第386話 暗闘 ――サイド・教国――
エンテシア皇国皇都より、西にはるか数千キロ。隣国ルクセリオン教国の聖都ルクセリオンは、そこにあった。周囲は平野に囲まれており、土地は肥沃。少し遠くには緩い流れの大河が存在しており、更に遠く離れた所には、豊富な鉱物資源が産出される大鉱山が存在しているという、非常に恵まれた土地だった。
こんな何処の国も欲しがる様な土地だ。当然ながら、何度も侵略にあっていた。とは言え、それもマルス帝国がこの地を手に入れてからは、無くなったが。大昔はかつて大陸の大半を手中に収めたマルス帝国の首都がほど近くにあったのだ。教国の聖都は元々が帝国が崩壊した折りに生まれた避難民達の拠り所として出来上がっていたのであった。
まあ、それはさておいたとしても、この土地は肥沃な大地を抱えて更には帝国の首都に近かった事もあり、その流れでかなり強大な兵力が備わっていた。それこそ、冷戦中のエンテシア皇国がスパイを入れられないぐらいに、だ。
その都市の概要はエンテシア皇国の様々な種族が入り乱れるが故に何処か雑多な様相とは違い、純西洋風の街並みに、中央には巨大な建物が存在していた。彼らの奉ずる神であるルクセリオンを奉った大聖堂にして、彼らの総トップである教皇の起居する場所、だった。
これは、その一室での話だ。その部屋には、ルクセリオン教国においても最上位に位置する大司教や枢機卿、騎士団の団長やその有力者達が集まっていた。
「……おや、意外とあっさりと失墜させられた様子ですね。有力候補となってくれたので、もう少し粘るか、と思ったのですが……」
報告を受けた若い司祭服の男が、さも驚いた様な様子を見せてつぶやく。が、これには流石に彼の仲間達が呆れ返った。
「わかっていた事だというのに……何を仰っているのですか、ライフ大司教」
「そもそも、あそこの自浄作用はこの300年衰えを知らない。そんな中で手を打った所で無駄だ、というのは誰もが知っていた事。それなのに貴方が打っておいて損は無い、と言っただけでしょう。そもそも貴方も意味は無いでしょうが、と断っていたではないですか」
「あはは……そうですね。いや、演技臭いのは私の悪い所です。申し訳ない」
仲間達の声に、ライフ大司教と呼ばれた男が苦笑しつつ謝罪する。驚いた様な様子を見せて、という事はつまり、ただ単に驚いていた様に見せていただけだったのだ。これっぽっちも驚いては居なかったのである。そうして、苦笑したままのライフは仲間の一人に問いかける。
「えーっと……それで、レーベ大司教。その後の顛末はお教え願えませんか?」
「やれやれ……件のハインリッヒは現在尋問を受けている。まあ、どう足掻いてもこちらには当たりが付けられないのだから、問題は無い。隠蔽もさせておいた」
レーベと呼ばれた女司教はライフの話題そらしと言うか軌道修正に呆れつつも、その後の顛末を語る。ハインリッヒ。それは言うまでもない事であるが、皇国の皇子の一人だった。
「悪くはない所までは、行ったのですけれどもね」
「そもそもそれも泳がされていただけだろうに」
相変わらず演技くさい口調で告げたライフに対して、別の大司教が再度呆れ返る。このライフという男の純粋な信仰心と知恵の高さについては大司教や枢機卿、各種騎士団の団長達も信じるに値する所なのであるが、このどうにもこうにも胡散臭い所だけは、信用するに値しなかった。
とは言え、これは彼の素だ。本人もそれを承知しているらしいのだが、それを治す気配が一向に見られない。というか多分、治そうとさえ思っていないだろう。
だからこそ、彼の発言に対して逐一ツッコミが入るのは、致し方がない事だった。そうしないと話が普通に進まない。
「あはは……ハインリッヒに選民思想を植え付けて、内部から腐敗を招く。悪い手では無い、と思ったのですが……」
「それについては、認めよう。だが、皇族にそれをやって通用しないのは、始めからわかっていた事だ。やってみるだけ損では無いだろう、というのは良いがな……たまさか運良く奴隷を売り買いしている貴族が裏に回ったから失脚したのでは無いだろうに……」
その後も、この計画の主導者に近かったライフに対して他の大司教達から苦言が呈されるが、全く効いている見込みは無かった。
まあ、全員――ライフも含めて――失敗は織り込み済み、だったのだ。そこまで誰も本気で叱責していない。一応形として叱責はした、という程度だ。人員についてもライフの手勢だけで行われた事だし、その損失もゼロだ。もともと誰も乗り気でないわけだったので、別にどうでも良い事だった。
彼らの言葉を聞けば分かるだろうが、ハインリッヒの選民思想は彼らがその萌芽を植えつけた物だった。もともと、シアの読み通りに彼には若干の劣等感が存在していた。彼らはそれを少しだけ操っただけに過ぎない。それはほんの少しで良かったので、シア達でさえ、彼らの策略だ、とは見抜けていないのである。
「……もう良い。その策は儂も許可を下した……それ以上の叱責は儂への非難ともなる……その辺でやめておけ」
そうして続いていたライフへの一応の叱責であるが、それも少しの所で年老いた声が響く。それはその場で最も高貴な者が座る席に腰掛けた男から、発せられていた。
「……わかりました、教皇猊下」
「ありがとうございます、教皇猊下」
叱責をしていた枢機卿の一人であったが、教皇の鶴の一声によって、矛を収める。まあ、一応は形ばかりの叱責だったのだ。時間を無駄にしない為に止めに入ってくれた、という所だろう。というわけで、枢機卿の一人も叱責を取り下げて、ライフが教皇へと頭を下げる。
そんな叱責が教皇の一言によって終わりを迎えた所で、ライフがふと、とある一角で不満気な顔をする少年に気付いた。
「ヴァイスリッター家のご子息はえらく不満そうですね?」
「……別に、何も」
ライフの言葉を受けて、騎士の鎧を身に纏った少年は不満はない、と告げる。だが、その顔は不満気だ、という感情が誰からも見て取れる程にしかめっ面だった。そんな少年の顔に、横に居た似たような雰囲気の男が苦笑して頭を下げた。
「申し訳ない、大司教閣下。何分こやつはまだまだ若い。武略という戦いにおいて重要な物を知らぬ若輩故、どうか、ご容赦を」
「いえ、知っていますよ。彼は曲がりのない少年だ、ということも」
男からの謝罪に、ライフが微笑みと共に頭を振るう。それは確かに大司教としての得を含んだ物で、慈悲深い物だった。
「いや、重ねて申し訳ない。かの国の御前試合の顛末を聞いて、少々腹を立てておりまして」
「あはは。仕方がありません。とは言え、皇国のヴァイスリッター家と貴方方ヴァイスリッター家は別。気にする事はありません」
男の言葉に、ライフが笑って許しを与える。皇国のヴァイスリッター家。それは言うまでもなく、アルの実家だ。
そして、彼らもまた、ヴァイスリッター家。つまりは、アルの祖先、カイトの仲間であるルクス・ヴァイスリッターの実家だった。つまり彼らはルクスの弟の血脈だったのである。色々と思う所があるのは、致し方がない事だった。
ちなみに、そういうわけで男の方が今の本家ヴァイスリッター家の当主で、少年の方はその子供、つまりは次期当主、という所だった。二人共騎士団に所属しており、当主の方はその騎士団長だ。そのため、二人共この会議に参加していたのである。
「大方、ルーファウス君は真っ向勝負で戦いを決するのが騎士のやるべきことで、こういう騙し討ちの様な事はするべきでは無い、と思っているのでしょう」
「……っ」
「正解だな、ルー」
自分の思っている事を言い当てられて、ルーファウスと呼ばれた少年が一瞬だけ顔を顰める。まさに、大正解、だった。そうして、そんなにルーファウスに対して、ライフが苦笑した。
「似ている顔、というのも不便な物ですが……気にする必要はありませんよ。貴方は、我々の至宝の騎士。次世代の白騎士なのですから」
「別にそんな……」
言外に気にしていない、と言うルーファウスであるが、どう見ても顔がしかめっ面だった。とは言え、これも仕方がなくはある。ライフの言うとおり、彼の顔はアルにそっくりなのだ。
違う点といえば、髪の色と目の色、ぐらいだろう。顔立ちについてはまるで双子か、と思えるほどによく似ていた。まあ、ついでに性格面についてもこちらは若干神経質な感があり、見分けが出来ない程では無かったが。そんなルーファウスに苦笑しつつ、ライフは話を元に戻す事にした。
「さて……真っ直ぐなルーファウス君は今後に期待する事にしまして……というわけで、何時もの会談に戻る事にしましょう」
「やれやれ……」
どうでも良い事ならやるな、と思った一同であるが、彼がこういった裏方の事に長けているのもまた、事実だ。それにもし上手く行けば儲けものだ。やって損が無い事もまた、事実だった。というわけで、一同は呆れつつもライフの提言に応じて、議題を修正する。
「各騎士団はどうだ? 魔物の討伐状況や内部の治安状況はどうか?」
「白騎士団は問題なく。現在も調練も怠っておりません。現在は何処からも増援要請は受けておりません」
「赤騎士も問題なし。現在皇国とはご命令通りに小康状態を保っております」
「黄金騎士団も同じく問題無し。つい先ごろ報告にあがった魔物については、白騎士団の援護もあり、討伐はすでに終了しました」
「青騎士団では少し問題が」
「ほう、何かね」
青色の外套を身に着けた鎧姿の女の言葉を受けて、枢機卿達が先を促す。それを受けて、部屋に備え付けのモニターに一つの映像を映しだした。それはどうやら襲撃されたらしい村の写真だった。
「これは教国北方の映像です。最近盗賊達の活動が活発で、地元住民たちに若干の被害が出ています。幸い我々の介入が素早くまだ誰かが拐われた、殺された、という報告は来ておりませんが、食料等に若干の被害が出ています。予断の許さない状況です。どこかに彼らが拠点を作った可能性があります」
「ふむ……白騎士団団長ルードヴィッヒ。白騎士団から、援軍を派遣出来るか?」
「見繕いましょう」
大司教の一人からの言葉を受けて、ルードヴィッヒというらしい当主が頷く。彼らの率いる白騎士団は、遊撃が仕事だ。増援の要請があれば、即座に駆け付けられる様にしていたのである。
ちなみに、青騎士団は治安維持を司り、赤騎士団が外部との戦い、黄金騎士団が聖職者達の身辺警護を担当していた。各騎士団は外套で色分けがされており、ルードヴィッヒ達白騎士団ならば、白色の外套。先ほどの青騎士団であれば、青色の外套、となっていた。
人員で最も多いのは、赤騎士達で、その次が青騎士だ。白と黄金は共に量より質をモットーとしている為、数はそこまで多くはない。
これら4騎士団に加えて教皇直属の紋章騎士団を合わせて、ルクセリオン教国ではルクセリオン聖騎士団、と呼び、その総トップを、聖騎士団団長、と呼んでいた。ちなみに、その聖騎士団団長であるが、今回の会議では遠征中の為、出席していない。
彼はどうやら領内を走り回る方が好きらしく、高位の地位に居るにも関わらず、遠征に出ている方が多かった。まあ、きちんと文官達は整えているので、問題は起きていないのだが。
「……これで、会議を終える。聖神ルクセリオンの御加護を……」
「聖神ルクセリオンの御加護を」
騎士団達の報告の後もしばらくの会議の後、教皇の閉会の音頭に合わせて全員が奉る神の名と祈りを捧げて、会議は終了する。が、その後も残った者が居る。ライフだ。教皇から残る様に命ぜられていたのである。
「……北側に被害が出ている……対処させよ」
「かしこまりました。少々金を与えすぎた様子で」
「手綱は握っておけ……民に被害を出す必要は無い……」
「わかっております。あれら賊共は利用すれども、手を噛むのなら、切り捨てるまででしょう」
「ならば、良い」
ライフの言葉を受けて、教皇が頷く。実は、奴隷売買についても、彼らの仕業だった。こちらはそれなりに本気だったのだが、ハイゼンベルグ公ジェイクが密かに動いていた為、察知することも出来ずに敢え無く失敗した、という所だった。
まあ、運悪く密かに奴隷売買を行っていた貴族がハインリッヒの支持に回ってしまった事も大きい。選民思想と奴隷売買の合わせ技でハイゼンベルグ家とシア達<<皇室守護隊>>がかなり本気で動いたのが、痛かった。
ハインリッヒも関与しているのでは無いか、と疑ったのだ。実はハインリッヒを疑似餌に別ルートから奴隷売買をさせ、更には自作自演で有力貴族を失脚させて皇国の求心力の低下を招こうとしたはずなのに、何かが狂って一緒くたになってしまったのだ。
というわけで、今回はハインリッヒの所為でそこに至る前に発覚してしまい、その作戦は敢え無く潰されたのである。これは読みきれなかった彼らが悪かった、という所だろう。そうして、誰も居なくなった会議室にて、会議の終了後も、二人だけで密かに進められている計略が話し合われる。
「では、後は任せる」
「おまかせを、猊下」
こうして、冷戦の両国はお互いにお互いの裏を掻き合う為、今日もまた、密かに戦いを続ける事になるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。ようやく御前試合関連は全て終了です。明日からは新章に突入です。
次回予告:第387話『女傑』
2016年3月17日 追記
・誤表記修正
各騎士団の編成について、白と黄金が『質より量』となっていたのを修正しました。逆でした。