第517話 名門校の教師達
魔導学園での体験入学が始まって2日目。当たり前だがこの日はユリィによる朝礼も無い為、朝から授業だ。そうして寮を出ると、カイトは共同スペースの面々と共に連れ立って自らの教室に移動を始める。
「ゼスト先生の授業は今日の午後だから、お昼はあんまり重いの食べない方が良いよ」
「いや、待て……やるのは魔術の開発だよな?」
「うん……もっと正確に言うと、実践的魔術の開発……らしいよ」
訝しんだカイトの問い掛けに、マークは頬を引き攣らせて答えた。どうやら授業を受けている彼からしてもらしい、という所を見れば、おそらくそれは不確かな物なのだろう。
「あの先生の授業って……その、独特なんだよね。なんていうのかな……激しいっていうか……まあ、憚ること無く言わせてもらえれば、マッド・サイエンティスト、なんだよね」
「この学校って、もしかしてまともな先生居ないのか……?」
カイトは創設者として、溜め息を吐いた。薄々感じてはいたが、ここまでくれば事実として認識せざるを得ないだろう。そもそも創設者達からして変わり者なのに、その伝統が受け継がれているのならそうなるだろう。が、まあ、改めて思い知れば、それはまた別だ。
「一応、ウチって皇国内でも有数の名門校なんだけどね……」
「自由な校風にし過ぎたか……」
マークの苦笑したつぶやきを聞いて、カイトは自分のやったことながらに、少々自由を重んじすぎたか、と反省する。元々校風を自由にしたのは彼だ。それ故に教師陣まで自由奔放になったのは少し想定とは違ったが、それを良しとしてそのままにしておいたのも、他ならぬ彼だ。今更ながらに少々反省したのだった。
まあ、そう言ってもこの学園の現トップは他ならぬいたずら好きのユリィだ。そうである以上、どちらにせよ好き放題やっていたであろう事は想像に難くなかった。
「……ん?」
「どうしたの?」
話しながら歩いていた一同だが、ふと、カイトが周囲を見渡しはじめて立ち止まった。
「悲鳴……人だかり……まさか……」
『主よ。そのまさか、リーシャ殿だ』
カイトが周囲を見渡していたのは、悲鳴が聞こえたからだ。が、その方向を密かに確認したステラからの報告で、カイトは即時撤退を決定する。そして同じく人だかりで事情を察したらしいヨシュアが、溜め息を吐いた。
「なあ、見なかった事にしていいか?」
「良し、そうしよう」
「カイトも同意しないでよ。頑張りなよ、生徒会の仕事なんだから」
「くそぅ……」
どうやら一応揉め事ということで生徒会役員のヨシュアは出なければならないらしい。そうして去って行ったヨシュアの背中に、カイトはそれに非常に沈痛な面持ちで手を合わせた。
「ご愁傷様……」
「……会ったことあるの?」
「……ああ」
「街で会うって……もしかして、あれか? 英雄だと思って会いに行ったとかいうオチか?」
カイトの儚い笑みを見てどうやら真実らしいと把握した彼らは、非常に居た堪れない気持ちになる。彼らとて、かつてカイトの主治医の一人にして、怪我の治療という医学分野における貢献で大戦の英雄の一人であるリーシャについては憧れがあったのだ。だが彼女ほどに、その幻想をぶち壊してくれる女性も居ないだろう。
「ちょっと怪我して……な? 何故か気に入られたんだ……」
「うわぁ……怪我して治療してもらえたのは良いけど……」
「ご愁傷様です……」
ぼかして答えたカイトに対して、一同は少しだけカイトから距離を取って、マークに至ってはそっと目をそらすほどだった。
「巻き込まれたくない……さっさと行こう」
「だね……」
そうして歩き始めた一同だが、この中で唯一、そのリーシャなる教諭の事を知らない人物が居る。まあ、当たり前だが皐月だ。なので彼女が首を傾げながらカイトに問い掛けた。
「どんな人?」
「……勇者カイトの主治医……間違いなく名医であり、最高の外科医にして薬剤師だ、という事だけは言える」
「うん。僕らも皆、それだけは認めているよ……」
カイトの言葉に、マークが非常に疲れた顔で答える。これは誰もが認められた。なにせ幾度も死線をさまよったカイトの主治医だ。実績だけでもカイトから絶大な信頼を集めているだろうことは認められる。
「が。あれは単なる性癖破綻者だ……曰く、怪我の治療は単なる趣味と実益が兼ね備わっただけ。曰く、あれと同じ種族とは思って欲しくない。曰く、子供に見せてはならない英雄。曰く、騎士が貴婦人に対して対処に困るなんて。曰く、あはは……曰く、不死身の魔痴女……そして、あの淫乱変態マゾの雌豚にだけは、絶対に関わるな。治療の対価に精神がすり減る」
「め、雌豚?」
「あ……おっと。失礼した。英雄であり貴婦人に使うべき言葉では無かったな」
カイトから滔々と語られる彼女に対する評価に、一同がドン引きする。どうやらカイトの抑えられぬ感情が何時しか勇者カイトとしての暴言へと繋がったようだ。ちなみに、その前の曰く、というのは全て彼の親しい友人達のリーシャへの評である。
「ぴぎゃぅううん! えへぇ……」
「きゃー! 先生が光悦の表情で倒れたわ!」
「ああ! リーシャ先生! こんな所でぴくぴく痙攣しないでくださいよ!」
「ちょっ! ローブの中身やばいぞ! 誰でも良いからガキが登校してくる前に隠せ! 教育に悪い!」
そんな罵声を飛ばしたからだろうか。人だかりの方向で猫のしっぽを踏んづけた様な可愛らしい声に続いて、快楽に身悶えするような淫靡な声が響いた。そして起こった生徒達の大騒動を聞いて、カイトは背筋を凍らせる。
「行くぞ……くそ、聴覚もマジケダモノじゃ」
「ふぁん!」
「……地獄耳め……」
自らの罵声の声に逐一反応しているとしか思えない嬌声を聞いて、カイトは矢も盾もたまらず、それこそ自分の正体バレをも気にせずに即座に移動を進言し、自らは困惑する他の一同を置いてきぼりにして速度を速める。マーク達程度なら対処可能な身バレよりもどうあがいても対処不可能なリーシャバレの方がカイトとしては嫌だったのだ。
どうせ明日にはバレるのだから、と言ってはいけない。それでも一分一秒でも逃げられるのなら逃げたいのだ。だが、どうやらこれはリーシャの性格を知るマーク達は不思議には思わなかったらしい。苦笑と共に彼らもそれに従ったのだった。
「はぁ……朝から疲れた……」
「おや、カイトくん。おはようございます。お疲れの様子ですね」
「ああ、ハル先生……いえ、別に体調不良と言うわけではないので、ご心配なく」
「学校名物の一つの洗礼を受けていたらしいです」
一同から別れて教室に行けば、どうやら既に担任のハルも来ていたらしい。そうして見たカイトの顔に思わず問い掛けたが、マークの続けての言葉に彼も苦笑するしかなかった。
「そ、そうですか。ご愁傷様です。でも、授業はしっかりと受けてくださいね」
「はい」
どうやらリーシャについては知られているどころか、洗礼となっているらしい。ハルもそれだけで残念そうな顔になっていた。詳細を聞かないあたり、相当なのだろう。
そうして朝の挨拶を終えたカイトとマークだが、続いて再び疲れる事が起こる。まあ、カイトは忘れていたが、このクラスにはカイトを標的と見定めた少女が居たのだ。
「ふふふ……来ましたわね、カイトさん! 今日こそはこれで叩き潰して差し上げますわ!」
「……なんだ、その装備」
「ふふふ……これは我が家が総力を上げて完成させた私の為の武装! 少々昨日は油断しておりましたが、今日はそうはいきませんわよ!」
椅子から立ち上がってどんっ、と仁王立ちした鎧姿のシエラを見て、カイトもマークも溜め息を吐いた。体育はまだ先だというのに既に全身金色の鎧という随分の気合の入り様だが、そもそもで彼女のプランには一つの穴があった。それを、カイトは指摘する事にした。
「別に戦ってやるのは良いが……そもそもペアって選ばせてもらえるのか?」
「僕は知らないけど……」
「……あ」
どうやらシエラもそこに気付いていなかったらしい。一瞬目をパチクリさせて、口を開いた。そして開いたまま、二人の間の空気が固まる。が、一分ほど固まり続けた所で、シエラが再び口を開いた。
「で、では騎竜部の方で目に物を見せて差し上げますわ!」
「あ、オレ今日飼育委員の方に出てくれ、って言われてる」
「な……」
カイトの再びの回答に、シエラはぽふり、と椅子に腰を下ろした。そうして浮かべた儚い笑みに、カイトもマークも彼女をそっとしておくことを選択したのだった。
ちなみに、後に聞いた話なのだが、シエラも普段は騎竜部として活動しているらしい。事情は知らないまでもサボった事を意外に感じていたキリエがぼやいていたのを、カイトが聞いていた。なお、更に後に聞いた話では、昨日はこの装備を手配するのに忙しく、サボった、との事だった。
座学では流石に戦えない為、暫くはシエラも何も揉め事を起こす事は無かった。が、どうやら意外とシエラは幸運に恵まれているらしい。それは3限目の体育の授業での事だった。
「さて、では今日も今日とて形稽古は終わったから、次は模擬戦だね! 本当はここらで一度団体戦でもしておきたい所だけど、何分天桜の彼らも居ることだしね! 僕もいまいちまだ実力を把握できていないから、もう少しの間は、模擬戦で我慢してくれたまえよ! じゃあ、今日も手を出してくれたまえ!」
そう言ったルークの指示に、生徒一同は殆ど何も気にする事なく手を前に出した。別にきちんと考えてさえいれば授業内容について気にする者も殆ど居ないからだ。
「ふんっ!」
それからは、何時も通りだ。手のひらにペアを決める為の印字が浮かび上がる。
「13Bか」
「僕は14A……良かった。ズレてたらカイト相手だったよ」
「げ……俺13A……」
「ヨシュアか……マークとも一度戦ってみたくはあったけどな」
「やめてよ。本職相手にさ」
カイトが己の手のひらの上に浮かび上がった印字を見て呟いた言葉に、マークとヨシュアは各々の反応をする。
ちなみに、ヨシュアは軍人の兄が居る為に彼から手ほどきを受けたとのことで軍では一般的な盾無しの片手剣――盾の有無は流派に依るため、ルキウスやアル達が珍しいというわけではない――で、マークは獣人としての身体能力を活かすためにか短剣を武器として選択していた。
「良し。じゃあオレは今日からは普通の戦い方に戻るかな」
各々の対戦スペースへと入り、カイトはヨシュアを前にして徒手空拳で相対する。別に相手はシエラの様に嗜虐心をくすぐられるわけではないし、ルークから何か依頼がされているわけではない。なので今日は自由に戦えるのである。そうして3つほど模擬戦を行った所で、シエラが待ちに待った瞬間が訪れた。
「うふふ……今日は勝ってみせますわよ!」
「……まあ、好きにしろ」
残念ながら、シエラに負けてやるつもりもない。なのでカイトは溜め息混じりに刀――別に今日も大鎌で戦うつもりは無い――を構える。
「はっ!」
「ふっ!」
両者は同時に地を蹴って、距離を詰める。そうして、結果は言うまでもない戦いが繰り広げられるのだった。
「チェック」
「……な、なぜですの……」
それから3分ほど戦いを続けて、カイトはシエラの喉元に短剣を突き付けた。刀を持ったカイトの分身を囮にして、自らは後ろから忍び寄ったのだ。そうして戦いに決着をつけて、カイトはシエラに告げる。ちなみに、戦いそのものは昨日よりも今日の方が楽だったのだが、その原因を指摘しようと思ったのだ。
「あー……一つ言いにくいんだが……」
「なんですの?」
口を尖らせたシエラだが、カイトがアドバイスを送ろうとしている事に気付いて、拗ねた様子で問いかける。
「そのフルオーダーの鎧。はっきり言うが、邪魔だぞ?」
「なっ……これはドワーフの名工シルバが鍛えた名品ですのよ!」
「いや、名品なのは認めるが、歩兵用の調整、やったか? それ、取り回し考えたら多分、騎龍か騎竜用だろ?」
「はぁ……?」
シエラは言われた事が理解出来ず、カイトの言葉に首を傾げる。念のためにいうが、決して、動きを阻害しているなどということは無い。では何か、というと、これはルークが答えてくれた。
「それは音だよ、シエラくん! 君は何時も学生用の鎧でしていたから僕も気付かなかったけど、君の戦い方はひとつなぎの流線的だからね! 常に音が鳴っていて、何時動くのか教えてしまっているんだ!」
「大剣士とかで動きが大雑把な威力重視なら良いんだろうが……大鎌だと全身を使って動く関係上、慣性が効いて常にカシャカシャ音立ててたぞ」
「そん……な……」
がっくし、という感じでシエラが膝を屈する。確かに、彼女が着ていた鎧は一流の名工が彼女の為に仕立て上げた物だろう性能を有していた。身体能力については鎧の補助のお陰で昨日よりも数段上がっていたし、根本的にシエラの動きそのものは悪い物ではない。彼女の大鎌の流派自体が体全体で舞う様に戦う物だ。それについては流派が違うカイトも指摘すべき点は無い。
とは言え、実家から取り寄せたと言うように、おそらく久しぶりに着るからなのだろう。それが何時もと同じ感じで着まわした彼女の身体に合致しておらず、音を立ててしまっていたのだ。
おそらく取り寄せた、ということで実家の側も騎竜用の調整をしたのだろうが、それ故、歩いて戦う事への調整が不足だったようだ。カイトとの勝負を急いだ彼女の判断ミスだった。
「じゃ、今日もオレの白星で」
「うぅ……」
シエラから何か言える事は無い。なので彼女はがっくりと膝をついて項垂れるだけだった。そうしてトボトボと端っこに戻っていき、そこでずーん、と落ち込むのだった。
なお、どうやら彼女は復帰が早いらしく、次の戦いでは普通に高笑いが聞こえてきていた。というわけで普通に明日からもカイトは彼女に絡まれる事になるのだが、それは横においておく。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第518話『英雄の卵を育てる者達』