偶然か、それとも恋か
一回だけなら、ただのラッキー。
二回あったら、たんなる偶然。
三回続いたら、それはもう故意と呼んでも良くないか?
駅から自宅への帰り道。住宅街の外れに寂れた酒屋が一軒。
店の脇に設置された自動販売機で、お気に入りのジュースを買うのが、
最近の日課になりつつある。
「まただ」
連続三回。自販機の取出口にジュースが一本、忘れられたように残されている。
それも毎回、俺が買おうとしていたやつ。
『微炭酸・濃厚桃シロップ』
桃缶の甘いシロップを炭酸ソーダで割った極甘ジュース。
こんな罰ゲームみたいな代物、他に誰が買うって言うんだ?
もちろん、俺はハマってるんだけどね、この味に。
そんな物好きが、俺の他にも居ないとは言わないけど。
それが三回も続けば、何か意図があるんじゃなか、って勘繰りたくもなる。
こうなったら真相を確かめてやる。……なんて言うと大袈裟だな。
要は俺の前に、誰が自販機に買いに来ているのか、を確認すれば良いだけだ。
ジュースの冷たさからいっても、そんなに時間は経っていない。
それなら自販機へ行く時間を少しだけ早めれば、犯人はきっとやってくる。
……ホント、大袈裟な言い回し。
苦笑しながら、自販機で買った極甘ジュースを手に、家路へと向かう。
さすがに誰かの忘れ物を持ち帰る程、俺は野暮じゃないんでね。
*****
翌日。計画通り早めの電車に乗って家路を急ぐ。
「いた」
さすがに四日連続はないだろう。
特に期待はしていなかったのに、自販機の前に同年代の女の子が立っているのを見て、
咄嗟に傍にあった電信柱に身を隠してしまった。
「何をやってるんだ、俺は。これじゃまるで、ストーカーみたいじゃないか」
小声で呟いてみたけれど、さすがにもう出るに出られない。
彼女が買い終えて去るのを待つしかないか。柱の影からそっと様子を覗いてみる。
買ったばかりのお茶やジュースを袋に詰めながら、手にしたメモと照らし合わせていた。
全て揃ったのだろう。重そうに膨らんだ飲み物の袋と、もう片方の手には数人分はある
だろう弁当の袋をぶら下げて、その場を離れていく。
時間を気にしているのか、随分と慌てていた。
「然もありなん、ってやつだな」
あの荷物と慌て振り。ジュースの一本くらい取り忘れても仕方ない。
連日ってのは、さすがに粗忽者すぎるけど。
彼女がいなくなった自販機まで行ってみると、今日もまた取出口に忘れ物。
取り残された極甘ジュース。
無造作にそれを取り出すと、彼女の向かった方へと歩き出す。
今ならまだ間に合うかも知れない。
荷物を抱えている割には足が速い。急いでいるんだから当然か。
角を曲がった処で、彼女の姿を見失ってしまった。
「ここの住人だったのか」
幽霊じゃあるまいし、突然消える筈がない。周囲を見回して見つけた。
L字型のアパート。二階の外廊下を、彼女が歩いている。
「居場所が判ったからって、どうだって言うんだよ」
あそこまでは追い駆けられない。そこまでしたら、本当にストーカー扱いされそうだ。
敷地入り口に付けられたプレートには『夕凪荘』の文字。
その塀の上に、持っていたジュースを置くと、俺は元の道を戻って家路に向かった。
*****
忘れ物の主が判り、俺はもう興味を無くしていた……つもりだった。
「あっ」
いつもの時間に家路を歩いていると、自販機の前に彼女がいた。
昨日と同じ様に数人分はある弁当の袋を持ち、何本も飲み物を買っている。
そして、俺が発してしまった声に気付いて、こちらを振り向いた。
「ごめんなさい。時間、掛かり過ぎですよね? 良かったら先に……」
いつもの癖で、ジュース分の小銭を掌で弄んでいた。
それを急かしていると勘違いされたらしい。
「良いですよ。別に俺、急いでないですから」
「そうですか? じゃあ、後一本だけなんで」
そう言って投入口にコインを入れると、あの極甘ジュースのボタンを押す。
いつもの忘れ物。
「それ、好きなんですか?」
「えっ?」
「結構甘いでしょ、それ。弁当には合わないと思うけど」
「ですよね。職場でも、よく言われるんです。私は美味しいと思うんだけど」
不躾な俺の問いに、嫌そうな顔もせずに付き合ってくれる。
職場だったのか。道理で弁当の数が多いと思った。
でも、普通のアパートだったよな。
「俺も好きなんですよ、これ」
買い終えた彼女が場所を譲ってくれたので、俺も手にしていたコインを投入する。
彼女と同じ極甘ジュースを選ぶ。
「食事に合いますか?」
「さすがに一緒には飲まないかな。食後のデザート感覚で」
「甘党なんですね」
クスクスと笑う彼女が、意外に可愛かった。
だから、邪な気持ちが芽生えなかったと言ったら嘘になるけど、大半はただの親切心で、
荷物持ちを買って出る。片手に持つには、ジュースの入った袋は相当重い。
「家、あっちですか? 同じ方向なら、荷物、持ちますよ」
「そうですけど。でも……」
「同じ方向なら、って言ったでしょ。横を歩かれてその荷物だと、さすがに気が引ける」
実際には逆方向なんだけどね。ここは乗りかかった船。
と言うよりは、無理矢理乗り込んだ船、かな。
「じゃあ、お願いします。すみません、人数が多いもので」
「職場って言ってたよね。ここら辺、住宅しかなかったと思うけど」
「その角を曲がって処にある夕凪荘ってアパートです。そこに漫画家さんが住んでるの、
知ってますか?」
「漫画家? いや、全然知らない。有名な人?」
「ん~、どうだろう。私は大好きだけど、少女漫画だし。知らないかも」
「少女漫画。なら、確実に知らないな。って事は、君も漫画家志望なの?」
「一応。あっ、でも全然なんですよ。アシスタントとしても役に立たないくらいなんで。
こうして締め切り間際に、雑用でも呼んでもらえるだけ、ありがたいって言うか」
知らなかった。あのアパートには漫画家が住んでいたのか。
そんな情報を仕入れつつ、彼女から受け取った弁当の袋を片手に、他愛もない話を
続ける。距離にしてほんの数メートル。あっと言う間に着いてしまう。
「ありがとうございました」
そう言って頭を下げる彼女を見送って、俺は遠回りをして帰ることにする。
さすがにそこから引き返すのは、バレた時に恥ずかしい。
「今日は忘れなかったな」
目的を達成したような満足感が、俺の中を満たしていく。
*****
初めて会話をしてから数日。
自販機の前で逢って、彼女の職場でもある『夕凪荘』までの道程を歩くのが、
俺の日課になった。
極甘ジュースの感想や漫画家アシスタントの非日常など、取り留めのない笑い話を
続けながら、ほんの束の間の時間を共有する。
そんな楽しい時間も、いずれは終わりを迎える。
アシスタントの仕事が終われば、彼女がここへ来ることもない。
そんな事は判っていた。けど、その時間はもう少し、先の話だった。
「何で?」
呆然と自販機を眺める。
朝はまだ、いつもの自販機だった。幾つか売り切れのランプが点灯していたのを
覚えている。だけど今は……。
「何で煙草の自販機になってるんだよ」
見慣れた銘柄の煙草が並んでいる。いつからここはたばこ屋になったんだ。
そんな理不尽な怒りが湧き上がってくる。
憤慨しながら店を覗くと、カウンターに座る店主と目が合ってしまった。
何だ、人が居るんじゃないか。いつも薄暗いから、誰も居ないのかと思ったのに。
目が合ったのに知らん顔する事も出来ず、つい店内に足を踏み入れてしまった。
「あの、外の自販機……」
店内はまだ酒屋だ。埃を被ってそうな日本酒の瓶が、壁に沿って並べられている。
気不味い思いで口火を切ると、店主からは予想外の答えが返ってきた。
「ああ、あれか。今日でこの店も終わりだからな。撤去を頼んだら、早々に別の会社が
持ち込んできた。手際が良すぎるのも考えもんだな。情緒がなさ過ぎる」
「この店、辞めちゃうんですか?」
「ああ、今日で終いだ。今までずっと付き合ってくれた店だからな。最後にこうして、
酒を酌み交わしてる処だ。まぁ、ヤケ酒ってやつだ」
そう言って飲みかけの缶ビールを振ってみせた。
そうか、この店もなくなっちまうのか。店の前を何度も通っていたけど、実際に入った
のは今回が初めてだ。寂れてる印象しか残ってないけど、閉店してしまうと思うと、
物悲しい気持ちになってくる。何かの終わり、というのは、こういう気分になるんだな。
「はは、ヤケ酒ですか? それなら俺にも一本ください」
「同情なんか要らんぞ」
乾いた笑い声が出た。その声に、店主がムッとした顔をする。
「違いますよ。俺には俺の、ヤケ酒を飲む理由、ってのがあるんです」
「若造が偉そうに」
「良いじゃないですか。誰にでも踏ん切りを付けなきゃいけない時、ってあるでしょ。
完全に逆恨みだけど、全部オヤジさんの所為なんですよ」
「何が俺の所為だ。飲んでもいねーのに絡み酒か。まぁ、良いや、好きにしな。
そんなに飲みたきゃ、勝手に持っていけ」
酒屋も自販機もなくなったら、彼女に逢う機会はない。
八つ当たりなのは判っているけど、ここはやっぱりヤケ酒の一杯くらい、
飲まなきゃやっていられないよ。
カウンターに置かれた缶ビールを一本と、小銭を交換する。
「今日で閉店だ。今更売上なんて気にしてねーよ。持っていけって言ったろ」
俺が出した小銭を、顎で仕舞うようにと促す。
「じゃあ、遠慮なく。店がなくなっても、良い事なんて、またありますよ」
「若造が知った口を利きやがる。それはお互い様だ。ヤケ酒の理由なんざ、その一杯で
流しちまいな」
自分に言い聞かせているつもりなのだろうか。そう吐き捨てると、缶ビールを一気に煽る。
俺は軽く肩を竦めて、店を後にした。
「これも一つの思い出だよな」
店を出た処で、もう一度自販機を眺める。
彼女との仲を取り持ってくれた極甘ジュースは、もうそこにはない。
掌には缶ビール代の小銭。それを徐にコインの投入口へと滑りこませる。
「喫煙の嗜好はないけどね。オヤジさん流に言ったら、情緒ってやつかな」
買ったばかりの煙草を片手に、家路へと向かう。
そう言えば、真っ直ぐ帰るのは久し振りだ。
完(2013.06.23)
*****
お題:
『自販機でよく買うジュースが繋いだ恋』or『はは、ヤケ酒ですか? 』【煙草】