第389話 研究者 ――イクサ――
カイトがメルの支援を決めた翌日。カイトの下に予定にない来訪者が現れたらしい。らしい、とはたった今迎賓館勤めのメイドから聞いた所だからであった。
ちなみに、休日なのでシア達も休日を取らせていた――カイトの好意と言う名のたまには休ませろ、というカイトからのお願い――ので、この場には居ない。
「はい。御主人様は今日は一日休日、となっております。明日からは再び、幾人かの貴族達との会合がお有りですが……」
「と、言うことですが?」
話を持って来たメイドに対し、椿に予定を確認させたカイトが問い掛ける。それに、メイドもまた、頷いた。当たり前だが、彼女らもカイトの予定は把握していた。
「はい、私共の方でも、その様に把握しております。ですが、先方もそれを把握しておられ、それ故に大丈夫ではないか、と……」
「はぁ……確かに、そう言う意味では大丈夫ではありますが……」
カイトは少しだけ、顔を顰める。確かに、予定は空いている。とは言え、これはある意味休日を与えるという意味で、誰も来客しない様に皇国側が予定を組んでいないのだ。
そして当然、皇帝の客人である事を理解している貴族達にはそれは暗黙の了解として伝わっており、だからこそ、今日予定が無かった所で貴族達の誰もカイト達に面会を求めてはこなかった。
それを推してくるという事は、よほどの急用か、その暗黙の了解を破っても他の貴族達を黙らせられる者のどちらかだ。
「失礼ですが、どなたが来訪されたのですか?」
「はい、第6皇女ヴェール様です」
「? 皇女殿下が?」
確かにそういった暗黙の了解を破っても粗方を黙らせる事は可能だろうが、何か文句が出ないわけではないし、そもそもヴェールという皇女はこの間の面通しにはおらず、カイトと知己があるわけでは無い。
そんな来訪者に首をかしげるが、メイドは更に続けた。そしてその人物は、カイトもその無理を通すのも納得出来る相手であった。
「はい。ご一緒に皇国魔導大学の研究者、イクサ様がご一緒です」
「ああ、なるほど。そうでしたか、彼女とはとある縁で知り合っているのです。直ぐに用意して、応接ルームへと向かわさせていただきます」
イクサの名前を聞いたカイトは、納得して断る理由も無しと受ける事にする。そうして、その件をメイドに伝え、カイトは更にメイドにティナへ伝えるように願い出た。
「ああ、そうだ。申し訳ない、イクサ殿が来訪されたのなら、隣室のユスティーナにも同じことをお伝え願います。今回の来訪では彼女にも関係があるでしょう」
「わかりました」
立ち去ったメイドを見送り、カイトは椿に頼んで用意を整える。皇女も一緒だという事なので、カイトは一応の事、礼服を着用しておこう、と思ったのだ。
そうして、カイトは礼服に着替えて、身だしなみをチェックすると共に、椿に頼んで桜達に皇女が来た事を連絡してもらう事にする。無いとは思うが、彼女らも呼ばれる可能性は無くはない。
「助かる」
「いえ……はい、これで問題ありません。では、御主人様」
「ああ、行ってくる」
そうしてカイトは一度1階にある応接ルームへと足を運ぶのであった。
冒険部に与えられた館の1階。その一室には豪奢な部屋がある。それは、皇帝達皇族の客が来客を迎えるのに相応しいように誂えられた、応接室だ。
今、その部屋には純白の肌に耳の尖った紫銀の髪の白衣の少女と、褐色の肌に銀色の髪の一人の白衣の女性が座っていた。
「なかなかに興味深いです」
「そのようだな」
白衣の女性は白衣の少女がかなり興味深げに周囲を見渡すのを見て、思わず苦笑する。そうして、一頻り彼女が満足したのを見て、白衣の女性が言った。
「会ってもらいたい人物は、この後来る二人だ」
「わかりました」
白衣の女性の依頼に応じ、白衣の少女が頷いた。そうして、白衣の少女は目を閉じる。そして、そのまま来訪者を待っていると、直ぐに今度は目を開いた。
「どうした?」
「これは……すごいです」
少女が顔に満面の驚きに浮かべ、白衣の女性へと告げる。言うまでもなく、少女の名前はヴェールで、何をしているのかというと、血の力を使って、周囲の状況を精査していたのである。というわけで、白衣の女性はイクサだった。
「鬼族、獣族、吸血鬼……なんでもいます。混血が大半ですが……これは……何?」
再び目を瞑り、意識を集中する少女だが、段々と近づく力に気付く。それは彼女が今までに感じた事の無い力であった。
「何?」
言い澱んで、更にわからないと答えたヴェールに、イクサは眉を顰めた。今までイクサはヴェールにこういった頼み事をした際、ヴェールはほぼ全て問題なく解決してきた。その彼女をして、わからないと言わしめる事は考えられなかったのである。
「何か……よくわからない者? が近づいてきます。部屋の前で止まりました」
「部屋の前で止まった?」
その言葉に、イクサが少しだけ警戒感を露わにする。そうして、それと同時に扉がノックされた。イクサがそれに応え、扉が開いた。
「はい」
「失礼致します」
イクサの許可を得て入ってきたのは礼服姿のカイトと、桜達への伝達を終えた椿だ。二人は入室すると、一礼し、自己紹介を行う事にする。
「冒険部部長、カイト・マクダウェルです。初めまして、ヴェール第6皇女殿下。お久しぶりです、イクサさん」
「初めまして、伝説の勇者カイト殿。エンテシア皇国第6皇女ヴェールです。まだ成人しておりませんが故、幼名で名乗ることをお許し下さい」
ヴェールは立ち上がり自己紹介すると、カイトに席を勧める。それに従ってカイトも着席して、椿が給仕をしていたメイドから引き継いだ。
ちなみに、成人がまだと言ったヴェールだが、彼女は今年成人を迎える事になっていた。なので別に公爵であるカイトにならば、少しだけ先に本名を伝えても問題無いが、一応は人目のある迎賓館という事で避けたのであった。
「まずは、お久しぶりです。カイト殿」
「おまたせして申し訳ありません。まさか皇女殿下自らが御幸くださるとは思ってもいませんでしたので、少々用意に時間が掛かってしまいました」
「いえ、こちらこそ唐突な来訪、誠に申し訳ありません」
当たり前だが、ここは公式な場では無いとは言え、私的な場では無い。なので三人は更に二言三言社交辞令を述べ合い、本題に入った。
「それで、此度の来意は如何なさいました?」
「いえ、ただ単に近くまで来たので、ご挨拶を、と。以前はお会いできても私の方は使い魔を介してという面目ない姿でしたから」
演技的な笑みを浮かべたイクサが、カイトの問いに答えた。研究者としてそんな演技に慣れてないであろうイクサの行動に、カイトは苦笑し、それを見たイクサは演技を早々に演技を諦めた。
「やはり、本職には敵いませんか」
「本職、ですか。私の本職は本来、義勇軍の団長。つまりは戦闘要員なのですけどね。ですので、口調も普段使いに戻してくださって大丈夫ですよ」
肩を竦めるイクサに対し、カイトは苦笑して訂正する。
「ははは、失敬。一応は公爵殿と会うとなれば、腹芸の1つでもやってみせねばならぬかと思ったのだがね」
「客が連れて来た客から来意を察するのも、過日の私の役目でしたので」
あっけらかんと腹芸を認めたイクサに、カイトは1つ、頷いた。それを受けたイクサは、足を組み不敵な笑みを浮かべてカイトに問い掛ける。何処か美人女教師といった様相であった。まあ、実際に教育者として教鞭を執るので、事実美人教師なのだが。
「さて、まあエンテシア皇族に伝わる力は知っているかね?」
「まさか知らない、と答えるわけにもいかないでしょう」
何処か教師が授業で生徒に質問する様な口ぶりで問いかけたイクサに、カイトは苦笑するしか無い。そうして、そんなカイトに対して、イクサが苦笑して、告げた。
「本来ならば、挨拶にかこつけて貴殿の正体を探ろうとしたのだがね」
「申し訳ありません、先生」
肩を竦めたイクサに、ヴェールが謝罪する。ヴェールが先生、と言ったので、カイトが首を傾げた。そんなカイトに気付いたイクサは、1つ頷いて説明を開始した。
「ああ、そういえば言ってなかったか。ヴェールは私の教え子でね。本来はまだ皇都の学園の方に所属している年頃なのだが、まあ、私の研究に協力してもらっていてね。特例的に大学の私のゼミに所属している。と言っても、まだ皇都の魔導学園の高等学校の方に在籍しているがね。大学の私のゼミには週に数回、協力と言う形で出向してもらってる」
「ああ、そういうことでしたか」
イクサの説明を聞いたカイトは納得して頷いた。才能が物を言うエネフィアに於いて、身分年齢如何に関わらず、ある1つの分野に特化した実力を持つ者が研究所やゼミに招かれる事は少なくない。皇女ヴェールもその一人だったのだろう。
「全く、まさか皇女殿下にまで協力を依頼するとは……噂に違わぬ変人ぶりだ」
「ふふ、使えるのに手を拱くなんて、学者としては下中の下だ」
イクサの言葉を聞いたカイトは何処か面白そうで、それでいて苦笑混じりの笑みを浮かべ、イクサはそんな事は言われ慣れているのか、あっけらかんとしていた。
週に何度も皇女に協力を依頼するなど、本来ならば誰もが恐れ多くて出来はしない。それを一切斟酌しない彼女は、やはり変人なのだろう。
まあ、こんなざっくばらんで他の生徒と変わらぬ態度を気に入るが故に、ヴェールはイクサに懐いて、研究に協力していたのである。と、そこで再び応接室の扉がノックされる。
「はい、どうぞ」
カイトは二人に目配せで許可を得ると、声を上げる。とは言え、扉が開くことは無かった。なぜなら、ティナは転移術を以って部屋へと入ってきたからだ。
「まずは、不躾な入室を詫びよう。この姿を生徒や教師達に見られるわけにはいかんのでな」
ドレス姿のティナが入室に際して一礼も無しに入ってきた非礼を詫びる。彼女は大人の姿を取っていたが為に、普通に廊下を歩く事が出来なかったのである。
そうして、彼女が自己紹介をして、漸く三人が異変に気付いた。ヴェールがティナを見た瞬間から、完全に動きを止めてしまっていたのだ。その顔は真っ青で、有り得ない物を見た様な顔であった。
「貴方は……そんな……」
そうして、しばらくの後。ただただ真っ青になりながら絞り出す様に語られた短い言葉が、彼女の大きな驚きを表していた。
「……失礼。どうやら私は貴方を侮っていたらしい」
そんなヴェールの顔を見たカイトは、真剣な声音で告げる。その顔には今までの柔和な笑みは無く、真剣その物であった。彼女の驚きの理由を唯一、察せられたのだ。そして、そんなカイトに対して、ヴェールが驚きを浮かべる。知りえるはずが無い、と思っていたのだ。
「お待ちください! 閣下はご存知なのですか!」
「……全てを」
ヴェールは当然だが、ティナの正体を見極める事もまた、イクサから告げられていた。まあ、魔女であるのは確実なので、どの程度の者なのか、というのを探ろうとしただけだ。だが、それが故に、本来は気付けぬはずの事に、気付いてしまったのである。
「何じゃ、やはり気付くか」
「なっ……」
そんなヴェールに対して、ティナがその驚愕を認める。そんな彼女に、更にヴェールが驚愕を深める。そうして説明しようとしたティナが口を開く前に、カイトが口を開いた。
「ストップだ。さすがにこの情報はここじゃ語れないだろ」
カイトの言葉に、ティナもふと考えて、納得する。確かに、無理な事だったのだ。
「む……確かにそれもそうか」
「皇女殿下、それについては、また別の機会にしていただきたい」
「……それは肯定する、と言うことですか?」
カイトの申し出を受けて、ヴェールが真剣な眼差しで問いかける。実はヴェールとティナの間には決定的な齟齬が生じているのだが、これはカイトが意図的に生じさせた齟齬であった。だが、どちらも、この場では隠さなければならない秘密には、違いがなかった。
それ故に、二人は別々の意味で、納得している事を見て、カイトは密かに安堵する。そして、カイトは意図的に齟齬を生じさせたまま、話を続ける事にした。
「……はい。それで、失礼ですが、この一件は皇女殿下の胸中にのみ、留めて頂ますよう、お願い致します」
「ですが、ユスティーナ様は……」
「随分、厳重じゃな」
ヴェールが大声で更に続けて発そうとした言葉を口の形で誰よりも早く察したカイトが、魔術を用いてまでそれを制した。読心術が使える者に対しての対策として、口の動きを封じて、尚且つシルフィの力まで使っての消音を施したのである。如何にティナであったとしても、大精霊の力を破ることは出来ない。ほぼ、完璧な防御を強いたと言える。
それほどまでに、カイトはこの情報の流出を警戒していたのである。妙に厳重な手段にティナが少しだけ訝しむが、カイトはそれを無視した。
「……失礼します。ヴェール皇女。ですが、貴方にならその情報の意味が理解出来る筈です」
口を動かせぬヴェールに、有無を言わせぬ圧力でカイトが告げる。そのただならぬ気配と有無を言わせぬ言葉に、ヴェールもまた何かがあることを悟り、頷いた。
「今この場で語るには、あまりにその情報は大きすぎます……数日中に、レオンハルト皇帝陛下との模擬試合を行います。その日、皇城のこの場所にお一人でお越しください。私達も……いや、一人の方が良いか……私が向かわさせて頂きます。そこで、語れる限りの事を語らさせていただきます」
頷いたヴェールに対して、カイトは一枚のメモをヴェールに手渡し、彼女に掛けていた術式を解く。ティナに関する事なので、イクサはティナが行くのが普通かと思ったが、ティナは何も言わなかった。
実はティナが勘違いしている方を説明するならば、カイトがやったほうが良い理由があったのである。これがさらに、二人の誤解を促進させる結果につながっていた。
「……皇城の第2図書室? 最上階の、ですか?」
「はい。あそこはどうせ人気がありませんので。次いでイクサ殿、申し訳ないが、今回の一件は全てを闇に葬らせて頂く。これは、冒険部のカイトとしてではなく、公爵として、だ。異論はありませんね」
「……ああ、構わない。別段私も公表したくて調べたわけじゃないからね」
かなり悩みが見て取れたが、カイトが有無を言わせぬ圧力を放っていた為、イクサは仕方がなくそれに応ずるしかなかった。そうして、会談は思わぬ形で終わりを告げたのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第390話『女傑』