第476話 立ち止まる者
少女の慟哭は、真夜中には聞こえなくなった。それを確認すると、付きっ切りで看病していた女子生徒が中に入る。すると、中では少女が泣き疲れて眠ってしまっていた。ずっと泣き通しだったのだろう。少女の目は赤く腫れ上がり、頬には涙の跡が見えた。
「しょっと」
女子生徒は少女を抱き上げると起こさない様にゆっくりとベッドに横たえ、掛け布団を被せる。
「えっと、確かお香が……」
女子生徒はポケットの中を探り、ティナから受け取ったお香を焚く。すると直ぐに鎮静作用のある特殊な花の香りが幌馬車の中に漂い始めた。
「おやすみなさい」
そう声を掛けると、女子生徒はその場を後にする。さすがに今日ばかりは遠慮して、別の馬車で眠る事にしたのだ。
「ごめん……なさい……」
出ていこうとした女子生徒の背中に、小さく呻くような少女の声が響く。それが如何な事への謝罪なのかは理解出来ないが、女子生徒はその痛ましいまでに沈痛な声を背に、幌馬車から下りたのであった。
翌朝。少女はがたん、という揺れで目を覚ました。そうして少女が目覚めた時には金色の髪を持つ美少女の顔が目の前にあった。言わずもがなでティナなのだが、目の前にあった顔に少女は思わず悲鳴を上げ、勢い良く起き上がろうとして、ティナの額と彼女の額っが衝突する。
「きゃあ! いたっ!」
「んぎゃぁ! いたた……まったく。いきなり起き上がるでないわ」
少女がいきなり自分に頭突きをしたので、ティナはぶつけた額を擦りながら苦言を呈する。それを受けた少女の方も額を擦りながら謝罪した。
「え、あ……ごめん」
「ふむ、怪我は問題無いのう。脳の方も確かな様子じゃ」
ティナとて何の意味もなく少女の顔を覗きこんでいたわけではない。治療の一環だった。脳の状況を確認する魔術を使用していたのだが、それ故顔を近づけていたのだ。尚、この一件の後、ティナは手をかざして診察出来る魔術を開発したらしい。
ティナの言葉に、少女が自分の身体を見渡す。すると、そこには包帯が巻かれ、治療が為されていた。
「え……あ、治療してくれたの?」
「うむ。怪我は酷くは無かったが、一応傷の手当てを施しておいた。それ以外にも破けた服はすまぬが勝手に脱がさせて貰ったぞ」
「え、あ……」
少女が掛け布団をめくり、自分の服をきちんと確認してみると、そこには昨晩まで自分が来ていた服では無かった。まあ確かに泥まみれの血まみれだったし、かすった斧の所為でかなり破れていた。ベッドで眠っていた事を考えれば仕方がないだろう。
「ふむ。まあ、体調は大丈夫なようじゃな。お主の名は? 余はユスティーナ。ティナで良い」
「あ、カナン……カナン・オレンシア」
カナンはようやくここで名乗っていなかった事に気付いて自己紹介を行う。少し弱々しくはあったが、きちんとした名乗りにティナは頷いて横にあったトレイをカナンの前に差し出す。
「では、カナンよ。とりあえず朝食は持って来てやった。さすがにもうキャラバンが出発しておるからのう。一応魔術で温め直しておるから、冷めてはおらん」
「ありがとう……でも、ごめん。今は食欲が……」
カナンは弱々しく笑みを浮かべて、ティナの気遣いに感謝を示して告げる。まあ、この反応は当たり前だろう。仲間を全員失った後だ。食欲もなくなろう物だ。まあ、当たり前であるがゆえに、ティナの行動は手慣れたものだったが。
「ふむ……」
「むぐぅ!?!?」
カナンの顔に満面の困惑と驚愕が浮かぶ。だが、言葉を口に出来る事は無かった。なぜなら、ティナが食事をひっつかんで強引に口にねじ込んだのだ。吐き出せるかというと、そうでもない。なにせ口に突っ込んだ後、ティナはそのまま口をしっかりと閉じさせて、強引に咀嚼させたのだ。
「……んぐ」
「美味いか? ほれ、水じゃ。今のはパサパサで、口が乾こう」
強引に咀嚼させられ、飲み込まされたカナンへとティナが問い掛ける。そうして食べ物を口にした事で、カナンはようやく空腹を思い出した。
なにせ、昨日昼食を食べた後全速力で森を駆け抜け、その後は眠り疲れて泥のように眠ったのだ。外の太陽の状況から既に朝日が登ってかなりの時間が経過していることは明らかだったので、殆ど丸一日何も食べていない事になる。今まで空腹は喪失感や悲壮感で上書きされて感じなかっただけで、身体の方はずっと栄養を欲してたのだ。
ティナは知っていたのだ。こういう風に生き残らされた者は、生きる気力を無くしている、と。ならば強引にでも、身体が生きようとしている事を心の方に思い出させなければならない、と。
「……うん」
「食わねば余計に滅入る。食わねば活力も出ず、回復も遅くなる。食え。それが、全ての基本じゃ。お主は生き残った。ならば、生きねばならん。生き残らされたのなら、なおさらじゃ。ここでもし戦いも無しに死ねば、それはお主の為に生命果てた者達への冒涜と知れ」
「……う……ん……ひっぐ……あむ……うっぐ……」
カナンはようやく取り戻した空腹に背を押され、涙ながらにティナの言葉を受け入れて食事を食べ始める。それをティナは見た目にそぐわぬただ優しげな表情で見守り続けるだけだった。
ちなみに、だが。この食事は実はティナが作った物で、こういった喪失感に押しつぶされそうになった者に食べやすい――と言うより強引に食べさせやすい――食事であった。300年前の大戦を駆け抜け、その前には魔族同士の戦乱を治めた彼女だからこその料理だったのである。
「うっぐ……美味……しい……ひぐ……」
「全て食べ終えたら、一度シャワーでも浴びてくると良い。それで随分と落ち着こう」
「うん……」
涙ながらにティナの持って来た朝食を完食したカナンは、ティナの言葉に従ってシャワーを浴びる。そうして湯船に浸かれば、今まであった疲労感が抜けていく。まだ涙は止まらないが、それでも随分と落ち着く事が出来た。
そうしてカナンは涙が止まった頃に湯船から上がり、どうやら修繕してくれたらしい元の衣服に袖を通す。先ほどまでの衣服は獣人の尻尾を通す為の穴が無く、ズボンの腰の部分から出していたのだった。ちなみに、彼女には獣の耳は無い。ハーフなので獣耳は顕れなかった様である。
「あの……ありがとう」
「うむ」
そうしてカナンが入浴中もずっと部屋で待っていてくれたらしいティナに、カナンが頭を下げて礼を言う。それにティナが頷いて、本題に入った。
「さて……泣き止んだ所に告げるのは酷じゃが……この7枚はお主の仲間の物で間違い無いな?」
「っつ……うん」
昨日は5枚だったので誰かが生き残っている事に一縷の望みに賭けていたカナンであったが、入浴中に思考がきちんと働く様になってその望みがかなり低い事は理解出来ていた様だ。かなり辛そうであったがはっきりと頷いた。
「そうか……勇者カイトの下で再会出来る事を祈ろう。遺体の方はこのキャラバンの隊長であるプロクスが火葬してくれておる。後で礼を告げておけ」
「うん……」
少し沈痛そうな表情を浮かべたティナの言葉に、カナンが弱々しく頷く。ティナが告げた『勇者カイトの下で再会出来る事を祈る』とは日本で言う所の『ご冥福をお祈りします』に近い。
死者を束ね、軍勢として呼び出す事が出来たカイトにあやかって出来た、冒険者や軍人等総じて戦士達の為の弔いの言葉だった。死後は勇者の下に集い、再び共に戦える事を祈ったのである。
「荷物については回収しておる。それで間違い無いな?」
「あ……」
ティナの指摘で、カナンはそこでようやく血が付着した荷物入れに気付いた。いや、意図的に、意識から除外していたのだ。その血からは、自分が見知った殆ど同い年の虎耳の少年の臭いがした。
「ルード……」
大量に付着した血から、ルードが即死だっただろう事が読み取れた。そうして再びカナンは涙を流す。だが、今度は慟哭を長続きさせる事は無かった。もう死んでいる事は受け入れられていたからだ。
「あの……荷物を持って来てくれて、ありがとう」
「礼は良いよ。余では無いしな。お主を救った仮面の男が回収して、持って来おったのじゃ」
「あ……その人は何処? お礼言わないと……」
カナンは仮面の男ことカイトを探そうとするが、カイトは既に去った後だった。使い魔に与えた力にしても予想以上に残っていた『人牛』との戦闘とカナンの仲間達の埋葬で消耗しきってしまい、今では万が一に備える為に人型を取らせる事は出来なかった。
まあ、荷物を回収しなければ少しは会えるだけの余力も残せただろうが、カナンを慮って遺品を回収する為に力を使ったのである。
「おらぬ。あ奴は南に向かう途中だったらしいのう。それ故、キャラバンとは別向きじゃったから、お主を余らに預けた後は再び南に足を向けおった」
「そう……」
つまりは、もう二度と逢えそうにない、との事だった。それを聞いて、カナンは少し残念そうだった。
「さて……カナン。お主はこれからどうするつもりじゃ?」
「え?」
ティナの言葉にカナンは寝耳に水、という顔をする。考えた事も無かったのだ。
「冒険者なのじゃから、何か依頼は受けておらんかったのか?」
「あ……えっと、荷物の中。確か依頼を書き写したメモが入ってる筈……」
カナンはそうして血の付着していない荷物入れから一枚のメモを取り出した。一応依頼を受諾する時には彼女も聞いていたのだが、年上の冒険者達への信頼感から殆ど聞き流していたのだ。良くそれをレーヴに怒られているのだが、彼女の言葉は正しかった。このメモも彼女が残した物だった。
「えっと……ああ、そっか。荷物運びだ。場所は『魔女達の庭園』。そういえば私とレーヴさんが中に入って届けろって言われてたっけ……」
「『魔女達の庭園』か。それなら、丁度良い。このキャラバンの目的地も『魔女達の庭園』じゃ。依頼は果たせそうじゃな」
「……そっか、うん」
再び泣き出しそうになったカナンに対して告げたティナの言葉に、カナンが少しだけ活力を取り戻す。ただ一人生き残らされたのなら、冒険者としての務めを果たそうと考えたのだ。それで、仲間へと生き残った事を許して貰える気がした事も大きかった。
これは『サバイバーズ・ギルト』と呼ばれる物なのだが、それでも今は生きる為の活力だ。なのでティナはその罪悪感を承知で、今は生きさせる為に敢えて見逃す事にした。
「まあ、とりあえずは今は眠ると良い。まだ傷も癒えてはおらぬ。到着は明日じゃから、もうしばし休むことはできよう。昼食と夕食は持って来てやるから、今日一日は休むといい。もし何か入用なら……うむ。フェル」
「はいです!」
「こいつに言うといい。余の使い魔じゃ。それで、余に伝わろう」
「え……?」
ティナが呼び出した黒猫に、カナンは唖然となる。そうして尻尾を振って人懐っこそうに自分に懐く黒猫にカナンがわずかばかりでも癒やされているのを見て、ティナはその場を後にするのだった。
カナンの個室を後にしてティナが向かった先は、プロクスや瞬達が集まっている馬車の一つだった。あまり大人数でカナンの見舞いに向かっても駄目だろう、とティナだけが状況の説明等を合わせて向かったのであった。
「なんとか、落ち着いたのう」
「ほっ、見事やな」
ティナの言葉に嘘が無いのを見抜いて、プロクスがその手腕を賞賛する。普通ならば数日落ち込み続ける事も少なくは無いのだ。それをあっという間に持ち直させてみせたティナの手腕は確かに誰が見ても見事であった。
「で、彼女はなんて?」
「うむ。とりあえずはこのキャラバンと同行する。どうやら受けておった依頼の目的地が『魔女達の庭園』じゃったらしくてのう。生きる為の目標として、同行させるのが今は良かろう。プロクス殿、それで構わんか?」
「ああ、そりゃ構わん。カイムさんからも道中の駄賃貰っとるしな」
一応、カナンは不慮の事故にあった少女なので金を取らなくても本社のリデル公イリスも文句は言わないだろうが、それでも金――名目上は心付けだが――が手に入るのならそれに越した事は無い。なのでプロクスは即断でティナの問い掛けに答えを返した。
「うむ、すまぬ。『魔女達の庭園』に到着してからのカナンの動向についてはあ奴自身に決めさせると良いじゃろう」
「まあ、そうか。とりあえず、カイムさんは往復代ぐらいは渡されてたんでしたっけ?」
「ああ、それぐらいもろうとる。まあ、少し多めやったが、心付けつーとこやろ」
瞬の問い掛けにプロクスが頷いた。カイトが受渡したのは、ミスリル銀貨1枚――日本円にして約10万――だ。マクスウェルから『魔女達の庭園』までの旅費が片道金貨3枚――しかも往路に関しては殆ど道程を終えている――である事を考えれば若干高いが、それはプロクス達への手間賃も含んでいたからである。
ちなみに、カナンへはミスリル銀貨2枚。此方はまだ先が見通せないだろうから、とティナは敢えて告げていない。安易に告げて自暴自棄に捨て金にされても困るからだ。
「まあ、とりあえず。カナン? やったか、何とかなったんやったらそれでええわ」
「うむ。それについては此方できちんと対処しよう」
プロクスは素っ気ないが、これは昨夜の会議で決まった事だった。同じ年齢層の同じ冒険者の方が安心出来るだろう、とカナンの身柄は冒険部側が保護する事に決まったのであった。
「まあ、そうは言うても駄賃もろうとるのに何もせんのは商人の流儀に反する。一応カナンのお嬢ちゃんの馬車には戦闘時に消音と防振の結界ぐらいは追加で張らせて貰おうとは考えとる」
「うむ、それが良いじゃろう。瞬、お主はなるべく生徒達に戦闘時にはカナンの乗る馬車には登らぬ様に言い含めた方が良いじゃろう」
「ああ、分かった。直ぐに通達しておこう。綾人、木崎、お前らも通達頼む」
「ああ」
「ええ」
共に会議に出席していた他の二人に向けて、瞬が通達を行う。そうして、カナンの処遇が決まった事でこの会議はお開きとなり、各々自分の仕事へと戻っていくのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第477話『里帰り』
2016年8月25日 追記
・誤用修正
『息災無い』というのは誤用でした。それに合わせて、意味が通じる様に修正しました。