第497話 ランクSの世界
魔導機を乗せた小型艇は、マクスウェルを出発すると北を目指して進み続けていた。が、やはりティナの予想通り、戦いは起きた。
「さて……やはりここの領域におる魔物は厄介な魔物じゃのう」
『イエス……ですが、マザーで厄介、となると世界的に見て終わっちゃいますけどね』
魔導機に戻って戦闘の用意を整えているティナに対して、アイギスが笑いながらティナの戦いの準備の補佐を行う。一応、このままでも戦いは出来るが、最悪でもコクピットをつないでいる通路の接続ぐらいは解除しておかなければならないだろう。
『通路の接続を解除……マザー。これで何時でも戦えます』
「うむ……敵は?」
『……相対距離、80キロ』
『え……?』
アイギスから告げられた言葉に、アラームに気付いてコクピットにやって来ていた楓が思わず唖然となる。敵は何処か、と探していたのに見付からないわけだった。
『それ……敵気付くの?』
「気付くぞ。この距離ではのう」
『え……?』
「ランクSは化物揃いじゃ。余でも普通は戦いを避ける。被害が馬鹿にならんし、あまりに性能が巫山戯ておる……が、気付かれては仕方があるまいな」
ティナは魔導機を飛空艇から分離させて、飛翔機を起動する。そしてそれに合わせて、飛空艇が停止する。ほぼ全ての出力を防御に回すつもりだった。
『マザー。敵、気付きました。数秒後には来ます。高度と大きさから『厄災の鳥』と推測されます。ご注意を』
「うむ……」
流石にティナも相手を考えて、少しだけ気を引き締める。敵はランクS。化物だ。そしてその化物は、確かに化物だった。
『え?』
次の瞬間、楓が思わず目を瞬かせる。いきなり敵が現れたのである。そんな彼女に、アイギスが告げる。敵は100メートル級の漆黒の巨大な鳥だった。翼からは何か黒々とした妙な羽根をはためかせて、浮かんでいた。
『驚く必要はありません。『厄災の鳥』はランクS。それも上位種です。純粋なランクSと見積もって構いません。今回は使っていませんが、転移術程度は、普通に使えます。それより、シートベルトをしっかりと締めてください。かなり、揺れますよ』
さしものアイギスも、少しだけ危機感を滲ませる。彼女は操船に集中するつもりだった。
「この空域であれば、満足に戦えるのう……」
転移術を繰り返す相手を見ながら、ティナが小さくつぶやく。ここであれば、誰かに見られる心配は無い。なにせ高度1万メートルだ。流石に気付かれない。と、それと同時に、『厄災の鳥』が突っ込んできた。
「ふっ!」
ティナは突風を纏わせた掌底を放ち、『厄災の鳥』の軌道を逸らす。ダメージは与えるつもりは無い。打撃は効かない相手だ。ランクSの魔物だ。如何に緋緋色金の装甲であっても、下手をすれば貫かれる。一撃も貰う事は出来ない相手だった。
「さて……では、余も戦いを始める事にするかのう」
くちばしを逸らした次の瞬間、ティナもまた転移術を繰り返す。転移術を使う相手にまともに戦っても勝ち目はない。なにせ次の瞬間には転移で避けられるからだ。
どんな攻撃でも、当たらない事には無意味なのである。ならば敵の先を読んで攻撃を打ち込むしかないのであった。そして転移術を使う相手の攻撃を避ける為には、こちらも転移術を使えなければ無意味だ。そうして、ティナは『厄災の鳥』と共に転移術を繰り返す。
「さて……どうするかのう……」
このクラスの相手になると、流石にティナでも使える手は限られる。そして残念ながら、敵は転移術だけではない。
楓は気付かなかった様子だが、一番初めの接敵は転移術ではなかった。単なる高速移動だった。一瞬で80キロを移動出来るような超高速移動も可能なのである。そうして、ティナは自らの莫大な知識の中から、『厄災の鳥』の情報を思い出す。
「ふむ……『厄災の鳥』……鳥種の魔物の最終形の一つじゃな……最高速度は亜光速圏じゃったか……攻撃力はそれから繰り出される超高速による突進のみ……が、同時に莫大な魔力を纏った突進はただそれだけでも脅威……極めた事が武器になる最たる例と言えよう……物理耐性として、打撃は無効化が基本と……ふむ……」
敵を知り己を知れば百戦危うからず。それをカイトに教え込んだのは、他ならぬティナだ。それ故、彼女はほぼ全ての魔物の情報を頭に叩き込んでいた。その知識量は冒険者ユニオンが持つ魔物の情報を遥かに上回る。そして、彼女の利点は知識だけではなかった。
『何を驚かれているのですか?』
『……確か、ティナって魔王、魔術を極めた王様、のはずでしょう?』
『はい。魔王さまはありとあらゆる魔術を極めておいでです。更にそれだけではなく、魔法の領域にまで手を出されておいでです。一部こそその分野の天才達には勝てませんが……それでも劣るわけではありません』
ここでランクSの魔物との戦いがある、という事で万が一に備えて出て来たクラウディアが、驚きを隠せない楓の質問に答える。だが、驚くのも無理はなかった。
『どうして格闘術を使えるわけ?』
『ああ、あれですか? 私がお教え致しました』
楓の質問に対して、クラウディアが何処か自慢気に豊満な胸を張る。確かに彼女の言う通り、今のティナが使っているのはクラウディアの体術だ。
だが、それにしたって練度が可怪しい。どう考えても魔術師が使うような力量ではなかった。なにせ普通に<<縮地>>は使えているし、受け流しにしても完璧だ。流石にこれだけでは決め手に欠けているので勝てはしないが、それでもランクSの魔物を相手に使える体術ではあった。
『とは言え、あのクラスなので流石に無意味ではある様子ですね。物理攻撃は無効化されてしまいますので』
『そこなんです……魔王さまとて、種族としての利点だけは、得られませんでした』
アイギスの見立てを、クラウディアも認める。『厄災の鳥』は本当に厄介な事に、あの漆黒の翼になんらかの事象が起きているらしく、打撃は一切無効化されてしまっていた。
『とは言え……これから、見られますよ。魔王様が天才と言われる所以が』
クラウディアが、笑みを浮かべて二人に請け負う。突進を極めたのが『厄災の鳥』であるのなら、それに相対するのは天才と言われ、かつては世界最強と言われたティナだ。そして、天才の片鱗が姿を覗かせる。
「やれやれ……仕方がないのう……とりあえず剣は抜くとするか」
『は?』
ティナが抜き放った剣を見て、楓が目を見開く。体術だけではない。剣も使いこなすと言っているに等しかった。
「余は流石にカイトの様に近接を使いこなす事は出来ん。じゃが、ある程度であれば、使えるからのう……」
そう呟いたティナだが、やはり使う剣技は達人級、と褒めそやす事が出来る腕前だった。彼女は、天才。ほぼ全ての分野を極める事が出来た。だからこそ、剣技も練習しさえすれば、使えたのである。ただ単に種族故に魔術に対して抜群の適性があっただけ、なのであった。そうして、今度は掌底で攻撃を逸らすでは無く、剣戟を合わせる事で、敵の軌道を逸し始める。
「ふむ……これはもしや……」
一撃、剣で『厄災の鳥』を切り裂いてみて、違和感を感じる。手応えがなかったのだ。そしてその違和感を得て、ティナは『厄災の鳥』が転移した瞬間を狙いその背後を取る様に転移すると、再び斬撃を繰り出す。それも5連撃を、だ。だが、手応えはなかった。全てが霞を切る様な感じだったのである。
「ふむ……嫌ったらしいのう……」
『……少々、苦戦している様子ですね』
『え? だって、あれ……後もう少しで勝てそうじゃないの?』
クラウディアの言葉に、楓が戦闘をじっくりと観察する。すると、一見すればティナが圧倒的な優勢に立てている様に見えた。
というのも、ティナは常に敵が転移術を使用した一瞬後に転移術を使用して常に敵の背後に位置取り、斬撃や打撃を決めていたのだ。どうやら敵の動きが早い様子で有効打は与えられていないだけで、その内追い詰められるのは目に見えていた。が、これは楓の目から見て、の話だった。
『いえ、先ほどから何度も決めに行っていますよ』
驚いた様子の楓に対して、クラウディアが首を振る。力量不足の楓には見えていないだけで、実はティナは先程から有効打となり得る斬撃を何度も放っていたのであった。だが、それらは回避されているのではなく、無効化されていたのであった。
「……だから、ランクSは面倒なんじゃ……障壁で無効化しておるなら別に解除すればしまいじゃし、転移の瞬間を狙えばしまいなんじゃが……コヤツは斬撃無効も追加されとるのう……」
『魔王様。少々牽制致しましょうか? 打撃無効とは言え、軌道を逸らす事は可能。お時間をお作り出来ます』
「ふむ……別に要らん。余とて地球でパワーアップしておる。少々苦戦しておるが、この程度であればまだ必要な程度ではない」
顔には苦戦している焦りなぞ一切見せず、ティナはクラウディアの申し出に対して首を振る。今はまだ距離を離せぬが故に『厄災の鳥』に対して有効的な魔術を使えていないが、ティナが勝てない相手ではない。確かに苦戦はしているが、クラウディアの援護が必要となるわけではなかった。そうして、ティナは少しだけ考える。
「さて……そうは言ったものの……どうするかのう……」
転移術を繰り返す『厄災の鳥』に対して有効打を与えるならば、その突進の瞬間を狙ってカウンターを仕掛けるか、転移術を先読みして攻撃するしかない。
とは言え、今見た様に、物理攻撃はほぼ無効化されてしまっている。この様子では刺突も何処まで有効かわかったものではなかった。厄介さに更に輪がかかっていた。
「仕方がないのう。久しぶりに、魔王の御業とやらを見せてやる事にするか」
ティナはそう言うと、転移術を使用して一瞬だけ距離を離す。当然だが、それを受けて『厄災の鳥』も同じく転移する。転移先はティナの真正面だ。そこから亜光速で突撃して、貫くつもりだったのである。
とは言え、そんな一本調子な戦い方がわからないティナではない。なので『厄災の鳥』が貫いたのは、ティナの創り出した幻だった。そうして、無数の幻が生まれる。
『なっ……』
『亜光速なので、それなりには作らないとダメですか……アイギス。どの程度の数が?』
『イエス……計測によると、約5000程かと』
無数の幻を貫いていく『厄災の鳥』を数えたアイギスがクラウディアの質問に答える。転移術と同時にこれだけの数の幻を作り出せるのは、エネフィア広しといえども、ティナぐらいなものだろう。まさに、魔術を極めた魔王の御業、だった。
「さて……では、まずは転移術を封ずるとしよう」
ティナはそう言うと、右腕を突き出して幻を貫いていく『厄災の鳥』に向ける。すると、『厄災の鳥』の周囲を覆い尽くす様に、魔法陣が生まれた。模様は複雑で、数千数万という記述が為されていた。これは転移術を禁止する結界のような物だった。
とは言え、これだけでは亜光速で移動する『厄災の鳥』には回避されてしまう。なので、次に封じるのは、その速度だった。
「次は移動を封ずるとしよう」
ティナは更に突き出した腕の拳を握る。すると、それに合わせて魔法陣が縮んでいく。そしてそれがある程度まで縮んだ瞬間、魔法陣の端からいきなり光で出来た注連縄が伸びる。それは漆黒の『厄災の鳥』へと絡みついて、動きを縫い止める。
そうして、完全に動きを止めて、ティナは更に魔法陣を展開する。今度は結界を生み出すではなく、攻撃をする為に、だ。敵を考えてそれなりの火力が必要と考えたのであった。
「では、終幕じゃ……」
物理攻撃は無効化される。であれば、後は魔術で消し去るのみ。とは言え、敵はランクSの上位に位置する魔物だ。生半可な魔術では障壁で無意味にされる。だから、ティナは切り札の一枚を切る事にした。
「其は背徳の都を滅ぼせし神の炎戒なり……」
滅多に無いことに、ティナが極僅かだが詠唱を行う。敵は化物。生半可な力では、打ち倒せない。杖も無い状況では、詠唱をして威力を高めなければキツかったようだ。
「<<背徳の火焔>>」
ティナの口決に合わせて、いきなり小さな太陽が生まれる。比喩ではなく、まさに太陽だった。一応魔術で阻害しているが、結界の内側の温度は摂氏6000度にも匹敵していたのであった。この魔術を使いこなす者が本気でやれば、摂氏1万5千度にも達する。正真正銘、太陽を生み出す魔術、だったのである。
「ふむ……なかなかに悪くはない術式じゃな。が……少々、手こずるか。まあ、致し方がないのう」
『厄災の鳥』を太陽の炎で焼き切り、ティナがぱんぱん、と手を叩く。掛かった時間は約3分。ほぼ全ての魔物を瞬殺するであろうティナとしてみれば、苦戦した方だった。そうして、ティナは再び魔導機を飛空艇に接続するのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第498話『魔王城』