第376話 ノブレス・オブリージュ
御前試合と優勝者の健闘を称える式典が終わり、カイトは一目散に迎賓館の自室に戻ってきた。ちなみに、優勝者に与えられる褒章はルール変更に伴い、後日別途に、という事になっていた。
「くぁー、メンドかった……」
カイトは自室に戻るなり、大きく伸びてベッドへと倒れこんだ。それに伴い、上質なベッドが大きく沈み込む。
「お疲れ様です、御主人様」
そんなカイトに微笑むのは椿だ。彼女は既にカイトの優勝を伝え聞いていた。まあ、彼女の口から出た言葉は祝福では無く労いなので、彼女もそれを当たり前と受け取っていたようだ。そうして、ベッドに寝転びながら身体の向きを変えて、一人つぶやく。
「試合より師匠の相手の方が疲れた。ったく、なんで来たんだ?」
御前試合の終了後、カイトは授与式に出場してそのまま話し込むわけにもいかず、ついぞ理由については聞けなかったのである。当たり前だが彼らも国賓だ。簡単に会えるわけが無かったのだ。とは言え、カイトには大体把握できていたらしいが。
「今年は早かったらしいな。何時もなら会議の一ヶ月程度前の到着の筈なんだが……」
「早い、ですか?」
「ああ、早い……大陸間会議については知っているな?」
椿の問いかけを受けて、カイトが頷いて、問いなおす。そうして問われた問いだが、椿は当然の様に、知っていた。
「はい、エネフィアに存在する多大陸の代表達が集まって会合を開く会議、です」
「ああ、正解だ。では、場所は?」
「場所は空中都市レインガルド。古代文明の遺産の上に存在し、常に移動し続ける空中都市であるが故、どの国も居場所は掴みきれず、中立を保ち続ける永世中立国。それ故、大陸間会議の会場に選ばれた国。御主人様はミスティア様によって行かれたのでしたね?」
「ああ、力の使い方を習いにな」
カイトは苦笑しながら椿の言葉を認める。実はカイトは剣術を習いに行ったわけではなかったのだが、そこで二人の師に見出されて2つの流派を修得するに至ったのである。
尚、その時に此方の有無に関わらず押しかけ師匠になられたので、若干の苦手意識があったのだ。修行が辛かったということもある。
と言うか、後者が大半だ。押しかけ師匠になられた挙句に、地獄の修行だ。苦手意識を抱くのも、当然だった。まあ、そうしなければ今頃カイトは何処かでくたばっていただろうが。
「ま、そんなわけで、師匠達が治めるあの国は圧倒的な武力を持ってもいる」
武蔵と小次郎の技術は先ほど闘技場で示されたばかりだ。彼らを筆頭にした圧倒的な武芸の使い手達と古代文明の遺産が守る空中都市は、空中に在ることから攻めにくく、小さな都市国家であるが故に守りやすい。それ故、どの国からも中立であり続けられるのだ。そうして苦笑したカイトだったが、今は解説の真っ最中だ。なので、解説を続ける事にした。
「で、その空中都市なんだが、まあ各大陸持ち回りなのには実は平等以外にもう一つ理由があってな」
「そうなんですか?」
カイトの補佐の為に彼が居ない時は知識の吸収に努めている椿でさえ始めて聞かされる事に、彼女は少しだけ驚いた様な顔で首を傾げた。それに、カイトは頷いて続ける。
「ああ……実はあの都市。意思を持っているから、勝手に行動するんだよ。いや、正確には都市じゃなくて、下の古代遺産の方なんだがな。多分、古代のゴーレムの一種か、魔導生物の一種なんじゃないか、というのが、ティナの推測だ。で、そいつが勝手に動かない時期と場所が、二年に一度、各大陸の特定地域だ。理由は知らん。一応飯食ってるか寝てるんじゃね、というのが、推測だ。まあ、若干、程度なら操作できるから、各大陸持ち回りに出来ているんだよ」
若干あやふやだったが、それでもカイトは一気に殆どを語り終える。これは、カイトがレインガルドの奥深くにまで親交を深めているから知っている事であって、実はどの国も把握していない事実であった。皇国にも知らせていない。
まあ、それ故、通常は――そう見えているだけかもしれないが――無軌道に無計画に動き回るという特性があり、カイトであっても居場所を補足しきれず、師に対して帰還の報告が遅れたのであった。
「幸い、最近文明が見つかって会議に参加している新大陸にもその場所があったらしいからな。なんとか、平等を謳う事は出来たらしい」
と、そこまで薀蓄を垂れたとこで、二人は話を本題に戻した。
「でだ、今年は知っての通り、わがエネシア大陸がその開催地だ」
「確か場所は皇都東、中津国と海底王国ローレライの中間地点にある空白地帯でしたね」
「そうだな。この大陸ではそことオレのマクスウェル南西の龍脈と地脈が交わる所、大陸中央部の教国に2箇所、大陸西部の1箇所が停泊可能地だ。海上なのは、単純に飛空艇を持ち合わせない国々が船でそのまま乗り込めるように配慮した結果だな」
椿の合いの手を認めて、更に続ける。海上に開催地が決定されるのは開催当初からの通例であった。更には多くの飛空艇を持たない国々にとっては、わざわざ危険の多い陸地を行かなくで済む分、楽に済むのだ。遠いという不満以外は、誰からも不満は無かった。
「でだ、その停泊地には早くても2ヶ月、普通は1ヶ月程度前に到着するのが普通なんだが……どうやら今回は気まぐれに長く寝るみたいだな」
開催までにはまだ3ヶ月以上もあった。武蔵と小次郎が此方に来ている、と言うことは、皇国でも彼らに連絡をつける事が出来た、ということだ。つまりは既に停泊地に停泊した、ということなのだろう。
尚、後にカイトが知った事なのだが、偶然皇国近衛兵団の第三艦隊が演習中にレインガルドが停泊した事を見て、即座に皇帝に報告し、情報封鎖が施された、との事であった。
情報封鎖が施されたのは、かなり早い段階での停泊であった為、どんな不具合があるかわからないというレインガルド側の思惑と、いらぬ密偵に入り込まれると面倒だという皇国側の思惑が一致した為であった。
「行かれるのですか?」
「そうせざるを得ないだろうな」
「わかりました、では、用意を整えます」
「頼んだ。今日はもう下がっていいぞ」
「はい、御主人様。では、おやすみなさいませ」
椿はカイトの命を受け、一礼して自らに与えられた個室へと入っていった。そうして、一人になったカイトが小声で呼びかける。椿を外に出したのは、彼女を呼びつける為だった。
「さて……ディーネ」
「はい、カイト」
カイトの呼びかけに応じて顕れたのは、青い髪の美女。メイド服姿の水の大精霊ウンディーネであった。どうせ今頃全員メイド服を着ているのだろう。雷華の嫌だ、という悲鳴や、そんな雷華を無理矢理着替えさせるサラとシルフィの楽しげな声が響いていた。が、無視する事にする。
「……お前もか」
「可愛いですか?」
「当たり前だ。お前らに似合わない服は滅多に無い。似合わないなら、そのスタイリストかデザイナーが悪い」
「ありがとうございます」
嬉しそうにディーネが笑う。お世辞にも程がある程の賛辞だが、彼女らの場合はお世辞にならない。それほどの美女達であった。が、まあ、そんな事はどうでも良かった。
「契約者、居たのか?」
「はい……とは言え、さすがにその正体の明言は出来ませんが……」
少しだけ済まなさそうにディーネがカイトに告げる。彼女とて、世界のシステムの一端の大精霊。如何に自らの祝福を得たカイトにといえど、安易に契約者の情報を他人には洩らせないのであった。それはカイトも委細承知なので、聞かねばならない事を聞く事にした。
「取り敢えず、安全か?」
「はい、私が選んだ契約者ですので」
「聞くまでもない、か。悪いな」
ディーネの答えに、カイトが苦笑する。大精霊の中で一番の常識人であるディーネの契約者だ。聞く必要は無かったのだが、念のためであった。
「あの……」
そんな苦笑したカイトに対して、ディーネが若干言い難そうに切り出した。
「できれば、彼に力を貸して上げては頂けませんか?」
「ははっ、わかった」
カイトはそんなディーネに、小さく笑い、詳細を聞くこともなく、即座に快諾する。他ならぬ彼女らの頼みだ。困難であっても、聞かぬはずが無かった。
「ありがとうございます」
「気にすんな。お前らにお願いをされる栄誉は、オレにのみ与えられた栄誉だ。他の奴に譲る道理は無いさ」
対等に付き合えるからこそ、このように気兼ね無く話が出来るのだ。こうやってお願いをされるのも、そんなカイトだからこそであった。だからこそ、カイトは彼女らのお願いを断らない。その栄誉は自分だけの物だ、と彼女らに知らしめる為に、だった。
「では、失礼します」
そう言って微笑み、ディーネは消え去った。そうして、カイトは眠くなるまで、読書を始めるのであった。
深夜にはまだ差し掛からぬ頃。まだギリギリ、誰かが尋ねても事情によっては失礼に当たらない時間。コンコン、とノックの音で、カイトは目を開ける。眠ってはいなかったので、行動は早かった。
「誰だ?」
「私よ」
ドアを開けると、そこに立っていたのは確かにシアであった。彼女は僅かな隙間を縫う様に部屋へと侵入すると、何時も腰掛けている椅子に座った。
「おい……まあ、いいけどな」
こんな夜更けに男の部屋を訪ねる事を窘めたかったが、言っても無駄だろう、とカイトは対面する位置にある椅子に腰掛けた。どうせこんな時間だ。仕事の事だろう、と想像が出来た事も大きかった。
そして、それは半分真実であったと同時に、カイトにとって、最大の失敗だった。シアの事を信頼しているが故の、失敗だ。
「まずは、これを」
カイトはシアから差し出された羊皮紙を確認する。
「……ほう」
内容を見て、カイトは冒険部部長としてではなく、公爵として頷いた。内容にはそこまで直接的な内容が書かれていた訳ではなかったが、隠された意図を悟る。とは言え、既に自分達5公爵も彼女らも動いている以上、意外感は無かった。
「さすがに今回の一件、皇子ハインリッヒは皇国の顔に泥を少々塗りすぎたわ。これはそのお詫びよ」
「それはそれは。皇子の当分のシルバリア侯爵領での謹慎処分。確かに、詫びとして受け取った。まあ、若いが故にお互いに血の気が多かったので配慮してくれて感謝する」
シアの言葉に、カイトが頷く。単純に見れば、皇国の客人に喧嘩を売った、という事に対する叱責なので謹慎処分が妥当だが、カイトはハイゼンベルグ家経由で彼の後援者達の大量検挙を掴んでいる。それの幕引きも含んでいたのだ。
ハインリッヒの後援者の中で泳がしていた貴族から、5公爵達がこれを好機として芋づる式に捕まえたのであった。
そうして、それと合わせてみれば、一つの事しか想像できない。それは、彼の失脚を意味していた。なのでこれ以上皇都付近を荒らすな、という当分の出禁に近かった。
これが一時的な失脚になるのかそれとも終わりを意味するのかは、カイトの預かり知った事では無かった。更生したのなら、良し。しないのなら、今度は彼が動いて、徹底的に叩き潰すまでだからだ。
「ええ、済まないわね。皇国を代表して謝罪させてもらうわ」
「代表って……まあ、それが陛下の望み、ということか。確かに受け取った。が、まあ、あいにくこっちも喧嘩を売った身だ。謝られる道理は無い。それなら一条先輩にしてやってくれ」
「そっちには彼の担当の従者が既に行く筈よ。他にもあの黒髪の生徒会長の所と、校長殿の所、教頭殿の所にも使者が行くでしょうね。バーンシュタット家とマクダウェル家にも当然よ」
「そうか、わかった」
ここで、カイトもその微妙な言い回しの違いに気付ければ、良かったのだろう。彼女は『行っている』では無くて『行く』と言ったのだ。即ち、まだ行っていないのである。つまり、彼女は特例的に、早く来た事に他ならなかった。
だが、嘘では無いからこそ、カイトも見逃してしまう。ハインリッヒの処遇という本題や、師達との再会が響いていた事も大きい。その面子に伝わるのなら、天桜学園側としてもなんら問題は無かったからだ。
なので、カイトはそれで終わり、と言わんばかりに深く息を吐いて、目を閉じて椅子に深く腰掛ける。が、しばらく待てども立ち去らない気配に、目を開けた。
「……どうした? 見送りが必要か?」
その言葉に何処か意を決した様に、何時もなら勝手に出て行く筈のシアは立ち上がり、カイトの方へと近づいてきた。
「こんな時間に女が一人で男の部屋に来ているのだから、察して欲しいものね」
「……あ?」
「分からないフリはしないで欲しいわね」
シアはカイトと対面するように、カイトの腰に跨る。シアの言わんとしているところはカイトにもきちんと理解出来ていた。なのでカイトは右手をシアの顔まで持って行き、行動に移った。
「あいたっ!」
というわけで、彼女の端正な顔の額にデコピンをお見舞いしてやった。なので、額をさすりながら、シアは恨みがましく問いかけた。
「一応、これでも美少女なのだけど……その顔にデコピンするってどういうつもり?」
「……はぁ。どういうつもり、はこっちのセリフだ。出会って数日の男に身体を許そうとするなよ……」
カイトはこめかみをほぐしながら、大きく溜息を吐いた。カイトは既にシアが貴族の令嬢であると察している。その令嬢が出会って数日の男に身体を許したとなると、どんな悪評が立つが分かったものでは無かった。だからこそ、諌めるつもりで、あえてデコピンをおまけしたのである。
「あら、それは誤解よ。私は貴方の事を数ヶ月前から知っているわ」
カイトはその瞬間、後手に回った事を悟り、悟れる自分が恨めしかった。どこの公爵かは知らないが、彼女の実家の実家はその地位に違わぬ策略を練っていたらしい、と勘違いしたのだ。これが、完璧に彼を追い込んだ。
これが、シアの手だった。自分は敢えてぼかして語ったり何も語らず、相手に勝手に想像させて、相手の自滅を誘うのだ。身内から総じて腹黒、と言われるのも無理は無い。
「実際に会ったのは確かに数日前よ。でも、貴方は私が見込んだ通りの男性だった。これでご不満?」
カイトはそれに、何も言わない。対して、シアは少しだけ間を置いて、何処か縋る様に、カイトに小声で懇願する。
「……これ以上は言わせないで」
その言葉に、カイトが知らず、ぎりっ、と忌々しげに奥歯を鳴らす。完璧に詰んだ事を悟ったのだ。これは相手が理解出来る、とわかっているが故のセリフだ。言外の言葉を口にすれば、それは両者の間で純然たる事実として、横たわってしまうからだ。
彼女は言外に、実家から命ぜられた、と言っていたのだ。そして、これは嘘では無い。だからこそ、カイトの勘違いは更に進む。
何も語られないからこそ、想像するしか無いのだ。そしてそれは、社交界で繰り広げられる密かな戦いで言外の意図を悟らなければならないという貴族にとって、必要な事だった。これはカイトにしか通用しない策略だった。
そして、カイトの事を把握している、とも言った。ならば、カイトの女癖も彼女の実家は把握している事だろう。そして、彼女の見張りは彼女が夜一人でこの部屋に入っていく事を見ていただろう。
カイトが試しに気配を探ってみれば、椿の所に身体を強張らせているヘンゼルの気配があった。普通でも完璧に詰みだった。
「いい女だから、厄介だ」
カイトは降参の証として、そう、告げる。もし、ここでカイトが彼女を抱かなければ、彼女の女としての価値は地に落ちる。少なくとも、カイトは証明出来ない。
彼はシアを女として、拒絶したのだ。女誑しの部屋に入っていき、抱いてくれと頼んで抱かれなければ、それは彼女に女としての魅力が無い、と断言した事にほかならない。
この部屋に入った時点で彼女には逃げ道は無く、カイトに生殺与奪権が握られたに等しかったのだ。それを理解出来ないカイトでは無かった。
そして、カイトはこの少女を気に入っている。これは事実だ。それ故、この少女を女として殺すことは、カイトがカイトであるからこそ、沽券にかけて、出来なかった。
「……あ……優しくしなさい……あと、嘘でも良いから、愛してる、の一言ぐらい……」
抱きすくめられて、シアが少しだけ、身体を強張らせる。やはり、シアもなんだかんだ言っても、メルの姉だ。何処か乙女チックな所が存在しているらしい。
それを知るはずもないカイトだが、その望みを見て、敢えて無言のまま、行動で示した。
二人の唇が触れ合う瞬間、シアの身体がぴくり、と動いたのを、カイトは腕の中で感じる。そして、カイトは義務ではなく、気に入った女として、シアを抱く事にする。
「お貴族様の事情とか思惑とか、んなもん知らねえよ。オレはオレの好きにやらせてもらうだけだ。実家が良い、つったんなら、オレはお気に入りの女を抱くだけだ。なにせ、女誑しだからな」
唇を離した後、カイトはシアの望む言葉では無く、自らの言葉を彼女の耳元で告げる。だが、これは言外にシアを悪く思っていない、そして、貴族の義務等とは関係無く彼女を抱くのだ、と告げる言葉だった。
これは、悪しき貴族の義務。人々が羨む様々な特権の対価に、有力となり得る者を自らの身体で繋ぎ止めるという、悪しき風習。
シアは、それを利用する事にしたのだ。未だに彼女は、真実しか語っていない。嘘は何一つ言っていない。誤解を誘導しただけだ。そして、この悪しき風習は喩えぶっ飛んだ皇国であっても、貴族という社会があるかぎり、無いでは無いのだ。そして、二人の間に好意があるのなら、通用してしまう。
まあ、好意が交わされていてもこんな形がありなのか、と言われると微妙だろう。後のシアが語った所によると、自分にとってはなんとも色気のない初夜だった、と言うぐらいだ。彼女も少し不満だったは、不満だったのだろう。こうして、御前試合終了後の夜は、過ぎゆくのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第377話『家出娘の帰還』