第526話 少女達
先程まで起きていた事全てを聞き終えて、ティナは笑い声を上げた。
「の、のうカイトよ! そんな事が起こりようはずがあるまい! 魔物が人になれればそれはもはや魔族でさえあるまいに!」
自らの婚約者に肩車されている蒼色の髪の女の子を見て、ティナが全てが嘘だろうと判断する。ちなみに、この肩車されている少女が日向であった。
ちなみに、なぜカイト達がここまで驚いているのか、というと少し事情がある。魔物が進化の果てに魔族になる事もあるので、喋った所でここまで驚く事はなかっただろう。
いや、それでも『竜』も『狼』もどちらも喋るわけではない――進化にも道理や限度がある――ので十分に驚くべき事なのだが、それでもここまでは驚かない。長年カイトが連れ添えばこういう事もあるだろう、としか思わない。この程度のぶっ飛んだ事はカイトの側ならそれなりに起きる。
では、何に驚いているのか。それは全ては、彼女らがカイトの目の前で変化した事に起因していた。勿論、魔術を使えるのであれば元魔物であった者が魔族となり人に化けた所で不思議はない。
だがそれはあくまでも、魔術による変身だ。龍族やルゥら高位の獣人達の獣化能力の様に『人型』をベースとした者が行う変化ではないのだ。が、彼女らが行ったのはこの分類で言えばこの変化だ。
つまり、彼女らのベースは『竜』や『狼』ではなく、『人型』となっていたのである。進化した結果、彼女らは『魔物』から『人』になったのだ。前代未聞の事態、と大いにティナが笑い、カイトが焦ったのも無理のない事だった。
「オレも分かる。そう思いたい。んな情報は有史上一個もなかった。だが、事実だ」
くてー、となってカイトの頭を枕に眠る日向だが、行動だけを見れば確かに日向だ。日向も300年前はカイトの頭の上で眠っているのだ。
だが、そんな程度で認められるはずが無かった。カイトの言う通り、有史上一回も無い事態なのだ。そして300年の間に起きた事の無い事態でもあった。と、そこにミースから診察結果を述べる声が上がった。
「終わったわ……」
相変わらず笑っていたティナだが、ついで顔を上げたミースの引きつった表情を見て、思わず彼女も頬を引き攣らせた。
「ま、まさか……」
「事実よ。この子たちには人には無い『何か』が確かに極わずかだけど含まれているわ。そして、それがあるのは魔物だけ……つまり……診察結果だけを見れば、この子達はまさに伊勢と日向よ。専門の魔獣医じゃ無いから詳しいことは何も言えないけど……私の見立てでは、この子達は伊勢と日向で間違いないわ」
「な、なんじゃと?」
自分でも診察結果が信じられないらしく、ミースが乾いた笑いを上げながら診察結果をティナに提示する。ちなみに、彼女が言った『何か』とは魔物に特有の因子の様な物らしいのだが、詳しく調査ができていない所為で詳細はわからない。
そんな物がある、とは伊勢や日向達のお陰で解明できていても、結論を出すまでには研究素材が足りない。よもや勇者カイトのペットを実験材料とするわけにもいかないし、そもそも実力から不可能だ。
ならば別の魔物で、となっても魔物は魔物使い達の扱う魔物を除けば全て凶暴なのだ。捕まえて調査、というのも一苦労で、まだまだ研究が未発達の分野だった。
「ぐ……確かにこれは伊勢と日向に固有の魔力波形……」
自らも診察結果を見ていたティナだが、文句のつけようがない結果を見て、思わず頬を引き攣らせる。この調査結果を突き付けられれば、どんな学者だって二人が伊勢と日向だ、と認めるしか無い結果だった。
「獣医となれば、ラフレじゃが……あれは?」
「もうずっと昔に西に帰ってるよ。死んだ、って聞いてないから、多分生きてるんじゃないかな」
流石にティナもこれだけでは判断が出来かねる上に、魔獣等に関する事は彼女の専門外も良いところだ。知識はあっても、経験が足りない。しかもその知識にしたって使わないからカビの生えた物だ。なので実力において信用の置ける医者を探そうと思ったが、残念ながら該当者は居ないらしい。
「……のう、カイト。触れおうてみて、何か違和感なぞあるか?」
「ねえよ。甘い匂いがあるぐらいだ」
「お主……別に300歳も超えとるじゃろうから無理矢理で無ければ余も何も言わんが、間違ってもこんな所で欲情するでないぞ……」
カイトの言葉に、ティナが思わず溜め息を吐いて告げた。それに、カイトが少し声のトーンを落として怒鳴る、という器用な行動に出た。声のトーンを落としている理由は簡単で、日向が気持ちよさ気に眠っているからだ。
「ちげーよ! いや、違わねえけど! さっきから後頭部に膨らみとかすべすべのふとももとか色々あたってるけど、それよりこいつなんか果物みたいな無茶苦茶甘い匂いしてんだよ!」
「甘い匂い?」
カイトの言葉に、ユリィがふわりと浮かび上がって日向の匂いを嗅ぐ。そして彼女はその原因を理解したらしい。
「あ、これリンゴの匂いだ。多分、日向、どっかでリンゴ食べたんじゃないかな。日向結構リンゴ好きみたいで、よく散歩の途中でリンゴを齧ってる、って聞いたし」
ちなみに、何故すべすべの太ももがあたっているのか、というと、これは残念ながら、聞き分けの良かった伊勢とは異なり、日向は幾らカイトとユリィが説得しても服を着てくれなかったからだ。
それでもカイト達が説得してその姿なら前を隠さないといけない、というと、何を思ったのかカイトに肩車の様に飛び乗ったのである。おそらく隠せれば良いのだろう、とカイトの頭で自らの身体を隠す算段だったのだろう。
「ああ、それでこの匂いか。絶対これ良い果物だろうな、って思ってたんだよな。すっげ甘くていい匂い」
「カイト……言いたい事は分かるけど、それ、その状態だと変態だよ」
「うぐっ……」
ユリィの言葉に、カイトが息を詰まらせる。今のカイトの状況は10代前半の素っ裸の美少女を肩車をした青年なのだ。これが地球でなくても、一発で警察に御用になる状況だった。
「とりあえず、だ……どうするよ、これ……ん? そういえば見回りしてたんだったな? その見回りは?」
「あ、大丈夫です。即座に眠らせて、教員も一緒に記憶に処置を施しておきました」
日向と伊勢の処遇に悩んだカイトだったが、そうしてふと思い出して問い掛ける。どうやらこちらの処理は終わっていたらしい。それにカイトは一安心、と思った。
ちなみに、カイトが動く度に日向はこすれているのか少し甘ったるい声を上げるのだが、カイトは鉄の意志で気にしない事にした。
「ごしゅじんさまと一緒が良いです……それがダメなら、クズハとアウラと一緒……」
日向は寝ているので、答えたのは伊勢だ。伊勢は実はクズハとアウラによって拾われている。なので、カイトを除けば一番懐いているのはこの二人だった。と、言うわけでクズハとアウラが非常に嬉しそうだった。
「私はかまいません」
「おー、私も」
二人は伊勢の頭を撫でながら、嬉しそうに引き取りを即断する。やはり長い間目にかけていたペットがきちんと自分達に懐いてくれている事を知ると、嬉しかったのである。
「まあ、伊勢は良いとして……問題は、こっちだな」
「んぅ……」
とりあえず伊勢の処遇は決まったので、カイトは顔を上げる。そこには相も変わらずくーすかと眠る日向の姿があった。
「おーい、日向。起きろー」
「んんぅ……んぅ?」
カイトの言葉を聞いて、日向がムクリ、と起き上がる。そして下を向いてカイトの顔を覗き込んだ。
「何? ごしゅじんさま」
「お前、今日これからどうするんだ?」
「寝る」
カイトの問い掛けに対して、日向は即答する。基本的に、彼女は寝るしかしていない。それか何処かへ飛んでいって適当に果物を食べるだけだ。それ以外にも時折マクダウェル領に現れた魔物を叩くぐらいだが、基本的に寝ているだけだった。
「いや、そうじゃなくて……お前、何処で寝るつもりだよ……」
「ここー」
どうやら日向はてこでも動くつもりが無いらしい。がっしりとカイトにしがみついていた。それに、カイトは溜め息を吐いた。
「はぁ……クズハ。日向も伊勢も両方共公爵邸で呑気にやっていることにしてやってくれ……伊勢、お前も来るか?」
「はい!」
カイトの問い掛けに、伊勢は満面の笑みで頷く。流石に日向だけ許して伊勢はダメ、というのは言い難い。なのでの判断だった。そうして自分達から喜々として離れていった伊勢に、クズハとアウラは少しさびしそうだった。
「はぁ……」
「お主、結婚もしとらんというのに、すっかり所帯じみた格好じゃのう」
カイトの様子を見て、思わずティナが苦笑する。子供の一人を肩車して、別の子供の手を引いて溜め息を吐く男の背中は、何処からどう見ても普通の父親だった。
「ここで、誰か母親役は? とは言わないぞ」
けけけ、と笑いながら、カイトはそんなティナの言葉に振り向くこと無く答える。厄介になることは目に見えているし、桜達が居ればもっと厄介だ。もしそんな事をど天然に聞いた日には、ここで更なる大騒動を起こす事になるのだ。それぐらい理解出来るだけの経験はカイトも積んでいる。
「クズハ、アウラ。悪いが今回の一件を皇帝陛下にまで上げておいてくれ……どうせ怪訝な顔をされるだろうがな」
「かしこまりました」
カイトの命令に、クズハが苦笑して答えた。カイト達でさえ、理解不能なのだ。それがまだ比較的常識的な皇帝レオンハルトであれば、困惑するのは当然だと思えた。だが、事実なのは事実なのだ。隠す必要も無いしそのまま上げる事にする。
「ティナ、ミース。悪いが今回の研究結果はお前らに任せる。流石にオレじゃあもう見てもわからん。ステラ、朝っぱらこいつらどうせ果物だろうし、ユハラに持ってくる様に頼んでおいてくれ……じゃあ、全員お休み」
そうして、カイトは疲れた様子で空いた左手で全員に手を振って戻っていく。教師達もそうだが、カイトも明日も明日で授業があるし、そもそもで皇帝レオンハルトへ提出する為の書類の作成もある。何時迄ものんびりしているわけにはいかなかった。
「全く……お前らと普通に話せる日が来るなんてな」
「はい」
「くー……」
歩きながら、ペットと呼んで良いのかわからない少女達を連れて、カイトは戻っていく。こんな日が来るとは流石にカイトも思ってもいなかった。そうして、カイトは今日は疲れた、ということでそのまま眠りに就くのだった。
その翌日。カイトは暑苦しさで日の出とともに目を覚ました。
「あち……」
「ああ、起きたか。まあ、そんな状況なら、熱いだろうな」
「んぁ? ああ、ステラか。おはよう」
目を覚まして即座に原因を把握して苦笑したカイトだが、ステラの言葉に潜り込んでいた布団から顔を出す。基本的に、カイトは眠る時は夏だろうと冬だろうと関係なく、布団に潜り込むのである。まあ、寝返り等で顔を出す事も多いが、眠る時には、潜り込んで寝ていた。
これは寝顔を見られたくない、というのではなく、寝ている事を悟られたくない、というのが大きな理由だった。ここらは300年前で最も野性的な生き方をしていたカイトだからこそ、と言ったところだろう。
「ははっ……冬場は有り難かったんだが、夏場だときついな」
「主よ……主だからこそ、許されるのだが……普通に見たら犯罪だ」
「言ってくれるなよ」
自らに覆いかぶさるように眠っている二人の少女の頭を撫ぜて、カイトは苦笑する。そうでなくても、見た目10代前半の少女と同じベッドで寝ていたのだ。手は出していないが、明らかに犯罪である。
なお一応、お風呂に入れた後に寝間着を着せる事に成功したおかげで、日向も寝間着を来ていた。まあ、その代わりにカイトとステラも一緒にお風呂に入る事になったのだが。
二人用に、と魔力できちんとしたベッドを創り出したのだったが、どうやらカイトの方に潜り込んできたらしい。カイトはそれに苦笑して、二人を起こさない様にベッドから出た。
「さて……ステラ。悪いが今日はオレは余裕が無いぞ。こいつらの面倒を頼んだ」
「……そうだな。頑張ってくれ」
カイトの言葉に、ステラが苦笑しながら激励を送る。今日は、カイトの主治医であるリーシャの授業があるのだ。それを考えれば、彼女らの世話を出来るかどうか微妙だった。そこに、扉がノックされる。
「カイトー。朝ごはん行くけど、あんたも行く?」
「おーう……じゃあ、行って来る」
「ああ、ではな」
カイトは魔術で学生服に一瞬で着替えると、そのままステラに片手を上げて、扉に手を掛ける。ステラの朝食は彼女が勝手にする――大抵は公爵邸で食べるらしい――し、日向と伊勢の朝食についてはユハラに依頼したので問題は無い。
なので最大の問題と言えば、可笑しな話ではあるが、主たるカイト自身の朝食だった。椿も居ない現状では、もしも寝坊でもすれば彼が自分でなんとか調達しないといけないのだった。
「おーう、おはよー」
「はい、おはよう」
「おはよー」
扉を開けて、カイトはミーティング・ルームに居た他の生徒達に声を掛ける。そうして、今日も一日が始まるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第527話『多彩な授業』
2017年3月5日
・構成見直し
『日向』及び『伊勢』の变化について設定上矛盾が生じる様な書き方をしてしまっていたのを修正させて頂きました。
・誤字修正
『日向』の髪色が『緑色』になっていたのを修正しました。本来は『蒼色』です。