第520話 飼育委員の活動
ゼスト教諭の授業を終えたカイトだったが、その顔は非常に疲れた物だった。と言うよりも、彼の見た目は今、他の生徒に負けず劣らずに煤けていた。
「まさか授業レベルで圧縮と複製に爆発を噛ませる馬鹿が居るとは……」
「あはは……」
カイトがため息混じりに告げた言葉に、マークが苦笑する。カイトが煤けているのは簡単に言って、ゼストの成した行動だった。
あの後も時折生徒の質問に応じたりなどで幾度かゼストが魔術を使用したのだが、その全てが普通に考えて学生レベルを相手に使わない物だった。その中の一つが、爆発を連続させる魔術で有ったため、その余波でカイトの白衣に煤が付いたのだった。
「はぁ……疲れた」
「あはは……今日はまだいい方だよ。例にしても炎だったからね。悪い日なんかだと、水使った後に雷使おうとするから、感電しないか大変だよ」
カイトの言葉に、マークの方が疲れた様な顔だった。どうやら今日は偶然に良い一日だったらしい。煤けただけで済んだからだろう。
「まあ、最後は数学の授業だから、カイトは楽に終われると思うよ」
「それは助かるな」
当たり前だが、天桜学園とエネフィアに関して言えば天桜学園の数学の授業の方が数段階先を言っている。他にも物理学等もそうだ。純粋な科学に基づいた授業であれば、カイト達の方が有利なのだった。そうして、二人は再び教室に戻り、授業を受けるのだった。
「じゃあ、今日は僕が案内するね。飼育委員の仕事は毎日有るけど、流石に部活とかも有るからね。毎月始めに配られる紙に書いてるんだけど……流石にカイトの名前は無いからね。まずは部長に聞きに行こう。まあ、一応クラス単位で動いてるから、多分僕と一緒の日程だとは思うけど……」
「すまん、頼んだ」
授業も終わり放課後になると、予てからの予定通りにカイトは飼育委員の仕事に顔を出す事にする。今度の案内はマークだ。ちなみに、別に獣人だからと言って飼育委員をやっている訳では無い。
そうして歩いて移動を始めようとした二人に対して、女子生徒から声が掛けられた。それはカイトを飼育委員に推挙して、先程ゼストの講義で解説を行ったミリシャという生徒だったのだが、少しだけ、雰囲気が異なっていた。それに違和感を覚えたカイトだが、その違和感は正しかったらしい。
「あ、ちょっと待った。私も行く」
「あ、ミーシャさん」
「ん? ミーシャ? 君はミリシャじゃないのか?」
「ああ、あっちは妹。私とミリシャは双子なの。ミリシャは図書委員」
ミーシャはそう言うと、双子の妹が居る部屋の片隅を指差す。するとそこには読書中らしいミリシャの姿があった。どうやら姉が此方を指差したのに気付いて、彼女が此方に微笑んでくれた。
その姿を良く見れば、ミーシャが少し気の強そうなタレ目なのに対して、ミリシャは切れ長の目ではあるが、柔和そうな光をたたえていた。そこら辺が差なのだろう。
「今日の掃除は確か竜舎の筈だし、部長も今週はカイト君達みたいな天桜の生徒が来るから、って控えてる筈だよ。エサやりはどこだったかなぁ……」
「エサやりは獣舎の方。獣王が居ないと良いなぁ……」
「そ、そうか」
ミーシャの言葉を聞いて、カイトは三人で連れ立って歩き始める。そうして校舎を出て5分程で、普段は竜達が生活している竜の飼育小屋へと辿り着いた。と、同時に大きな鳴き声が鳴り響いた。
ちなみに流石に体長数メートルもある竜達だし、木造建築では如何に魔術で強化した所で世界樹の木片でも無ければ簡単に破壊されてしまう。なので竜舎は総魔法銀製という造りだった。一応、日向でも無ければ破壊されない計算だった。
「うぉ!」
「うぁ……あー……耳痛かった……」
鳴き声の主はこの竜舎に居る竜達だ。それが吠えたのである。となれば、耳をつんざく様な音が響くのは当然だった。
とは言え、ここまでの大声であれば遠くからでも聞こえても不思議では無さそうなのだが、外には殆ど漏れてはいない様子だった。それに、マークが苦笑して解説を再開する。
「……あー……耳が……ここ、一応結界が展開されているから問題無いんだけど、中に入っちゃうと時々遠吠えとかでかなり五月蝿いから気を付けてね……」
「言われなくても今のでわかった……」
「耳栓有るから、お世話する時はそれ使うと良いよ……」
マークは獣耳をさすりながら、ひとまず近くにある掃除道具等を片付ける小屋へと歩いて行く。カイトとミーシャもそれに従って移動すると、小屋の中には一人の年上らしい男子生徒が居て、平然と読書をしていた。彼は柔和で優しそうな生徒だった。
「やあ、マーク君。今日は君達の所だったっけ?」
「あ、はい。マナウス委員長……えっと、それで天桜の生徒で飼育委員に入ってくれた人連れてきたんですけど……」
マークは横のカイトを指差すと、それを受けてマナウスもそちらを向いた。そうしてカイトの顔を見て、ふと何かを考える様な感じになった。
「あれ……ああ、この間の」
「ん? どこかで会い……ましたか?」
「ああ、いや。そう言う事じゃないんだ。たまたまこの間君が女王を宥めた日は僕のクラスが当番だったんだよ。それで、君の事を見てたんだ。うん、君なら安心して任せられるよ……えっと、少し待っていてね」
マナウスは少しのんびりとした話し方をする生徒だった。見た目としても行動としてもどこかお上品でのんびりとした、という様な印象を受けるので、おそらくかなりの名家の出なのだろう。同年代としては皇国最大の学術機関でもある魔道学園なので、名家の出の生徒が居ても別に珍しい話では無かった。そうして、そんな彼は一枚の紙を取り出すと、何かを書き込んでいく。
「はい、これが君の担当になる部分の紙だよ。これに従って、仕事に来てね」
「あ、有難うございます」
マナウスが取り出したのは、一枚の紙だった。どうやら普通にマーク達と一緒の様子だった。そうしてその紙を見ていたカイトに対して、彼はのほほんと笑って告げる。
「まあでも、女王様がお怒りの時なんかだと、部活途中でも生徒達に集まってもらったりしてもらうから、そこの所は柔軟にお願いするよ」
「分かりました」
「うん。じゃあ、仕事内容については二人にお願いするよ。僕は他にも来るかもしれないからここで待機しておくけど、もし何かあったら聞いてね」
「お願いします」
にこやかに笑ってマナウスは再び読書に戻る。ちなみに、この最中にも何度も竜達の大声が鳴り響いていた事を考えれば、どうやら彼の神経はかなり図太いらしい。全く何も気にした様子は無かった。
「じゃ、こっちに耳栓有るから、それ借りて行こう」
「このフカフカ夏じゃなければ良いんだけどねー」
「夏用と冬用を分けて買うお金無いんだから、しょうがないじゃん」
同じく耳栓を手に取っていたミーシャの言葉に、マークが苦笑して告げる。どうやら耳栓は夏冬兼用らしく、ファー付きのもこもことした物だった。確かに夏である事を考えれば暑苦しくて仕方が無いが、冬となれば雪も降り積もるマクスウェルだ。重宝するのは確実だった。
「一応耳栓は大声を防いでくれるけど、耳栓だから大声で話さないと聞こえないから、気を付けてね!」
「ああ、わかった!」
耳栓をしたお陰で竜達の遠吠えは殆ど気にならなくなったが、同時に当然だが自分達の声も聞こえにくくなってしまった。まだ魔術で作られた専用の耳栓なので聞こえなくなる事は無いが、それでも耳周りを覆えば聞こえにくくなる。なので三人の会話は大声だった。
「遊んでほしそうにしている竜もいて、時々器用に耳栓取られちゃうから、気を付けて!」
「ああ!」
ミーシャとマークからの注意を受けて、カイトは掃除道具の箒片手に竜舎の中に入っていく。中に入って思ったのは、思った以上に臭いがひどくない事だ。まあ幸いにして竜達は食べた物を魔力に変換する為に排泄が殆ど無く、彼らの体臭以外に臭いが無い事も大きいだろう。
「一応一通り掃く訳だけど、そこまでゴミが溜まる訳じゃ無いから、ざっと土を払う程度で良いよ!」
「おーう!」
三人の他にもどうやら掃除の生徒達は居るらしく、10人程で竜舎の清掃を行っていく。排泄物が殆ど無いお陰で外に出た時に付着したであろう土等を適当に箒で掃いて水で洗い流せば大丈夫だった。
だが、飼育委員の本当の仕事はここからだった。そうして掃除をしている一同が集まり、中でも最上級生の生徒がカイトに対して大声で告げる。
「じゃあ、次なんだが、これが大変だ! えーっと、確かカイトだったな! これから竜達を遊ばせないといけないんだ! が、興奮すると本当に危険だから、気を付けろよ!」
「遊ばせるってどこでですか!?」
「ああ、それは付いて来てくれ! 誰かカイトを一緒に乗っけてってやってくれ! 他にも乗れない奴は乗れる奴に従えよ!」
どうやら何体もの竜達を連れてどこかに移動するらしい。ちなみに、流石に全部を一斉に、と言うのは無理なので、移動は何度かに分けるらしい。首輪型の魔道具を着けさせている為に逃げられる事は無い、との事だった。そうして一同は取り敢えず耳栓を外して各々の担当の地竜や天竜に跨り始める。
「日向はどうするんですか?」
「ああ、流石に女王は無理だ。だから気が向いたら来てくれる筈だ」
カイトの質問を受けた地竜にまたがった先導役らしい男子生徒の言葉を遮って、日向の物らしい遠吠えが響いてきた。それと同時に、3メートル程の天竜が舞い降りる。言うまでもなく、件の日向だった。そうして日向は舞い降りると同時に、即座にカイトの股の間に首を突っ込んできた。
「おっと」
日向の首が上がるのに合わせて、カイトはバランスを崩しつつも日向に跨る。それを、一同はぽかんと眺めるしか出来なかった。そうしてカイトは苦笑しながらも先導役の男子生徒に問いかける。
「……これ、どうしましょう? 多分前の一件の所為か、懐かれちゃったみたいなんですが……」
「あー……どうするんだ?」
「いや、自分に言わないでくださいよ」
流石にカイトとて日向が何を考えているのかはわからない。急な行動なので、防ぐ事も出来なかった。もしかしたら久しくなかった主との散歩の気配を嗅ぎ付けて此方に来たのかもしれない。それぐらいに彼女は賢かった。カイトにしても300年も放って置きっぱなしにした負い目があるので、困りはしたがあまりきつく出れなかった。
そうしてそんな困り顔のカイトを見て、先導役の男子生徒は少しの間考えこんで、引率役に渡されているらしい通信用の魔道具を使って教員達と相談を始める。が、どうやら職員室側も困惑している気配があった。
「えっと、じゃあ、女王に乗って付いて来て……って、出来る訳無いか」
「もう女王に任せておきますよ」
「そうしてくれ。じゃあ、全員一緒に行くぞ! カイト、もし逸れても、女王から振り落とされなければなんとかなるからな! 頑張れよ!」
「やってみます!」
先導役の男子生徒が声を上げて、自らの乗る地竜の腹を蹴った。すると、それに合わせて他の竜達も移動を始める。それに従って、日向もゆっくりと歩き始める。と、そうして学園の敷地を出て全員が耳栓を外した頃に、カイトに対して先輩の一人が声を掛けた。
「なあ、一つ思ったんだけど、カイト。お前さ、女王使って一斉に移動とか、って出来ないのか?」
「いや、知りませんよ、そんな事」
流石にカイトとてこれは知らない。そもそも日向が学園でどんな状況なのかは知りようが無かったのだ。なので演技でも無く素で答えて、少しだけカイトもこれに興味を覚えた。
「日向、仲間呼ぶとか出来るか?」
「ぐる?」
カイトの問い掛けに応じて、日向が此方を振り向いた。が、どうやらくりくりとした目を此方に向けるだけで何か動きを見せてくれる事は無く、例えるなら、子供が理解出来無いので小首を傾げる様な感じだった。
「無理そうですね」
「の、様だな」
まあ懐かれているだけなのでそこまでは出来無いか、とこの男子生徒は納得する。流石に動物に懐かれた程度でカイトが本当の主だとは思っていない。なので仕方が無いだろう。が、どうやらこの判断は早計だったらしい。次の瞬間、日向が吠えた。
「うぉ!」
「どうどう!」
「何か有ったのか!」
急に吠えた日向を見て、先導役の男子生徒だけで無く全生徒がカイトの方を向いた。が、そうして見た日向は相変わらず大人しいままだ。
「いえ、オレにも何も……」
「俺が見てた限りでも、何もして無いぞ……?」
一同の注目を集める結果となったカイトとその上級生の男子生徒だったが、カイトにも何がなんだかわからない。なので先の上級生と共に困惑の表情を浮かべるだけだ。そうして困惑する一同に、今度は竜の物では無い遠吠えが、聞こえてきたのだった。
お読み頂き有難う御座いました。外伝の方もお楽しみください。
次回予告:第521話『伊勢』
2016年7月30日 追記
・誤字修正
一部記述で『ミリシャ』と『ミーシャ』が間違っていた部分がありましたので、訂正させていただきました。双子だからって安易にややこしい名前を名付けるから・・・