第522話 お散歩
フリスビーで遊んでいた伊勢・日向・カイトの主従だったが、その難易度は上がる一方だった。始め5体程だった分身は今では倍の10体になり、速度も音速にかなり近づいていた。
「さーて……今のところ伊勢がちょっぴり勝ってるな」
カイトのつぶやきを聞いて、伊勢が少し得意げな表情になり、日向は鼻息を荒くする。飼われた時期としては日向の方に若干の分があるため、先輩としての対抗心があるのだろう。
まあ、一帯のトップという意味でなら伊勢が率いているので先輩も何も無いのだが、そこの所は孤高の風潮が強い天竜として見れば仕方がない。種類にも依るが、天竜は基本的に群れない。群れで行動するのは地球で言うならばワイバーンとも呼ばれる翼竜の系統で、日向の様な西洋竜の類は違うのだった。
「良し、じゃあ今度は……更に増やすぞ」
次はまだか、との雰囲気で催促する二体に対して、カイトが不敵に笑って告げる。増やす、と言っても何も更に分身を倍にするわけではない。流石にこれ以上増やすと今のカイトの公的な実力的には不可能だからだ。なので、カイトは両手にフリスビーを持っていた。
「右が、本物だからな。よーく、覚えろよ」
カイトは一度二体に自らの魔力で編んだ本物を見せると、今度は両手でそれをまるでジャグラーの様に弄ぶ。だが、ここからはカイトのカイトたる所以だ。両手てフリスビーを持ち替える回数が3回を数えた所で、カイトの姿がぶれて、2体に増える。
「ほい、ほい、ほい」
3回を数える度に、カイトはネズミ算的に分裂していく。そうして、それの総数が10を数えた所で、全てのカイトが同時に両手のフリスビーを振りかぶり、投げはなった。
「行け!」
カイトの掛け声と共に、二体は同時に地を蹴った。流石に音速に近いフリスビーを追いかけるので、二体はすでに音速を超えた速度だった。が、今度は二体が向かう標的を決めても、カイトは幻影を消さない。
「さて……はっ!」
カイトは息を吐くと、右手を前に突き出していっぺんに全てのフリスビーを操作する。そうして乱雑で複雑な軌道を取らせ始める。何時までも直線に動かしているのでは代わり映えしない。それ故の判断だった。
「どれが本物だろうな?」
流石にこれには日向も伊勢も困惑し、判断しかねる。速度こそ先ほどよりも遥かに落ちたが、軌道が絡み合い、更には時に本物と偽物が重なりあう所為で真贋がつきにくいのだ。
が、それもわずか数分だ。ある瞬間、日向がフリスビーの飛び交う所に首を突っ込んで、引っこ抜く。その口には、一つのフリスビーが加えられていた。
「正解」
日向が引っこ抜いたのを見て、カイトは指をスナップさせる。それと同時に全ての幻影が消えて、日向の持つ一つだけになる。そうして幻影が消えたのを見て、伊勢が今度は悔しそうに戻ってきて、日向が少し得意げだった。
「先輩の格を見せ付けたな」
日向からフリスビーを受け取ると、カイトはその代わりに日向の頭を撫ぜる。勝者へのご褒美だった。そして再度フリスビーを投げようとした所で、声が掛かる。それは先程からカイトの事を羨ましそうに眺めていた女子生徒だった。
「あの! えっと……先輩!」
「ん?」
振りかぶる前の態勢で、カイトは少女の方を向く。少し悩んで名前を言わなかった所を見ると、カイトの名前は知らなかったのだろう。が、どうにも我慢出来なかったらしい。顔はかなり恥ずかしげで、意を決して、という風だった。
「あの、私にもやらせてください!」
「ああ……良いぞ」
そもそもカイトがやっていたのだって、彼以外に誰もやってくれないからだ。そうしてカイトは少女の求めに応じて、場を譲る。基本的に、日向も伊勢も遊んでくれれば文句は言わない。
「フリスビー……円盤は作れるか?」
「あ、はい!」
後にこの少女から聞いた話だが、一通り動物達の遊べる道具は魔力で創り出せる様に努力したのだ、と言っていた。なので少女は大して苦労もせずフリスビーを創り出してみせる。
「それっ!」
少女は二体にフリスビーを見せると、それを振りかぶって勢い良く投げ放つ。が、今度は二体とも動いてくれない。
「……」
「……」
カイトと少女の間に、なんとも言えない微妙な空気が流れる。それはフリスビーが地面に落下するまで続いた。
「……あー……まあ、少し遅すぎたんじゃないか?」
「……そう……でしょうか……」
かなりひどく落ち込んだ少女に対して、カイトは居た堪れない表情で告げる。確かに、カイトの告げた様に速度としては見るまでもない程で、カイトの投げる亜音速には程遠かった。そんな二人に対して、声が掛けられる。
「それは少し簡単過ぎるからですよ」
それは厳かで、荘厳とした声だった。澄んだ鈴の音の様な声が、二人の耳朶を打つ。それに、二人は声のした方向を振り向いた。
「ユリシア学園長!?」
「お久しぶりです、クオン」
振り向いた先に居たのは、他ならぬこの学園の学園長ユリィだった。彼女は仕事用の柔和で荘厳な笑顔を浮かべたまま、ふわりと浮かんでいた。
ちなみに、この少女の名前はクオンというのだが、別にユリィが教えているというわけではない。実は彼女は一言二言しか話していないのだが、そこはユリシア学園長としてかなり珍しい真面目さだ。全ての生徒の名前と顔を把握していたのである。
「日向と伊勢が何やら大はしゃぎしている、というので来てみたのですが……職員室の先生方の杞憂だったようですね」
「はい?」
「いえ、職員室にて今回の事態で何か変わりはないか、と聞いたのですが、その際に大はしゃぎだ、というのを少々勘違いしてしまったみたいですね」
首を傾げたクオンに、ユリィが柔和な笑みで告げる。はしゃいでいる、というのを大げさに取り過ぎた結果、ユリィにまで報告が上がり、万が一があるかも、ということで出てこざるを得なかったのだ。
「ふふ……あの二体のあそこまで楽しげな様子を見るのは、本当に久しぶりです。過日の彼が居た頃を思い出します」
主の帰還を知るユリィにとっては当たり前ではあるが、それでも懐かしい二体の大はしゃぎする様子に彼女は目を細める。
「<<勇者の再来>>……ふふ、本当に彼が帰って来たかのよう」
ユリィのどこか儚げな微笑みに、クオンは何も言えず、沈黙する。まあ、実はその横の<<勇者の再来>>こそがカイトなのだと知らないのだから、仕方がない。
「それで、クオン。貴方が遊びたいのなら、手を貸してさし上げましょう」
「え……? 良いんですか?」
ユリィの言葉に、クオンが少しだけ目を見開いた。学園長が直々に手を貸す、ということで周囲の面々もかなり驚いていたが、ユリィはそんな事もお構い無しに続けた。
「先にも言いましたが、貴方の投げたフリスビーでは簡単過ぎるのです。日向も伊勢も、互いに争うのですが、ただひとつだと瞬発性に優れる伊勢がどうしても有利になってしまうため、二人共乗り気では無いのです。だから、先のフリスビーはそのまま見過ごされた、というわけです」
当たり前だが、日向と伊勢は種族が違う。天竜と狼だ。それ故にどうしても瞬発力等の基本的な性質では差が出てしまう。そして、二体ともそれを把握しているため、勝敗が見えた勝負には乗らないのだった。そうして、ユリィが更に告げる。
「カイトはそもそも、冒険者としてはランクB。その中でも良い線を行く実力でしょう。更には今はかの小次郎殿にもご教授を受けているとも聞きます。なので今の様な芸当は出来ぬのが当たり前。落ち込むことはありません……ですが、貴方は今まで二体の為にずっと努力してきた事を、私は知っています。だから、手を貸してさし上げましょう」
「先生……」
教師として当たり前の事だったが、ユリィはそれを学園長になっても怠ることは無かった。それ故の言葉にクオンが若干感動していたのだが、ならば、とお言葉に甘える事にした。
「お願いします」
「はい」
クオンの返事を聞いたカイトがズレて場を譲ると、そこにユリィが立つ。そうして、ユリィは何らかの魔法陣を、クオンの前に展開した。
「それに、どうしたいかイメージしながら、投げつけてみてください。それで、後は此方で補佐してあげます」
「はい」
ユリィの指示を受けて、クオンは何かのイメージを始める。そしてどうやら、それは固まったらしい。クオンが腕を振りかぶって、フリスビーを魔法陣へと投げ入れる。それを見て、日向と伊勢は身をかがめて、準備を始める。
「弾けて!」
クオンの声と共に、再度魔法陣から飛び出たフリスビーが分裂する。それと同時に、日向と伊勢が勢い良く弾丸として飛び出した。
「もう一回!」
日向と伊勢が飛ぶ出した一瞬後。再びクオンの声が響く。それに合わせて、再度フリスビーが分裂する。そうして分裂したフリスビーの数は、もう数えていられない程だった。
しかも軌道も複雑だ。飛ぶ方向こそ一方方向だが、それを追いながら本物を見極めるとなると、かなり難しいだろう。日向と伊勢も満足できる困難さだった。
「……うわぁう!」
短いようで長い十数秒が経過した所で、伊勢が飛び上がり、少し上を飛んでいたフリスビーをキャッチする。これだけ見ればもう普通の犬と変わらない様子だった。
そしてそれと同時に、フリスビーが全て消滅する。どうやら正解だったらしい。そうして、伊勢がしっぽを振りながらクオンの下にフリスビーを持ってきて、どこか誇らしげにそれを差し出した。対する日向はどこか悔しそうだった。日向も気付いて追っていたのだが、間に合わなかったのだ。
「撫でてあげてください」
「あ……はい」
初めて遊べた事にどこか感動した様子だったクオンだったが、ユリィの言葉に何をするべきかを思い出す。そしてクオンは頭を差し出した伊勢の頭を撫ぜる。
「まだやるのなら、手伝ってあげますよ?」
「あ、お願いします!」
暫くの間伊勢の頭を撫ぜていたクオンだったが、ユリィの言葉に頭を下げる。そうして、散歩の時間が終了するまで、クオンはユリィの手を借りて、二体の守り神達と遊び続けるのだった。
ユリィが来てから一時間程。非常に楽しげだったクオンも流石に日が暮れ始めたことで、遊ぶのを切り上げる。飼育委員の活動はこれだけではないのだ。他にも餌やりだの何だのと仕事はあったのだ。
「では、私は先に戻りますね。皆さんも、お仕事お願いします」
ユリィが散歩の終了を見てそう言うと、転移術で消え去る。移動先は表向き学園の自分の執務室だが、真実はカイトの後ろだ。そこに魔術で隠れていた。
そうして再び各々移動してくる時に乗った竜や動物達に跨ろうとしたのに合わせて、カイトも日向に向かったのだったが、そこで、伊勢が動いた。
「おっと!」
日向に移動する為に背を向けたカイトに対して、伊勢がカイトの股の間に首を突っ込んで持ち上げたのだ。それはまるで行きは譲ったのだから、帰りは自分に、と主張しているかの様子だった。
そしてどうやら、これは真実だったらしい。日向は不満気だったが、それに従う事にしたらしい。先を更に下回る小さな姿に変わると、日向はカイトの頭の上に着地する。
「おいおい……ん? どうした?」
自らの頭の上に座る日向に苦笑していたカイトであったが、なおも伊勢が動き出さない事に疑問を覚える。そして当たり前だが、伊勢が動かない事には集団の統率が出来ないので集団も動かない。そんな伊勢だが、どこか一点を見つめていた。その方向に居たのは、先輩の背にしがみついていたクオンだ。
「わた……し?」
「わう」
どうやら自分が見られていると思ったクオンが自らを指差して首を傾げると、伊勢もそれに同意して、ゆっくりと彼女の近づいていく。そうして更にクオンに近づくと、まるで乗れ、と言っているかの様に、伊勢は少しだけ身を屈めた。
「乗っていいの?」
「の、ようだな」
クオンの問い掛けに、伊勢が頷いて、カイトが苦笑する。どうやら気に入られた様だ。なのでカイトが手を引いて、クオンを伊勢の上に乗せてやる。
「じゃ、後は任せた」
「え? ちょ」
「安心しろ。別に何かするわけじゃないだろ。ここまで賢いんだから」
後は任せた、と言って伊勢の背中に寝転んだカイトに、クオンが驚く。だが、それにカイトが道理を説いてやると、クオンも納得する。伊勢は何かの案内が必要なまでもなく、大人しく学園へと戻っていくのだ。確かに、何かをする必要は感じられなかった。
「うぅー……出れない」
「諦めろ」
実はユリィは日向の上でカイトと一緒にのんびりと喋りながら帰ろうと思っていたのだが、伊勢の突飛な行動の所為で無理になってしまったのだ。その為、悲しそうにカイトの制服の内側で嘆いていた。
が、そこで何かを思いついたらしい。姿は隠れたままだし、とふわりと浮かび上がり、カイトのお腹の上でくーすかと寝息を立てていた日向の上に寝そべった。
「ねえカイトカイトー。鏡餅」
「餅の大が足りてないな」
クオンを除いて、カイトも日向もユリィも全員伊勢の上で寝そべっていた。それをユリィは揶揄したのだ。が、一つ足りていなかったので、カイトに苦笑される。だが、そう思ったのは、どうやら彼だけでは無かったらしい。澄んだ声で、純白の翼を持つ襲撃者が現れた。
「おー」
「げふっ!」
襲撃者は日向を持ち上げると、そのまま自分が間に挟まる様にカイトの上に倒れこんだ。うめき声はその膝が当たった事によるカイトの苦悶の声だった。そうして、その急なうめき声にクオンが振り向いた。
「ど、どうしたんですか!?」
「い、いや、なんでもない……日向が動いていい具合に当たっただけだ」
「……そ、そうですか?」
その他カイトの上に乗る面々は見えていないまでも、日向が動いているのは見えているらしい。クオンは苦笑して再度前を向く。そうしてカイトは呑気な声を上げる襲撃者こと、自らの義姉を睨んだ。大方彼女の事だ。またカイトに気付かれない様に使い魔を使って、状況を常に監視していたのだろう。
「鏡餅」
「わー、なっつかしー」
「て、てめえら……マジいい具合に入ったぞ……」
「ねー、アウラー。昔の姿にしとこうよー。流石にこの格好は先生として、見られてないとしても認めらんないかなー。学内不純異性交遊禁止だよ」
「おー」
カイトを無視して、アウラとユリィは二人で話し合う。どうやらアウラはユリィの言うことを聞くことにしたらしく、往年の10歳時の姿をとった。すると、完璧な鏡餅の出来上がりだった。
ちなみに、今は全員寝そべっているが、これには縦バージョンも存在している。その場合はカイトにアウラが肩車をされて、その頭の上に日向が座り、更にその上にユリィが座るのである。
「カイト。たまってない?」
「あ?……って、おい。んなとこに手を突っ込もうとす、いや!マジで洒落なんねえから!」
「おー」
「こら! だから学内は不純異性交遊禁止だってば!」
どうやら消音などの結界は展開済みらしい。クオンはカイトのズボンのベルトを外してパンツの中に手を突っ込もうとするアウラとカイト・ユリィの騒動に気付かない。
そうして、フロイライン家の懐かしい騒動は学園に到着するまでずっと、続いたのだった。ちなみに、その間ずっと、日向と伊勢が暴れる主達に胡乱げだったのは、ペットとして普通な事だったのだろう。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第523話『閑話』
明日は久しぶりに過去編ではない閑話です。
2016年8月2日 追記
・誤字修正
『華蓮』という謎の人物が居たのを修正しました。彼女は初期稿での人物です。実は中津国からの留学生も受け入れているよ、という事で進めるつもりでした。が、辞めたのでクオンという名に。