第540話 竜騎士レース ――前夜祭――
疾走順の通達から、数日後。その日、カイトは大笑いしていた。
「あはっ! あはははは!」
場所はギルドホームの屋上だ。そんな見晴らしの良い場所から、カイトは一人、街を見下ろしていた。別に何かが面白いわけでもない。ただただ、見えていた光景に大笑いしていたのだ。だが、彼にとって、目の前の街の光景こそ、大笑いに足りる物だった。
「見てるか、ルクス! 見てるか、ウィル! 見てるか、おっさん! すっげえぞ! これが、これこそが、オレ達の目指した街だ!」
「はぁ……見てるから、もう少し静かにしろ」
どうやら大声に引き寄せられたのだろう。そんなカイトに呆れながら、ウィルがカイトの横に顕現する。そしてその後ろにはルクスやバランタインも一緒だった。
カイトが見ていたのは、眼下に広がる街並みだ。それは当然だがギルドホームである以上、マクスウェルの町並みのはずだ。だが、それは何時もと異なっていた。
今日は、マクスウェル4大祭と言われる竜騎士レースの前日で、前夜祭の日だった。今日から数日は、冒険部は完全休業だった。それ故、カイトは朝早くからこんな場所で大笑いしていたのである。
「そういえば……僕らが街に帰って来たのは300年ぶりだったっけ? ここまで大きくなるなんてね」
「まあ、祭りってのもあるんだろうよ。あー……こりゃ、ウルカの方の香辛料だな……腹減った……」
カイトと同じく眼下に広がる街並みを見下ろしながら、ルクスとバランタインが懐かしげに自分たちの見知らぬ自分達の街を観察する。
街はまだ朝早くの段階から出店が街のそこら中で展開され、そして遠くかららしい冒険者や観光客が大量に出歩いていた。これを見れば明らかに平和だ、というのが見て取れた。
ここは、かつては戦争に最も近く、そして今は戦争から最も遠い場所だ。それ故、冷戦の真っ只中だというのに、ここまで大々的なお祭りとなっていたのである。
「第一、貴様がやったわけじゃないだろう」
「わかってるさ……すげえな……これ……」
ウィルから指摘されて、カイトが狂騒を鎮める。とは言え、そんな感慨はウィルもバランタインも思っていた様だ。
「……なあ……これって、誰でも楽しめるんだよな……」
「当たり前だろ? そういう風に、オレ達がルールを作ったんだから」
バランタインの何処か嬉しそうな声に、カイトが笑いながらそれを当たり前、と告げる。それに、バランタインが笑みを浮かべる。彼が見ていたのは、楽しそうに出店を回る子供達だ。それを見て、奴隷として悲惨な戦いの日々を送っていた自身の過去を思い出したのだ。
「ここにゃ、奴隷は居ない……誰もが楽しめるお祭り……もう、誰も見下されなくていいんだよな……」
奴隷であった彼には、奴隷である証が刻まれていた。それは消しようのない証で、彼が奴隷である事から逃れられない烙印だった。彼はそれを隠す為に刺青を入れて隠していたが、それでも、奴隷である事は良く見れば簡単に理解出来た。
当たり前だが、奴隷を全て解放したから、と言ってもそれで全てが終わりというわけではない。どう足掻いても数百年の歴史の中に根付いた民間の感情は完全に拭い切れない。どうしてもどこかに隔意が存在してしまうのだ。
そしてこれはどれだけカイト達が頑張っても、消せる事ではないのだ。こればかりは、時が解決するしか無かった。
そうして、それを聞いて、クズハが口を開く。カイトの狂騒の報告を聞いて、何事か、とアウラと共にこちらにやってきたのだ。
「長い、長い日々でした。皆さんが亡くなって、250年……もうそんなに時間が経つのですね……」
「それが、こうやってまた、皆で集まれるなんてね」
「俺達は死んでいるがな」
クズハの言葉にルクスが笑い、ウィルがその言葉に訂正を入れる。そうして、その言葉の後に、カイトはクズハに歩いて行き、その頭を撫でた。
「よくやった、クズハ」
「……はい、お兄様」
かつてを同じく嬉しそうに、クズハは自らの頭を撫でる眼下に広がる光景は、彼女が自分達から受け継いだ物を必死で今にまで繋いできた結果だった。
確かにアウラもその一人であるが、彼女の方はずっと、この案件に掛り切りなのだ。MVPとして讃えられるとすれば、彼女の方だった。
そしてそれはアウラの方にも文句は無かった。だからこそ、羨ましそうにしていながらも、何も言うことは無かった。
「……出て来てはくれない、か」
「? なんのこと?」
カイトが呟いた言葉に、アウラが首を傾げる。それに、カイトが少し照れた様に苦笑した。
「姉貴や爺さん。出て来てくれないかな、と思ったんだが……拒否られた。爺さんは若い者同士で話しておけ、姉貴はあたし関係ない、って所だろうさ」
カイトとしては、彼らが救った命が今の自分で、そしてその生命がクズハを救い、そしてその縁で結ばれた結果がこの街だ。それを見てもらいたかったのだが、どうやら彼らが遠慮したらしい。そうして、一息会話を行った所で、折角だから、とカイトが切り出した。
「それで……どうする? 折角だから、見て回るか?」
「金は貴様持ちか?」
「僕ら払うお金無いしね」
「よっしゃ。んじゃあ、久々に全員で繰り出すか」
「あ、カイト。じゃあ、ルシアにも声かけてよ」
「あいあい。まあ、お前が呼びゃ、来てくれるだろ」
折角集まったのだ。このまま帰るのもなんか、ということで、一同は300年ぶりに自分達の街の冷やかしを決定する。そうして、一同は更にアウラを交えて、街の冷やかしを始める事にする。が、ここで予想外の問題が起きた。ひょっこりと地面からいきなり首が生えたのだ。
「あれ? マスター。お客さんですか? 受け付け誰も通りせんでしたけど」
「うぎゃあ! く、首がは、生えた!?」
「ふぁ!? え、っと、ルシア! 聖書持ってない!?」
「あ、ありません! というか、カイト! 除霊!」
当たり前だが、普通は生首が生えてくれば誰もがびっくり仰天する。それは英雄と呼ばれようとも、至極当たり前の事だ。
というわけで、バランタインが思わず腰を抜かし、ルクスが仰け反って妻に聖書をねだる。そしてそんな夫の言葉にルシアが一瞬ポケットの内側を探すも無かった為、大急ぎで除霊能力を持つカイトに言葉を告げる。が、その必要は無かった。当然だが、生首はシロエの物だったからだ。
「ん、ああ、ウチの従業員だ。安心しろ」
「き、貴様の身内には碌なのが居ないのか……」
心臓を押さえながら、ウィルがカイトに恨みがましい視線を送る。ちなみに、彼もその身内の、それも身内筆頭メンバーに入っているのだが、驚いた所為でそれは失念していたらしい。
「気にすんなよ、皇帝がんな細かいこと……それと、別に幽霊じゃないから、聖書とか無駄……つーか、シロエって宗教信仰してんのか?」
「よいしょっと……あ、宗教ですか? してませんよ? ウチ、代々無宗教です。ということで、聖書とか効かないと思います」
すぽっ、と抜けるように屋根からシロエが抜け出すと、カイトの問いたい事を理解して、先に答える。まあ、聖書そのものにそんな力は無い。と言うか、単なる本に除霊能力が備わっているとすると、それはもはや聖書ではなく魔道書の類だ。
「で、お客さんですか?」
「まあ、んなとこ。で、何のようだ?」
「あ、新しい娘が生まれたので、ご報告です。まあ、まだしゃべれないんですけどね」
シロエの言葉に応じて、彼女のポケットから小さな女の子が顔を出す。それは愛らしい少女だったのだが、彼女はにこにこと笑うだけで何か言葉を発する事は無かった。
付喪神が成長した結果、身体を持てる程度にまで成長したのである。ここらの原理は地球の付喪神と同じ原理だった。
魔力とは意思の力なり。それ故、想いの篭った物には残留思念の様に魔力が宿り、それをまるでコアの様にして、生命が生まれる事がある。それが、付喪神の生まれる原理だった。
喋れないのはまだそこまで完全に魂の構築が出来きっていないからだった。これが完全に魂の構築が出来ると、普通の人として生活出来る様になる。そうすれば、後はカイトが手を回して、マクスウェルの住人として暮らせる様にするだけだった。
「よう、新しい住人さん。これからも頼むな」
自らになついてくれる付喪神の少女に対して、カイトも戯れながら楽しげに言葉を掛ける。冒険部の中で最も彼らを大切にしてくれているのがカイトだと理解しているらしく、それ故、付喪神達もカイトには非常に友好的だった。そうしてその少女の頭を最後に一度撫でると、再びシロエに預ける。
「いろいろな世話はお前に任せる。じゃあ、後は頼んだ」
「はい、マスター」
名残惜しそうに手を振る付喪神に手を振りながら、カイト達は屋上から飛び降りる。流石にギルドホーム内部を見ず知らずの相手と一緒に通るわけにもいかない。そうして、カイト達はそのまま祭りの中へと、繰り出していくのだった。
そうして繰り出した街で、ウィルにとって印象深い出会いがあった。
「……は?」
「……ほへ?」
「……?」
出会ったのは、全員美少女だが、あまり似ていない三姉妹だ。三人共、カイトと一緒に居た同年代の若者達と一人の剃髪のおっさんを見て、目を瞬かせていた。ちなみに、全員浴衣――バランタインのみ似合うので作務衣――だった。
「よう、アンリ。久しぶり。そういや天桜から戻ってきたのか」
「は、はぁ……確かに、そうですの……」
浴衣を着てリンゴ飴食べながらのカイトの問いかけに、アンリが混乱しながらもそれを認める。彼女は天桜学園への留学側に入っていた為、カイトとは魔導学園で遭遇していなかった。まあ、表向きは皇女直々に体験する、という事だが、実情としては体育で勝手に覗かれても面倒なので、という所だった。
流石に学校もお祭りなのに勉強しろ、とも言えないし、そもそも魔導学園からも生徒が出場するのだ。地元のお祭りなのだから、とこちらに協賛させる事にしていた。
というわけで、出店の中には魔導学園の学生達が主体となって出している出店もあったりする。ここらは、幾ら異世界といっても創設者が地球人なので、地球の学生と大差は無い。
ちなみに、ここぞとばかりに天桜学園からも出店を出していたりしている。そうして、ようやく我を取り戻したシアがカイトに問いかけた。
「……誰、と聞いたら確実に不敬罪よね」
天桜学園の出店で買った焼きそばを食べつつ呑気に観光していたウィルを見て、シアがカイトに問いかける。言うまでも無く彼女の祖先が、ウィルだ。知らないとは口が裂けても言えない。
「ああ……すまないな……食べながらで……ふむ……やはり出店は……こういう雑多な料理が一番良いな」
「だろ?」
「いやー……綿菓子作るの苦労したよ。だってカイトの説明適当なんだもんね」
「んなの言われてもな。わたがしって砂糖突っ込んで温めて割り箸ぶん回して終わり、としか普通のガキにゃわかんねーよ」
片やリンゴ飴を舐める勇者、片や並んでわたがしを食べるカップルを見て、シア達の混乱が極地に達する。が、その一方の英雄達と言えば、呑気な会話を続けているだけだ。
というわけで、笑いながらふてくされたカイトに対して、夫と同じくわたがしを食べながら片手に団扇を持ち、ルシアが少し口を尖らせた。ルクスはああいいつつ、一番苦労したのは彼女だったりする。
「そもそも……上白糖とザラメの違いぐらいは認識しておいてください」
「いや、それはしてた。が、まさかザラメ使ってるとは思わなかっただけ」
「そもそもざらめだってウチの母ちゃんが真似した結果だしな」
剃髪の頭にお面をかぶり、お好み焼きを食べながらバランタインが笑いながらカイトに告げる。いろいろと地球発祥のお菓子も持ち込んだカイトなのであるが、当然当時は中学生だ。それ故、いろいろと間違った知識もあったわけだった。
「……で、なんで居るの?」
「……いや、まあ、なんとなく?」
「……としか言いようが無いよね」
「ああ……む……先とソースの味が違うな……こだわっているな」
シアの問いかけを受けたカイトの問いかけを受けて、はむ、とわたがしを食べたルクスと、焼きそばとの交換でバランタインから手に入れたお好み焼きを食べていたウィルが同意する。
「で、お前らは久しぶりに姉妹で散策か?」
「え、あ、はい……」
偉大と言われる祖先の前ではメルがどう言えば良いのか困惑しながらも、それを認める。シアはシアで公爵家の内部の取りまとめの為の準備に忙しいし、メルはメルで最近になり魔導機の関連の仕事が本格化したので忙しい。アンリはアンリでそもそも学校だ。
滅多に三人揃って、ということが無い為、こういう機会なのでたまさか三人で一緒に散策するか、となったわけだ。幸いにしてシアもメルも武芸者としても一流だ。小夜ら護衛も居るには居るが、基本的にナンパ等も気にする必要が無かった。
と、そんな混乱する子孫達に一切興味を持たず、バランタイン――忘れられがちだが、彼の子孫が皇帝レオンハルトの祖母――が出店の一つに興味を抱いた。
「……お? ありゃ、なんだ?」
「射的、か……俺達の時代には無かったな」
「ああ、魔銃が普及してきたんで、それに合わせて空気銃が作られる様になって、出店で出回る様になったんだと。空気銃なら構造が簡単だからな」
バランタインの視線の先にあったのは、射的場だった。それは地球の物と同じく空気銃ではあるのだが、一部構造に風魔術を刻んだ魔石を使用して構造を簡素化し、軽い弾を発射する物だった。そうして、それを言われて、バランタインが口角を上げる。どうやら興味を持ったらしい。
「ほう……」
「やるか?」
「じゃあ、一番腕が悪かった奴が驕りで……って、全部カイト持ちだった」
「ちょっと待て。俺も参加する……」
どうやら興味を抱いたのは、バランタインだけではないらしい。ルクスが笑い、更にはウィルが大慌てで残っていた焼きそばをかっ食らう。貴族としてお上品では無いが、そもそもこの間柄の中で気にする奴は居ない。そんな子供っぽい祖先の様子に、シア達が何か言いたそうな顔をしていた。
「まあ、こんなモンだ。所詮オレ達なんてな。英雄なんてーのは、他人が抱く幻想だ。所詮オレ達も等しく人の子。てめえらと同じ親が居て、そっから生まれてんだ。普通にハメを外して遊びもする。じゃな」
困惑する三人に対して、カイトが笑いかけながら歩き始めた一同に従う。カイトの言う通り、結局は彼らも、人の子だ。それ故、彼らだって普通に遊びもするのだ。それに困惑している彼女らの方が可怪しい。そうして、カイト達は心ゆくまで、お祭りに参加することになるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第541話『竜騎士レース』
2016年9月25日 追記
・誤用修正
『卑下』を使っている部分を『見下す』に変更しました。