとにいい加減にしてよ!」
「それはあんたでしょ?!」
………うん…?
なんか校舎裏から争うような声が聞こえてきた。
普段は人気のない場所なのになんだろうと思い近付いてみると、三人の人影が見えた。
「……菊池君?」
登校初日に私の顔面にボールをぶつけた菊池君と、二人の女子生徒がそこにはいた。
気だるそうな表情をした菊池君を挟んで、なんだかおだやかではない雰囲気だ。
菊地君モテるからな…三角関係のもつれかな……?
「菊池君は私と付き合ってるの!」
「あんたはただの浮気相手!本命は私だからっ!」
女の子二人が今にも掴みかかりそうなくらいの言い合いをしている。
結構な修羅場なんだけど止めに入った方がいいのかな?
いやでも恋愛沙汰は部外者は引っ込んでろって感じだろうし……
どちらを選ぶかは菊池君が決めることであって─────
ずっと退屈そうに二人の間に立っていた菊池君が、抑揚のない声で呟いた。
「俺、どっちとも本気じゃないけど?」
─────────き、菊池ぃ?
そんなこと言って大丈夫なのっ?
女の子達が顔を真っ赤にしてプルプルしながら菊池君のことを睨んでいる。
「私…初めてだったのに……」
「まさか、体だけが目的だったの?!」
どっちにもヤルことはヤってんだ……
最近の高校生の恋愛ってこんなにドロドロしてるの?
昼ドラも真っ青の展開に頭の中は真っ白だ。
「お互い気持ち良かったんだから良くね?てかもう二人とも飽きたから。」
いやいやいやいや菊池ぃ!
菊池君てこんなとんでもない奴だったの?!
そりゃちょっと軽い感じのする男の子だったけど……
おでこのアザを心配そうに覗き込んできた菊池君の顔が浮かんだ。
……優しい子なんだと、思っていたのに……
一人の子が泣きながらこっちに走ってきたので思わず木の影に隠れてしまった。
「私にこんなことしてタダじゃ済まないからねっ!!」
残されたもう一人もそう叫ぶと、菊池君の元から走り去っていった。
これは教師として出ていって菊池君を叱るべきなのだろうか……
女の子の気持ちを弄ぶなんて男としてサイテイだ。
真面目に付き合う気もないのに平気で手を出すなんて、人としてもどうかと思う。
残された菊池君の方を見ると……
そこには
今にも泣き出しそうな顔をした菊池君がいた────
菊池君………?
…………なんで?
酷いことをして彼女達を悲しませたのは菊池君なのに……
なんで菊池君の方が傷付いた顔をしてるの?
なんて声をかけたらいいのかわからない。
私は菊池君に苦手意識を持っていて遠ざけようとしていた。
かける言葉が見つからないのなんて当然だ。
菊池君のこと……
ちゃんと見てあげてなかったんだから──────
「あれ?マキちゃんじゃん。こんなとこでなにやってんの?」
心配そうに覗き込んでくる菊池君と目が合った。
こんなに接近してくるまで全然気付かなかった!!
「もうチャイム鳴ったよ。教室急がなくていいの?」
「き、菊池君こそ!」
慌てすぎて声が裏返ってしまった。
ダメだ…とてもじゃないけど動揺が隠しきれない。
菊池君はクスっと笑うと私の頭をぽんぽんとしてから校舎へと入っていった。
「……菊池君……」
さっきまでのことが全部嘘みたいに
いつもと変わらない…菊池君だった───────
学校帰り、スーパーで買い物をしてから帰った。
二人分なのでいつもより袋が重い……
ご飯の用意をしていると相澤先生が帰ってきた。
「ただいまー。ちょっと洗濯機借りていい?」
「はあ、別に良いですけど……」
びしょ濡れになった部屋から持って来たのだろう、相澤先生は大きな鞄を両手に抱えていた。
Yシャツとかのアイロンがけをまた当然のように頼んでくるんだろうな……
「マキマキ〜この洗剤ってどんだけ入れりゃあいいの?」
分量なんて箱に書いてあるから読めばいいのに……
面倒臭いなあと思いながら洗濯機の置いてある脱衣所まで行くと、裸に腰タオルを一枚巻いただけの相澤先生がいた。
「なんて格好してるんですか?!」
「変えの下着がないんだよ。今日のも昨日から履きっぱなしだったから洗う。」
「下着くらい買えばいいじゃないですか!!」
「金ねえって…なあこれ俺に何回言わすつもり?」
相澤先生、細いくせに意外と筋肉質だ……
首には綺麗な模様のストーンが揺れていた。
細マッチョに裸チョーカーとかエロすぎて目がチカチカする……
「服乾いたらコインランドリーで布団洗ってくるから金貸してくれね?」
この格好で金を要求してくるなんてもはやヒモにしか見えない。
この貧乏人にお金を貸して返ってくるのだろうか……
「なに?また今日も俺と同じ布団で抱きしめられながら寝たいの?」
「寝たいわけあるかあ!!」
顔面に五千円札を叩きつけた。
これ以上私を惑わすようなことをしないで欲しいっ。
今日の菊池君のこと、相澤先生にも報告しといた方が良いのだろうか?
でもデリケートなことだし、担当のクラスの生徒でもないしな……
相澤先生は乾かしたスウェットの上下を着て、台所へと入ってきた。
「唐揚げじゃん。俺大好物っ。」
そう言って揚げ物をしている私の後ろからヒョイとひとつ摘んで口に入れた。
断りもなく勝手にオカズを食べないでもらいたい。
「先にコインランドリーに行って布団回してくるわ。」
「あ、ちょっと待って下さい相澤先生っ。」
洗濯物に付いていた煙の煤だろうか…相澤先生の顔に黒い汚れが付いている。
私はキッチンペーパーを少し湿らせて、汚れを綺麗に拭き取ってあげた。
「はいっこれで大丈…ぶ……」
あれ…私なにやってんだコレ。
私には弟がいるので同じような感覚でやってしまった。
だって相澤先生…勝手につまみ食いとかして子供みたいなんだもん……
「マキマキ…おまえ、なに顔真っ赤にしてんだ?」
「別に深い意味は…なんだか新婚みたいだなって。」
新婚っ?なに言ってんだ私!!
自分が言った言葉にさらに顔が赤くなる……
「ち、違うんですっ!私っ子供の頃から結婚願望が強くて弟とよくおままごとで新婚ごっこをしてたんですっ!」
結婚願望が強いのは真木という名字を早く変えてまともな名前になりたいだけなんだけど……
うわあ…この言い訳はさらに墓穴を掘った気がする……
恥ずかしすぎて相澤先生の顔が見れないっ。
「……新婚ごっこねえ。」
相澤先生は私の首の後ろに手を回すと、自分の方へと引き寄せた。
「例えば出かける際にはこうやって行ってらっしゃいのチュウをするとか?」
えっ……相澤先生……?
相澤先生の形の良い唇が、寸前のところで止まる……
「なあマキマキ。俺これなにやっちゃってんの?」
………それを私に聞く…?
二人の間に気まずい沈黙が流れた。
相澤先生は少し傾けた顔を元に戻すと、すぐ戻ると言って布団を担いで出ていった。
ビックリした……
本当にされちゃうかと思った。
大人になってからはするもんじゃないね。
新婚ごっこ………
相澤先生、遅いなあ……
ご飯をテーブルに並び終えて待っているのに、いつまで経っても相澤先生が帰って来ない。
布団を洗濯機に入れてセットしたらすぐ戻るのだと思っていたけれど、乾くまで待つつもりなのかな?
コインランドリーって盗難が多いって聞くし……
でもそれって女性物の下着とかよね?
電話くらいしてくれてもいいのに。オカズがすっかり冷めちゃったじゃん。
……って。
なんだよこれ。旦那の帰りを待つ新妻かよっ。
新婚とか言っちゃったもんだから変に意識してしまっている。
帰ってきたらお帰りなさいのチュウとか?
んで、ご飯もお風呂も無しに私にする?って……
ダメだ…いろいろ妄想が止まらんっ!
「しっかりするんだ、私の頭っ!」
私は一人で、次から次へと溢れ出す新婚あるあるに頭を抱えて悶絶していた。