第365話 昼食会
「ほう、では貴公は此方に来てから武芸を嗜んだ、と?」
「ええ、お恥ずかしいお話ですが……」
昼食会にて、カイトは次代のブランシェット公を名乗る若い獣人の男と話していた。彼はどうやら軍属らしく、軍の礼装を着用していた。次代というだけあって、年齢はおそらくまだ20代という所だろう。
ちなみに、カイトのこの発言は嘘ではない。カイトが武芸を嗜んだのは、一番初めの転移以後の事だ。ただ単に正確では無いだけだった。
まあ、それ故にどれだけ貴族達が嘘を見抜こうとしても、見抜けなかった。貴様が嘘を言おうとした所で無駄、と言うウィルの指導を受けてのカイトのやり方だった。とは言え、やはり訝しまれるのも当然だ。それ故、このブランシェット公も疑問を呈した。
「にしては、かなり武芸に慣れ親しんでいる様子だが……」
「まあ、私も生きるために必死でしたので、自然、覚えるしかありませんでした」
「なるほどな。確かに、生き物は生死が関わると急激に伸びる。貴公はそれが早かっただけかもしれん」
「ええ、そうなのでしょう。現に、他の皆も並外れた速度で成長を遂げています。私一人が、可怪しいというわけではないでしょう」
「確かに……」
カイトの言葉に、ブランシェット公も同意する。死にかけになるとまるでそれまでが嘘の様な実力を、それこそ神憑り的な実力を発揮する者を、彼も見てきていた。軍として死地に赴く事のある彼だ。死んだ、と思える様な場所からまさに神がかった力で奇跡的に帰還した者達を何人も見知っていたのである。
そうして、カイトとブランシェット公が会話を行っていると、急にガシャン、というガラスが割れる大きな音が聞こえた。
「瞬!」
リィルの声が響いた。そうして、更に男性の声が漏れ聞こえる。遠すぎてはっきりとは聞こえないが、呆れている様子だった。
「何だ?」
カイトがそちらを振り向くと、音の主は瞬であった。如何な原因か、彼が吹き飛ばされ、机の上に乗っていた皿やらが地面に落ちた時の音らしかった。先ほどの音に引き寄せられ、カイトだけでなく多くの者達がそちらに注目していた。
「別段可怪しいことではあるまい。それどころか、栄誉有る事だろう」
「ですから、お受けする気は無い、と」
「ふん、元奴隷の血脈とは言え、皇族の妻に迎えてやろう、と言うのだ。何をためらう必要がある」
そこで、再び瞬が起き上がり、言い争う二人へと近づいていく。それを見たカイトは、頭を掻いてブランシェット公に詫びを入れた。
「申し訳ない。何かトラブルがあった様子です。少々……」
「ああ、構わない。有意義な会話だった」
「ありがとうございます」
カイトは小さく頭を下げると、尚も話をしたそうなブランシェット公のお付きを無視し、騒ぎの中心へと歩を進めた。そうして、カイトが騒動の中心となっている最後の一人を見て、大きく溜息を吐いた。
「どうされました、ハインリッヒ殿下」
「む? 貴様は……」
「天桜学園冒険部部長カイト・アマネです、殿下」
カイトはハインリッヒの前に立つと、皇国式の一礼で応えた。瞬が揉めていたのは、皇族の第二皇子であったのだ。それ故、カイトが溜息を吐いたのだ。
「そうか。ならばそこの男を引き取り、さっさと貴族たちの元へと戻ると良い」
「っつ、貴様、まだ話は」
激高する瞬をカイトは手で宥め、ハインリッヒに問いかけた。
「何があったのかは存じ上げませんが……如何なさいました?」
「何、このリィルにな、我が妻とならぬか、と問いかけたのよ」
「その割には、少々物々しすぎますが……」
ハインリッヒの言葉だけを聞けば、単なる痴情のもつれか、と思うし、少しだけ漏れ聞こえた会話の内容から、カイトもそう思っていた。瞬がリィルに懸想している事は知っていた為、若干苦笑する程度に留め、仲裁に入ろうかと思っていたのだが、周囲を見て考えを改めた。
揉めていたのは瞬、リィル、ハインリッヒの3人だ。しかし、表立ってはいないが、血の気だっているのは更に多かった。それも、特にバランタインの子孫達に多かったのだ。
「何、賤民の血脈だと言うことで、多少の無礼は許す」
どうやら彼も周囲を見て、バランタインの子孫たちの不興を買った事に気付いたらしい。だが、言い方がまずかった。あまりに傲慢すぎた。
その瞬間、カイトの気配が変質した事に、何人が気づいただろうか。恐らく、死線に長く身を投じていた者達は気づいただろう。
しかし、この第二皇子は気づかなかったらしい。カイトは努めて冷静に保ちながら、柔和な笑みで訂正を試みた。
「恐れ多くも殿下。1つ訂正したき事が」
「なんだ?」
どうやら頭ごなしに否定するような感は彼にも無いらしい。まだ、幸いという所だろう。それ故、カイトも一度自らを抑えると、柔和な笑みで告げた。
「彼女らの祖先バランタインは、賤民ではありません。確かに、元奴隷でありましょうが、この国を救いし英雄かと。殿下も高貴なる御身分で有りますれば、生まれではなく、成した事でご判断ください」
「ふん。だが、奴隷であったことには相違あるまい」
「確かに、それは否定致しません。私も存じております。ですが、15代陛下と勇者カイト様の尽力により、奴隷制度が撤廃されてすでに300年。更には我らの住むこの大陸の大多数の国で撤廃が可決され、既に200の時を数えましょう。既にその様な身分に左右されるべき時代ではありません。更に、彼女らはまさしく皇国が誇る精兵。それをして、賤民の血脈などと卑下するのはおやめくださいますよう。数多の兵たちの士気にも関わります」
「だが、事実は消えん。生まれの貴賎を問わぬのは我が国の良き点であろうが……同時に悪しき点でもあろう。もとより、人にはなせることがある。貴は民を導く為にあろう。賎は貴に奉仕し、貴きが作りし道を踏み固める為にあろう。賤民たるバランタインが夢を見せたかとは思うが、本来それはあってはならぬ事であろう。本来は修正せねばならない事だ」
ハインリッヒの言葉は、確かに一面の真実を捉えていた。餅は餅屋、とは全ての物事に当てはまる。ならば、生まれた時に全ての職業を決定し、その職に就く事を決めて生まれた時から修練させれば、最も効率が良いだろう。
そして国民全てを専門の一族として特化させれば、ゆくゆくは大いに強大な力を持つ一族となることだろう。その道の専門家が家の数だけ存在することになり、非常に大きな利点となる。莫大な利点だった。
だが、この案には1つの大きなデメリットを含む。生まれた時に全てが決められるなら、地位の上下さえ、全てが決してしまうのだ。そして、それは覆らない。覆らないのが、この規定だ。
そして、その前提に立つなら、奴隷という最底辺の身分から逃げ出し、英雄という最高の地位に立ったバランタインはまさに異常中の異常であり、あってはならない事だった。だが、それを許容したのが、エンテシア皇国の在り方だった。
「……殿下、それは皇国貴族には許されぬ考えのはずですが?」
カイトは一気に気を引き締め、公爵としての風格を纏う。たしかに他国であれば、この思想も許される。だが、エンテシア皇国でだけは、歴史からそれが許されない。貴族は口外さえしてはならないのだ。
彼の考えはゆくゆくは選民思想に繋がり、果ては奴隷制度に繋がる。それは他ならぬエネシア大陸の歴史が証明してしまっていた。それ故、彼は臣下として、彼を諌める事にしたのである。
今の皇国では能力こそを至上として、生まれではなく成した事を重視する風潮だ。それは一度奴隷制度の採択と撤廃を経ての今だ。彼は負の意味での、再度の転換点となり得たのだ。
「……不満そうだな。何、別に俺も奴隷制度を復活しろ、などとは言わん。さすがに15代陛下の肝いりで施行された法を変更する愚は把握している」
カイトの風格が変わり、ハインリッヒもさすがに失言に気付いたらしい。奴隷制度を復活させる気は無い、と明言する。こんな場所で奴隷制度を復活するなどと口にすれば、間違いなく政治的に命取り、というレベルではすまない。まず間違いなく皇位継承権を剥奪される。
とはいえ、この言葉に秘められた彼の無意識に隠された意思は、カイトにしっかりと伝わっていた。そして、それはカイトが彼を危険視するに十分な物であった。
彼はウィルの肝いりだから変更しない、と言ったのだ。それは逆に言えば、彼でなければ変えた、とも取れた。無意識での発言だっただろうが、それ故に、彼の本心に近い言葉だった。
「それに、悪い話でも無いだろう。バーンシュタット家は子爵。俺の妻ともなれば、紛うこと無く次期皇妃。これほどの栄誉はあるまい」
堂々と自分こそが次期皇帝だ、とハインリッヒは言い切った。周囲の貴族たちは彼の取り巻きや後援者らしく、それを疑問に思っていなかった。
そして真実、彼は最も貴族たちから後援されている皇子であった。彼には数人の兄姉が居る為、皇位継承権こそ第5位――本来は6位だがリオンが返却済みの為――だが、上に居る皇族たちが並べて後を継ぐ見込みが無いのである。いや、正確にいうと、見込みが無いというより、やる気が無いのだ。
それらに対してハインリッヒはやる気はあるが決して能力が高い訳では無いが、低い訳でもない。だが、成人済みの皇位継承権を持つ皇子達の中で最も精力的に後ろ盾を集めて回っているのは彼であった。
「……はぁ」
その後、クズハ達から彼のプロファイルを受け取りつつ時間稼ぎに議論を交わし、最終的にカイトは大きな溜息を吐いた。第二皇子の根底には、選民思想が深く根付いていたのだ。そして変更も難しそうだった。
「殿下。ですが、当人は皇妃となる必要性を無用、と仰っておいでです。当人の意思は無視ですか?」
これは最後の問い掛けであった。これの如何によって、カイトの次の行動が決まる。
「そんなものに興味は無い。俺が決定した。それが全てだ。貴きは全てを背負う。賤しきは全てを差し出すのが義務だ」
その言葉に、カイトは説得をやめて一気に闘気を纏う。彼は間違ってはいない。カイトとて、それは理解している。だが、同時に正しくもなかった。
だからこそ、ここで彼を皇位継承のレースから外さねば、後々の皇国の滅びに繋がる。それは親友から国を託された者として、許容出来なかった。カイトとて永遠にこの国の守護者となり得ないが、少なくとも自分が居る限りは、滅ぼさせるつもりは無かった。
「ほう、この俺とやりあう気か?」
にぃ、とハインリッヒが獰猛に犬歯を剥く。どうやら、彼も腹芸よりも此方の方が性に合うらしい。そうして、それを受けてお互いに一気に魔力を漲らせる。
「どうやら、必要ですので」
首を鳴らして、カイトも獰猛に牙を剥く。本当ならば、このような所で自身の正体を明かすつもりは無かった。学園の事もある。やりたくはない。
だが、世界を回って友が頭を下げてまで守り抜いた国が滅びる切っ掛けを見逃すより、遥かにマシだった。学園側に申し訳なくはあるが、彼がその横に居た勇者カイトである以上、これだけは譲れなかった。
『クズハ。帰ったらすぐに有能な皇族のリスト送れ。こいつ潰したら後援する奴決める』
『かしこまりました』
カイトの念話に、クズハが了承を示す。彼を危惧しているのは、取り巻き以外の多くの貴族たちも一緒らしい。ただ単に、彼を積極的に潰せるきっかけが無いだけの事だった。凡百の貴族達では、彼は潰すには少々厄介な相手の様子だった。なら、公爵が為すべきことだった。
叩き潰した後はここ数年以上公の場に一切姿を見せない有能と噂される第一皇女か第二皇女を引っ張り出すか、まだ成人していない皇族の中に有力な者を見つけ出せば良いだけの話だ。対案としては悪くない。エンテシア皇国では男女平等に皇位継承権が与えられているのだ。皇帝が男でなくても何ら問題はない。
それに、皇帝の才能が悪かろうと、公爵勢でもり立てればどうにかなる。それだけの実力があるのが、大公家や公爵家だ。なにせ<<無才>>と言われた初代皇王の補佐をするのが、彼らだ。出来ないはずがない。
「安心しろ。この場での無礼は許してやる。存分にかかってこい」
「有り難いね。素手だが……まあ、久方ぶりに騎士様の演舞を披露するのも、悪くはない」
ハインリッヒの言葉に、カイトが犬歯を見せて笑う。殺すつもりはない。殺すのは流石に職責から外れる。適当に一発でノックダウンするだけだ。
ちなみに、カイトには喧嘩する事に意味はない。ただ単に、バランタインの事を賤民と、リィルを賤民の血脈と呼ばれたた事に腹が立っただけである。
いや、彼にとって、それが何より彼を排除したい理由なのかもしれない。国のため、というのも結局は親友の為、だ。何より友との絆を大事にするカイトにとって、彼らを貶された事は何より堪えられなかったのだ。カイトは裏から手を回してハインリッヒを潰すことが出来たが、バランタインに言及された時点で、そのつもりをなくしていたのである。
「待て、カイト。これは俺が買った喧嘩の筈だが?」
「……わかっているさ……だがな……オレはオレである限り、これはもうオレの喧嘩でもある……が、確かに他人の喧嘩を横取りはダメか。思い切りやっていいぞ。後はオレが全部片付ける」
今まで成り行きを見守っていた瞬が、戦いを決めたカイトに待ったを掛ける。元々、腹を立てていたのは彼が先だ。カイトもそれを思い出し、苦笑する。
そうして、瞬の今の実力と、そして彼の隠す切り札を知るが故に、彼の見せ場として、ここは譲る事にした。後始末は自分がするつもりだが、他人の喧嘩を勝手に横取りするのも問題だろう。
「……すまんな。安心しろ、俺がぶっ飛ばす」
「ふん。貴様ら如き、二人同時でも構わんぞ?」
「やめておけ。こいつに喧嘩を売って、勝てる筈は無い。いや、それ以前に俺に勝てるかどうかもわからんな」
ハインリッヒの挑発に、瞬が挑発に挑発を返した。そうして、二人が殴り合いになる直前、声が上がった。
「お待ちを、兄上、異世界日本の冒険者様」
声の主は若いドレスの少女だ。年の頃はまだ12歳かそこそこだろう。一同の注目を集めた少女は、ドレスの両端を持って優雅に一礼する。
「……リズ」
「兄上、未だ成人していませんので、この場ではアンリ、の方が適切ですの」
ハインリッヒが言った名前は本名の方だった。彼女の本名は、リーゼリット・アンリ・エンテシアと言う。それ故、愛称がリズなのであった。
「申し遅れましたわ。私、第七皇女アンリ、と申しますの。未だ成人していない身ですので、本来の名を明かせぬご無礼をお許しくださいですの」
アンリは自己紹介と共に、カイト達に再び優雅に一礼する。カイトと瞬の二人も皇女から名乗られた以上、名乗り返すしか無かった。殺気立っていようとも、彼女には関係が無い。
「丁寧な礼、痛み入ります。私は……」
そこで一瞬カイトは止まる。このまま不支持を鮮明にするつもりだったのだが、どうすれば良いのか少しだけ戸惑ったのだ。
だが、答えはアンリの横にあった。そこには笑みを浮かべるハイゼンベルグ公ジェイクが居たのだ。それに、カイトは事の裏を把握する。
『爺の差金かよ……』
『短気は損気、というじゃろう? お主なら、確実に動いてくれると思うておったわ。切っ掛け作りに相変わらず最適な男よ』
どうやらここまでの流れは全て、ハイゼンベルグ公ジェイクの望み通りだったらしい。もしかしたらバランタインやリィルが貶される事さえ、彼の差金かもしれない。それに、カイトが舌打ちした。まんまと踊らされたのだ。
『ちっ……可怪しいと思ったんだよなぁ……ここまで貴族の質が落ちてるはずねーもん。一瞬本気で愕然としたぞ』
『ふふふ……儂が居るのに、当然であろう? あの横に居るのが質としては最下層の最下層。それをあてがっただけよ。今後の引き締めにな』
カイトが笑い声に似た声でハイゼンベルグ公ジェイクに念話を送ると、それに彼が笑って返す。どこか可怪しいのか。それは彼が動いていなかった事だ。彼が動かないはずがないのに、何故動いていなかったのか、と思っていたのである。
だが、これはどうやら見込み違いだったらしい。ハイゼンベルグ公ジェイクは動いた上で、カイトをここで当てるつもりだったのだ。そうして、それで動きを決定した。
「私はカイト・アマネです、アンリ殿下」
「シュン・イチジョウです、皇女」
瞬からは軍礼と、カイトからは跪いてその手にくちづけをされたアンリであったが、そこで一瞬の間が空いた。それに二人は首を傾げて、アンリに問いかけた。
「……どうなさいました? アンリ皇女」
「ああ、いえ。あまりに見事な皇国式ですので……」
「ありがとうございます、見目麗しき皇女殿下」
そのアンリの照れた様な仕草ににカイトは微笑み、今度は少し茶目っ気のある笑みで優雅に一礼した。それに、アンリが少し照れた様なまま、頭を下げた。
「申し訳ありませんの。それで、お三方共。さすがにこの場での諍いは他の貴族にご迷惑となってしまいますの。でしたら、数日後、御前試合がありますわ。そちらで決着をつけられては如何でしょう? 幸い、兄上は出場されるご予定ですし、出場の締め切りにはまだ時間がありますわね。それに、皆様も日本の方の戦い方には非常に興味がおありのご様子。如何でしょうか?」
「俺に異論は無い。こいつらも全力を出せて、何ら後腐れなく俺の方が正しいと知るだろう」
「俺も元々出場予定だ……カイトはどうする?」
「先輩の露払いはしますよ」
事の裏までの大凡を把握したカイトはもう戦う気を殆ど失っていた。彼が潰されるのは確定だ。なにせ皇国の政治界で有数のハイゼンベルグ家が動いている。それ故、カイトは瞬の好きにさせることにする。最悪はカイトが優勝して終わり、だ。
こうして、離れた所で密かにほくそ笑む皇帝レオンハルトと、会場の監視カメラで様子を監視していたシアの悪どい笑みには気付かぬままに、カイトは意図せず、御前試合に出場する事になるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第366話『策略の狭間で』