第384話 支援
シア達皇女勢の訪問を受けたカイトは、とりあえず雑談を切り上げて椿達が用意した紅茶とスコーン等の軽食を食べることにしていた。
「ん、美味い」
「ありがとうございます」
ぱくり、と椿手製のビスケットを口にして告げられたカイトの言葉に、椿が幸せそうに笑みを浮かべる。そうして、改めて彼女を横に侍らせたカイトは、何処かのんびりした声で、真面目な話題を皇女達に問いかけた。
「で、本題は? あと、オレの上でそのビスケットは喰うなよ? その食い方だとポロポロ落ちんだから」
「む、そうじゃな」
カイトの上からティナが動き、別に用意されていた椅子へと腰掛ける。流石に彼女も客人の前で変な態勢でビスケットを食べるほど、非常識では無い。
「……まあ、もう意味無い物なんだけど、この娘の支援を頼みに、よ」
ティナが席に着いたのを確認し、シアが少しだけ呆れた表情でメルを指さす。当たり前だが、メルは謹慎処分の真っ最中で、本来は迎賓館に来てはならないのだ。来れている以上、何らかの公的な理由があったのである。
ちなみに、意味が無いと彼女が断言出来るのは、既にシア――というか一同――には結論まで見えていたからだ。とは言え、今回は言質を取らねばならない。というわけで、一応は来たのである。
それに、カイトとはこの場で知り合った事にしておいた方が色々と面倒が無いので、儀礼的に紹介しているのであったのだ。なにせメルの家出は隠される。この場で正式に紹介された、という外向きの言い訳が欲しいだけ、とも言えた。
「あはは、まあ、まさかこんなことに成ってるなんて思ってもなくて……」
指差されて少しだけ視線を逸らしたメルが、少しだけ頬を赤らめて苦笑して言った。彼女は帰還するまで帝位には興味を失っていたのだが、現状ではそうも言って居られない状況となっていた。
現在、皇国で最も帝位を継ぐに相応しい存在はメル――正確にはシアだが、彼女はマクダウェル家を抑える必要がある――で、おまけに対抗馬と言えたハインリッヒが失脚だ。その次の対抗馬候補は幼く、おまけにハインリッヒが言った様に時間もあまり残されていない。色々と考えなければならない状態、だったのである。
「まさか後継者候補筆頭が帰って来る数日前に潰れる、なんて起こるとは思ってないでしょ」
「と言っても、皇帝就任をするなら、かなりのアドバンテージよ。ええ、普通なら」
こんな偶然は有り得ない、というほどにメルの現状は時の利を得ている。これに帰還した勇者の支持を得られれば、ほぼ皇太子指名は確実となっただろう。しかし、ここには問題が1つ存在する。カイトとメルの関係だ。
「はぁ……いっそ、無かった事にした方が良いじゃろうに。それか、表沙汰にするか、じゃな。」
ティナが楽しそうにメルに告げる。当たり前だが、メルが帰還して以降、彼女の身体は皇国最高の医師によって精密な検査がなされている。その為、メルがカイトと関係を持っている事は既に皇国上層部にはもろバレなのだ。
「オレは皇帝の婿になんてならないからな」
肩を竦めてカイトが告げる。もしカイトと婚約したメルが皇帝となれば、それは即ちカイトは皇婿――女帝の婿の事――となる。公爵という地位でさえカイトには面倒なのだ。それが、今度は本当に一国一城の主の横に侍るものになるのである。
その面倒さは比ではない事は明らかだ。皇国としては有り難いのだろうが、カイトとしては有り難くない。大精霊達にしても、有り難くないだろう。
「市民たちは、大喜びだと思いますの」
何処か楽しげなアンリが、敢えて市民たち、と強調して言った。そう、市民達は、大喜びだろう。自分達が慣れ親しんだ物語の勇者が帰還し、そして――正確には違うが――王となるなぞまさに物語的だ。
しかも、カイトは帰還後に<<世を喰みし大蛇>>を単騎で抑えこむという偉業を成している。それが表に出れば、聞きしに負う勇者と市民達は褒めそやすだろう。
物語に謳われるがままの英雄の帰還は、どう足掻いても抗えぬ脅威が蔓延する世界で守られる側の彼らにとって、何ら拒むべき物ではないのだ。
「貴族達は、煩いだろうがな」
楽しげなアンリに対して、カイトが溜め息混じりに反論する。幾ら二人がお互いに正体を偽っていたという事情があるとはいえ、それは二人の性格を理解している者だけで通じる話だ。そんな事を知らぬ貴族達はいろんな邪推はしたくなる。
さらに言えば、カイトが皇婿となれば、幾つか大きな問題がぶち上がる。まずはカイトが縁を持つ少女達だ。その中には、当然のように皇国にとっても無視出来ない家柄の者が数多く存在する。皇婿となれば当然、その様な少女達と婚儀を上げる事は難しくなるのだ。
おまけに、カイトの業績が大き過ぎる。メルが喩え他にどんな皇婿を迎えたとしても、彼らは確実に霞んでしまう。貴族達の中にはマクダウェル家に反発している家も多くはないが、存在している。対抗馬の居ないカイトが皇婿と成ることには、そういった貴族からの文句は確実だ。皇婿に迎え入れるのも、大問題だったのである。
「さて、どうしたものかしら……」
どこか面白そうにカイトの言葉を待つシアがカイトを見ながら言った。既に彼女はカイトの性格をおおよそ理解している。だからこそ、面白そうなのだ。というわけで、カイトが口を開いた。
「とりあえず、皇帝となる意思があるのなら、公爵として支援はしてやる。が、皇婿は無しにしておきたいとこだ。つーか、皇帝になる奴が今更政略結婚から逃げられると思うなよ」
色々と問題を後回しにして、カイトはさっさと結論を言う。現状でカイトにまで報告が上がっている皇帝候補の中で、現状ではメルが最も適任である事を把握しているからだ。
というのも、若干猪突猛進の所を除けば、彼女個人の皇帝としての才覚は悪くは無いのだ。少なくとも、軍事面ではハインリッヒを大幅に上回っている。それは皇国が冷戦中である事を考えれば、十二分に就任するに足り得る理由だった。そうして、そんなカイトに、メルが首を振った。
「わかってるわよ。だから、今でも皇位継承は避けたいのよ」
「ね。今代は本当に人手不足なのよ。現段階では、この娘が一番適任なのだけどね」
あまり乗り気でないメルに、シアが呆れた表情でカイトに告げる。そんな姉に、メルが不満気に反論した。
「お姉様も普通に皇位継承する気ないじゃない……とは言え、貴方の血筋を皇族に迎え入れるのは皇国としての決定よ。貴方を放し飼いにするのは他国が納得しないわ」
嫌な話題だからなのか、何処かぶっきらぼうにメルが答える。やはり幾ら理を説いて言われたとしても、政略結婚は嫌なのだろう。とは言え、この決定は必要だ。
「まあ、しょうがない、か……オレは強すぎるからな。過ぎたるは及ばざるが如し。オレが居るだけで、皇国と仲が良くない国にとっては恐怖の対象だ。なにせ単独で、世界を滅ぼせるからな。敵に回った瞬間、国が終わる」
メルの意見に対して、カイトは苦笑しながらも同意する。これは昔から変わらない事で、これから先も変わることはないだろう。あまりに強すぎる力は、簡単に恐れを生むからだ。
とは言え、それが理由でカイトやティナを排斥できるかと言うと、それは無理だ。この世界には、どうしても圧倒的強者に頼らなければならない災害の様な敵が存在している。
そんな時、彼ら英雄を排除し、支援が受けれなくなればどうなるか。それは考えるまでもない。人類は簡単に滅亡する。それはエネフィアでの歴史が証明している。強い敵が居なくなったと安心し、強い力を有する者を排除したが故に滅んだ国は、ゴマンと存在する。
狡兎死して走狗煮らる、がエネフィアでは通用しないのだ。人類の歴史が魔物との戦いの歴史である限り、永遠に不可能、とさえ言える。
当たり前だが、彼らとて人だ。自分達を排除した者達を助けようと思うほど、彼らもお人好しではない。では、そんな相手にはどうするのか。この答えが、先のメルの言葉なのだ。
「少なくとも、貴方が復帰して皇族に迎え入れれば、皇国内の貴族達には危機感は少ないでしょうね」
シアがカイトの言葉に対して告げる。そう、力によって楔が出来ないのなら、人の鎖で縛り付けるしか無い。これは人で在り続ける限り、逃げられない鎖だ。どうやっても人は一人では生きていけないのだから、当然だ。
どれだけ肉体が超常の存在と渡り合える化け物であっても、精神は人だ。ならば、縁によって括りつける事が出来るのである。それが出来ない存在は、もはや魔物となんら変わりない。討伐されるだけである。
「はぁ……だから、公爵という鎖だったんだがな」
「そのマクダウェル家が、今では強すぎるのよ。今のあの家の武力は並の小国を上回るわ。おまけに、強力かつ有能な異族達を中心とした家臣団は皇国に傅くではなく、貴方個人に傅いている。そこに貴方と統一魔帝が異世界の知識を入手して帰還したとなれば、マクダウェル家の一強態勢がほぼ固まるわ。それこそ、皇帝個人をも遥かに上回るでしょうね。おまけに、今の皇国には貴方に対する鎖が殆ど存在しない。先のあれを見れば安心出来るのでしょうけど、あれを見ていたのは私達だけよ」
「ちっ、ウィルの龍族の血が薄かったのは痛かったな……たくっ……普通に寿命で死にやがって……」
シアの言葉に、カイトが少し悲しげに呟く。彼が生きていない事が、何よりもカイトには悔やまれた。喩え皇帝でなくても、彼が生きてさえいれば、今でもカイトが皇国に弓引くという事はほぼ一笑に付されただろう。そんなカイトに対して、ティナが苦笑気味に現状を指摘する。
「それに対して魔族領や異種族達には強固な縁が山ほど存在しおるからのう。最悪、皇国が異族達に辛く当たれば、反旗を翻しかねん、と」
「さて……そっちはオレ以外にも言える事だけどな。おまけに言えば、オレとて攻めてこられん限りは戦場に出すことは悪手もいいとこだ」
「どういう理由で皇国に弓を引くか、についてはまあいいとして……その外交的知識がある貴族がどれだけいるかしらね?」
小さく溜め息を吐いてシアがカイトに問い掛ける。主に弓を引く理由は、その時になってみないと誰にも分からない。これについては今考えても無駄なことだ。
それに、カイトは抑止力であって、外交上は使わない事が前提条件だ。使うとすれば、それは攻められた時だけ、カウンターとしてである。
現代の核兵器と一緒だ。こちらから使えば、使った国は滅びる。核兵器を使った国を他の国が滅ぼそうと思わない方が可怪しい。なにせカウンターでも無いのに他国に使ったのだ。一度使っている以上、次も使わないとは限らない。ならば、寄ってたかってでも確実に潰さなければ、安全保障上、あまりに危なすぎる。というわけで、カイトが呆れた様にシアの言葉を否定した。
「オレは兵器と一緒だ。その意味がわからなければ、貴族を名乗ってもらっては困る」
「余もカイトも、大陸を吹き飛ばすぐらいはわけないからのう……」
ティナが何処か呆れた表情で、自分達の力量を正確に評する。これだけあれば、確かに兵器と評するのも頷けるだろう。だが、そんなティナの言葉に、カイトが苦笑しつつ、道理を説いた。
「そんな力を安易に振り回す様な馬鹿に、大精霊達が力を授けると思うかよ。おちゃらけた奴らだが、エネフィアで見れば最高の信頼を受ける。それは絶対の安全保障だろうさ」
「だから、貴方は人の世から排斥されないんでしょう? 大精霊様の祝福を受けた貴方を排斥することは、即ち大精霊様に喧嘩を売る事に他ならない。そんな度胸はこの世界の誰にも有りはしない」
「そんな事をすれば、この世界にどの様な不利益が起こり得るのか、誰にもわかりませんの。上手く排せれば良し。少しでも不利益が他者に及べば、周囲からフルボッコ、ですの」
「そして、貴方が居るが故に、それ以下の統一魔帝殿は排斥されない。全て、貴方が対処可能だから、ね……メル、付いて来れてる?」
「当たり前よ。私だって2年やそこらで忘れるほど馬鹿じゃ無いわ」
何処か茶化すような姉の言葉に、メルが少し拗ねる。シアが丁寧に解説をしているのは、今まで裏事情から離れていたメルの為なのであった。
「なら、講義は終了だ。皇婿については、追々考えていくしか無いだろう」
「でしょうね。さすがに皇帝の処女を奪い、一切の関係も無しでは他国が煩いわ」
「ちっ、マジであの依頼受けなきゃ良かった……」
「断る事も出来たんでしょ?」
「やんなきゃ死んでただろ。それに、ポートランド・エメリアも滅びていた」
頭を抱えて、カイトがメルの言葉に反論する。あの当時のカイトにとって、メルの事情を察した上で断る事は出来なかった。
それに結果としてそれは正解で、カイトが迷宮から持ち帰った武具や魔導具の数々は冒険部へ多大な利益を与え、町の防衛にギルドを上げて参戦したことで冒険部としての風評も上々だった。おまけに皇国としてもマクダウェル家としても重要な国際港の防衛も出来たのだ。偶然、という縁によって得られた利益は計り知れない。
おまけにそれが有ったが故の、今回の皇帝レオンハルトとの謁見と、<<導きの双玉>>という国宝の入手だ。天桜学園としては特に後者が有用で、あの一件はまさに最高の依頼と言えたのである。嘆いた所で
「とりあえず、メルには今のところ皇位継承をする気は無いわ。と言っても、わかってると思うけど……」
「お父様のご意思次第、でしょう?」
「わかってるなら、いいわ」
メルのうんざりとした様な言葉に、シアが頭を振る。そう、幾らメルが拒めども、それは彼女の意思であって、皇女としての彼女には関係が無い。
それがメルにとって、カイトにとって、頭が痛い問題であった。そうして、その日の話は結論が殆ど出ないまま、とりあえず万が一の場合はカイトが支援する事が決まった、という事だけで終わりとなった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第385話『暗闘』