第515話 寮生活
留学を開始した場合、天桜学園の生徒は生活の基盤を魔導学園に置くことになる。そうなれば必然、魔導学園にある寮で生活する事になるのだ。寮については遠方の学生達の為に一通りの設備が完備されている上、入居者達の中にはキリエの様に高位の貴族の子弟も少なくない。かなり良い設備が整えられていた。
となれば、幾ら同じくマクスウェルに地盤があるといえど、体験者として冒険部所属のカイト達も寮で生活する事になっていた。
「おーす。部活お疲れ」
「ああ、そっちもお疲れ様」
部活を終えて、各々が乗った竜達を竜舎にあずけて飼育委員達に世話を任せると、カイトとヨシュアはお互いに疲れを労い合う。そうして更に皐月を含めて雑談を行った所で、ふとヨシュアが何かを思い出したらしい。
「どうした?」
「っと、忘れる所だった。じゃあ、もう聞いてると思うけど、俺に付いてきてくれ。寮まで案内する」
「ああ、頼んだ」
当たり前ではあるが、一応天桜学園の生徒は生徒たちの為の寮の場所は知らない事になっている。なので騎龍部ではヨシュアがその案内を命ぜられたのだ。
そうして、三人で移動を始めると、10分程で寮に辿り着いた。寮は5階建で、様々な種族に対応出来る様に大きめの扉を兼ね備えていた。外観は少し古くさい木造建築だったが、内部はおそらく幾度か改修されているのだろう。窓から垣間見える内部はそれなりに綺麗だった。
「まあ、他にも寮はあるけど、ここが一応二人の寮になる。ちょっとボロいけど、中は何回か改修されてるから、そこまで古臭くは無いぞ」
「ふーん……結構味のある作りね」
「エルフ達の住む森の木だな。あそこの木は結構いい素材だから、内部の改築だけで問題無いんだろう」
ヨシュアの言葉に二人はペタペタと寮の外壁を触りながら自分達が暮らす事になる寮だ。気になるのは当然だった。
「じゃ、中に入るぞ。二人の部屋は俺と同じ共同スペースだから、4階だな」
「共同スペース?」
「あ、うん。とりあえず、見てもらった方が早いかな」
皐月の問い掛けに対して、ヨシュアは説明よりも見せた方が早いと思ったらしい。とりあえずの移動を始める。そうして階段を登って4階まで移動した二人だが、その階層は外観の広さからは想像出来ないぐらいに扉の数が少なかった。
「交互に男子階層と女子階層があるから、階層間違えると悲惨だぞ。まあ、皐月ちゃんなら可能だろうけどな」
「間違えないわよ……それにしても、扉少なくない?」
「ああ。これは共同スペースに入るための扉だからな。共同スペースから更に各自の部屋に繋がってるんだ」
歩きながら更にヨシュアは説明を行っていく。そうして階段から少し歩いた所にある扉を開ける。彼と同じ場所だ、というのだから、ここが二人の共同スペースになるのだろう。
そうして扉をくぐると、かなり広めのリビングの様な空間が広がっていた。どうやら全員が集まって話し合う為のスペースらしく、大きめの机があり、それを取り囲む様にソファが幾つかがあった。
「よ」
「いらっしゃい……と言うか、やっぱり男なんだ……」
「へー、俺たちと変わんないな」
そこに居たのは、数人の生徒達だ。中にはカイトや皐月が見知った顔もあり、二人に気さくに挨拶を送ってくれていた。カイトの馴染みとしてはマークが居た。
「一応ここが二人の暮らす共同スペースだな。まあ、台所は使ってないから、好きに使っていいぞ。洗濯は各自で」
一通り案内しながら、ヨシュアが寮内の共同スペースの説明を行う。そうして共同スペースについて粗方の説明が終わった所で、一端案内を区切る事にした。
「まあ、とりあえず荷物あるけど、必要な荷物揃ってない可能性もあるから、先に部屋見てこいよ。買い出し必要なら急がないとだしな。マーク、お前カイトの方頼むな」
「あ、うん。わかったよ」
ヨシュアとしてもカイトが馴染んでいるマークの方が良いだろう、と考えたのだろう。そしてそれを理解したらしいマークも二つ返事で了承を示し、とりあえずカイトはマークと共に自らに与えられた寮室へと移動していく。
「ここが、君の寮室だよ。空き部屋だけど、寮母さんがきちんと清掃してくれているから、問題なく使えるはずだよ」
そうして案内された部屋は床がフローリングで、寮生の生活に必要な机などの家具は一通り備わっていた。靴箱がある所を見ればどうやら靴を脱いで上がる事も出来る仕組みの様だ。
「洗濯物なんかを入れる用に一応専用のカゴがあるから、そこに入れて共同スペースにある洗濯機で洗濯したら良いと思うよ」
「二つあるみたいだが?」
マークの指示に従って室内の備品のチェックをしていくカイトだが、洗濯用のカゴは赤と青の二つあった。その意図を図りかねるカイトであったが、マークは苦笑しながら理由を告げた。
「ああ、うん。赤い方は実験で使う白衣とかその時に万が一で汚れた物用だよ……まあ、あの……ウチの実験って結構……なんて言えば良いのかな……本格的? なんだ。だから結構匂いの強い魔法薬の調合とか、服に付いたら落ちにくい材料なんか使うから、一緒に洗っちゃうと匂いとか色が移っちゃうからね」
「そ、そうか」
かなり言い淀んだマークの様子に、カイトは大凡何が起こるのかを把握する。どうやらユリィの学園は天桜学園とは違い、教師陣からして一筋縄ではいかないらしい。まあ、創設者達からして一筋縄では無いので、その伝統が守られている、とも言えるだろう。
「あ、だから赤い方はきちんとタグを付けて、共同スペースにある提出スペースに提出してね。曜日は毎週水曜日と金曜日だから、忘れないでね」
「そんなに実験は多いのか?」
「実験が多い事もあるけど、白衣は全部着回しだから。それに魔法薬の調合は数時間に一度見る事もあるから、白衣は結構使うんだ。そうなると汚れちゃうからね」
今日は無かったのでわからなかったのだが、どうやら実験を行う授業は地球に比べてそれなりに多いらしい。まあ、エネフィアは剣と魔法の世界だ。魔法薬の調合から魔術の実習など、地球では本来は実施されないような白衣を使う様々な実践的な授業は多いのである。
「実験系で一番怖いのは……まあ、色々な意味でリーシャ先生とゼスト先生の二枚看板かなぁ……あの二人の授業は色々と気を付けた方がいいよ。必修だから逃げられないし、有能だから授業も良いんだけど……」
「リ、リーシャ? 魔法薬学の第一人者リーシャ・オルレイン女史か? ユスティエル族長の一番弟子の?」
「ああ、やっぱり街でも有名なんだね……」
カイトの非常に引き攣った顔に、マークは苦笑して頷いた。ゼストは言うまでもなく編入初日からなんらかの実験に失敗して大騒動を引き起こしていた教員だが、もう一人のリーシャなる人物は、実はカイトにとって既知の人物だった。
カイトの顔を見る限りでは、かなり厄介な人物なのだろう。そうしてその授業を受けているだろうマークは深い溜め息を吐いて、更に続けた。
「実はウチで白衣の提出が水・金なのは先生の授業が火曜日から金曜日まで毎日あるからなんだ。一番怖いのは二人の授業が同じ日に重なってる金曜日。リーシャ先生の講義は匂いがきつくて色もどぎつい薬品が多いからこまめに洗わないと色が酷くなるし、ゼスト先生はその……まあ、うん。爆発とかで煤けちゃうから……」
「爆発で煤ける?」
学校の実験で爆発とは一体如何に、と思ったカイトがとりあえずリーシャの事については考えない事――現実逃避とも言う――にして、その次に降って湧いた疑問を問いかける。
「うん。ゼスト先生は魔術開発の先生なんだけど、その……まあ、なんというかぶっちゃけると、ネジが5本ぐらいぶっ飛んでる先生で、どことも知れない遠くの魔物を呼び出したり変な魔術を開発しては失敗するから、よく爆発が起きるんだよね……まあ、本人至って真面目にやってるだけだし、悪い先生じゃないんだけれど……」
「そ、それはそれで凄い先生だな」
失敗しても爆発程度で済ませている力量を持つゼストなる教員に、カイトは引き攣りながらも苦笑混じりの賞賛を送る。
魔術開発とはそのまま魔術を開発することで、既存の魔術では無く独自の魔術を生み出す技術の事だ。ティナが最も得意としている分野の一つでもある。その分野はどれか単一に依らず複数分野に跨る為、非常に知識量が要求される分野でもあった。
だが当然、失敗すれば周囲を巻き込んで暴発する恐れがあるので知識量だけでなくかなり繊細な技術を要求され、ある意味、ありとあらゆる専門的魔術関係者の中では憧れに近い分野だった。
「うん。まあ、人格面含みで凄い先生……だと思うよ」
苦笑しながらマークは笑って告げる。まあ、その授業を受けねばならない身としては判断に困る所なのだろう。苦笑は仕方がない事だった。
「あと説明しておかないといけないことと言えば……あ、そうだ。共同スペースにトイレとお風呂は無いから、こっちの使ってね」
「ん? 確か1階に風呂の表示があったはずだろう?」
「ああ、それは大風呂だよ。一応どっちに入ってもいいけど、部屋にもある、っていうだけだからね。まあ、部屋のを使うのは夜遅くなったりして、大風呂が使えなくなった時の為、っっていうのが大きいかな。大風呂は一応夜の12時で消灯になっちゃうから、気をつけてね」
「わかった」
マークの言葉を聞いて、カイトは了承を示した。ちなみに、大風呂の時間が決められているのは別に莫大な光熱費が必要、というわけではなく、ただ単に水の張替えや浴槽の清掃、魔力の無駄を考えるとこうなっただけだ。
「あ、筆記用具なんかで必要なのは購買部に行って買うか、街に出て買ってくるか、だよ。購買部の方が安いかな。一応購買部は20時閉店で土日は休みだから、そこの所だけは注意しておいて」
机に取り付けられていたランプ型魔道具の調整を行っていたカイトに対して、マークは思いつく限りで必要な事を伝えていく。そうして同じ様に様々な場所の確認を行っていく。
「ん、とりあえずはこれで一通り確認が終わったかな」
「じゃあ、一回戻ろう」
粗方の伝達事項を伝えた所で、二人は一度部屋の確認を終える事にした。そうして確認作業を終えて一度共同スペースに戻ると、既にどうやら皐月の方の確認も終わっていたらしく、共同スペースに殆どの人員が集まっていた。そうして全員が集まった所で、少しヨシュアが緊張しながら口を開いた。
「えっと、とりあえず、この班……まあ、一つの共同スペースを共有してる所を班っつってるんだけど、ここは8人で一つかな。で、俺が班長になってる……えっと、まあ、と言うわけで……これからよろしく」
どうやらヨシュアは班長として何か気の利いた事を言おうとしたらしいが、思い浮かばずに当たり障りのない言葉になった様子だった。そしてどうやらそれは彼も気付いているらしい。少しだけ気恥ずかしげに咳払いをして、しゃべりを再開した。
「ん、んん。まあ、というわけで、諸々の挨拶はこれで終わって、伝えるべき事を伝えておこうかな。まず、朝食は6時から8時まで。夕食は18時から21時まで。場所は各寮1階の食堂か、校舎の食堂だから、自由にしてくれ。まあ、朝っぱらは校舎の方が部活生しか居ないから空いてるかな。で、風呂についてなんだが……」
その後、一部マークの説明と被る部分もあったものの、ヨシュアの説明が続いていく。当たり前だがそれは多くが共同生活に必要な説明であった。
「で、洗濯物については洗濯機は共同スペースの端っこのあそこにあるから、誰も使っていないかどうか確認だけちゃんとやってくれ。で、一応使用中は各員の名前を掻いたタグを貼り付けること。忘れたら悲惨だぞ」
エネフィアでは知られている事ではあるのだが、地球の洗濯機とは異なってエネフィアの洗濯機はかなり静音性・振動低減に優れている。
というのも大本となる洗濯機のアイデアは異世界人イクスフォスが持ち込んで、更にそれをカイト・ティナの二人が地球のアイデアを下に改良したのだ。つまり改良が加えられてからだけでももう300年が経過しているのである。開発からの年月だけを見ても地球よりも上だったのであった。
まあ、とは言え。これは一つの結果をもたらした。即ち、機械では無く人為的なミスだ。あまりに静かすぎて、うっかり屋は使用中にも関わらず開けようとしてしまうのである。
一応カイト達による改良によって各種の安全装置は組み込まれたが、それでも時に強引にあけてしまう事はある。そうなれば、待ち受けるのは水が吹き出す、というお粗末な結果だった。
「なあ……」
と、そんな説明を聞いていると、ふと横の生徒がカイトに問いかける。どうやらずっと疑問に思っていたらしい。
「あの皐月って子。マジで男?」
「ここにいるんだから、そうだろ」
「……なあ、ならなおさら疑問なんだけど……下ってどうなってんだ?」
「下?」
横の生徒の問い掛けに、カイトが首を傾げる。下、と言っても今の皐月は貸し出してもらった女子生徒用の制服だ。なので下はスカートだ。見たままだろう。
「中の方だよ。中の方」
「知るか」
中の方、と言われればカイトだって理解出来た。言うまでもなく、下着の事だろう。確かにカイトも気にはなるが、聞いてはならないというか、もしそのまま答え合わせと称されて下着を見せられでもしたら精神的に色々とダメージを負いそうだと思ったのだ。
「と言うか、オレが知ってると思うか?」
「まあ、そりゃそうか……いや、一つ賭けやっててさ。一口噛むか?」
何に対する賭けか主語は無かったが、それでもカイトにも賭けの内容は理解出来た。つまり、皐月の履いている下着は男物か女物か、だろう。まあ、そう思ったのは早計だったのだが。
「いや、男物なのか女物なのか今結構良い塩梅で賭けが進んでてよ。誰が風呂に突撃するか、で今揉めてる所。大風呂に入ってくるなら、話は早いんだけどな。流石にそこら辺は結構きちんとしてそうだからさ」
「げふっ……お前ら、凄いな」
皐月に関するそこらは勇者とさえ言われるカイトでさえ手を出さなかった絶対の聖域――もしくは魔境――だ。そこに挑もうとする彼らに、カイトは素直に賞賛を贈りたかった。
「オ、オレは遠慮しておく……あいつには手を出さないと心に誓っているんだ……」
三つ子の魂百までも、というが、カイトは転移前に皐月に翻弄されること5年近く。おまけに転移前までは最も近い友人だったのだ。
当然、誰よりもその性格に翻弄されている。それこそスカートをたくし上げられて挑発された回数は100をくだらない。そのトラウマに近い物は今でも残り続けているのであった。
「やるなら、気をつけろよ。あいつはそういうのを察知するのが上手いぞ」
「そっか……まあ、忠告サンキュな」
どうやらカイトは乗らないらしい、と見て取った横の生徒は簡単に引き下がった。とは言え、カイトはこれが成功するとは露とも思っていない。
なにせ地球においても、同じ様な賭けは何度も起きた。それどころかもう意地で性別を確認する、という事だけを加えれば、両手の指では足りないだろう。となればカイトがこの行動に似た事に関わらされた回数は山程あるのだ。その全てが失敗していることを知っているのである。
「まあ、姉弟除いて一緒に風呂入ったのオレだけだからなぁ……」
あの当時から少し背丈が伸びただけで殆ど変わっていない華奢な身体の皐月を見ながら、カイトは溜め息を吐いた。確かに、あの時の記憶を思い起こせば男だった、と思う。素直に、自信は無いが。いや、念のためにいうが、彼女は男だ。それはカイトもそう思っている。
とは言え、今のあの姿を見れば、自分達で確認しなければその台詞を鵜呑みに出来ない事は簡単に理解出来た。なにせ確認出来たカイトでさえ、これなのだ。仕方がない。そうして、今回も失敗するだろう試みに、カイトは密かに激励を送るのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第516話『お風呂』