第475話 閑話 ――壊滅の原因――
「カナン、お前は近くの小川から水汲んで来い」
「はーい」
少女にとって運命の日。少女は昼前になり、丁度休める場所を見付けて安全を確保出来たので、早めに昼食を食べる事になる。そうして、パーティの隊長役の男に命ぜられて食事の為に水を汲んで来る事になった。これは何時もの事で、力と速度に優れた少女が少し離れた小川にまで水を汲みに行くのが普通だった。
水がある所には獣が集まり、それを目当てに魔物が集まる。実は水を汲むという行動はかなり危険であった。だが、水を汲む最中に万が一魔物に出会ってもこの少女だけなら逃げ切れるので、少女が水を汲みに行くのが常なのだった。とは言え、さすがに周囲に生息する魔物が少女では対処しきれないクラスになると、その限りでは無いが。
「よいっしょ、と」
持ち運び用の容器に、カナンは水を汲み入れる。さすがに人数が人数なので、一度で全てを運びきる事は出来ない。なので水を汲むのは複数回だ。
「一回目、と……水質は大丈夫だったし、次はヨアズさんのかな。あの人、一気にがぶ飲みするからなー」
「そんな事言わないの。ヨアズは水棲族なんだから、お水がご飯よ。それにそんな事言ったらカナンはお肉一番食べるじゃない。食料の肉の半分ぐらい貴方の為よ?」
「あはは」
年上の女性の言葉に、カナンは笑みを浮かべる。彼女はカナンがこのパーティに加わった時から面倒を見てくれている女性で、食事の担当だと料理担当だった。なので、カナンの趣向は全て把握されていた。一切否定できなかったのだ。
「ま、まあ、私獣人と龍の間の子なんで……」
「獅子も虎も龍も変わりないでしょ。ルードは菜食よ。貴方も野菜をしっかり取りなさい」
パーティの中にはカナン以外にも獣人――と言ってもカナンは当人の言葉通りにハーフだが――が居る。その一人の獣人が肉よりも野菜好きな事を指摘され、もっとバランス良く食べる様に言われる。口うるさくはあるが面倒見の良い女性に、カナンは苦笑して脱兎のごとく逃げ出した。
「はーい、気をつけまーす!」
「あ、ちょっと、こら!」
まだ何か言いたげだったが、全てをしっかり聞いていてはそもそもで食事に用意にも差し障る。なのでカナンは次の容器をひっつかんで脱兎の如くに逃げ出すと、もう一度小川へと向かう。
「えっと、次はヨアズさんの水を汲まないとだから……」
水棲族の中でもスライムに似た人は食事として特殊な措置を施した水を摂る事が多かった。別に野菜や肉が食べれないわけでも無いし、何かあった時の祝宴等ではきちんと豪勢な食事を食べている。荷物等の問題から、ただ単に旅の最中では水を食事とする事が多いだけだ。
とは言え、この水は何でも良いわけではない。当たり前だが、彼らの身体は水――に近い液体――で出来ている。もし摂取する水がヘドロ混じりの汚い水であれば当然、摂取した彼らの身体そのものに影響してしまう。なのでなるべく水は不純物が入らない様に濾過する事が肝要で、出来れば水質自体が良い物が良かった。
それを考えれば、この小川の水は最高とは言わないまでも、良い水質と言える。水棲族のヨアズとしても旅の最中で得る食料としては満足出来る物だった。
「水質問題なし……あ、ちょっと軟質。らきー」
カナンは一応念の為にきちんとした水質の調査を行っておく。飲める水であるのは確認済みだが、どんな水なのかは確認しておいた方が良い事には変わりはない。
ちなみに、カナンは軟質の水で喜んでいたのだが、何も水棲族の全員が軟質の水を好むと言うわけでは無い。ただ単にヨアズなる水棲族の好みであった。
当人曰く、柔らかい方が身体が柔らかくなる、との事だったのだが、カナンにはいまいち硬水を摂取した時との彼の身体の違いはわからなかった。
「二回目、と」
「おかえりなさい」
「ヨアズさーん、先にご飯取って来ましたんで、食べて大丈夫ですー!」
再び出迎えてくれた年上の女性に頭を下げると、カナンは大声で食事の用意を行っているヨアズへと声を掛ける。彼だけは食事が水だけなので、別に料理が出来上がるのを待つ必要は無い。一応結界は張り巡らせているとはいえ、万が一に備えて食事は食べられる時に食べるのが冒険者の常識だった。
「ありがとう」
カナンの声に気付いて、ヨアズが地面を滑る様にやって来て、水の容器を回収して戻っていく。少し感情に乏しい声だったが、それが彼の特徴だ。きちんとお礼は言っているし、表に出る事が無いだけでそれがデフォルトである事はカナンも知っていた。
「じゃあ、次で最後ね」
「はい、もう一回行ってきます」
一回目は食事の用意で使う分。二回目はヨアズの食事の分。三回目は休憩を終えて旅を再開した時の為の水だった。ヨアズの食事があるので普通のパーティよりも一回分多いのだが、それは仲間の為だ。カナンとしても喜んでその苦労は受け入れていた。
「予備の容器は確か……3つ切れてたかな」
当たり前だが、水やらを何時でも補給出来るわけではない。なので、出来る時に纏めてマックスまで補給して、保存が出来る為の容器に入れておくのだ。
「勇者様は偉大ですー、と」
鼻歌交じりにカナンは予備のタンクに水を補給していく。ちなみに、勇者とはカイトの事だ。カイトが普及させた容器が大本の物を冒険者達はこぞって使用している。
性能の良さもあるが、同時にありとあらゆる死地を超えて生還した験担ぎでもあった。その為、カナンはダブル・ミーニングでこう言ったのだ。
「最後、終わり!」
予備の容器に水を補給し終え、カナンは荷物を所定の場所へと置いておく。それと同時に、料理をしていたパーティの女性が料理を終える。
「こっちも終わり。カナン、これ運んで」
「わーい」
出来たての昼食と共に、カナンはパーティの一同が集う場所へと向かう。
「いっただっきます!」
「はい、どうぞ」
カナンが元気よく料理を食べ始め、それに合わせて和気あいあいと食事が進む。当たり前だ。彼らはこの後に訪れる悲劇を知らない。そうして、全員が昼食を食べ終えた。
「ふぃー……あー、食った食った。げっぷ」
「カシムさん、おっさんくさいですよ」
そうして食後、パーティの隊長格である男のおっさん臭い行動に対して笑いながらカナンが告げる。
「いいんだよ、おっさんなんだから」
「諦めたら早いわよ」
「いや、まあ、そうなんだけどよ。つーか、レーヴも年同じじゃねえか」
カシムは爪楊枝を口に加えながら、料理を作った後片付けをしている年上の女性へと苦笑する。
「いいの、私は魔族だから」
「俺も魔族だって」
見た目は20歳近くも違うが、二人共同い年だった。これは種族差による老化の差で、カシムが歳相応に老いていくのに対して、レーヴは寿命の終盤に一気に老いる特殊な種族だからだ。
「カシムさん、出発の準備出来ました」
と、そこに虎耳の少年が声を掛ける。彼の役割は昼食後の後片付けの手伝いと、再出発の準備だった。それを受け、カシムが告げる。
「おう……ムーア、カナン。周囲の警戒頼むわ。結界解いて大丈夫なら、解いて出発するぞ。シアーズ、ピアーズお前ら兄弟もルードと一緒に荷物持て。結界解いたら直ぐに移動だ。森で立ち止まるのは厄介だからな。」
一同の中でも耳の良い面子――森は視界が悪いので、視界はあまりあてにならない為――に周囲の警戒にあたらせ、体力に長ける面子に荷物を持たせる。戦闘力の高い面子が身軽になることで、万が一の戦闘に備えたのだ。
「ちょっと遠くに魔物が居る」
木々の上に登り、ムーアなる獣人の男が一同に告げる。
「種類、わかっか?」
「いや、無理だ。さすがに遠すぎる」
「数は?」
「そんなに多くは……いや、結構多いな。更に遠くにもう一つ集団がある」
「厄介だな……」
カシムが少し顔を顰める。昼食用に展開した結界は強度や効果こそ高いが、継続時間はそんなに長くは無いのだ。追加で展開する事も考慮に入れて、カシム達は少し相談する。
「もう一つ展開しておくか?」
「一時間の強力な奴を展開しておく?」
「結界の外の魔力が感じられなくなるのが難点だが……それがいいだろう」
此方の数は8人で、このパーティの内、カシム、ヨアズ、レーヴ、そして上に登って警戒しているムーアがランクBだ。冒険者としての経歴も長い。他の面子は全員ランクCだった。調査の限りでは、よほどの数で取り囲まれなければ、この森で問題がある面子では無かった。
だが、それでも万が一は有り得る。結界はそれなりに高価な物であるが、自分や仲間の命には変えられない。なので全員一致して、新たに結界を展開する事にする。
ちなみに、次に展開する結界は中に居る人物の魔力を漏れ無くする代わりに外の魔力も感じられなくなる物で、魔力以外の走査方法が重要となってくる。まあ、獣人が居るので問題は少ないが。
「おい、出発は延期だ。もう一時間ずらすぞ」
そうしてカシムが出発の延期を伝え、それに合わせて全員が再び休憩に入る。旅をしていれば出発が延期されることは良く有る。なので誰も不満は口にしない。既に慣れっこだからだ。そして一時間後。再度出発の準備を整える。陣形は先ほどと同じだ。
「どうだ?」
「音はするが……バラけているな」
「私もそう思います」
再び木々の上に登ったカナンとムーアが周囲の音を聞き分けるが、魔物の集団の姿は無く、周囲にバラけている様子だった。
「集団は去ったか?」
「多分、だが……遠くにも居るから、かなりバラけているな」
「良し。じゃあ、結界を解除するぞ」
「ああ」
そうして、カシムが結界を解除する。このタイミングが一番危険で、全員が警戒感を最大に滲ませる。だが、何も起きなかった。そしてほっと一安心した所で、異変が起きた。
「なにこれ……」
「……なんだ……つっ! 一気にこっちになだれ込んでくるぞ!」
「何!?」
ムーアの警告で、カシムが驚愕を露わにする。そして異変を示す様に、牛の嘶きの様な遠吠えが響き渡った。それに次いで、角笛の様な音が鳴り響いた。
「『人牛』達の角笛の音か! しまった! さっきのは『人牛』の群れだったか! 全員、一度かたまれ!」
牛の嘶きの様な声を聞いて、カシムが安全策を取ったつもりが悪手だった事を悟る。頑強な筋肉に惑わされて認知されにくいが、道具を使い熟す、群れで行動する等『人牛』は筋肉だけの馬鹿では無い。異変を感じれば群れで警戒するぐらいの知性は持ち合わせていた。いきなり消えた8つの魔力に警戒したのだろう。群れがバラけたのはその捜索の為だった。
「数は……50を超えてる!」
「ちっ! 南に街道があったな! どっちだ!」
「コンパス……あっち!」
カシムの声を受けて、レーヴが南の方向を指示する。完全に取り囲まれる前に脱出しなければ、後は数の暴力でなぶり殺しに合うだけだ。なので、指示は怒号混じりだし、全員の顔に焦りが見えた。ちなみに、街道に逃げようとしている理由は、そこならキャラバンが通るかもしれないという万が一に賭けたのだ。
ネットゲームではMPK――モンスター・プレイヤー・キルの略称。モンスターを用いて他プレイヤーを倒す行為――として忌み嫌われる行為だが、現実には致し方がない場合には許可される。
さすがに命が懸かった状況で、生き残る為の行動を非難するわけにもいかないからだ。そして、こう言った場合には協力しあうのが、冒険者の暗黙の了解だった。
「カナン! お前が一番足が早い! 街道まで行って、キャラバンが通らないか確認してこい! 途中の敵は気にするな! ムーア! お前はその援護に回れ!」
「はい!」
「ああ!」
カナンとて、こういう場合での自分の役割は理解している。なので、拒絶することは無い。それが一番全員が生き残る可能性が高いなら、それに了承を示すのは当たり前だった。
そして、二人は全速力で森を駆け抜ける。だが、道中包囲網を狭めた『人牛』に遭遇する。数は2体。時間を掛ければ倒せないでは無いが、今はその時間が無かった。なので、次の行動は必然だった。
「カナン、行け!」
「ムーアさん!……気をつけて!」
ムーアが囮となり、カナンが先を急ぐ。元々これは規定された行動だったが、それでもカナンは若さと経験不足から若干の逡巡を見せる。だが、ムーアの顔に浮かぶ必死の形相を見て、カナンも意を決してその場をムーアに任せた。
「ムーア!……ちぃ! まだ行けるな! 弱音は聞かねえからな!」
「なん……とか……」
それから数分の間、ムーアは単身『人牛』の集団を食い止め続けたが、やはり無理が祟った。致命打では無かったが足に怪我を負ってしまっていたのだ。そうして合流した面々だが、ムーアは一人欠けている事に気付く。カナンと同程度の年齢の虎耳の少年が欠けていたのだ。
「ちぃ!」
ムーアの忌々しげな舌打ちが響く。何があったか、なぞ聞く必要は無かった。ここに来れなかった時点で、その意味は理解出来た。
まだ冒険者としての経歴が浅かった事が災いして、彼は荷物を持って行こうとして、投げられた大斧に当たってしまったのであった。荷物を持って行こうとした時点でカシムが怒号を飛ばしたが、その直後の悲劇だった。
「急ぐぞ!」
とは言え、こんな所で足踏みをしていては彼の二の舞いだ。なので、一同はカシムの号令で再び走り始める。だが、悪運が尽きた。包囲網が狭まったのではなく、彼らの逃走ルートの先に群れのボスが居たのだ。
「な……『王人牛』だと!?」
さすがに立ち止まるしか無かった。安易に突撃しても、死ぬのは目に見えていたのだ。なにせ群れのボスに相応しく、『王人牛』のランクは一つ上のB、それもランクBでもかなり上だ。
しかも、こいつは『人牛』よりも頭が回る。彼の指示で、警戒網が敷かれたのだった。まともにやっても勝てない相手との遭遇に、全員が顔を顰める。
「気付かれた!」
次いで響いた角笛の音に、最悪だ、と誰もがそう思うが、もうどうしようも無い。生き残るなら、これ以上敵が集まる前にこのボスとその取り巻きを倒すしか無かった。それから、彼らは必死で抵抗する。だが、その結果は当然だった。
「ぐふっ……」
カシムの腹に『王人牛』の角を刺さり、口から吐血する。既に全員満身創痍で、何人かは虫の息、生きているのかさえ定かでは無かった。
「カシム!」
「馬鹿! 後ろだ!」
その様子を見て、レーヴが思わず叫ぶ。だが、これが悪かった。後ろから『人牛』が迫っていたのだ。それを見たカシムは痛みに耐えつつ声を飛ばすが、間に合わなかった。『人牛』の豪腕が振るわれ、レーヴは直撃を食らう。
「レーヴ! くそっ!」
カシムは悪態を吐くが、角に突き刺さったままでは助けることは出来ない。いや、そもそもで既に彼女は息が無かった。古い仲間の死に、彼の目には憤怒の炎が宿る。
「ヨアズ……辛いのわかるが、一つ付き合え!」
「……ああ……最後に……一つ見せてやろう!」
既にコアがボロボロになり、身体の原型も殆どとどめていないヨアズにカシムが声を掛ける。それを受けて、ヨアズが滅多にない感情を滲ませた声で答えた。そして、ヨアズは大空へ跳び上がると、そのまま半径100メートルを包み込む巨大なドームになる。
『一体足りとも逃がさん!』
「最後に一発どでかい花火を見せてやるよ!」
そして集まり始めた莫大な魔力に気付いて周囲の『人牛』達は逃げ出そうとするが、ヨアズの身体で出来たドームに捕まって逃げられない。『王人牛』も自らの角に構わずカシムを殴りつけてカルナを殺そうと試みるが、その腕をカシムは必死で防御して、命脈を繋ぐ。
攻撃の余波でぼきり、と『王人牛』の角が折れるが、その御蔭でカシムは身体の自由を取り戻す。
「すまん、カナン……すまん、旦那……俺はここまでの様だ……カナン……なんとか、生き延びてくれよ……お前が、俺達が生きた証だ……さあ、地獄まで一緒に行こうぜ!」
最後にカシムは唯一先に逃げ出せたであろうカナンに謝罪して、顔に獰猛な笑みを浮かべる。そうして、彼は角を犠牲にして距離を離す事に成功した『王人牛』へと突撃し、そして爆音が響く。
ヨアズのドームは敵を逃さぬと同時に、爆音を外に逃さぬ為の物でもあった。当たり前だが、周囲100メートルを吹き飛ばす様な轟音が響いて気付かない筈は無い。最後まで、最も年下のカナンを気遣ったのだ。そして彼らの願いは通じ、カナンはこの爆音に気づかず立ち止まる事なく走り続け、カイトによって救われたのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第476話『立ち止まる者』