第529話 名医
本日は21時から断章を投稿していきます。そちらもよろしくお願い致します。それに合わせて毎週土曜日のソートも復活です。
帰って来たリーシャの授業だが、カイトというお目付け役が来た事で、これまでには無い至極平和な授業が行われていた。いや、まあ、それは何時もよりも至極平和、というだけに過ぎないのだが。
「えーっと……霊峰の水が100グラム……」
カイトは教科書を見ながら、薬品の調合を行っていく。が、それでもどうしても気になるのは、目の前のリーシャだ。ふと目を上げると、彼女もまた、何かの調合を行っていた。
「カイト、視線下げて下げて」
視線を前に向けたカイトに気付いて、マークが注意を告げる。これはこの授業の基本だった。基本的に、リーシャを見てはいけないのである。
何時もはその服装からダメだ、と言われるのだが、今日は少し違う。どうやら見られる事そのものにリーシャは興奮するらしく、ぴくんぴくんと興奮し始めるのである。
何の薬品を作っているかわからないが、少なくとも、彼女が作っているのだ。何らかの秘薬に類する物なのだろう事は察せられる。そんな物を失敗されるとどうなるのかは考えたくもない。特にカイトは自らの薬だろう、と予想出来たのでミスは困る。
「おっと……」
「まあ、見たくなるのはわからないでも無いですけどね……」
視線を下げたカイトに、シエラも苦笑する。とは言え、それはそうだ。なにせ誰が見ても、リーシャの調合は単純に言って、美しかった。というのも、まさに流れるような手つき、という例え言葉が良く似合う手際だった。しかも、まさに職人、という手際なのだ。
「えーっと……これを、このぐらい。こっちは、このぐらい」
リーシャは天秤を使うことはしない。完全に目分量と、指先の感覚だけだ。だが、それはある種、薬品の調合という外的要因に左右されやすい事においては正解だった。
当たり前だが、幾ら気温や湿度の変化を幾分抑えられるよう工夫された地下室といえども、人の出入りがある以上、そしてリーシャも体調が変化する以上、寸分違わず同じ状況で調合出来るはずがない。
となれば、超繊細な調合においては、リーシャクラスになれば天秤などの秤は邪魔だった。レシピ化された方法を使っても確かに調合出来るのだろうが、それはあくまで、『均一な』レシピ通りの薬が出来るだけだ。その状況で最適な方法で、その患者にあった『最高の』薬が出来るわけでは無い。彼女もまた、ティナと同じく量産が出来ないワンオフでの薬品の調合に長けているのであった。
「んー……」
「……尻がむず痒い」
「んー……」
彼女が手を止めるのは、カイトを見る時だけだ。それ以外には、一切手を止める事が無い。彼女の調合は目分量や指先の感覚だけに頼っているにも関わらず、悩むことが無い。というわけで、やはりこの薬品はカイトの為の物なのだろう。
「……相変わらず、この調合シーンだけはマジの美少女なんだよな……」
自らの調合をしながら、リーシャから降り注ぐ視線に背筋を凍らせる。が、同時に黒いローブを翻らせながら、まるで踊るようにピンク色の髪が移動する姿は、どんな舞踏よりも洗練された物であった。それだけは、カイトも素直に認められた。
これが何時もなら、と誰もが思うが、これはあくまで医者として患者に対応する時だけだ。おまけに彼女は基本的に多数の患者は診ない。患者一人一人にあった薬を考えて薬品を調合する事になるため、そこまでキャパシティが無いからだ。そしてその合った調合というのも、長期的に患者を診る事で考えている。
つまり、彼女の特性上大量の患者を抱える事が出来ないのだ。というわけで、彼女の時間は大半が頭の中で薬品についてを考えているか、趣味に走っているかだけだ。人の役に立つか迷惑が掛かるか、という二択しかなかったのである。
「あ、そこ、調合時間少し長めでお願いします。今日は少し湿っぽいので、その薬草は元々水っけを含んでいました。水に浸す時間を少し長めにしておかないと、薬剤が滲み出ません」
「あ、はい」
リーシャの指示を受けて、生徒の一人が少しだけ長めに浸す時間を取る事にする。手を止めること無く、リーシャはその日の状況と薬草の状況を見抜いていた。
しかもこの言葉を聞けば、彼女は学生達が使っている薬草の一つ一つを把握している様子だった。ちなみに、彼女は薬草に触っても居ないので、ツヤ等を見ただけで見抜いたのであった。
「ふんふーん」
鼻歌を歌いながら、所々で生徒達に指示をしつつ、リーシャはなんらかの薬品を調合していく。それはまさに一種の芸術とも言える腕前だった。
基本的には昔ながらの薬品の調合だ。当たり前だが煮込んで煮詰めて冷まして抽出して、というのを考えると時間はどうやって効率化を進めたとしても、1時間では終わらない。そしてそもそもで薬品の調合をやっているのが生徒達である以上、効率化というのも難しい。
そうして、2時間程。午後全てを使った調合の授業が終わりを迎える者が出て来た。その一番は、当たり前だがカイトだった。彼は冒険者として3年以上の経験を積んでいる上、戦争も経験している。手伝いの為にこの程度の簡単な調合はリーシャの横で学んでいたのである。
「……出来ました」
「……はい、合格です」
カイトの調合結果を目視で確認し、リーシャが合格を下す。まあ、彼女が教えた調合技術だ。カイトが忘れているとも思えなかったので、確認は殆どあくまで一応授業なので確認した、という程度だった。そうして作った回復薬を持って帰って来たカイトに、マークが驚きを露わにした。
「はやっ……冒険者、ってそんな事もするの?」
「まあ、一応軍から薬学の講習も受けたからな。それに、万が一はサバイバルだからな……簡単な回復薬の調合方法は覚えたよ」
基本的には、魔力を豊富に含んだ薬草を煮詰めて薬効を抽出して、という方法が回復薬というか飲み薬タイプの魔法薬の製造方法だ。それは最高級の『エリクシル』や『霊薬』でも殆ど変わりはない。
添加する材料や抽出時間、抽出方法等に変わりはあるが、基本は一緒だ。それ故、カイトもここで学ぶ程度の回復薬の調合方法は冒険部に必修として覚えさせていた。
低品質であれば薬草はエネシア大陸の至る所に自生しているし、簡単な調合器具は何処へ行くにも全員に持たせるようにしている。いざという場合に備えさせておいたのだった。
「まあ、それ以外でも今も時々調合の手伝いはしてるからな」
「……人手不足で?」
「そういうこと」
マークの問いかけを受けて、カイトが苦笑する。調合の授業が一週間に一度だけのマーク達とそれをほぼ毎日の様にやっているカイト達だ。練習した期間がマーク達の方が長かろうとも、練度も違うし、本気度も違う。カイトの方が上手いのは彼らからしても当然だった。
「そういや、お前らこれどうするんだ? 作った所で使い道あるのか?」
「……んー……僕らもまあ、時々怪我はするから、その時に使ってるかな」
使った道具を洗っている最中のカイトの問いかけを受けて、マークが少し天井を見上げて答えた。当たり前だが、協同スペースには台所があるので調理はするし、何かの訓練を行えば大怪我はしないまでも怪我はする。そんな時に使っているのだろう。
ちなみに、調合中によそ見、というのは本来はダメなのだが、現在の彼の工程は温めた薬剤を冷ます段階だった。これが最後の工程なので、ここまで問題なくできていれば大して問題の無い工程だったし、ここまで問題がない事を確認しているリーシャからも指摘は飛ばなかった。
「あ、出来た。じゃあ、これを最後は小瓶に入れて……はい、出来上がり。じゃあ、提出してくるね」
「あいよ」
自然冷却が終了して小瓶に入れられる温度にまでなった事を確認したマークが小瓶に薬品を流し込んで、リーシャに確認を依頼する。
こうして、リーシャの授業はカイトというお目付け役のおかげで、この講義の開講以来初めて、誰もが安心して授業を行えたのだった。
そうして、全員の調合が終了した後。案の定、カイトは逃げ出す前に待ったを掛けられた。
「あ、カイトさん。ハル先生には伝えておきましたので、この後残ってください。お薬処方します」
「ぐ……はい」
こうなるだろうな、とは理解していた為、カイトはほんの僅かに顔を顰めるだけでそれを受け入れる事にする。
「薬? 何処か悪いの?」
「さあな。何か見たんだろ? なにせ勇者様の主治医だ。見抜けない症状でもあったのかもな。まあ、そういってもウチの主治医も勇者様の主治医だ。そんな大した症状でも無いだろうさ」
何処か心配そうなマークであったが、カイトはそれに適当に流す事にする。
「はい、じゃあ皆さんは帰って良いです。と言うか、これから診察に入りますので、残らないでください」
誰もがカイトを指名しての居残りに気になりはしたが、流石に診察だ。邪魔をするわけにもいかないので、少し急ぎ足に教室を後にする。
それにこの後はホームルームだけだと言っても、移動がある。急がないとそれに間に合わない。なので3分程でカイトとリーシャを除いた全員が地下室からいなくなる。
「また、無茶をしましたね?」
「……はぁ……やはり見抜くか」
全員が出払ったのと同時に、リーシャが先程まで調合していた薬品をカイトの前に差し出す。どうやらやはりカイトの想像通り、彼用の薬だったらしい。そうして、彼女は授業中に見抜いたカイトの診断結果を告げる。
「……左と右で感覚にズレが生じています。目測で5.5ミリ。精査はしていませんが、左手の方が反応が鈍いはずです」
「……御見逸れする。頼むから、黙っていてくれよ。バレると怒られる」
ため息混じりにカイトはリーシャの見立ての正確さに脱帽し、降参する。これが、リーシャが名医と言われる理由で、ミースがなんだかんだ言いつつも専門の施設で検査をさせない理由だった。
こんな普通は検査だけでも数日掛かるような超精密な見立てをたった数時間見ていただけでやってのけるのだ。おまけに、その見立てはどんな検査機関よりも遥かに優れている。
しかも、その後必要と思われる薬の調合まで彼女一人でやってのけるのだ。ミースでさえ、リーシャが居る以上、何も言う必要が無かったのである。
「なら、我儘言わずに私の所に来てください」
「……性格治せばな」
自らの依頼にリーシャが告げた言葉に、カイトが少し口を尖らせる。あのヘンタイ的な性格さえなければ、カイトは彼女の所に足繁く通っただろう。なにせ美少女医師だ。ミースと同じく通わない理由がない。
そうして、カイトは差し出された透明な薬品を口に含む。味は何処か爽やかで、飲みやすい様に工夫されていた。カイトがあまり苦い薬が得意でない事を受けての味付けだった。
こういった事が出来るのも、ワンオフで薬を考える彼女だからこそだ。大量生産では無い為、風味を付けて、飲みやすく工夫されていたのである。これもまた、彼女が名医と言われる理由の一つだ。そうして、一気に飲み干した所で、カイトが両手を握って、感覚を確認する。
「ああ……身体が元に戻った様な感覚だ」
特異な身体を抱えるカイトだ。それ故、普通は起こりえない事が、カイトには起こり得た。そしてその理由は彼女も教えられている。そうしなければ、まともな調合は出来ない。
「おっし……試してみるか」
体の感覚が変わった事を自覚したカイトは、久しぶりに基礎中の基礎である、単なる魔力の操作を試してみる事にする。そうして、幾つもの複雑で繊細な形を魔力で作り上げていく。
「……ん、絶好調。使う出力もう少し上げて良いかな」
「却下です。カイト様は無茶をし過ぎる傾向があります。本気を出すと、本当に身体がバラバラになりますよ? そうでなくとも、使い物にはならなくなります。許容は3割。所詮今の身体は貴方様の物。幾ら使える出力を3割に制限していようとも、紙飛行機です。本来何時はじけ飛んでも不思議ではない身体、とご自愛ください」
「はぁ……けが人は辛いな」
カイトの言葉を、リーリャは主治医として却下する。それに、カイトは少し不満気だったが、受け入れるしかない。バラバラになることは無いので単なる脅しではあったのだが、それでもまたリーシャのお世話になる事は確実だ。それに彼女の指摘の大半が事実だ。流石に折角治してもらってそれでは申し訳がない。
「本来ならば、私も地球にお伴すべきでしたが……」
「言うな。どんな状況かわかっていなかった以上、ティナで精一杯だった……まあ、これで当分は問題無いか」
カイトは苦笑気味に、リーシャの申し訳無さそうな顔に首を振る。わかってはいるのだ。本来、カイトは地球に帰ってはいけないのだ。だが、状況から仕方がなかった。
「無茶をなさらなければ、です。本来は生きていられない身体だ、というのを本当にご理解してください。と言うより、医学的には貴方はけが人ではなく、死人です。せめて100年。治癒を待つまではいいません。ですが馴染むまで待って、帰還すべきでした」
「しゃーないだろ、国懸かってたんだから……それに、こうやって生きてるんだし、問題無い」
「まったく……そう言って、無理をなさる……そもそも、それだって……」
「それは言うな。わかってるよ」
リーシャの性癖にカイトが呆れ返る様に、カイトの無茶にリーシャが呆れ返る。まあ、そういってもこの無茶をするのが、カイトだ。それ故、リーシャも苦言を呈しつつも、それを補佐するのだ。
というより、カイトが無茶をする為の潤滑油的存在が、彼女だ。それはカイト自身が認めている。だからこそ、素直に彼女の言うことは聞いているのである。
そうして、取り敢えずの治療を終えた所で、リーシャが何かを言いたげな瞳で、もぞもぞとし始めた。それは彼女がご褒美を求めている時の仕草だった。
「はぁ……しょうがない。まあ、結界を展開すればいいか。それに、お前にはそれもご褒美だろう? ここまで出来たペットだ。今日ばかりは、目一杯ご褒美をくれてやらないとな」
「あぁ……ご主人様ぁ……」
椅子に腰掛けて足を組んで嗜虐的な笑みを浮かべるカイトを見て、リーシャが陶酔に目を潤ませる。彼女は300年間の間もカイトが様々な無茶をし続けてきた事を想定して、新薬の開発を怠る事はなかった。それは今の一時の遣り取りでも、良く理解出来た。
そんな出来た彼女には、褒美を与えないといけないのだ。そうして、リーシャは授業中でも決して外すことの無かった首輪を見せつける様に、喉を上げた。
それは罪人らの為の首輪では無く、犬等の動物の為に使われる愛玩動物用の首輪だった。首輪に付けられたチョーカーのネームプレートにはリーシャの名前が彫られており、首輪には紐を通せる様な輪っかが取り付けられていた。
「いい子だ。誰がご主人様は忘れていないか?……さあ、脱げ。犬が服を着ているのは、ダメだろう? 虐待だ。オレは虐待は嫌いだからな……ああ、その黒い帽子だけは残しておけ。たまにはそういうのもいいだろう」
「わぅん」
首輪に自らの魔力で編んだリードを結びつけたご主人様の言葉に、ペットは魔術で身体を変化させて犬耳と犬のしっぽを自らの身体に生やす。そして同時にリーシャは帽子と首輪だけというあられもない姿となり、まさに犬の様にカイトの足下に四つん這いで這いつくばる。
そうしてカイトはリードを持って少しだけリーシャを引っ張って自らがご主人様だとわからせると、靴を脱いで靴下だけになった足を引き寄せた彼女の顔の前に持っていく。
それを受けて、リーシャは更に光悦した顔になり、口でカイトの靴下を脱がす。靴下をそのままにしておくのは、リーシャの願いだった。
「全く……神聖な学び舎だというのに……教師の資格もない淫乱なメス犬だな……さぁ、舐めていいぞ。300年分のご褒美だ。この後は左足も舐めさせてやる。もし両方共上手く綺麗にできたら、更にご褒美をあげよう」
「わん!」
カイトの許可と更に続いた言葉を受けて、人である事をやめたリーシャがしっぽを大きく振りながら乗馬の授業で蒸れて汗の匂いがするカイトの足を嬉しそうに丁寧に舐める。
これが、彼女の治療に対する対価だ。人では無く、自らを単なる獣として扱うという、淫靡で特殊な趣向。それに応じてくれる事を、リーシャはカイトに対して望んだのである。
こういった特殊な行為に関して言えば、カイトは抜群の適正があった。元々がSっ気気質で、内側に危うい野性を秘めたカイトだ。カイトと出会う前から変態的な性癖を有していたリーシャであったのだが、彼によって調教される事こそが至上の喜びになるのには、そこまで時間は必要がなかった。
こうして、再会を果たした医者と患者というか主従の再会は、リーシャのご褒美である淫靡な行為によって、締めくくられる事になるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。シリアスとの落差が激しい回でした。で、どの辺が会いたくないんでしょうね、彼。無茶苦茶ノリノリですやん。
次回予告:第530話『新装備』