第85話 激情
「……それは本当か?」
重苦しい雰囲気が漂う天桜学園部活棟の会議室に、一条の声が響いた。ルキウスらへと学園生の訃報が報告されていた丁度その頃、教師陣と一条率いる部活連へも報告が行っていたのである。ここ以外にも、校舎にある生徒会室で桜達生徒会への報告も、同時に行われている。
「……はい。」
「どうして戻ってきた!せめて敵だけでも討てよ!」
ある男子生徒が涙ながらに生きて帰った生徒の胸ぐらを掴んで、怒声を上げる。この生徒は犠牲となった男子生徒の部活の先輩で学園がまだ日本にあった頃からその面倒を見ていて、生き残った少年と共にかなり仲良くしていたのだ。それ故、オーク相手に逃げたという事に激怒したのである。
「俺だって討ちたかった!だけどよ……先生に止められたんっすよ!」
生き残った少年は歯を食いしばり、震えながら答えた。
「っ、それでおめおめと戻ってきたってのか!」
「どうしようも無かったんっすよ!あれは……別物だったんだ。」
そうして相手を思い出したのか、男子生徒は震えてしまう。それを見た彼を掴んでいた男子生徒は、彼を放す。そうして、生き残った少年は力なく座ってしまった。
「相手はオークで間違いないんだな?」
震え始めた少年を見て、報告を聞いている最中からずっと目を閉じたままの一条が質問する。
「多分……あってると思います。」
なんとか震える身体を抑えながら、生き残った男子生徒が必死で記憶を呼び起こして答えた。
「そうか……今のお前達だとさすがに荷が重かったか。」
閉じていた眼を薄く開いた一条は、責めるでも無く、単なる事実として呟いた。部下である部活生達が所属するパーティがどのような依頼を受けているのかは、義務として把握する様にリィルにきつく言いつけられていたのである。その為、彼のパーティの実力ではまだオーク相手に戦うのは難しいと知っていた。だから、彼らが逃げた事を良しとしたのだ。
「……すんません。」
涙ながらに一条に謝罪する男子生徒へと、一条が慰めるように肩を叩き、真剣な目で立ち上がらせる。
「いや、いい。気にするな。よく、生きて帰ったな。」
「……はい。」
「おい、誰かこいつを部屋まで連れて行ってやってくれ。」
震える生徒を立たせた一条は、周囲に一緒に報告を聞いていた生徒達へと命ずる。
「はい。」
そう言って女子生徒が訪れていた男子生徒を私室へと連れて行った。そうして、部活連が会議等で使うように与えられた部活棟の会議室に居並んだ生徒達は、黙祷を捧げ、終わった所で居並んだ一人が何処か無感情な声を上げる。
「……どうするんですか?」
それに一条は激情を堪えた眼を静かに、見開いた。
「……敵を討つに決まっている。死んだ生徒は陸上部の一年、俺の後輩だ。この為に、俺と俺のパーティは最も訓練されているんだ。こんな時に仇討ちでもしてやらんと、何の為の力だ。」
「……お供します。」
そうして告げられた一条の言葉は、全員が共通して思っていた事だ。それ故、一人が言っただけでも、全員が用意を開始する。
「すまん……誰か今すぐ職員室へ行って先生達への陽動を頼む。先生やルキウスさんに知られれば止められることは確実だろう。」
彼がずっと報告を聞きながら目を閉じていたのは、これらの策を考える為だ。そうして、一条は矢継ぎ早に指示を与えていく。
「はい。他の生徒にも頼んでみます。」
「ああ、そうしてくれると助かる。」
そうして、最後の指示を出し終えた一条は即座に席を立つ。それにしたがって用意を終えた他の部活生も立ち上がる。
「これは依頼でもなんでもない。ただの復讐だ。興味の無いやつはついてこなくていい。」
その言葉に部活生は誰も態度には出さないものの、いきり立った。
「先輩、なめないでください。俺達全員が怒ってるんですよ?誰も離脱する奴なんていませんよ。」
その言葉に合わせて部活生達は大声を上げる。
「そうか。もはや止めん。作戦は道中で説明する。行くぞ!」
「先輩、俺も行かせてください。」
そう言って入ってきたのは先ほど部屋へ帰ったはずの男子生徒だった。彼は部屋を出た所で崩れ落ち、その後の一条の指示を聞いていたのであった。
「お前は休んでおけ。今はまだ辛いだろう。」
そう言って諭す一条。しかし男子生徒は引かない。
「先輩!あいつは俺の目の前で死んだんです!それに俺は何もしてやれずに逃げるしか出来なかった!せめて敵ぐらいは討ってやらないと、俺は俺が許せないんっすよ!」
無念さに激怒しながら涙を流して訴えかける男子生徒を見て、遂に一条が折れた。
「……わかった。だが、何があっても生還しろ。自らの命を犠牲にしてまで敵を討とうとするな!これは全員への命令だ!」
一条は振り返り、自らと共に戦いに赴こうとする部活生達全員に、大声で命じる。
「おぉおお!」
それに呼応して部活生達のボルテージは一気に高ぶっていく。もはや止める者のいない集団は、一条の策を得て、静かに学園を後にする。
「行くぞ!目標、マクスウェル北西の森!オーク共を根絶やしにしてやれ!」
全員が外に出て学園が少し遠ざかった所で、一条が大声を上げる。そうして、一条らが出陣したのである。
「……そうですか。ご苦労様でした。もう退出して頂いて結構です。」
時を同じくして、男子生徒死亡の報告を受けていた桜が報告を聞き終えてそう言う。
「はぁ、遂に、ですか。明日から荒れそうですね……」
何処か諦めに似た感情を伴った桜の声は、平坦であった。彼女も自身の内側から来る動揺を抑えているため、声に感情が乗らなかったのだ。
「話を聞く限り、油断ね。あれほど気を付けろ、って注意されたのに。」
同じく報告を聞いていた楓がそう評する。彼女の声の中には動揺は無かったが、何処か事務的であった。
「過ぎたことを言ってもしょうが無いでしょう。」
「ええ。先生方も今頃大慌てでしょうね。」
「はぁ……こんな時にカイトくんでも居てくれれば、効果的な対策でも考えてくれるんでしょうけど……」
ため息混じりに桜が呟いた言葉に、楓が漸く小さく笑みを浮かべた。
「大分彼がお気に入りね、桜。まあ、彼、裏工作とかも得意みたいだし。今回の一件なら天音がいいアイディアを出しそうね。ゴブリン討伐系の依頼出したりして。」
「そういうわけではないんですが……」
頬を赤く染めながら言っても無駄である。そんな幼馴染を何時もならば茶化すであろう楓だが、この時は、真剣な顔に戻して口を開いた。
「でも、天音は少し異常ね。あまりにも戦闘慣れしすぎている。それに、裏工作にも躊躇いが無い。」
それは、この二ヶ月で上がった報告に関してだ。戦闘時の補佐に関すること、酒場での飲酒等がバレた場合の隠蔽等、あまりに手慣れ過ぎている様に見えたのだ。
「ええ、有り難くないお話ですが、私達は多少なりとも幼少期から危険に曝され続けて居ますが故、こういった荒事には多少の耐性があります。また、家の事情から裏工作とも付き合いが深いですわ。ですが、彼は聞く所によると、一般家庭で育ったらしいですわね?」
桜と同じパーティであったので、この場にも居た瑞樹が、カイトをそう評する。
「ええ、ソラさん達もそう言っていました。」
三人は、それぞれ別々の事件ではあるのだが、誘拐されかかる、敵対する者から刺客を送り込まれるなどで、殺人での人死にを見ていたので、今回の一件でもそこまでの動揺は無かった。これらの事件は各々の実家によって隠蔽されているが、彼女ら自身の記憶や経験まで消せたわけでは無かった。
「カイトく……さんの場合はどちらかと言うと戦場や裏社会と言うものに慣れている印象がありますね。」
先ほど楓に茶化されたばかりなので、途中で言い直した桜。二人はそれを指摘したい所だが、状況が状況なのでそれをやらないでおいた。
「……彼は昔少年兵や暗殺者だったとでも言うの?」
「それは無いでしょう。」
楓のあまりに有り得ない推論を、即座に否定する桜。瑞樹も同じく否定する。
「ええ。現実的に考えれば彼が人を殺した、ということはありえませんわね。もしそうでも、私達の実家が私達に何も言わない、ということはありえませんわ。」
実際にカイトが少年兵であったのは事実なのだが、それはこの世界での事。如何に地球ならば殆どの機密情報を入手出来る天道家や神宮寺家であろうと、異世界の情報までは入手することは出来ない。
「でも、天音が戦闘に慣れすぎているのも事実。おまけに強すぎるわ。この間の戦闘は見たよね?」
続けて語られた楓の反論に、瑞樹が頷く。そうして思い出すのは、まだ誰もがランクDに上がれていない頃だ。
「……リザード4体程度ならば余裕でしたわね。」
「あの時は周囲に人が居ませんでしたから、私達には気づいていない様子でしたが……。」
楓の言葉を聞いて、桜も当時を思い出す。
偶然カイトとユリィが街の外で話していたのを発見した桜達だが、よく見れば二人はリザード数体に囲まれてしまっていた。二人は気づいていないのか、そのまま話し続けていたので、桜のパーティは大慌てで救援に向かおうとして、それに合わせて声を上げてカイトに注意を促そうとした。
したのだが、それが果たされることは無かった。次の瞬間にカイトが指をスナップさせるや、天空からきっちりリザードの数だけの武具が飛来して、リザード達を串刺しにしたのである。只呆然となる桜達をよそに、二人は場所を変える事にしたのかその場を後にした。後に残ったのは名のある武器と思しき様々な剣や槍で串刺しになったリザードの死体だけであった。
「まるであの時は天音さんは、何かあったのか、もしくは、うざったい、そういうような顔をしていましたわね。横に居たユリィさんもそのまま普通に話していらっしゃったようですし。その後すぐにお二人は街に戻られましたが、あの様子では戦闘があったなどと誰も思わないでしょう。」
「事実、見ていた私達もあそこで戦闘が行われたのか確証は持てません。」
その後、茫然自失の状態から復帰した桜達は、恐る恐るカイトの居た位置に近づいた。すでにリザードの死体は魔素へと還った後で、武器も消失していたのだが、地面には明らかに鋭い物が刺さった跡が残されていた。戦闘があったのは確かである。
「私達の中でリザードを一人で討伐出来る面子がどれだけいる?」
「……今日ソラさんがランクDへ昇格された事を考えても、10人は居ないでしょうね。それも、リザード一体の時に限りますし。」
楓の問い掛けに、桜が指折り数える。そうして、両の指も折りきらぬ内に口を開いた。
「一体天音って何者なの?」
「さぁ……」
生徒会室へと居並んだ面子がカイトの正体に首を傾げ、その不気味とさえ思える圧倒的な戦闘能力を訝しむ中、学園生が大慌てで生徒会室へと入ってきた。
「はぁ……はぁ……い、一条先輩率いる部活生達が北西の森に向かいました!」
息を切らせながら女子生徒が声を荒げる。それを聞いた生徒会室に居並んだ生徒の一人が、ため息混じりに頭を抱えながら、口を開いた。
「お兄ちゃん……また悪い癖が……すいません。兄がご迷惑をお掛けします。」
桜のパーティメンバーの少女が生徒会室で呆然となる桜達へと頭を下げる。少女は一条の実妹で、名を凛と言う。
「悪い癖?」
嫌な予感がしつつも、楓が凛へと問い掛ける。そうして、凛は頭を抱えながら一同へと告げる。
「お兄ちゃんは熱くなりやすいんです。多分、仇討ちでも考えているんじゃないでしょうか。」
「なっ!」
それを聞いた桜と瑞樹は唖然となり、直ぐに立ち上がった。
「今すぐ追いかけましょう!」
「行く必要無いと思うけど。」
そうして立ち上がった二人へと、楓がストップを掛けた。
「多分今頃、ルキウスさんに連絡が行ってるんじゃない?」
「あ、うん。一条さんが出て行ったのを見た人が、すぐに職員室に伝えに行ったから、今頃……」
聞いてみると、生徒会と職員室への連絡は平行して行われたらしい。ルキウスらへの連絡は職員室から行われることになっていた。しかし、職員室への連絡は一条による妨害工作で遅れてしまい、伝わったのはこの10分後であった。
「じゃ、いいんじゃない?」
ほらね、と言うように肩を竦める楓。
「いえ、行きましょう。我々の仲間が勝手に出て行ったが故にルキウスさん方にご迷惑をお掛けするわけには参りません。まだ近くでしょうし、今なら追いつけるはずです。申し訳ないのですが、職員室へ生徒会が止めに向う、とお伝え下さい。」
「え、あ、はい。分かりました。」
この生徒は職員室へ行き、一条による妨害工作を見て、大急ぎでルキウスらへと知らせに行く事になる。
「はぁ……やっぱり行くんだ。」
深窓の令嬢の外見に反して、意外と行動派である幼馴染に少し呆れる楓だが、桜が行くと言っているのに行かない理由は無く、彼女も立ち上がる。
「まあ、いいわ。もし一条先輩が北西の森にまで辿り着いてると戦闘で人手が足りなくなるかもしれないわ。その場合はとりあえず一条先輩を引き止めつつ、ルキウスさん達を待ちましょう。」
「ありがとう、楓ちゃん。」
楓が立ち上がり、一緒に行く事を見て、桜が嬉しそうに礼を言う。この時点で二人は戦闘を考慮しておらず、それどころか自分達が出発した時点でルキウス達が出発している可能性が高いだろうと考えていた。
「いいわよ。それで、瑞樹はどうする?」
「私もご一緒しますわ。ここまで聞いて放って置くのも後味が悪いですし。」
「では、私のパーティと生徒会の面子で向かいましょう。」
瑞樹の反応を見て、更に周囲を見渡して席を立つ桜。それに続いてその場の面子も桜、楓と同じ考えから誰も反対意見を出さず、順次用意して、三人に続く。全員、一応救助しようというポーズは大切か、と考えただけに近い為、誰も本気で戦闘を行うとは考えていなかった。
「今回は我々も初めての夜戦での実戦となります。各自、最大限注意してください。」
とは言え、万が一もあり得ると考えた桜が、念のために全員に注意を促す。そうして、桜率いる生徒会の面子も、一条達部活生から遅れること5分程度で出立したのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
2017年11月20日 追記
・誤表記修正
『閉じていた薄く』となっていた所を『閉じていた目を薄く』と修正しました。
・誤字修正
『正体』が『小隊』になっていた所を修正しました。