第67話 初陣
「で、どこまで歩くんだ?」
ソラの言葉が草が生い茂る草原に響き渡る。もうかれこれ30分程も魔力で強化した脚力で歩き続けていた。既に学園は見えていない。そろそろ、どこへ行くのか教えてもらってもいい頃だ、と思ったらしい。
学園でトーナメントが行われてから一週間後。この日は、遂に実戦訓練が行われる日であった。学園生達の初陣の場所は見晴らしの良く、何かあっても即座に対応が可能な学園近くの草原となった。ここら一帯は出没する魔物が総じて弱い為、多くの冒険者達や公爵軍の軍人たちの初陣も、ここで行われる事が多い。とは言え、全員一緒の日に初陣を行うので、あまり近くにならない様に少し離れた所へと移動していたのだ。
「もうちょっと……かな。さて、ソラも皆も準備は大丈夫かい?」
「今更、何も問題ないって。今日だけでもう3回も準備の確認させられてんだぞ……」
させられてる、とはカイトに、である。自らの初陣の経験を含め、戦いなぞ一切無い彼らの為、口酸っぱく何度も言い聞かせたのである。
「ソラ、相手はゴブリンとはいえ、油断すると死ぬぞ?」
「だから大丈夫だって。」
「そう言っている奴が一番危険なのよ……」
「まったくだ。痛い目みて気付くのが、いつものソラのパターンだな。」
今回実習で一緒になったのは教官役としてアル。生徒にはカイト、ソラ、魅衣、翔の4人が一緒となっていた。このチームだけは近接重視の編成となっている。ちなみに、ティナ、由利と言ったトーナメント上位進出と桜ら優勝候補、トーナメントで実力の高かった生徒はなるべくかぶらない様に設定されていた上、バランスの良い構成にしていた。ルキウスら公爵軍の面々もカイトとソラも分けようとしたのだが、今度はアルが率いるチームに防御に特化した人員がいなくなってしまったので、同一チームに配属されたのだった。
「……もしものときはカイトもフォローお願い。」
そう言ってアルが密かに話しかけてくる。それと同時に遠くで爆炎が上った。何処かの班の始まりを見て、アルも始める事にしたのだ。
「ああ。さすがにこの面子に一人でも欠けられると寝覚めが悪い。」
「まあね……かと言って他の人を見捨てるわけにもいかないから能力別で分けて行ったんだけどね。」
「僕のチームには遠距離居ないけどね。」
「うちはカイトが代役でしょ?」
「まあ、やれるが……。この面子だと必要ないだろう。」
このチームの面子は表向き遠距離皆無というパーティ編成のバランスこそ悪いものの、攻撃力は特化している。攻撃力において一番低い翔であっても、直撃すればゴブリン程度は確実に一撃で倒せるだろう。
「問題はその後の精神面だからな。」
恣意的に生き物を殺すことなど滅多にない日本で生まれ育ち、魔物相手とは言え曲がりなりにも命の遣り取りを行えば精神へのダメージが心配となる。これを最も危惧しているのは、同じく日本出身のカイトであった。
「まあ、オレも初めてはきつかった……。」
「僕は兄さんも姉さんも父さんも居たから精神的に楽だったよ。まあ、それでも当分は肉料理食べられなくなったけど。」
「カイトの場合は私と爺ちゃんの他に何人も居たけど、他は全部職業兵士だったからスパルタに近かったよねー。まあ、その分、姉御がつきっきりで面倒見てくれたけど。」
「仕方がなかったとは言え、訓練なんて一切無しだったからな。即実戦投入って今考えれば良く生きてるな……。」
当時は魔族の侵攻が最も激しい時代で、使える兵士が一人でも欲しかったエンテシア皇国上層部。魔力が当時の平均的な上級士官並という理由だけで、さしたる実践訓練も無しに異世界人たるカイトを実戦に投入したわけである。
まあ、彼らも日本の実情をあまり知らなかった、という事情もあるが、まさかカイトが一切の戦闘経験が無いとは思っていなかった、とは後に聞いた話である。そんな状況下で生き残れたのは奇跡に近い。
「……あれ?今考えればカイトの女癖って爺ちゃん譲りじゃない!?浮気とかで良く怒られてたってアウラも言ってたし!」
「爺さん、かなり女好きで、若い時には永遠のハーレム作るとかで不老不死の研究してたらしいからなぁ……いや、大真面目に。奥さんと結婚してやめたらしいけど。」
「なにそれ。私知らないよ?」
尚、爺ちゃんとは300年前にカイトの保護者となった老賢人ヘルメスのことである。賢人と呼ばれた老人の保護を受けることが出来た事が、良くも悪くも、その後のカイトの運命を決定づけた。
「でも、結局半年ぐらいして私とふたり旅になったんだよね。」
「そこら辺って詳しい事伝わってないんだけど、結局何があったんだい?確か、大賢人ヘルメス様始め、カイトと一緒にいた兵士達が全滅したって事だけが伝わっているんだけど……」
「あれか……端的に言うと、とてつもなく強い堕竜に襲われたんだよ。それで一番弱く、年若のオレとユリィを残して全滅。ああ、意外と思うが、当時はオレが最弱だった。」
当時を思い出して自嘲しているのか、カイトの顔には苦笑いが浮かんでいる。
「総掛かりでやっても負けるのわかってたけど、理由があってね。戦うことになったんだけど……私もカイトを眠らせた隙に総攻撃に参加する予定だったんだけど、爺ちゃんが私にカイトをお願いって言って結局そのまま私も眠らされたんだよね……」
ユリィが悲しげな顔をして、そう呟いた。彼女は、あの戦いを死に場所に定めたのだ。それが、残された。その心情が幾許かは、カイトもついぞ聞かなかった。
「二人して目覚めたら半身が消し炭で死にかけの爺さんと、皆の遺体の一部だけがあったな……ったく、それでよく分かったもんだ。腕だけ、なんてのもあったぞ?せめて顔ぐらい残ってろっての。」
とは言え、あの時は本当に自己嫌悪で死にたくなった、そう呟いたカイト。それでも、総じては悪い思い出では無いらしく、自らを残して散っていった仲間を思い出し、懐かしげな目をしていた。
「その後はまあ、二人で旅に出て、その竜を追ったんだ。」
「俗にいう堕龍退治の話だ。詳しく聞きたいなら、また今度だ。酒でも飲みながらだな。」
「……うん。今は目の前の事に集中だね。」
そう言って顔を上げるアル。先ほどまでの何処かのんびりと雑談としていた彼の眼は、戦士としての確たる意思を宿した物となっていた。
「で、アル。俺らの敵ってどこ?」
三人が立ち止まったことで、ここで戦うと思ったらしいソラが周囲を見渡している。しかし、見渡しの良い草原にはゴブリンなぞいそうになかった。
「もう少し歩いたら見つかると思うよ。」
「フィールド歩いてエンカウントか。シンボルエンカウントじゃないんだ。」
「ランダムエンカウントか。まるっきりゲームそのままだな。」
翔とソラが二人して現代っ子らしい例えをする。当然だが、アルは怪訝な顔をしていた。
「それが何かはわからないけど……まだ見えてないだけで何処でもいるよ。」
そう言った次の瞬間、遠くで先ほどより大きな爆炎が上がる。本日最大の爆炎であった。一度目と離れた場所であったので、別班が戦いを開始したのだろう。
「俺らもさっさと行こうぜ。」
「さっきからずっとここで待機だからなー。ソラじゃないけど、俺も飽きてきた。」
「あんた達、これから実戦っていう感覚ある?」
「まあ、下手に緊張されてパニックになるよりはいいだろう。」
そう言う魅衣にしても緊張感皆無であった。他のチームはそれなりに緊張感のある初陣となったのだが、このチームだけは、緊張感皆無となっていた。歩き始めた一同だが学園の校舎が見えなくなった頃
「さて、お出ましみたいだよ?基本的に僕らは見てるだけだから、皆で協力して倒してもらうよ。油断はしないこと。あ、ユリィちゃんはこっちね。危ないから。」
「うん。じゃあ、私もこっちにいるね。」
目の前に急に現れたのは6体のゴブリン。ソラ達は図鑑や資料、講義で何度も見たことがあった為、驚きは少ない。
「おっしゃ!じゃあ行くぜ、皆!」
そうして、ソラの掛け声と共に、ソラ達の初陣が開始した。
それから数分後。カイトやアル、ユリィの予想通りに、ソラ達は苦戦していた。
「なんで……なんでだよ!なんでこんなにうまくいかねぇんだよ!」
翔は牽制で動きを縫いつけ、試合の時と同じくゴブリンの後ろへ回り込もうとしたのだが、途中で失敗して足がもつれそうになる。彼にとって、練習では一回も無かったミスであった。
「……敵の動きがわかんねぇ。これが、実戦ってやつかよ……。」
「いい加減に倒れなさいよ!」
始めの一体は悠々と倒すことに成功した一同だが、仲間が倒された事に怒ったゴブリン達に気圧されて実力を発揮できないまま、今に至るのであった。
「そこ!」
カイトは今回の初陣で、遊撃を買って出ていた。ピンチに陥るであろう三人を援護するつもりであった。現に今も魅衣の援護を行うべく、魅衣を後ろから攻撃しようとしていたゴブリンへと牽制を仕掛けていた。
「ありがと!……いい加減倒れなさいってばぁ!」
魅衣は涙目になり、半ばやけくそに攻撃し続ける。とは言え、やはり人型の魔物を相手にするのは無意識的に忌避感があり、頭部への攻撃は避けている感があった。やけくそであるが故に、彼女はそれに気付いていなかった。他の二人も似たような物で、カイトの牽制があるにも関わらず、三人の内の誰もゴブリンに致命打を与えられていない。
魅衣と翔は上記の通り、焦り等による失敗や無意識的な忌避感から致命打を与えきれていない。一番マシなソラは防御しようと相手の攻撃をきちんと見ているので、防御こそなんとかなっている。しかし、自分のイメージに身体が追いつかず、そこから先が繋げられていなかった。
「ちぃ!現状でゴブリン倒せてるのってカイトだけかよ!」
「それでも、魅衣を攻撃する隙を付いただけだ!」
今度は翔の背後から攻撃しようとしたゴブリンへと牽制を仕掛ける。
(そろそろきっかけを作るか。これ以上は事故が起こる可能性が高いな。)
そう考えたカイトは武器を短剣から刀へと変更し、ゴブリンが驚いた隙に胴体を横薙ぎに一閃。更にそのまま横合いに蹴りを入れて、上半身だけを吹き飛ばした。
「2体目だ!」
「負けて……られっかよ!こっちだってなぁ!きちんと精神修行とかやってんだよ!」
ソラの咆哮が、草原に木霊する。カイトが二体目を仕留めた事で、何かが吹っ切れたらしい。ソラがゴブリンの攻撃を盾で防いだ勢いに任せてゴブリンのサビた長剣を大きく弾き飛ばし、更にカウンターでゴブリンの身体を袈裟懸けに切り裂いた。そしてどさり、と音を立てて崩れ落ちるゴブリン。対するソラは荒い息を吐いていた。
「はぁ……次!」
そうして、ソラの咆哮をきっかけにして、魅衣達も攻勢に移ることができるようになった。
そうして全てのゴブリンが討伐出来た後、アルを除く一同は肩で息をしていた。各々尻餅ついて座り、翔に至っては大の字になって横たわっている。誰もが疲労困憊、と言った感じである。
「これが……実戦かよ……」
ソラが肩で息をしながら今の戦闘を思い出していた。
「と、とうぶ……当分は……」
魅衣はカタカタと震えながら小声でそう言う。最後の方は何が言いたかったのかわからなかった。即座にうずくまったが、涙が見えたのは気のせいではないだろう。
「……むちゃくちゃ……疲れた……フルマラソン並だ……」
翔は大の字になりながらそう言う。
「皆、お疲れ様。動けるようになるまでは、僕が見張りにつくから、存分に休んでね。」
そう言ってアルは周囲へ簡易結界を生み出す魔導具を使用して安全を確保し、自らが警戒に着いた。ユリィはそれを見届けて、カイトの肩へと腰を下ろす。そうして一同は暫しの間、誰も何も話すこと無く、休むのであった。
「カイト、大丈夫か?」
しばらくして、大分とマシになったらしいソラが、座ったまま何も言わないカイトを気に掛ける。
「ん?ああ。」
「本当に大丈夫そうだな……」
さすがのソラも初陣から平然としているカイトに唖然としている。カイトの方はカイトの方で、ソラに他人を気にかけられるだけの余裕があった事にびっくりで、急いで言い訳を考えていた。
「……いや。そうでもないぞ?」
そう言ってカイトは手の平を水魔法で湿らせソラへ見せる。
「オレだって緊張してるんだよ。」
「……そりゃそうか。すまん……って、やめろ!」
手を見せたカイトがそのまま汗―ではなくただの水―をソラの服で拭こうとしたので、一気にのけぞる。
「お前も大丈夫そうだな。」
「やめろよ!……ありがとよ。」
最後に小声でそう言うソラ。カイトが冗談をやった理由を把握していたのだった。ソラが若干持ち直した事を把握したカイトは、今度は逆に一番ダメージの大きそうな魅衣のフォローに向うことにした。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫なわけないでしょ。」
そう言って涙で濡れた顔を上げる魅衣。
「あんたは大丈夫そうね。」
「まあ、少しはな。少なくとも魅衣よりはましだ。」
「……五月蝿い。」
再び顔を膝にくっつけて震える魅衣。どうやら、相当に怖かったらしい。
「……実戦がこんなに怖いなんて思ってなかった。」
「当たり前だ。誰も経験したことが無かったんだからな。」
「……ねぇ、こんなんでやってけるのかな。」
「さぁな。これからのオレ達次第だろう。」
カイトの言葉に魅衣は少し吹き出す。
「そこは、大丈夫だっていうところじゃないの?」
「……そうか。次からは気をつける。」
その様子に更に笑みを浮かべる魅衣。そしてカイトへ顔を押し付けて、顔が見えない様にする。
「……ゴメン。少しだけ、このままでお願い。」
そう言ってカイトに顔を押し付けたまま、小さく声を上げて泣き始める。しょうがないので、カイトはそのままにさせることにした。カイトとてこの状況で突き放す様な鬼畜ではない。
(本当ならこのまま翔の様子を確認したかったんだがな……)
そう言ってカイトは翔の方を見ると、大の字になったまま、動きそうにない。おまけに一言も発しない。カイトが少し不審に思い、横で滞空しているユリィと顔を見合わせる。すると、同じように不審に思ったらしいソラが翔へと声を掛けた。
「おい、翔。」
だが、反応がない。今度はカイトと二人で顔を見合わせるソラ。カイトは指で魅衣を指して動けない事を示すと、ソラもそれを理解して翔の元へと歩いて行った。
「おい、翔。だいじょ……うぶだな。」
上から翔の顔を見下ろしたソラは翔の様子を見てがっくりと肩を落とした。カイトはソラの様子に眉を潜めたのだがソラが顔を上げて答えを言った。
「こいつ……寝てやがる。」
「は?」
「完全に熟睡してやがる。」
「……寝かせといてやれ。」
「……ああ。」
ほっと一安心したソラが、翔のすぐ近くに再び腰を下ろした。翔は初陣の疲れから大の字になり、寝入ってしまったらしい。
「ある意味、翔も大物かも。」
その様子を見ていた魅衣がボソっと呟いた一言にソラとカイトは思わず笑いを堪える。
「こいつが……?大物って感じか?」
「……ソラも似たようなものだろ。初日の天竜とかな。」
「うるせ、今更あの時の話すんな。」
「なに?初日の話って。」
それを切っ掛けとしてカイトが転移初日のソラの話をして、一頻り笑い合う。そうして、なんとか数時間後には、歩ける程度には持ち直したのであった。
お読み頂き有難う御座いました。