第410話 もう一人の剣豪 ――小次郎――
皇城の一角にある訓練場にてカイトから発せられた驚愕の一言に、時が止まったソラ達。そこから復帰した時には、既に剣道部の面々による練習試合が終わっていた。
「……はい? わんもあぷりーず」
無表情なソラが、カイトに棒読みで問い掛けた。まあ、このまさに純日本風お姫様という美女があの小次郎だ、と言われればそうなるだろう。
「だから、旭姫様が小次郎先生だって」
「え? ですが、どう見てもあのお方は……」
瑞樹が旭姫を覗い見ながら、カイトに小声で問い掛けた。眉目秀麗、才色兼備、その有り様はまさに武家の女で、男勝りな佐々木小次郎との共通点は唯一つ、切れ長の眼と、艶のある長い黒髪だけだろう。それに、カイトが笑いながら問いかける。
「聞いたこと無いか? 佐々木小次郎という人物は50を超えた年齢で巌流島での戦いに臨んだ、と。一説には70を超えたとかもあるが……」
「巌流島? それは何処ですか?」
カイトもソラ達も努めて小声で話していたのだが、どうやら試合が終わったことで旭姫に気付かれた様だ。彼女は聞き覚えない名前に、首を傾げていた。
「ああ、申し訳ありません。舟島の事です。後年、お二人の戦いに沿い、巌流の名を取って巌流島と名付けられた、との事です」
「はぁ……全く。慣れ合いで終わった決闘に、よくぞ名まで変えられた物です。そもそも、ササキの名も貴方の所為でしょう」
「……え?」
旭姫のとんでもない一言に、ソラ達が固まる。何処か責めるようにカイトに言い放った旭姫だが、彼女が言うのはエネフィアでの事であって、地球での佐々木姓とは関係がない。なので、カイトがその旭姫の少し責める様な口調に、困った様な顔になった。
「そうは申されましても……私も佐々木小次郎、と伝え聞いておりますが故……旭姫様のお名前を上げるわけにもいかず、つい、佐々木姓を……」
カイトが少しだけ困った顔で答えた。カイトも地球で聞いたままに答えただけで、落ち度は無い。責められる言われは無かった。
「全く……誰が勝手に佐々木などと言う名を付けたのでしょうか……」
「少なくとも儂では無いぞ。伊織でもあるまい」
嘆く旭姫を前に、武蔵が先手を打って自分では無いと言う。
「さ、さぁ……申し訳ありません。学園の図書館にはなにかあるやも知れませんが……」
「左様ですか。では、その時には案内を頼みます」
「は……」
旭姫に少しだけ睨まれたカイトは、小さく、頭を下げた。そうしてカイトは、再び気を取り直してソラ達に向き直った。
「……で、瑞樹。佐々木小次郎について何か聞いた事はないか?」
「はぁ……『小次郎』は実在していますが、佐々木姓は後の歌舞伎、『敵討巌流島』での佐々木小次郎の役名、『佐々木巌流』から来ているのではないか、との推測がなされています」
「あ、そですか……」
自身が調べていなかった答えをあっさり言った瑞樹に、カイトがぽかん、となって頷いた。と、只受け入れたカイトに対して、旭姫が口を開いた。
「貴方は聞いた物をただ」
「承知しております。後、旭姫様とともに、書物を紐解かせて頂きます」
「よろしい」
お説教を食らっては堪らないとカイトが先んじて言った言葉に、旭姫が満足気に頷く。あの『小次郎』の時も厄介だが、この『旭姫』の時も厄介は厄介だった。そんな二人を、武蔵が面白そうに楽しげに笑っていた。そして、腰を折られた瑞樹だったが、再び続けた。
「巌流島の決闘についても、諸説ありますが、発端は両者の弟子が口論となって、が発端との事……で、よろしいのでしょうか?」
さすがに本人達が居る以上、迂闊に断言が出来なかった瑞樹は二人を覗い見ながら尋ねる形を取った。そうして、二人が頷いたのを見て、先を続けた。
「そこでの戦いは現代で伝わる所ですと、宮本武蔵が遅刻する、佐々木小次郎が物干し竿の鞘を捨てる、宮本武蔵は櫂を削ったふた振りの木刀で戦う、佐々木小次郎は宮本武蔵の木刀にて即死する、といった所ですわね。この内、遅刻の一件等多くの事が後年の創作ですわ。合っていると思しきは、恐らく三尺の白刃を使った、という事ぐらいでしょうか」
「まあ、それは合っているらしいな。でも、多くが間違いだらけなんだ」
カイトは瑞樹が語ってくれた内容を誤りとバッサリ切って捨てる。これは当人達に聞いたのだから、真実だろう。そうして、少しだけ面白そうに口を開いた。
「まあ、この通り、旭姫様は女であらせられてな」
「そりゃ、どう見てもな」
ソラが旭姫を見ながら、当たり前だと頷く。雅な着物を着流し、豊満な胸や切れ長の眼、端正な顔等、何処からどう見ても女にしか見えなかった。
「まぁ、これがお転婆も良い所じゃったのよ。それはもう、親の輝元殿が頭を痛めるぐらいに、のう。」
武蔵はかかか、と大笑いしながら、旭姫に対してそう茶化す。輝元、と言う名前に驚いたのは、日本出身の者達だ。戦国時代で輝元といえば、一人しか居なかったからだ。目を見開いて瑞樹が問う。
「輝元……もしや、西軍総大将毛利輝元ですの?」
瑞樹の問いかけに、武蔵が頷く。そこからは、武蔵が説明を引き継いだ。
「うむ。まあ、儂は関ヶ原の折には親父と東軍の黒田如水殿に仕えておったがな……これがの、まあ、このように綺麗な着物を着飾れば良い姫君となるのじゃが、刀を持てば途端、入水した鶴姫が降臨したかと思うがばかりの阿修羅と化しおる。それはまあ、輝元殿も大いに頭を痛められておったわ」
さすがに父の名を出されて真っ赤になった旭姫だが、武蔵は気にせず更に続ける。尚、黒田如水とは、豊臣家に仕えた名軍師・黒田官兵衛孝高の剃髪後の名のことである。
「さりとて名家毛利の姫君がお転婆なぞと公に出来ぬ、とその小娘にも知恵はあったらしい。家臣の前では名家毛利の姫君を振るまい、それが終われば姿を偽り名を偽り、出来上がったのが、小次郎という剣客よ。流派は巌流。全てがこの姫君の偽りよ。あの当時じゃ。偽る事は容易い……まあ、あまりにお転婆じゃから嫁にも出せぬ、勝手に武芸は極めるわと散々頭を痛めておったらしいの。それでまあ、そこの金の髪の娘子が言うように、とある時に如何な縁か儂と戦う事になってのう。それが輝元殿にバレて、そこで一芝居打つ事になったのよ。輝元殿は詮方無いと近く小倉の忠興殿に頼み込み、即興で忠興殿の所に士官する剣術指南役の小次郎、という人物をこしらえたわけじゃ。姓が記されんのも当たり前で、そんなもの存在せんからな。で、舟島で少々試合をして、そこで小次郎死する、と相成ったわけじゃ」
「……左様です」
耳まで真っ赤になった旭姫が、小声で肯定し、小さく頷く。全て嘘偽り無い自分の来歴なので、一切否定が出来なかったのであった。そんな旭姫に、武蔵が楽しげに笑った。
「若かりし頃の話じゃと、もう諦めれば良かろうに……と、言うわけで、出来上がったのが、巌流の使い手、小次郎。本来の名は毛利の姫、旭姫姫。歴史書や家系図からは名さえも消された姫君、というわけじゃ」
「そんな……」
仕方がないといえば仕方が無いが、同時にあまりといえばあまりな仕打ちに、誰もが憐れみの眼を旭姫に向ける。一方、向けられた旭姫の方はあっけらかんとしていた。
「元はといえば、私の若さ故のあやまち。舟島の辺りでは父上や皆の困窮も察しましたので、覚悟を決め、毛利の姫として振る舞おうと思ったのですが……」
「ぽっくり流行病で逝ってしもうたわけじゃ」
「左様です。いえ、正確には死する直前でしたが」
何処か少しだけ残念そうな旭姫が、武蔵の言葉に頷く。それに、カイトもうなずいてから、更に続けた。
「で、何の縁だか空中都市レインガルドの召喚装置によって、巌流島の数十年後の武蔵先生が呼び出され、それとともに死に瀕し、いや師の時間軸だと死した旭姫様が呼び出されたわけだ。まあ、理由は簡単で、当時ちょっとした理由有りで危急存亡であった空中都市レインガルドを救える人物を、と何かが呼び出したらしい。何が呼び出したのか、なんて聞くな。古代遺跡にはんな不可思議なもんザラにある。どれかの防衛設備に異世界からの召喚装置でもあるんだろうよ」
カイトが肩を竦めて首を振るう。前史文明の古代遺跡には、嘗ての大戦の最大要因であった<<転移門>>の様に、未だティナでさえ解析出来ていない遺物は少なくない。
そんな超文明の遺物の1つに異世界から召喚する物があってもおかしくないし、現に武蔵達はそれによって、世界を越えている。今よりもずっと、魔術という意味では進んでいた。カイト達冒険部の役割はそれを探しだして、地球への帰還に役立てることであった。
「? 何故、対だったんですの? 救える、というだけなら、お一人でも良かったのではないですの?」
瑞樹の質問は、カイト、武蔵達も長い間の疑問であった。しかし、これは推測の域を出なかったため、カイトはそれを断っておく事にする。
「詳細は知らん。が、これは推測だが……恐らく、どちらかが万が一都市の守りを拒む、もしくは逆に滅ぼす側に回った場合、レインガルド側にはそれを止められるだけの戦力が無い。無いから呼び出したんだからな。多分、それに対する保険として、だろう」
遺跡の召喚技術に遺跡に対する防衛機能があるかどうかはわからないが、無いのなら、まかり間違えば、逆に滅ぼされる可能性さえあったのだ。万が一に備えておくのは、様々な面からみても当然であった。
今でこそ剣士として名だたる武芸者を抱える空中都市レインガルドであるが、当時は古代遺跡のみが有名な都市――そう言ってもごく一部でしか知られていなかったが――であった。
つまり、戦力的にはいまいちだったのである。それを考えれば、高性能な遺跡が自己防衛の為、止められる人物を招くのは至極当然の判断の様に考えられた。
「此方に転移した際に万全へと身体を組み直され、魔術的な力と得物を得た儂と姫。まあ、姫が目覚めたのは戦の終盤じゃったが……」
「これもまた推測の域を出ませんが、私自身、病で瀕死の状態でした。なので、それの治癒と身体の組み換えで目覚めるまで時間が掛かったのではないか、と」
武蔵の言葉を受け、旭姫が自身の身体に起こったであろう事態の考察を述べる。これは恐らく事実だろう、とカイトもティナも考えている。病で弱り果てた身体を治癒するのなら、幾ら魔術が優れていたとしても、時間は掛かるのである。
「まあ、儂は呼び出されて直ぐに目を覚ましたがのう。若返っておる事には魂消たが、事情を察するや、獅子奮迅、孤軍奮闘の活躍じゃったわ。始めは魔術やら何やらを妖術かと思い慣れなんだが、どれ、使ってみるとこれがなかなか便利。一度慣れるや万夫不当とはまさにこの事とばかりの活躍よ。丁度身体の慣らしも必要じゃから、と此方での初陣は適度に止めたが、千の敵を打ち倒した後じゃったわ」
かかか、と笑いながら、鼻高々な武蔵が自慢げに自身の活躍を語る。そうして更に自慢話が繰り広げられる前に、旭姫が止めた。
「宮本殿。そのお話はまた、後ほど。今は、転移時のお話を」
「おぉ、すまんすまん……さて、ここまでに何か質問はあるか?」
そこで再び手を挙げたのは、瑞樹である。彼女は今の話から、1つの疑問とその答えを得た。なので、その確認を行ったのである。
「身体の組み換え、とは? 宮本さんが若返られているのは、その所為なのですの?」
「左様です。それに加え、我らの背丈は生まれてよりの身体より、遥かに……一尺――約30センチ――程高くなっております。同じく刀も三尺の物から、遥かに伸びています。背丈の差は即ち間合いの差。おそらく、遺跡そのものが守り人となった我らを支援する為、不利な体躯と得物を変えたのでしょう。変わらぬのは、顔立ちぐらいです」
瑞樹の問い掛けに旭姫は頷き、変わった事を話す。そうして、武蔵は酒を一口含んで笑う。
「姫はその胸もかなり盛られておるがのう」
「宮本殿。かようなことは、あまり……」
頬を染めた旭姫が着物を押し上げる豊満な胸を隠しながら、苦言を呈する。それに武蔵がスケベオヤジ然の笑みを浮かべるが、それを無視してカイトが続けた。
「旭姫様は更に、病気であった身体が治癒している」
「左様です。さすがに病の名までは知りませぬが、今のこの身には一切の負担は有りません」
これ幸いと武蔵のセクハラから逃れ、旭姫が頷いた。が、目元はまだ若干赤かった。
「他にはありませぬか?」
旭姫の問い掛けに、誰も何も無かったらしく、周囲を見渡して折角なのでソラが挙手する。これは珍しいカイトの応対を見て、の事だった。
「……カイト、何故に敬語?」
「……まあ、武蔵先生はじっくりしつけられたからで、旭姫様はまあ……うん。なんというか、纏ってる雰囲気から、敬語にしないと……なんかいけない気分が」
「まあ、わからなくもない、か」
カイトの言葉に、ソラも分かった様な気がする。今の旭姫はまさに、武家の姫君だ。回りにいるこちらまで立ち振舞を正さねばならない様な気がする様な凛とした美女だった。
カイトが立ち振舞を正すのも、分かる気がした。若い彼らとて、旭姫の前では全員正座だ。それ以上に師弟としての間柄があり、年上のカイトなら、敬語を使っていても不思議ではなさそうだった。そうして、そんな気の抜ける質問を最後に、この話は終わりとなったのだった。
お読み頂き有難う御座いました。次回から新章に入ります。
次回予告:第411話『試験機』