第537話 騎竜と姫騎士
天竜を捕獲してから、一週間。あの後は殆ど何事も無く、時は流れた。そうして、ついに瑞樹の愛竜となる天竜が一応の調教を終えて、冒険部の飼育スペースを慣らす訓練に入ることになる。
「レイア、ストップ!」
冒険部ギルドホーム上にて、瑞樹の声が響く。それに合わせて、赤色の天竜が上空を速度を落として、停止する。レイア、それが、捕獲された赤い天竜の名前だった。
結局有名所から貰い受けようとしたのだが、有名所を古龍達が押さえていた上に赤い竜なのでグライアから貰い受けようとしても、流石に皇国の国母から貰うのはどうかな、と思って彼女自身で考えたのである。
まあ、数日後に由来を問われてそう告げると、別に気にしなくて良い、とカイトとグライアから笑いながら言われたが、もう遅かった。日本人的な遠慮は瑞樹も持ち合わせているのであった。
「よく出来ましたわ。では、ダウン」
上空で滞空するレイアの背中を、瑞樹が撫ぜる。それに、レイアが少し嬉しそうに喉を鳴らした。一週間みっちりと訓練したおかげで、瑞樹を主と認めたのである。そうして、瑞樹の指示に従って、ゆっくりと降下を始める。
とは言え、基本的に背中に乗れたのはカイトとナダル、そして彼女だけだった。一応無闇矢鱈に攻撃をしない様な最低限の調教が終わっただけで、ここら一帯の長である日向・伊勢の主であるカイトと、熟練の調教師であるナダルを除けば、基本的に主と認めている瑞樹以外には気を許さないのであった。
誰もが安心して乗れる様になるのは、まだもう少し調教が進んでからだろう。まあ、カイトも一週間でそこまでは望んでいない。そもそも幾らナダルが凄腕だろうとも、少なくとも1ヶ月は欲しい所だった。
ちなみに、調教とはナダルが主体となって行ったので、瑞樹が何をしたのか、と言われるとただ単に一緒に生活しただけだ。騎手が調教師も出来るのであれば、専門の調教師なぞ要らないだろう。
「うぉー……すっげー……」
「やはり竜騎士というのは心惹かれるな」
そんな瑞樹とレイアの様子を、ソラと瞬が見ていた。瞬は今日も今日とて旭姫の特訓を受ける為に来ており、ソラは元々ギルドホームでの待機組だ。
それ以外にも今日は土曜日という事で学校は休みで、瞬以外にも桜や学校に帰っていた者達もこちらに戻って来ていた。というわけで、二人以外にも多くの生徒や冒険部所属の冒険者達がレイアを見に来ていた。
が、そんな中に居た一人であるソラに気付くと、レイアが少しだけ、警戒する。彼の中の相反する力の片方、つまり竜殺しとしての力に気付いて、本能的に警戒していたのだ。
「レイア、大丈夫ですわよ。あれは安全な人ですわ」
警戒感を滲ませるレイアに対して、瑞樹が背中を撫でて落ち着かせる。基本的に、竜種も他のペットと大差ない。他の動物よりも遥かに賢く、力がとてつもなく強いだけだ。
ということで、実は扱いとしても他の愛玩動物達と殆ど変わりがない。なので実は竜種の調教というのも訓練内容が竜種用に幾らか変わっただけで、殆ど犬などの調教と大差が無かったりする。が、それ故に、喉を鳴らして警戒されたソラはかなりのショックを受けていた。
「お、俺が悪いってわかっても……ショ、ショックだ……」
「あ、あはは……」
ずーん、と落ち込んで膝を屈したソラを、周囲の由利や少年少女達が苦笑する。今の彼の魔力が無自覚的に竜殺しの力を帯びている事は周知の事実なので、誰もが仕方が無いと同情していたのである。
「普段は竜殺しの力って言われると憧れるんだけど……」
「なんか、竜騎士になれない、って言われると、結構……要らない様な気もするよね」
最近になり冒険部に入った地元の冒険者達が、ソラの様子を見て少し悩ましげな顔をする。基本的に、やはり彼らにとって竜とは強さの象徴であり、畏怖の象徴でもあった。
それ故に竜種の単独討伐――特にランクB以上の竜種――は冒険者達にとって目標点の一つであり、竜殺しの力とは冒険者達にとって垂涎の的だ。そういうわけで実は、龍の力と竜殺しの力を兼ね備えたソラは新しく入った冒険者達から、かなりの羨望と憧れを受けていたりする。
だが、ここで厄介なのは、その竜殺しの力の特性だ。竜殺しは竜殺しであるが故に、竜に対しては多大な警戒を抱かれる。こればかりは仕方が無い。
つまり、竜殺し側か竜側に何らかの対策を施さないとほぼ確実に竜の背中には乗れないのだ。カイトが椿に授けた大剣<<断龍牙>>の元となった大剣を封じたのも、自らへの影響と同時に日向が怯えるからが大きい。となれば必然、冒険者としてもう一つの憧れに近い竜騎士の様に竜の背中に乗る、という事はできなくなってしまうのであった。
「ちくせう……なんで俺の産土神は素盞鳴尊なんだ……」
「思い切り喜んでたくせにー……」
「いや、まあ、そうっちゃそうなんだけどよ……竜に乗れないって結構ショックでかい……」
少し呆れた様に苦笑する由利の言葉に、ソラが照れた様にようやく顔を上げて、そして再び少し落ち込んだ様子で答える。竜が来るとあって一番興奮したのは彼だ。それ故に、それが無理とわかって一番ショックだったのも、彼なのであった。
と、そんな会話をしていると、人混みを掻き分けてナダルがやってきた。一足先に冒険部のギルドホームにやって来てレイアの飼育スペースの最終調整を行ってくれていたのである。
「おーう、嬢ちゃん。こっち、用意整えてやったぞ」
「ありがとうございます、ナダルさん」
瑞樹の礼に、ナダルがどうでも良さげに首を振り、そして大凡の現状を彼女に伝えた。
「良いって良いって。これも調教師として必要なこった。まあ、流石に150年程前の飼育スペースだからいろいろとガタが来てるか、と思ったが……まあ、聞けばあの幽霊の嬢ちゃん達が掃除とかしてくれてたそうじゃねえか。おかげで殆どガタが来てねえ。ちょいと修理が必要な部分いじってやったら、今でも現役だ。そっちはもうちょい小僧がやってるから、すぐに終わるだろうぜ。魔帝様も手伝ってるみたいだしな」
「ああ、それでカイトさんもティナさんもいらっしゃらないわけですのね」
こういう場だ。必然一番始めに居るだろうカイトとティナの姿を見渡した瑞樹であったのだが、それが見付からなかったのだ。だが理由を聞けば、どうやらナダルにこき使われていただけのようだ。
それに、瑞樹が微笑みを浮かべる。冒険部と公爵家という二つの意味で長であるカイトなのに、どうにもこうにも使われる側の様な気がしたのである。まあ、事実なのだが。そうして、そんな会話をしていると、カイト達がやってきた。
「終わった。これで使えるぞ。暴れても問題無いし、最悪はボタン一つで拘束術式が展開する」
「だ、そうだ。嬢ちゃん、入れてやれ。で、出来たら戻ってこい。無理なら大声で俺を呼べ」
「はい。レイア、ゴー」
ナダルの言葉を聞いて、瑞樹は一つ頷くと、冒険部ギルドホームの敷地内を飛ぶではなく、レイアを歩かせていく。
そうして暫くレイアを歩かせると、竜種の一時停泊所から飼育小屋へと改良された少し大きめの小屋が見えてきた。造りは魔鉱石製で、学園の飼育小屋よりも上等だった。元が高級ホテルということで、学園よりも高級な素材が使われているのであった。
「にしても……まさか、ここを先に使うなんて……思ってもいませんでしたわね」
真新しい内装を見て、瑞樹が微笑む。当たり前だが改築されて以降、使うのはこれが初めてだ。そして瑞樹としてもカイトから冒険部ではこの施設を使うのが最後になるだろう事を聞かされていた。それ故、当初のカイトや自分達のプランから大幅に変化している現状を見て、思わず笑みが浮かんだのだ。
「レイア。ここが、新しい貴方の家ですわ。もうしばらくすれば、貴方の仲間もたくさん来ますわよ。それまでは、少々さみしいかもしれませんが、我慢なさいな」
瑞樹はレイアの背中を撫ぜながら、レイアに言葉を送る。真新しい、ということは裏を返せば、使用感が無い、という事だ。それ故、ここにはまだ誰の気配も無かった。
が、そんな所に、一匹というべきか一人と言うべきか、小さな蒼い竜が入ってくる。言うまでも無く、日向だった。
『みずき』
「は?」
響いた声に、瑞樹が首を傾げる。彼女は日向と伊勢の事を知らず、それ故、この声が日向の物だと分からない。なので周囲をキョロキョロと見回して、首を傾げるだけだった。が、それに日向がまるで自分の存在を主張するように、瑞樹の顔の前に移動する。
「あら、日向では無いですの? お仲間と見て、来てくださったんですの?」
『ん』
「……は?」
響いた少女の声に、瑞樹がようやく状況を理解する。そうして固まった瑞樹だったが、そこに更に状況を混乱させる一人というか一匹の少女がやってきた。こちらも言うまでも無く、伊勢だった。そして伊勢が入り口で日向に怒鳴った。
「ひゅうが! その姿で単独行動はダメ、ってごしゅじんさま言ってるでしょ! あと、置いて行かないで!」
「……あ、忘れてた」
「……はい?」
目の前で少女の姿になった日向を見て、瑞樹が目を丸くする。天竜がしゃべるという不可思議な現象だけでも混乱していたというのに、それが更に深まったのだ。そんな混乱する瑞樹を他所に、日向がレイアの頭をぽむぽむ、と叩く。
どうやらレイアの方は日向がここら一体の大ボスだと認識しているらしく、どこか怯えては居たものの、それでも少し気持ちよさそうだった。
「名前は?」
ぽむぽむと頭を撫でる様に叩いていた伊勢だったが、そうしてまるでレイアに問い掛ける様に名前を尋ねる。いや、まあ、正真正銘レイアに問い掛けていたのであるが、それを自分の事だと勘違いした瑞樹が口を開こうとした所で、その前にレイアが短く喉を鳴らした。
「レイア……そっか。いい名前ですね」
こちらは優しく撫でるようにしていた伊勢の言葉に、瑞樹がぎょっとなる。カイトから聞いていたのか、とも思うが、今の流れからだと、明らかにレイアの言葉が理解出来ていた様な感じだったのだ。と、そんな所に、ユリィの声が響いた。
「おーい、日向ー、伊勢ー」
「ユリィー。こっちー」
ユリィの声に気付いて、日向が飼育小屋から顔を出してふわふわと二人の名前を呼びながらそこら辺を飛んでいたユリィを手招きする。
「あ、いたいた……カイトー! 日向と伊勢発見したー!」
「おーう!」
どうやらカイトも二人の事を探していた様だ。そうしてすぐに、カイトとユリィが飼育小屋へとやってきた。そうして、カイトが呆れ気味に日向と伊勢の二人に苦言を呈した。
「全く……単独行動はし過ぎるなよ? お前らまだ人間生活には慣れてないだろ?」
「あ……ごめんなさい、ごしゅじんさま……」
しょんぼりとした様子の二人だが、カイトとしてもそこまで怒るつもりは無い。なにせ今の彼女らは確かに賢くはあるが、同時に子供並の好奇心と行動力を持ちあわせてもいる。
更におまけに言えば、カイトからの認識は二人共可愛いペットと言うか妹というか、という扱いである。基本身内に激アマのカイトなのだが、特にこの二人の扱いは甘かった。まあ、公爵家の上層部は二人がペット時代の記憶があるが故に全員そうなのだが。
「でだ……まあ、良いんだが……? どうした、瑞樹」
「あの……そちらの女の子は?」
「ああ、日向と伊勢。詳しくはわからん。取り敢えず、皇都の研究者達もデータの解析中だし、ティナとミースも完全に混乱状態。何故こうなってるのか、についてはもう解析結果待ちだろう」
よじよじと日向に登られつつも、カイトは瑞樹の疑問に答える。瑞樹にしても目の前で日向が女の子に変わるのを見ている為、それに何も言えない。そうして、そんな説明をしている内に、日向がカイトの肩にまで登り終えた。
「到着」
「はぁ……ん? あ! 思い出した! 日向! お前またリンゴくすねたな!?」
「あ……」
カイトの言葉に日向が口を開けて、同時に小型の竜形態に変わって飛び立つ。が、そうして逃げようとした所で、その前に狼形態に变化した伊勢にしっぽを噛まれて、逃走を阻止された。
何故カイトが唐突に思い出したのか、というと理由は簡単だ。再び日向からリンゴの甘い香りが香ってきたからだ。そもそも日向が単独行動をしていたのは、カイトから逃げていた為だったのである。
『ダメです!』
『んぎゃ!……ごめんなさい』
「はぁ……まあ、説教は後にしておくか……取り敢えず、ちょうど良いわ。日向も伊勢も、レイアの言葉って聞けないのか?」
「聞けます」
「うん」
カイトの問いかけに、人型に戻った日向と伊勢が頷く。これはどうやらカイトも想定内だったらしく、それに対してはあまり驚いた様子を見せなかった。
「じゃあ、お前らが何時もやってる小型化のあの奇妙な魔術。教えてやる事って、出来ないのか? あれが教えられると、いろいろと楽になる」
「……わかりません。あれは単に私達も殆ど無意識でやっていることだから……日向は?」
「わかんない」
伊勢から水を向けられて、日向も首を振る。ちなみに、同様に人型と獣・竜形態への变化も彼女らの意思一つらしい。
意思一つとは言え、龍族や高位の獣人族と同じく何らかの力――こちらは解析済みで、人為的に同じ事を起こす事も可能――を使っているのだ、とは事のあらましを知る全員が考えている。竜種と狼型の魔物という全く異なった種族が成し得ている以上、そこには必ず、何らかの理論があるはず、だった。
だが、その何らかの理論がティナ達という最高の頭脳を以ってしても理解出来ず、サンプルを増やす為にレイアに教える事が出来ないのか、と問いかけてみたのである。
「そうか。わかった。サンキュ。せめて小型化だけでも理論化出来れば、と思ったんだがなぁ……まあ、どちらにせよ長い話になるか」
「そうですのね……少し残念ですわね」
カイトの言葉を聞いて、瑞樹が少しだけ残念そうに告げる。小型化出来れば、部屋で飼育する事も難しくは無くなる。基本的に竜の餌は回復薬で良いのだ。更にそのおかげで排泄物も無く、部屋を荒らす事はあっても汚す事も殆ど無い。そうなればレイアに寂しい思いをさせなくて済むと思っての言葉だった。
「あ、じゃあ。当分は私がここに居る」
「……じゃあ、私もここに居ます。良いですか、ごしゅじんさま?」
「はぁ……どうせ勝手に居座るだろ? 好きにしとけ」
日向の言葉を受けて、自らもそうしようと考えたらしい伊勢がカイトに問い掛けると、それを受けて、カイトがその言葉を認める。この一週間はカイトと緒に寮生活だったのだが、元々公爵邸に居る事になっているのだ。何か問題は無かった。
「そうですか。では、おねがいしますね」
そんな日向と伊勢の心遣いを受けて、瑞樹が微笑んで頭を下げる。そう言っても実際にここに居るのは誰もいなくなった時だけだ。何時も一緒、というわけではない。
「まあ、それは良いか。じゃあ、ナダルの爺さん呼んできて、部屋での躾を学んでくれ」
「あ……そういえばすっかり忘れていましたわね。すいません、大急ぎで呼んできますわ。その間、レイアをお願いしてもよろしいですか?」
「ああ、行って来い」
カイトの言葉を聞いて、瑞樹が頭を下げ、そしてそのまま少し駆け足で、結果を待つナダルの下へと、向かっていくのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第538話『竜騎士達』