第521話 伊勢
日向のいきなりの遠吠えに停止した一同だったが、再度の遠吠えに、今度は学園の外を注目する。そうして聞こえてきた声に対して、カイトは一応新入りとして横の上級生に対して問いかける事にした。
「……何の声ですか?」
「いや、思い当たる節は有るけど……」
思い当たる節が有るのは、どうやら彼だけではないらしい。全員が怪訝な顔をしていた。が、どうやらその思い当たる節は正解だったらしい。次の瞬間風を蹴って現れた巨大な狼に、一同が目を見開いた。
「やっぱり獣王か! 何故ここに!?」
「獣王?」
「ああ。ウチには勇者カイトのペットが何体か居るんだけど……その一体が、あの伊勢だ。まあ、街一帯の飼い犬やら獣舎の方の動物達のトップ張ってるから、俺ら全員獣王って呼んでるんだよ」
そんな会話をしている間にも、伊勢はものすごい勢いで近づいてくる。そうして、カイトと日向の前で停止して、そのままおすわりした。大きさとしてはおすわりした状態で日向と視線が合う位なので、かなり大きかった。全長としては5メートル程も有るだろう。
ちなみに、此方は本来はカイトのペットではなくアウラやクズハ達のペットなのだが、どうやら今はカイトの飼い犬扱いとなっているようだ。まあ、事実一番なつかれていたのだから致し方がない。
「呼んだ……のか?」
「さあ……」
カイトとしても日向の意図はわからない。なので、ただただ見つめ合う二体のペット達を観察し続ける。そんなこんなで1分程経過すると、どうやら奇妙な話し合いは終わったらしい。再び伊勢が吠えた。
「うお……一体全体なんなんだ……?」
「ん?」
驚く一同を他所に、伊勢がカイトの下に近付いて来る。そうして頭を擦り寄らせる姿に、カイトは大体何を望むのか理解して、密かに伊勢の頭をなでてやる事にした。それからしばらくの間何が起きるのか一同周囲を見渡すだけだったが、次の瞬間、再び先導役の生徒の持つ通信機が鳴り響いた。
『おい! そっち何かあったのか!?』
「ど、どうした!?」
『獣舎の動物達が凄い暴れてるぞ! もう出せ出せって凄い煩い!』
「えぇ!?」
驚いた先導役の生徒だったが、更に驚きは続く。
『やあ、マナウスだよ。ラウス君は居る?』
「あ? あ、委員長か」
『そっちで何かあったかい? 竜舎の竜達が随分暴れているんだけど……』
「えぇ!? さっき獣舎の方でも暴れてる、って話来た所だぞ!?」
『あはは、そうみたいだね』
通信機から、こんな状況でものんびりとしたマナウスの声が響く。どうやら獣舎だけではく、竜舎の方でも竜達が暴れているらしい。そうして事情を説明していたラウスだが、そこに割り込む様に、ユリィの声が入ってきた。
『全て開放してあげなさい。今回の状況には思い当たる節があります』
『学園長?……分かりました。じゃあ、全員開放します』
意図はわからなかったが、学園長がそう言うのだから、とマナウスは全員に向けて竜舎と獣舎の完全開放を伝える。そうしてその通達が行き届く間に、ユリィが少しこめかみを押さえるような気配と共に口を開いた。
『ラウス。そちらに伊勢が居ますね?』
「あ、はい。確かに居ます」
『はぁ……』
今のところ、日向の事は伝えていても来訪の意図が掴めなかった伊勢については誰も伝えていない。そもそも来たのがたった今だ。伝える時間も無かった。なのに、ユリィは断定に近い様子で問い掛けていた。そうして返って来た答えにやっぱり、と溜め息を吐いて、カイトも知らない昔話を開始した。
『大昔……まだ私が学園に教師として赴任する前……まだ街が発展途上だった頃の話です。当時はこの街も他の街と同じく、魔物の集団に襲撃される事が時折有りました。そんなある時、折り悪く私とアウラ代行が皇都に出掛けていて、クズハ代行のみが街の護衛に着いていたのですが……伊勢が周囲の狼型の魔物や当時学園や街で調教していた魔獣達を率いて、街を守った事がありました』
「はぁ……それがどうしたんですか?」
通信機から響く過去の物語を聞いていたのか、まるで伊勢が主に褒めてもらおうとするかのように、更に頭を擦り寄らせる。それにカイトは全員が通信機に注目していた事もあって、苦笑混じりにもう少し強めに頭を撫でてやると、気持ち良さ気に目を細めていた。
するとどうやら日向が嫉妬したらしい。自分も撫でろと頭を差し出して、カイトは通信が終わるまで、しばらくの間二匹の頭を撫でる事にした。
『何があったのかはわかりませんが……おそらく今回も遠吠えから似た様な事が起きたのでは無いか、と思ったまでです』
『動物達だって、自分の棲みかは荒らされたくないだろうからね。有り得ると思います』
『はぁー……』
「ああ、なるほど」
ユリィの推察に、ラウスと通信機の先のマナウス、更には獣舎に居るらしい生徒が揃って納得を示す。元々女王や獣王と言われているが、実はその由来は殆ど誰も知らないのだ。納得はそれ故だった。
と言うのも、そう言われる様になったのもかなり過去のお話だからだ。今はただただ、先輩達がそう言うのを伝えて聞いているだけに過ぎなかった。もしかしたら教師達の中も知らない者が居ても可怪しくはない。
「ん? と言う事は……」
ユリィの言葉に納得していたラウスだったが、そこではたと気付いた。伊勢は周囲の魔獣や動物達を集めた、とユリィは言ったのだ。そして、その伊勢はどこに居るのか、というと、カイトの側、即ち自分達の所だ。そしてそれと同時に、マナウスの声が聞こえて来た。
「おーい。皆、手伝いに来たよ」
「あ、あはは……相変わらず、お前すげえよ」
大量の動物達や魔獣達を引き連れたマナウスが鱗では無く白い毛の生えた天竜の一体の上から声を上げたのを見て、ラウスが引きつった顔で称賛を上げる。
こんな状況にも関わらずマナウスの声はのんびりとした物で、更には何か焦っている様な状況は一切無かった。それどころか、先ほど会ったのと同じ柔和でのほほんとした笑みを浮かべていた。
「まあ、どうせだったらいっぺんにお散歩終わらせようって思ったから、もう少ししたら他の皆も来るよ。それを待ってから、行こうか」
「お、おう……お前、マジで皇城か公爵家で調教師やれるぜ……」
ラウスは引きつった頬ながらも、最大の称賛をマナウスに送る。それに、マナウスはのんびりと笑って答えた。
「あはは。僕もそうしたいかな」
ぽふぽふと天竜の毛を撫ぜながら、マナウスは現在考えているこれからの進路について頷く。当たり前だが、皇城にも公爵家にも竜や魔獣達の調教師は居る。そこへの就職が、彼の卒業後の志望先なのだろう。
それから暫くすると、他の飼育委員達が集まってくる。そこに教師達の姿が混じっている所を見ると、どうやら万が一に備えて教師達も来たのだろう。
「良し。じゃあ行こうか」
全員が揃ったのを見て、マナウスが号令を掛けて、飼育委員と大集団が移動を始めるのだった。ちなみに、流石にこんな大集団の魔獣達の指揮はマナウスどころか教師では出来ないので、伊勢が行っていた。
そうして一同が移動した先は、街から少し遠くにある草原だった。本来は順番に使うらしいのだが、今日は全員が争う事も無く、と言う稀有な状況の為、一斉に、だった。と言う事はつまり、だ。誰も見た事の無い状況が眼前に繰り広げられていた。
「わぁ!」
とある女子生徒が、非常に嬉しそうな声を上げる。どうやら彼女は根っからの動物好きらしく、多くの動物達に遊んで、とせがまれていた。今もまた、そんな中の一体に押し倒されていた。
「きゃ! ちょ! うひゃあ!」
この女子生徒の楽しげな声が上がる。それ以外にも動物好きの生徒にとっては、こんな状況は正に天国なのだろう。楽しそうな声と大変そうな声が半々で上がっていた。
「ふぁー……」
そんな夕暮れ時に、カイトは昼寝中の伊勢を背もたれに読書をしていた。幸いにして今の時期は夏の中でもかなり日が長い。16時30分を過ぎたと言っても、まだまだ明るかった。
「いいなぁ……」
そんなカイトに対して、先ほどまで動物達に懐かれていた女子生徒が羨ましそうにしていた。実は彼女は飼育委員の中で唯一、伊勢と日向に餌を与えられる人物だった。そんな彼女がカイトを見れば、今度は日向にぽんぽんとお手玉の様に遊ばれていた。
「っと、おい。ちょっと読みにくいって」
「がう」
カイトの言葉に応じて降ろすかと思った日向だが、どうやら遊び足りないらしい。そのまま今度は伊勢にトスする。
「ぐぅ」
「うぉ!」
今まで昼寝していた伊勢だったが、流石にカイト程の重量物が投げ落とされれば起きる。そのまま勢い良く反射的に起き上がった為、カイトは勢い良く吹き飛ばされる。が、カイトも慣れたものだ。平然とくるりと身を翻して綺麗に着地した。
そうして再び平然と読書に入ろうとしたカイトだが、周囲の生徒達は大慌てだ。何故かと言うと、日向と伊勢が喧嘩を始めたからだ。
「がう!」
「ぐる!」
睡眠を邪魔された上に主をかっさらわれた伊勢が跳びかかり、まるでそれを楽しむかのように日向が逃げる。どうやら伊勢はかなり興奮しているらしく、吠え声はかなり大きかった。
「はい、どうどう」
そんな所にカイトは普通に割って入り、二匹を宥める。が、そうなると興奮している二匹だ。今度はカイトに襲いかかろうとするが、やはり主だからなのだろう。それは噛み付こうとするにしてものしかかろうとするにしても、全てが甘えている程度に留まっている。
「っと……ちょい待った! だから待てって!」
「……はい?」
大興奮の二匹に対して、カイトは楽しげに平然とそれを避けていく。所詮は日向も伊勢も本気ではないのは、誰にでも理解出来た。犬で言えばただ単に飼い主に対して遊べ、と催促している程度だ。決して殺せる程の力で無いのはわかっている。
が、それでも相手は数百年生きて、かの<<世を喰みし大蛇>>さえも抑えつける様な天竜と、それに比肩する実力の巨狼だ。それを理解出来ていれば楽しげな様子で避けれる筈は無かった。
「ったく……二匹共おすわり! おすわり!」
カイトの言葉に、伊勢と日向は行儀よくおすわりする。いくら興奮していようとも、主の言葉だ。何度も言い聞かせてやれば、自然に興奮は収まっていく。そうして二匹が普通におすわりした所で、カイトが溜め息混じりに問い掛けた。
「はぁ……遊ぶか?」
「がう!」
「ぐっ!」
どうやら二匹もカイトが諦めた事を見て取ったのだろう。カイトが苦笑して問い掛けたのを聞いて、嬉しげな声を上げる。
「んー……単なるフリスビーだと日向有利だし……」
早く早く、と急かす二匹を前に、カイトが遊ぶ内容を考える。そうして、何かを考え付いたらしい。
「良し! じゃあ、二匹ともまず、小型化」
二匹はカイトの言葉を受けて、大凡1メートル程度の大きさまで縮む。日向はともかく、こうなってしまえば伊勢に至っては少し大きな勇ましい犬位にしか見えなかった。
「良し。じゃあ、これ覚えろよ」
カイトはくるくると創り出したフリスビーを回転させながら、小さくなった日向と伊勢にそれを見せる。ただ単に投げたのでは、日向が有利だ。なので、カイトは一工夫する事にした。
「良し! じゃあ、弱めで<<陽炎>>!」
カイトは右手を振りかぶり、そこで自らの流派が持つ高度な分身を生み出す技を使用して、10体程に分裂する。簡単な幻影だと見破られるので、それなりに高度な分身を生み出したのだ。
「取って来い!」
驚愕する一同を他所に、カイトは勢い良くフリスビーを投げる。それを受けて日向はフリスビーに向かって一直線に飛び上がり、伊勢は地面を高速で走り始める。
この中の本物はただ一つだ。それを先に探しだした方が勝ちという、この二匹だからこそ出来る無駄に高度なお遊びだった。まあ、何時もやっていた事なので、二匹はそれを把握していた。
「消えろ!」
そうして二匹が各々目指すフリスビーが決まった所で、カイトは幻影を消失させる。が、それは二匹が二匹とも狙っていたフリスビーでは無かった様だ。
「ほい、二匹とも失敗」
「くぅーん……」
「ぐる……」
どこか非常に悲しそうな表情で、二匹ともカイトの所に戻ってきた。勝ち負け以前に勝負になっていなかったのだから、しょうがないだろう。言うなればカイトの勝ちだった。
「じゃ、次。今度はもうちょっと投げる速度速いぞ」
再びカイトはフリスビーを創り出すと、それを先と同じ要領で投げて、二体が同時に駆け抜け始める。が、どうやら今度は二体とも同じフリスビーが狙いらしい。競うように速度を上げていく。
「お見事。消えろ」
それをカイトはにこやかな笑顔で眺めると、幻影を消失させる。すると果たして、今度は確かに二体が狙ったフリスビーこそが本物だった。そうして、普通の犬と同じような遊びはもう暫く、続くのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第522話『お散歩』