第360話 密偵シア
椿が台所の調査を終えて暫く。カイトはシアといろいろな事を話し合っていたのだが、そこにノックの音が響いた。
「おーい、カイト。入るぞー」
ノックの音と共に、ドアが開いた。入ってきたのはソラであった。一緒にお姉さんタイプのグラマラス美女なメイドも入ってきた。彼専属のメイド兼監視役だろう。
「何だ?」
「暇だ」
「まあ、確かにな。取り敢えず、そこら辺のソファに座っとけ」
「おーう。サンキュ」
今日は流石に貴族たちも牽制し合ったのか、何か催し事を入れられた、という事は聞いていない。ここらを出し抜くのが貴族の有り様だろうが、まあ、それをやり過ぎても逆に叩かれる。
それに初日は移動もあり、疲れているだろうに配慮しろ、といちゃもんも付けられかねない。その為、今日は1日暇となるのであった。とは言え、急に手続きで何かが入る可能性もある。カイト達としても観光にも出掛けられない。なので、ソラが暇そうだったのだ。
「さて、と。じゃあ、何をやるかな」
「お前いつも通り暇潰しに何か持ってないのか?」
何をやるか、と考え始めたカイトに対して、ソラが問い掛ける。ソラはこれが目的でここに来たのだ。さすがにこんな状況で裏事に関する講義や武芸に関する講義は行えない。やるとすれば、暇潰しである。
だが、それにしてもティナの魔道具でのゲームプレイは不可能だ。流石に自分達の正体を露呈しているような物だ。そうして、暫く考えた結果は、いつも通りのトランプだった。これなら最悪エネフィア出身者達も簡単なルールを説明するだけで参加出来るので、問題にはならない。
「トランプでもやるか? 持ってきてるからな」
「テキサス? オマハ?」
「クレイジーでいいだろ」
これらは全てポーカーの1種だ。テキサスはテキサス・ホールデム、オマハはオマハ・ホールデム、クレイジー、はクレイジー・パイナップルである。大抵カイトがソラ達とトランプをする場合は、ポーカーかブラック・ジャックである。
「相変わらずハイリターン好きだな」
「まあな。椿、ディーラーを頼む」
「はい」
カイトはガサゴソと荷物を漁り、持ってきていたトランプを取り出して椿に渡す。取り出したトランプの箱はそれなりに使い込まれていた。まあ、監視があったりして何も出来ない時の暇潰しによく使っているのだから、当然だ。
「シアと……そっちのお姉さんもやるか?」
「私は少し出掛けるわ。報告も仕事だもの。構わないかしら?」
「エルメロイさんによろしく……じゃあ、人数に翔と先輩でも呼ぶかね」
カイトの申し出に、シアがそう問い掛ける。そしてそれを受けて、カイトも頷いた。すでにそこらは取引で終わっている事だ。拒む理由がなかった。
「お客様がお望みとあらば。後、私はマキアです」
「了解。ルールは……ソラ、頼んだ。オレは人集めてくる。三人でもいいが……まあ、多い方が面白いからな」
「あいあい」
シアに続いてその場を後にするカイトの背にソラが手を振って、彼はマキアというらしいメイドにポーカーのルールの説明を行うのだった。
カイトの部屋から出て行ったシアは、というと、そのまま皇城に戻って自分の仕事机がある場所に一直線に直行していた。そうして出迎えたのは、随分前にレーメス伯爵の中に密偵として入り込んでいたメイドこと調査員のフィニスだった。
「シア様。旦那様とのファースト・コンタクトは、如何でした?」
「結婚も何も無いのに、勝手に旦那様呼ばわりはしないで……まあ、あれは皇国でこそ、活かせる男よ。他の国では活かせない」
フィニスの言葉に、シアが笑いながら告げる。何度も内偵調査を進めて、そうして直に会ってもみて、そうして出した彼女の結論が、これだった。
「貴族として、英雄として、彼ほど皇国の法の体現者は居ない。彼はルールに縛られない。そして、それを隠し通す腕を持つ。監視員の目の前で魔術の書き換えをやったけど、それはあくまでも、見せている風を装っているだけ……書き換えた部分だけ見れば普通に簡単に書き換えただけよ。でも、全体を見れば……ぞっとするわ。書き換えた物全てが一つの流れを持って書き換えられている。どんな効果を発するのかは、流石に専門の学者が長時間調べないと無理ね」
密かに掻いていた汗を、シアが拭う。彼女であっても、カイトの前に出るのは緊張した。カイトとはそれほどの相手なのだ。一個でも判断を見誤れば、国益を損なう。あれだけ横柄に構えていながら、シアはその実、内心では冷や汗を掻いていたのだ。
「では、やはり本物、と?」
「それしかあり得ないわ。技量然り、あの理解の良さ然り、あの余裕然り……そして、私の血でもってしても、彼は勇者カイトでしかあり得ない。皇族の血だけは、彼でも魔帝様でも騙せない。300年経過していても、まだまだ現役の血は残っている」
シアや皇帝レオンハルトが唯一カイトに対して優位であれる事があるとすれば、ここだった。皇族の血に秘められている力だけは、幾らカイトでも、否、幾らティナがどんな魔術を使った所で、偽れない。
カイトなら不可思議なまでの龍族の血の強さ、ティナなら一発で魔女族である事がバレるのだ。それ故、カイトもティナも皇族の前に出る事を渋っていたのである。
「では、陛下に連絡をお繋ぎします」
「そうしてちょうだい」
シアの言葉を受けて、部屋に居たメイド服姿の一人が魔道具を操作し始める。シアが報告に来たのは、カイトが勇者カイトである確証が得られたからだ。
仕方がなくはあるが、カイトはここらを勘違いしていた。彼女が報告する相手は歴史的な習慣に則れば直属の上司となるはずのエルメロイでは無く、皇帝レオンハルトに直接出来る立場だったのだ。
「悪いわね。嘘は言っていないわよ。それに、私は一度も、私がメイドだ、とも皇女でも無い、なんて言ってないわ」
通信が繋がる直前、シアが悪どい笑みを浮かべる。謝罪は当然だがカイトに対して、だ。そう、彼女は一つも嘘は言っていない。何一つ、だ。シアは真実を意図的に隠蔽し、語った事からも意図的に情報を抜いて、誤解を促せる様にしているだけだ。つまり、カイトが手持ちの情報から勝手に彼女を皇族では無いと勘違いしているだけだった。
シアはただ単にその勘違いを促しただけだ。これが、彼女のやり方だった。そして、シアが皇女の中で最も腹黒いと言われる理由でもあった。本当の事しか言っていないから、誰も嘘と見抜けない。それはカイトとて同じだ。幾ら情報を持つか。それ以外に、対処法が無い。
「ふふ……喜びなさい? 貴方の為だけに、この策は作られている。皇国300年の集大成。15代陛下以降全ての皇帝が全力で秘匿し続けてきた皇室最大の秘密。脚本はウィスタリアス皇帝陛下よ」
シアは通信が繋がる前の僅かな一瞬に、笑みを浮かべる。シア達皇国上層部はこの日の為にカイト達よりも遥かに昔から、ウィルの時代から隠蔽工作を続けてきている。
シアの言うとおり、今回だけは、カイト達に勝ち目は無かった。そもそもこの策はウィルの策だったからだ。必要な情報を入手出来るはずがない上、カイト達を熟知している相手が本気で打った策からは、如何にカイト達とて逃れる事が出来ないだろう。
これは皇国内にカイトの居場所を作る為にウィルが生涯を掛けて練った策だった。カイト達は皇国では無く、賢帝ウィルを数百年の時を経て相手にしているに等しかった。
しかも、その主役は歴代でも有数のしたたかさを持ち、結婚適齢期でありながら持ち前のしたたかさで結婚していなかった皇女レイシアだ。性格はカイトがすでに明言した通り、彼好みだ。普通にやっても輿入れが出来る。
その上に、カイト達を熟知するウィルの策だ。負ける道理が無いのは当然だった。これで負ければ明らかに皇国の大失態だった。そうして、通信がつながり、モニターに皇帝レオンハルトが映し出される。
『……ああ、俺だ。シア、どうだった?』
「ええ、お父様。確定よ。彼は勇者カイト。私の血が認めたわ。お父様もすぐに分かるぐらいに、はっきりと理解出来たわ」
『そうか』
シアの言葉を聞いて、皇帝レオンハルトが深く笑みを浮かべる。これでゲームはこちらの勝ちだった。いや、まあ、始めからこの正体当てのゲームだけは、カイトに勝ち目がない。
カイトに出来たのは自分の前に初代皇王から繋がる特殊な力を持つ皇族が現れない事を祈るしか出来なかったのだ。ある種出来レースとも言えた。
『で、男としてはどうだ?』
「それは今から見定める所よ。でもまあ、プロファイル通りだと思うわ」
『……そうか。なら、取り込め。皇国貴族の体現者を、我が皇国が放っておく道理は無い。で、男としては、どうだった?』
「だからまだあったばかりなのに、何も言えないわよ……それで、問題は解決出来そう?」
少し照れた様子のシアは父親の言葉に、そっぽを向きながら逆に問い掛ける。当たり前だが、曲りなりにも親子だ。当然だが婚約者と目される男と出会った娘の感想は聞いてみたくはあったのである。
だが、ここで一つ問題があった。取り込もうにも、既成事実が必要なのだ。だが、今のままでは、既成事実化は不可能だ。カイトが拒絶する。
女好きや女誑しとの噂が流れているカイトだが、彼らのプロファイリングではかなり腰は重い、となっていた。まあ、美人局対策に噂を意図的に流している事に気付いているのだから、当然だ。そしてそれを把握している以上、カイトにシアを抱かせるには何らかの策が必要なのだ。
『素直で無いのは、血筋か。まあそこが、難点でな……どのようにして、勇者カイトを御前試合に引っ張りだすか……そこが問題だ』
「……そこ、よね。最大の問題は。最悪別の切っ掛けを作る、というのも有りかもしれないわね。御前試合は少し早過ぎるもの」
二人はカイトを目の当たりにしても見えてこない解決策に、ため息を吐いた。流れとしては、二人共大まかに決定していた。
だが、問題なのは、その流れを起こす切っ掛けだった。切っ掛けさえ起こってしまえば、後はどうにでもなる。そこはすでに入れ知恵がされているので、完璧と言える状況だった。が、どれだけ考えても、その前が決まらないのであった。
『俺の方が問題だ。実は……まあ、ついある来賓に勇者カイトも御前試合に出場する、と告げていてな。出来れば出さないと、な。肝いりで来てもらった相手だ』
「はぁ……仕方が無いわね。なら、少々、皇国として恥を晒す事にしましょう」
『む?』
父の言葉に呆れたシアの言葉に、皇帝レオンハルトが首を傾げる。どうやら娘が何か解決策を見付けたらしいのだが、彼にはまだ見えていなかったのだ。そうして、シアが語り始める。
「現状、もうすでにハイゼンベルグ公が動いている以上、怪我を負うのは避けられない。なら、一気に全てを終わらせようと思っただけよ」
『……きちんと説明しろ。それでは何を言っているかわからん』
「ハインリッヒよ。そうね……瞬とかいう男にぶつければ良いと思うわ。リィル・バーンシュタットには少しだけ悪いけど……まあ、そこはお国の為。少しだけ恥を掻いて貰うわ」
『……なるほど。わかった。少々こちらから手を回し、状況を作れる様に操作しよう。どちらにせよ明後日の謁見の後の昼食会ではハインリッヒも彼らに会う予定だ。さして難しい話では無い。横のお付き共をけしかければ、すぐに乗ってくれるだろう。あの瞬という奴は俺と同じ武張った奴だ。必ず乗る』
シアから登場人物を聞かされて、皇帝レオンハルトがその脚本を理解する。彼らにしてもあまり取りたくない手段ではあったのだが、今の皇国の現状とカイトというリターンを考えれば、考慮に入れられる手ではあった。そして切っ掛けが欲しいのも事実なので、それを採用する事にする。
この次があり、しかもそれが無傷のチャンスかも、と時を逃すと、最悪はみすみすカイトを逃す事になるのだ。それは二人共望まない。チャンスで動ける者こそが、勝利を得られるのだ。
「私はメイドとしてもお付きとしても出ない事にするわ。あの恥晒しに私が勇者カイトの横に居る事が見られても厄介よ。幾ら血の力が弱くても、勘付く可能性はゼロではないわ。あれに勇者カイトの帰還を教える理由は無い」
『……はぁ。全く……お前は姉だろうに。弟に対して一切の容赦がないな』
皇帝レオンハルトが、冷酷に切り捨てを決定したシアに対してため息混じりに告げる。まあ、それを了承している彼も彼だろう。結局、彼らは生き馬の目を抜く貴族達だ。親子であっても、情けを掛けられない場合もある。そしてこれはその場合だった。
「どちらにせよ、すでにチェックメイトよ。情けを掛ける必要がない。時の運が無かったし、そもそも詰みになっている事に気付いていない。あれを皇国皇帝として革命家ジェイクが認めていない以上、勇者カイトが認める道理がない。貴族の中で最も権威が高い二つが否定すれば、皇帝就任は不可能よ」
シアが父の言葉に、更に冷酷に告げる。革命家ジェイクに、勇者カイト。この二つはエンテシア皇国の歴史において絶対に出る名前だった。この二人だけは、地位よりも遥かに上の力を持つ。下手をすれば皇帝以上の権力では無く権威を持つだろう。個人の権威から来る力だった。
なにせ片や建国の祖の一人で、片や勇者の代名詞だ。そして、二人共皇国の法の体現者だ。その二人が否定する時点で、皇国そのものが否定していると言うに等しい。そうしてそれを知るからこそ、皇帝レオンハルトがシアに問い掛ける。
『そこまで動いているか?』
「私は全員が動いている、と思っているわ。5公爵に掣肘される前に自浄作用を働かせておかないと、何を言われるかわからないわ。単に勇者カイトはハイゼンベルグ公にとって、切っ掛けよ。お父様が何か策を練らなくても、おそらく彼も御前試合に勇者を出場させるように策略を練っていると思うわ」
基本的に情報機関を率いているシアは誰よりも早く情報を入手する立場にあるわけであるが、皇帝レオンハルトはそこが得て纏めた報告を受け取る事になる。ここらの推測でシアの方が先を行くのは当然だった。そうして、推測を聞かされて納得したのか、皇帝レオンハルトも一つ頷いた。
『そうか。それは安心だ。まあ、ハインリッヒは……貴族共の裏を読みきれなかったあれが悪いか』
「そういうことよ。部下の面倒と引き締めは上に立つ者として、しっかりと行うべき事。それが出来なかったハインリッヒが悪いわね」
監督不行き届き、という言葉があるが、シアが言っているのはまさにそれだった。だからこそ、大目付である彼女が動いているのである。幾ら何でも何もなしに掣肘する為に動いているわけがなかった。そうして、そんなシアを見て、皇帝レオンハルトが何度目かのため息を吐いた。
この辛辣さと身内に対しての容赦の無さが彼女が歴代で唯一皇族として<<皇室守護隊>>のトップを務められている理由であるのだが、それ故に、何人もの弟妹達が結婚している中、彼女は行き遅れているとも言えたのだった。
『では、後はお前に任せる。何としても、勇者カイトの血を皇国に取り込め』
「だから、それは娘に言うことかしら……」
『皇帝としての言葉だ。そして、父親として、早く孫を見せろというやっかみだ』
「はぁ……」
お眼鏡にかなう婚約者が見付かった途端に孫をせがむ父親に対して、シアがため息を吐いた。なのでいっそ自分でご破産にしてやろうか、と鎌首をもたげたわけではあったが、それは置いておいて、言うべきことを言う事にした。
「まあ、良いわ……決行日には誰かを椿に向かわせるわ」
『メイドを掣肘しておく必要があるか? あのメイドは精神面が若干不安定だが、そういう所は理解するだろう?』
初夜だのと言わないのは、シアも恥ずかしいからだろう。それでも皇帝レオンハルトにはなんのことか伝わったから、まあ問題は無かった。そうして提案された作戦の修正案に、皇帝レオンハルトが首を傾げる。
椿を掣肘する必要が無い、というのが彼らの考えだ。下手に動いてはシアが皇族だと気付かれるからだ。それ故、シア単体で動く事になっていたのである。が、シアからの提案はそれを修正する物だった。
「会ってみてわかったけど……彼は完全にチェックメイトにしたほうが良いと思うわ」
『ふむ……まあ、そこらはお前に任せる』
「そう……じゃあ、ヘンゼル。貴方がお願い」
「ふぇ!? フ、フラン様!? わ、私ですか!?」
人員の選定を一任されたシアに声を掛けられて、部屋の片隅で真っ赤になっていた少女が声を上げる。どうやら自分が指名されるとは思っていない様子だった。
「そう、貴方よ……後、もうシアに変えなさい。フランドールはもう使わないで良いの。何度もそう言ったでしょうに……実際に行為に及ぶ夜には、貴方が私がきちんと抱かれたと証明して」
「え、え、あ、ひゃ、ひゃい!」
「はぁ……貴方は武芸は悪く無いのだけどね……それ以外がね……貴方のうっかりミスが無いかどうかだけが、この作戦最大の不確定要素よ……」
ヘンゼル、と言われた少女は真っ赤になりどもりながら返答を行う。それに、シアが小声でため息混じりに呟いた。あっけらかんと抱かれただなんだと言われて、真っ赤になっていたのである。
「フィニス。貴方に補佐をお願いするつもりだったけど、ヘンゼルに変えるわ。意図は分かるわね?」
「かしこまりました。偽装工作の一環、ですね」
「そういうことよ。あまりに優秀な監視役を情事の監視に連れて行ったら、私が皇女だとバレる。別にバレても良いけど、それは既成事実化の後よ。あの子ぐらいドジっ娘の方がちょうど良いの。私が貴族の娘で、ヘンゼルと同じ係累だと思ってくれる。ヘンゼル。貴方を勇者カイトに紹介するけど、緊張してバラしたら……分かるわね?」
「ひゃ、ひゃい! お家取り潰しですひゃ!?」
「公爵家相手にそんな事しないわよ……じゃあ、私は戻るわね」
シアから脅されたヘンゼルは真っ青になりながらそれに頷く。そうして、シアはその返答に呆れつつ、カイトの所へと戻っていくのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第361話『謁見前夜』
2016年2月27日 追記
・誤表記修正
『この次があり、しかもそれが無傷のチャンスがかも~』となっていた部分を、『~チャンスかも~』に修正しました。