第364話 謁見 ――皇帝レオンハルト――
カイトが跪くと同時に、皇城の担当官の声が響いた。カイト達が居るのは、皇帝の玉座からは少し離れた所だった。
謁見に際して会話をする訳ではないし、天桜学園において何かの役職に就いているわけでもない―― 一応は冒険部は一介の部活扱い――ので、カイトは望んで、この少し離れた所に立ち位置を決めたのだ。
「エンテシア皇国第24代皇帝レオンハルト・エンテス・エンテシア様、御入来!」
声が響いた瞬間、貴族達全員が跪き、頭を垂れた。そうしてその際に響いた足音が消えると同時に、次いで玉座に近い扉が開き、男が入ってきた。金色の長い髪、鋭い眼光を持つ意思の強そうな顔、かなり鍛えているらしい巌の如き身体を持った、身長190センチを超える大男だ。
彼は威風を纏い、玉座近くの扉から現れた。年の頃は40前後であるが、その衰えを一切感じさせない力強さがあった。言うまでも無く、皇帝レオンハルトだった。
彼はゆっくりと、玉座まで歩いて行く。のっそり、ではなく、ゆっくりだ。居並ぶ者達に、自らこそが王である、という事を示す為に、敢えて威風を纏い、ゆっくりと歩いているのだ。その彼を一言で言い表すならば、百獣の王。彼を獅子という者が多いのも無理のない王者の威風と、堂々たる威厳であった。まさに、大国の長足りうるだけの王者の風格だった。
ちなみに、身に纏う衣服は皇帝たるが故か飾り気の多い物だが、随所に動きやすい様な工夫が施されている上、刺繍にしても高級な魔力由来の糸で編まれており、不意の戦闘も可能であることがわかる。おまけに佩刀している剣にしても、華美ではあるが、どこか実戦的だ。ここらは、武芸者としてのこだわりなのだろう。そうして、彼は玉座へ腰掛けると、声を上げた。
「良い、頭を上げよ」
澄んではいないが、戦場でもよく通るだろうはっきりとした声だった。一同が頭を上げたのを見て、彼は告げる。
「異世界日本よりの客人方よ。まずは、此度の<<世を喰みし大蛇>>討伐と、それに伴う街の救援、感謝する。余の庭の掃除は本来は庭師の仕手だが、此度は少々手に余ったようだ」
皇帝レオンハルトが小さくだが、頭を下げる。自らの街が他国の人間に救われている以上、皇帝のこの行為は筋が通っていた。ちなみに、一応ここは公の場なので、彼の一人称は何時もの『俺』ではなく、公的に使う『余』である。そうして、それに対して桜田校長が口を開いた。
「いえ、此度は我らは陛下に頂いた御恩の万分の1をお返ししたまでのこと。どうか、頭をお揚げください」
「……スマヌな。さて、余はあまり回りくどい事が好きではない。そこで、だ。単刀直入に問おう。お主らに褒美を授けようと思うのだが、何か望みはあるか?」
「はい。僭越ながら、<<導きの双玉>>を」
その瞬間、何も知らない世情に疎い一部の貴族たちからどよめきが起きる。当たり前だが、国宝にして軍事的切り札なのだから、当然と言える。
が、それも極一部だけだ。この裏にきちんとした根回しがあることをきちんと把握している貴族達がそれに少し呆れながらも、解説していた。
「ほう……そういえば、リオンからも自らが有する1つを返却し、代わりに貴公らに渡してほしい、と上申されていたが」
これは既に皇城側とは練り合わせが済んでいた事なので、驚きを見せた程度で皇帝は済ませた。もとより、息子そっくりに皇帝レオンハルトも腹芸は得意では無いのだ。そして出来るというだけで、好むやり方でもない。ならさっさと終わらせるに限るのであった。
「はい、御身のご子息より、その様なご提案がございました」
「なるほど。確かに、それは良い話だ」
そうして、幾度か言葉が交わされる。それは、予め打ち合わせがなされていた会話だ。ただ単にこの場の会話はそれを公にする為の発表に近い。
別に記者会見を開いて、でも良いが、謁見の場で言葉をかわして、というのが悪いわけではない。というわけで、元々打ち合わせがされていた会話は何も問題なく話は進んでいく。
「さて、そう言っても受け渡しまでは幾ばくか時間がある。余はこれでも武芸を好んでいてな。御前試合を近々開こうと思っているのだが……」
次の話題はどうやら、御前試合について、らしい。まあ、これも元々打ち合わせがされていた事だ。なにせ冒険部が存在していて、そしてその仕事は主に戦うこと、だ。皇国側が目玉の一つとして出場を依頼する、というのは普通の事だった。
「それで、よ。貴公らからも何人か出場してはくれぬか?」
「はい、既に何名かが出場を決め、参加する意思を見せております」
「おお、そうか。それは楽しみだ」
見知らぬ異郷の武芸が楽しみなのは事実なのだろう。レオンハルトは本当に楽しそうな笑みを浮かべる。そうして、これで終わりだったはずのこの話題は、しかし、次の瞬間、彼の打ち合わせに無い行動によって、覆る。
「して、1つ疑問なのだが……カイト、なる生徒は居るか?」
「はぁ、確かに、カイトという生徒は数名居ますが……如何致しました?」
皇帝レオンハルトの言葉に、桜田校長は内心で冷や汗を掻きつつ、普通に答えた。ちなみに、これは偽りではない。事実、冒険部を含め、天桜学園には漢字こそ異なるが、数人の名前が『カイト』であった。別に珍しい名前でもないのだ。当然だろう。
そしてそれは皇国側も把握している。これが尚更、カイトが勇者カイトである事を悟らせない隠蔽に一役買っていた。なので、皇帝レオンハルトは自分のうっかりミスに少し苦笑しつつ、その『カイト』を特定させる。
「ふむ……では、冒険部なるギルドのギルドマスターは?」
皇帝レオンハルトの言葉に、桜田校長は後ろを振り向き、居並んだ生徒達の中からカイトを見つけ出し、目で合図を送る。
予定には無かったので教師や他の生徒たちは慌てているが、その正体を知る者達は少しだけ苦々しい顔をする。そしてそれは、唯一目の前で全員を見通せた皇帝レオンハルトだけは、しっかりと見れていた。
「はっ、私です、陛下」
とは言え、カイトにはこの程度の予定外は別に顔に出る程でもない。なので平然とカイトが名乗り出て、優雅に一礼した。その瞬間、全ての貴族達がカイトに注目する。
それでも、カイトに緊張は無い。この程度、勇者として無数の好奇の目に晒されてきているので慣れている。だが、そんな事を知らない貴族達はその堂々たる姿に、思わず瞠目する。
「ふむ……聞けば、貴公がかの<<世を喰みし大蛇>>との戦いで武勲有りし者とのこと。であれば、何か特別の褒美を与えたいのだが……相違ないか?」
「いえ、それは違います」
想定内の言葉だったカイトは、柔和な笑みで皇帝レオンハルトの言葉を否定する。
「ほう……では、誰と?」
「私はただ単に、あの場で活躍した者の一人。ここに居並ぶ冒険者達全員に、そして主力となり決戦を行った皇国軍にこそ与えられる武勲で有りますれば、誰か一人が受けるべき栄誉ではありません」
この返しに、皇帝レオンハルトは少しだけ笑みを浮かべる。カイトの反応を見るため、彼は敢えて、特段の武勲と言わなかったのだ。特段、とつくと、カイトは肯定せざるを得なくなる。
カイトも既に自身が単騎で<<世を喰みし大蛇>>と戦った事を知られている事は既に把握していた。だが、それを認めれば、自身向けの青田買いが面倒になる、と考えたのだ。それ故、全員の功績、としておくことを選んだのである。
「ふむ……確かにそうだ」
「はい、それに過ぎたる報奨は諍いの原因となりましょう。私も偶然、同行の冒険者と共に入った迷宮にて手に入れた魔道具があればこそ、活躍出来ただけの事。私個人の実力で成し得た事であれば、天桜学園への報奨で十分です」
頷いた皇帝レオンハルトに、カイトが更に意見を述べる。とは言え、実は、これは1つ穴がある。カイト個人にならば、実は別途に報奨を与える事が出来るのだ。
カイトは緊急依頼が発令される前から<<世を喰みし大蛇>>と戦っていたし、そもそも緊急依頼は<<世を喰みし大蛇>>の撃退ではなく、街の避難の援護と防衛だ。カイトの行動は街の防衛に絶大な功績を残しながらも、その実は緊急依頼から大きく離れた事だったのである。
ならば、緊急依頼に関係していないカイトには、<<世を喰みし大蛇>>討伐に携わる報奨が与えられるのである。
「なるほど、一理ある。緊急依頼で安易に過分な報奨を与えるのは得策ではないな」
とは言え、これは道理でもある。それ故、皇帝レオンハルトもカイトの意見の穴を承知の上で、指摘しない。今はまだ早過ぎる。
指摘するのは、シアが全ての事を終え、彼を勇者カイトとしてその帰還を迎え入れた時、だった。その時はカイトは『冒険者カイト』では無く『勇者カイト』として、表彰されなければならない。それは彼を公爵として叙任しているエンテシア皇国である以上、必須だった。
そうして、そんな皇帝レオンハルトは笑いながら、カイトに少しだけ意地の悪い質問をすることにした。それはただ単に彼の思いつきだった。
「だが、良いのか? 貴公は自らギルドに対する褒美を断ったのだぞ?」
「それは……答え難い質問ですね」
カイトも皇帝レオンハルトも苦笑する。わかって出した質問であったらしい。皇帝は意外と人が悪いらしい。安易に遠慮しやすい日本人なので学生たちには理解出来にくかったかもしれないが、如何様に答えても、何処かで角が立つ質問であった。
イエスと答えれば自らの実力を過小評価していると判断され、先ほどの報奨にまで足元を見られかねない。それはカイトも望まない。かと言って、ノーと答えれば何故断ったのか、となる。他方答えなければ答えないで、皇帝の質問に答えない、という無礼となるのだ。その答えが、答えにくい、という答えであった。
「そうだな、忘れてくれ」
「ありがたきお言葉」
皇帝レオンハルトはカイトの答えに気を良くして、横柄に頷いた。今のは一種の思いつきでの試験だ。カイトがどのような判断を下すのか、そこから彼の人となりを見ようとしたのだ。そして、結果は皇帝にとって、満足の行くものであった。
「うむ。では、リオンの到着や<<導きの双玉>>の用意には時間が掛かる。待ってもらうが、構わんな?」
この時間の殆どはリオンが此方に来るまでの時間だ。<<導きの双玉>>の用意だけなら、1日もあれば用意できる。
とは言え、さすがに切り札である国宝を受け渡すとなると、やはり土壇場でのいろいろないちゃもんも考えられる。幾ら根回しが終わって合意が得られていると言っても、異論が無いわけでは無いのだ。それ故、そういった軍部の煩型を黙らせるためにも、アルテミシア王国に貸し出している<<導きの双玉>>の返却が確認されてから、天桜学園側に受け渡す手筈となっていたのである。
まあ、それでも時間が掛かる、と言ったのは大半が嘘だ。確かにリオンの到着までは謁見の日からかなりの時間がある事は事実だが、皇帝レオンハルトにはシアとカイトの縁を結ばせる、という密かな仕事がある。そのための言い訳に過ぎなかった。御前試合で決せられれば良いが、思惑が外される可能性も存在している。余分に時間が欲しかったのだ。
「はい、陛下」
「すまんな。皇国は一枚岩であるが、異論が無いわけでもない。冷戦中の国家故の宿世として、飲んでくれ」
皇帝レオンハルトはあっけらかんと皇国の実情を語る。が、まあこれは少し聡い者ならすぐに考えられる事だ。隠す必要も無い、と考えたのである。
「承知しております」
「うむ……それで、一つ聞きたいが……カイトよ、武術の腕は、どれほどの物だ? 君は数多の武器を使い熟すという。並外れた武芸がなければ、それが出来るわけではあるまい?」
「いえ、別に何か特段の武芸に優れる、というわけではありません。ただ単に、私には武芸の才能が無いだけ……それ故、褒められる武芸があるわけではありません。ただ、戦う術として、私は習得しているだけです」
皇帝レオンハルトの問いかけに、カイトが少しだけ照れた様に答える。これは真実だ。カイトには後ろの冒険部の大半に比べて、武芸の腕は存在していない。彼らが得意とする分野では彼らに一段劣る。同じ土俵では戦えない。これが、真実だった。それ故、誰も演技であるとは思わなかった。真実を知る皇帝レオンハルトでさえも、だ。
そもそもカイトは一度目の転移前は運動部に所属していたわけではないし、特筆する程運動が得意でも無かった。だが、運動が上手い奴が戦闘に優れているわけではない。
究極的にはルールに基いて戦うスポーツと、端からルール無用の実戦は違う。乱戦になれば戦いの最中に横合いから槍が突き出されるのは普通で、油断させて横合いから仲間に攻撃させる卑怯も武略として賞賛される。それこそ策に嵌って一網打尽、なぞ良くある話だ。誰もそれを非難しない。する方が馬鹿だ。
それと同じで、普通にやって勝てないのなら、魔銃や弓矢で敵の射程外から攻撃して完封したり、相性の問題で敵が苦手な武器で戦えば良いだけの話だ。まあ、これはどちらかと言えば死した仲間の武器を形見として使っていった結果、というところだが、大本はそれだった。
「そうかね……まあ、ここで披露してもらっても良かったが……場所が狭いな。武芸については、数日後の手合わせに楽しみをとっておく事にしよう」
「かしこまりました」
皇帝レオンハルトの楽しげな言葉を受けて、カイトも頷く。これについては皇帝レオンハルトが是非に、と依頼してきた為、カイトも逃げようが無かった。皇帝からの是非の頼みであっては、カイトも拒絶出来なかったのである。
「うむ。では、少々早いが、我々の逢瀬を祝い、昼食を用意させた。存分に楽しんでくれ給え」
カイトの言葉に笑みを浮かべて、皇帝レオンハルトが手を鳴らす。すると、今度は従者たちが入って来た。そうして、今度はカイトにとって頭の痛くなる昼食会が開かれる事となったのである。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第365話『昼食会』