第549話 幕間
当たり前ではあるのだが、竜騎士レースは皇国の北側を使った大規模なレースだ。それ故、時として、思わぬ出来事を引き起こす事がある。それは当然だが、竜騎士達の戦いに触発されて、だ。が、それは誰にも気付かれぬまま、事態はゆっくりと、進行していた。
「何だ……? 森が妙に騒がしい……?」
エンテシア砦から僅かに東。カーム山脈の麓にある森に入った地元の猟師が、森の異変を嗅ぎとって、耳を澄ませる。彼はこの道20年以上で、この森にはよく分け入っていた獣人の猟師だった。それ故、この森の事は熟知していた。
「……竜騎士レースはさっき竜達が通った後……騒がしいのは、その影響か? にしちゃあ、ちょっと後に引いている気もするが……」
当たり前だが、彼とて竜騎士レースの存在は知っている。今日狩りに入っていたのだって、お祭りが予想以上で肉が足りなくなりそうだから、と酔っ払ってた彼に酒の駄賃をネタに馴染みの酒場の店主が命じたからだ。となると、少々時間が経過していても森が騒がしいのは当然だろう、と考えるのも、無理は無かった。
「まあ、それしかねえか。今年は例年以上に混戦だったからな。こりゃ、早めに帰った方が良いな」
元々酔っ払っている所に大急ぎで狩りに行け、と命じられたから来ただけだ。今日は仲間の猟師達は誰も森に入っていない。彼としても、他が飲んでいるのに森に長居するつもりは毛頭ない。だが、酒の肴が無いのは困る。だから来ただけだ。となると、森の事を考えても早めに帰るのが吉、だった。
「取れたのは……鳥が二匹、イノシシが一匹……ん?」
森が騒がしいしさっさと帰るか、と思っていた彼は、とりあえず釣果を確認していると、どうやら血の匂いに引き寄せられたらしい更なる獲物がやってきた事に気付いて、顔に笑みを浮かべる。やってきたのは、それなりに大きな熊だ。
「ふっ!」
彼は獣人としての身体能力を活かして一瞬で熊との距離を詰めると、そのまま手持ちの武器で一瞬で熊に肉薄して、魔術を展開する。地球であれば鉄砲でも無ければ難しい熊の狩猟も、魔術があればこんな物、だった。
「良し。こんなだけあれば、文句ねえ」
難なく熊を仕留めた猟師は、満足気に頷く。そうして、森の異変は殆ど見過ごされたままに、夜は更けていくのだった。
翌日朝。夕食会に参加した全員が出た後、カイトは当然の様に試合に出る為の用意を進めていた。まあ、カイトだけでなく、他の選手達も同じだったのだが。
「良し。問題無いな。アラン。今日も頼むぞ」
ぽふぽふ、とアランを撫ぜながら、カイトは空を見上げる。今日も相変わらずの晴天で、絶好のお祭り日和、だった。時刻はまだ朝の9時頃。自分の出発までにはまだ後4時間はあった。
アランの調子にしても、悪くはない。昨日の戦いではカイトが前に出る選手をかなり抑えたおかげで、アランにはそこまで疲労がたまる事が無かったのだ。それでも確かに100キロを全力疾走した事による疲労はあるのでベストコンディションでは無いが、二日目という事を加味すれば、ベストと言えただろう。
「今日も、第一走者か。まあ、大した事はするつもりもないが……」
「あ、居た。カイト殿。すいません、少々よろしいですか?」
「ん? ああ、確かアルマテルマ殿だったか……どうされました?」
鞍の位置等を最後の確認をしていたカイトへと、後ろから声が掛けられる。それに振り向けば、後ろに居たのはシアとは別に貴族達に対する密偵達を統率する女性だった。カイトの正体は相変わらず国家機密で、上層部のみが知らされている事だ。それ故、トップ直々に、というわけなのだろう。
「その、ですね……」
「……はぁ。分かった。ちょっとぶっ飛ばすから、少し待ってろ」
「申し訳ありません」
おずおずと告げられた内容に、カイトがため息混じりに了承を示すと、アルマテルマが申し訳なさそうに頭を下げる。カイトの所に寄せられた内容は、ちょっと強い魔物が皇都付近に出たので対処してくれないか、という事だった。
軍はお祭りの警備に忙しく、かと言ってこの状況で大々的に動かすと観客達に要らない不安を与えかねないという治安上の理由だった。
まあ、カイトにしてもこのお祭りの主催者だ。協力するのは当然なので、試合前ではあったが出る事にしたのであった。そうして、カイトは少し急ぎ足でその場を係員に任せると、幾人かの皇帝レオンハルトから与えられた人員と共に、ちょっと強力な魔物の討伐に出掛けるのだった。
カイトは順番が変わらなかったが、当然、順番が入れ替わった者も居る。それは当然だが、前日の第二走者と第三走者の二人だ。
とは言え、これまた当たり前だが今度のコースは前日とは逆転している為、瑞樹とユリィはゴール地点が出発地となっていた。これはその移動の最中、飛空艇の中での話だった。
『と、言うわけだよ』
「ああ、なるほど。そういう事ですのね……ん?」
ユリィから告げられた言葉に、瑞樹は首を傾げる。何を告げられていたのか、というと、<<竜迅速>>等の竜専用の補助魔術について、と言うところか。昨日あまりに速かったのを見て、思わず瑞樹が空いた時間を利用して問い掛けていたのである。
ちなみに、飛空艇は流石に全員相乗りでの移動だったのだが、ユリィは英雄ということで特例的に上等な個室が与えられていた為、口調はいつも通りの口調だ。
「なら何故、誰も使われないんですの?」
『ああ、それ? 簡単だよ。だって竜ってあんまり魔術効かないでしょ?』
瑞樹の質問を受けて、ユリィが笑って解説を続ける。瑞樹の疑問は<<竜迅速>>等の術式を聞いた者ならば当然に出る疑問だった。
それは彼女が言うとおり、何故誰も使わないのか、という事だ。使えれば便利なのだ。なのに、何故か、誰も使っていない。疑問に思うのは当然だった。だが、それに対する答えも、ある種当然ではあった。
『竜ってさ……幾ら幼くても、幾ら弱くても、やっぱり最強系統の魔物、なんだよね。基本スペックはかなり高い。強靭な鱗や革、羽毛で覆われた身体の物理防御能力は当然だし、魔術防御能力も当然の様に高い。だからどれだけ頑張っても、魔術の効きは悪い。竜革は未加工でも超有用な防具の原材料になるし、竜鱗は言うまでもなく、有用な鎧や盾の材料になる。竜の爪や牙を使った武器、なんてのもかなり上等な武器の一種としてあげられるよね?』
「そうですわね。未だに、一条会頭はそれ、ですものね」
ユリィの問いかけを、瑞樹も認める。今でも瞬の防具は、かつてソラが追われていた地竜の革を使った軽装備――正確に言えば地竜の革に加えて魔法銀を少し使った物――がメインだ。
それ以外にも、彼の様に軽装備をメインとする者、例えば翔であれば、この地竜の革をなめした物を使った上着を使っている。それは竜の革を使った防具は軽くて強靱であるのに、魔術耐性が強いからだ。彼にとっても最も適当な防具、と言えるだろう。
それ故、彼は今後も竜系統の素材を使った防具を使う事が多くなる事は、誰からも予想出来た。他にも、盾持ちの生徒なら、あの時収集した竜の鱗を使った盾を使っている者も少なくはない。
これは現状ではそれ以上に良い防具が無いから、としか言いようが無い。あの地竜のランクはC程度で、十二分に今の冒険部に見合った素材足り得たのである。というわけで、今は使っては居ないが竜の牙や爪等は今でも冒険部で保管していたりする。
『でもさ、それってつまりは、竜達はそれを常日頃から使っている様な物、なんだよね。ということは、天竜や地竜達には攻撃が効きにくい、という事でもあるわけ。で、竜達と私達は意思を通わせる事は難しい。そして当たり前だけど、何時も何時でも愛竜に乗れるわけじゃない。<<竜迅速>>にせよなんにせよ、本来は戦闘用だからね。怪我をしたり、という事は十二分にありえる』
ユリィは更に続けて、実情を語る。<<竜迅速>>等竜達の補助をする魔術は、本来は戦闘用に開発された魔術だ。
例えば如何にして高速で戦場を駆け抜けるのか、という事が、<<竜迅速>>の開発理由だ。ユリィが言うことは時代背景を考えれば、至極当然の事だった。
『当たり前だけど、何時も何時でも同じ人が同じ竜に乗れるわけじゃない。なら、どうしても乗り手は信用出来ない存在だ、って思って大抵の魔術は竜達が拒絶するわけなんだよね。となると、生半可な魔術だと、簡単に無効化されちゃうわけ。竜達にきちんと安全だ、と分かる様な魔術を開発しないといけない、わけなんだけど……これは当然、難しい。なにせ人では無い者に対して安全だ、と思わせながら、それ相応の力を発揮出来ないといけないわけだからね』
「ああ、なるほど……」
説明されてみれば、確かに道理ではあった。当たり前だが、シエラとクルーガーの様に完璧な信頼関係が築けるのは、長い時を一緒に過ごしたから、等の理由が大きい。
当然であるが、野生の動物達から一瞬で信頼を得られる、ということはあり得ない。それは魔物であっても一緒だ。瑞樹でさえ、まだレイアに完璧に信頼されているとは言い難い。シエラとその愛竜であるクルーガーでようやく、絶対の信頼関係がある、と言えるぐらいだろう。
『当たり前だけど、私達が誰からでも補助魔術を受け入れるのは、本能が危機感を抱いても理性がそれを安全な術式だ、と理解しているから。そうでない状況の魔物に、それを理解させることは難しいからね。それに、当然だけど魔物と人は違う。僅かに効用なんかも狂ってくるから、それ専用の魔術、なわけ。難しいのは当然だね』
「奥が深いですわね」
ユリィが解説した内容を聞いて、瑞樹が感心したように頷く。専門的な技術、なのだ。そもそも難しいのは当然で、そして対象が対象であるが故に、かなり強力な力が要る。となると、普通に並の選手では、いや、並の軍人や冒険者でさえ出来る事は無いだろう。
この大会の有力選手の一人であろうシエラでさえ出来ないのは道理だ。彼女は実力としてはランクCの冒険者にも匹敵しているわけではあるが、やはりその程度だ。その程度では、この系統の最下級さえ修める事は出来ない。それが、竜という生き物だった。
『実力的に言えば、キリエでもまだ無理、かな。キリエで今丁度ランクCの上層くらい。それでも、まだ無理。あれはかなり繊細な魔術だから……まあ、瑞樹も結構厳しいかな』
「あ、あはは……繊細さは私の領分ではございませんものね……」
ユリィからの一言に、瑞樹は苦笑するしか出来ない。大火力の彼女の持ち味とこの分野は正反対に位置している、と言えるのだ。これは仕方が無いだろう。
『まあ、出来るとすれば桜、ぐらいかなぁ……それでも持続性なんかを考えれば、まだもう少し鍛錬は必要かな。次点は……多分、魅衣。彼女が次に出来る、可能性があるかな。ソラはまあ、言うまでもないけど無理だね。竜殺しの力が相殺しちゃって、多分まともに展開出来ないんじゃないかな』
ユリィは少し悩みながら、瑞樹に推測を告げる。大火力を持ち味としている瑞樹に対して、桜は繊細な技量を持ち味としている。それ故、誰よりも困難な技術が出来るわけであるが、瑞樹とは違い魔力の保有量としては、冒険部上層部の中では平均的ではある。
スタミナ重視のソラより下、魅衣と同程度、由利よりも少し上、という所で、ずっと使えるわけでは無いのであった。
『まあ、学びたいなら、やっぱりナダルのおっちゃんに言うべき、かな。私達も全員彼から教わったわけだしね』
「そうですわね。何時までもがさつな女、というのもいただけませんし……そうしますわ」
ユリィのアドバイスを受けて、瑞樹が頷く。念のためにいうが、別に彼女ががさつな女、ということは無い。ただ単に冒険者の力量の関係で、という事で、そう自らを揶揄しているだけだ。こうして、こちらはいくつかのアドバイスをもらいながら、移動を行うのだった。
二人がゴール地点を出発点としたのなら、皐月は一度も来た事が無い場所を、出発点としていた。それはカームと言われるマクダウェル領のお隣さんの街だ。そこに彼女は到着して、興味深げに周囲を見回していた。
「ねえ、カイト。ここから南にも行けるみたいなんだけど……何があるわけ?」
『ああ、カームから南、か。そりゃ、当然だが天領だ。山の中にかなりでかいトンネルがあって、そこを通ってエンテシア砦へと移動出来るわけだな』
「そんなのあるの? じゃあ、なんでわざわざ南西に移動して、山越えなんてやってるわけ?」
トンネルがあるのならそこを通れば良いだけでは無いか、と思った皐月だが、まあ、それは無理だろう。ということで、幾人かの軍人達と共にちょっと強力な魔物の討伐に出向いているカイトがそれを指摘する。ちなみに、カイトは余裕そうに喋っているが、現実としては戦闘中である。
『お前はトンネルの中で<<竜の息吹>>使う気か?』
「あ……やばいわね、それ」
『だろう?』
皐月の引きつった答えに、カイトも笑いながら同意する。当たり前だが、トンネルの中だ。もし万が一<<竜の息吹>>がトンネルの壁に激突すれば、と考えれば、恐ろしくて使えるはずが無かった。と言うか、それ以前に戦闘も難しい。
『オレのマクスウェルがあそこにあるのは、このトンネルを死守する為の最後の砦、という所か。あの大戦期。実はあのトンネルは先代魔王軍に奪取されているんだよな。あそこをとられると、魔族領から一直線に皇都まで軍を輸送出来てしまう。かと言って、トンネルの最も近くのそこは立地上、大軍を配置するには適さない。要所は要所だが、土地の関係で食料の確保が難しいからな。大軍は置けないんだ』
カイトはため息混じりに、立地上の条件から語る。当たり前だが、直進出来る、ということは大した妨害もなく、皇都に攻撃を仕掛けられる事になってしまうのだ。
ちなみにいうが、一応、出た先にもエンテシア砦があるにはある。だが、叛逆大戦の時にほぼ完璧に崩壊してしまった事により、砦としての機能は殆ど失われてしまっていたのだ。大戦後は皇都を首都に定めた上、当時の魔族達は内紛真っ盛り。その魔族が纏まるとは思わず、砦ではなく街として発展してしまったのであった。事実、当時の魔族の血の気の多さを考えれば、イクスフォスとユスティーツィアの娘で、親譲りの技術力と人柄、人望を持つティナで無ければ無理だっただろう。
一応念のためにカームより北を幾人かの忠臣達が抑えていたが、その程度だ。魔族による組織立った侵攻は考えていなかった。それ故、もはや砦に皇都を守り切れるだけの力が無かったのだ。
おまけに、カーム山脈さえ超えてしまえば、後は皇都まで遮る物が何も無い。砦を迂回する事は容易だったのである。
となると、どうしても大軍を輸送出来る程の道があり、大規模な補給基地となり得るマクスウェルこそが、最後の防衛線となってしまうのであった。
『まあ、それでもなんとかウィルの爺さんが取り戻したわけなんだが……逆にそれが失敗だった。先代魔王にトンネルを再奪取されて完全に包囲され、総攻撃を受けて壊滅、だったそうだ。幼い頃だったが、その時の事はよく覚えている、とウィルが言っていたよ。更に、トンネルの再奪取は敢えてこちらに引き込む為だったのだろう、ともな』
カイトは何処か遠くを見る様に、昔の話を行う。当たり前だが、そんなトンネルだ。破壊してしまえ、と思うかもしれないが、それも難しかった。
そのトンネルはマルス帝国の時代に作られた物で、かなり強固な素材が使われていたのだ。更には、かなり長い上に、ティナの技術のほぼ全てを手に入れた上に力量としても少し下程度のティステニアの技術力を持ってすれば、簡単に修復が可能だったからだ。
簡単にいえば、ちょっと弱いティナを相手にしている様な物だったのだ。苦労して破壊した所で、自分達が攻めこむ手段を失うだけで、敵にはなんの痛痒ももたらさないのである。
「ふーん……で、さっきからどっかんどっかん、と何か鳴ってるけど、何?」
『あ、皇都から出て今戦闘中』
「ちょっと! 大丈夫なわけ!?」
平然と返って来た答えに、皐月が大いに驚く。声が平然としまくっていた。ちなみに、大丈夫なのか、というのは試合に間に合うのか、という意味で大丈夫なのか、という意味で、戦闘は大丈夫なのか、と言う意味では無い。
『ああ、大丈夫大丈夫。ランクAぐらいの魔物だから。最悪間に合いそうになかったら転移術でチョチョイのチョイ、と間に合わせる』
「そ」
それもそうか、と思った皐月は、一気に興味を消失させる。討伐してくれさえすれば、カイトは問題が無い、と思ったのだ。それにカイトは手加減していても問題はない。なにせ本来はユリィよりも遥かに速いのだ。それを考えれば、当然だろう。
「じゃあ、こっちはのんびり待ってるわね」
『はいはい。と、そういうわけで、てめえは消えろ』
そこで、再びどん、という音が響く。おそらくカイトが何か大技を使ったのだろう。こうして、帰り道もカイトは皐月と話しながら、試合会場へと戻っていくのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第550話『レース再開』