第348話 閑話 遥か過去の物語
男が去って、暫く。自分はやることもないので、適当に男の動きを見ながら何をするでも無く、ただ単にぼんやりと過ごす日々が続いていた。
『……国は何時かは腐る……それは如何な名君、如何な賢帝、如何な王者であろうとも、避けられん……この世に、永遠はあり得ん。如何に開闢帝が優れていようとも、何時かは終焉は訪れる……』
適度に暇を潰す事も無いのでいつも通りに目を瞑り、世界を見通していたのだが、そうして見たのは、気づけば数百年経過していたエネフィアの現状だった。
自分が気づかない間に、自分が知っていた国はもはや国の末期とも言える状況で、もはや滅び行く国だ、というのがよく理解出来た。そうして、外に目を向けて、目の前で警戒を隠さない小さな存在達に目を開いて問い掛ける。
『……それで、如何な用か? ここは我の領域……なんのつもりだ?』
『ライン帝が命だ! ここに白銀の髪の男と黄金色の髪の女が居るはずだ! 隠すと録な事にならんぞ!』
武器を構え、不遜な物言いをする彼だが、それが虚勢である事ぐらい目を開けないでも理解出来た。当たり前だ。ここまでには無数の強大な魔物達が屯していて、それでありながら、自分は遥かに違うと理解出来るのだ。圧倒的な存在に相対して、虚勢を張らなければやっていけなかったのだ。そうして、そんな男の問い掛けに、自分は興味なさげに再び目を閉じた。
『そんな者はおらん……』
『ユスティエル殿がここにいる事を既に見られている! 如何な嘘も通じんぞ! 何処へやった!?』
『やれやれ……我は情けを掛けてやっただけというのに……』
『ひっ……』
自分はむくり、と顔を上げる。居ない、と言ったのはただ単にまだ生きて帰れる術を与えただけなのだ。残念ながら、自分には初めての友を売る様な心情は存在していなかった。だから隠したというのに、それを問い詰めるというのなら、対応は一つしかなかった。
『最後に、告げておいてやろう……ここにそんな者らはおらん……引け、矮小なる存在よ』
思わず声を漏らした兵士達に、最後の慈悲として、自分は告げる。まあ、今にして思えば、これも死亡宣告に近かっただろう。ここから逃げた所で帰っても待つのは死だし、それ以前に帰れることさえも困難に近い。
なにせここに来るまでに、彼らの兵力は10%程度にまで激減しているのだ。その道程を再び通るということは、単純に考えて、死にに行け、と言っても過言ではない。
『どうするのだ? やるのか、やらぬのか……このまま帰るのなら、見過ごしてやろう。ここは、死者が最後に通る場所……騒ぎ立てるのは、我の願いでは無い……が、あれらを追うというのなら、汝らもその道を通ると思え』
顔だけでなく、身体全体持ち上げて、自分は問い詰める。彼らの存在は隠すつもりだったのだが、いつの間にか隠していなかったのは、後で気付いた事だ。
そうして、恐怖のあまり自らに武器を構え始めた兵士達を見て、自分も数億年ぶりに、戦闘を行う事にする。
『引くつもりは無いようだな……』
戦いにならない事は、端から理解していた。なにせ自分は世界最悪の存在だ。それ故に、ここ数億年戦闘を行った事はなかった。戦う必要さえなかったから、だ。
『我は覇龍……生と死を司りし覇龍なり……それを知り、挑まんとする矮小なる者よ……ここは、生者が最後に訪れる場所……最も死地に近い場所……我が友に仇なす存在達よ……これより先に、進むが良いわ!』
数億年ぶりに、血を滾らせる。これは誰も知らない戦いになるだろう事は知っているし、そんな物に興味はなかった。あるとすれば、彼らがここから既に去った、という事を知られぬ事の方だ。そうして、自分は久方ぶりに自分の意思で、戦いを行う事にするのだった。
そんな誰にも知られない戦いから、数年の月日が流れた。あれ以降、どうやら敵は目的の人物がこの場に居ない事を気付いたらしく、自分の住処に兵士を送ることもなかった。
そうして訪れた再びの静寂だったのだが、それを気にせずぶち壊す者が、時折現れる事には、辟易した。この日もまた、その唯一ぶち壊す者が、自分の所を訪れた。
『よ! レヴァ、元気にしてたか!』
幼さの残っていた男の容姿からは既に幼さは消え、いよいよ尋常ならざる美丈夫としての素質が表に表れていたが、今なおその顔に浮かぶ人懐っこい笑みはそのままであった。そんな男だが、森羅万象を見通せる自分にも何があったのかは理解出来ないが、何故かかなり広大な領土を治める王となっていた。
そうして王となった筈の男だが、時々、見張る事務官達の隙を見付けては脱走し、その身に宿るこの世界の物ではない力を使い、たまに自分の下へとやって来ていた。
『我に不調はあり得ん。で、どうした? 身重の妻を抱える身だろう……側に居てやれ』
自分はぶっきらぼうに答えたつもりだが、その声が嬉しそうであったのは随分と経ってから気付いた。既に男と自分の付き合いも年を数える程となり、公務をサボる彼の気質はよく理解していた。この点、大抵だらけていると言われる自分と似ていた事は、のちに指摘された事だ。
なので、自分はそれを大して気にも留めずに、顔に満面の笑みを浮かべた男に問い掛ける。そうして、その言葉に、男がかなり満面の笑みを浮かべた。
『そのことなんだよ! 聞いてくれ! あいつとの間に子供が生まれたんだ!』
そう言う彼は自分が見たことも無い程に、嬉しそうであった。そうして、更に後にはかつて自らが救った女が、その手に金色の髪の赤子を抱いていた。
『ふん、良かったではないか』
興味なさげ――と言うか、本当に興味がなかった――に答えた自分であったのだが、男は大して気にもとめずに大層嬉しそうに頷いた。まあ、こども好きな彼で、そして愛する者との子供だ。嬉しくないはずがない。
『ああ! で、1つ頼みがあるんだ! こいつの幼名を付けてやってくれ!』
『何?』
男が居た場所では、幼名を付けて子供に迫る厄災から守る風習がある、とは彼からも既に聞き及んでいた。そして自らが見通した事でも、そうなっていた。
だが、何故その幼名を自分が付けるのか、理解出来なかった。そうして、顔に浮かんだ疑問半分面倒半分という表情に、男が事情を説明する。
『前に言ったじゃん。幼名付けて』
『厄災から身を守る、であろう。我が知らぬ筈があるまい』
『で、その幼名には世話になった奴に名前を付けて貰う事になってるんだ』
『知っている。親の恩を忘れぬように、その恩がなければお前も無かったのだから、と言うことであろう』
男の言葉を引き継いで自分が語った言葉に、男がきょとん、となって頷いた。自分との会話では主に自分が理解出来ない感情に関する質問をして、彼の家族の事や友人達の事を語る事が多く、こういった文化風習面については彼は語った事が無かったのだ。
『あれ? オレ言ったっけ?』
『我を誰だと思っている? 異なる世界であれど、知れぬ事は無い』
『やっぱ、お前……すげーな』
顔に驚きと賞賛を浮かべた彼に、自分は知らず、少しだけ機嫌が良くなったらしい。彼の願いを聞く事にする。
『ふむ……まあ、人の子が殊勝な心掛けをしたのだ。良いだろう。少し待て』
気を良くした自分は金色の美女が抱いた金色の幼子の顔を覗き込んで、男と一緒の真紅の瞳をじっくりと眺め、その娘の行く末を鑑みる。そうして、自分は口を開いた。
『ß0"F*T`Y%'T#Ï∀』
『……は?』
『ß0"F*T`Y%'T#Ï∀』
自分なりに意味のある言葉を言ったのだが、どうやらこの世界では使えない言語であったらしい。理解出来ない――と言うより普通の者には発音も出来ない――音の羅列に、男がきょとん、と眼を丸くする。
『えーと……ゾ、じゃないよな……ショ……でもない……ソ……ソフィーティア? おお! いい名前じゃん!』
男は必死に知恵を絞り、今聞いた音を何とか自分で再現を試みる。そうして再現してみれば、なるほど、確かに名前らしいと思ったらしく、顔に喜びの表情を浮かべる。
『違う。ß0"F*T`Y%'T#Ï∀だ』
とは言え、自分から聞けば間違いだらけであったので、訂正を試みようとして、男も何とか近づけようとして、二人共失敗する。後々考えれば、この世界で使えない言語を発音させようとしているのだから、無理なのは当然であった。
『だから、ソフィーティアだろ?』
『……もうそれで良いわ。意味はとある世界の言葉で『全知を司りし者』。汝の妻を鑑みれば、良い名であろう。何処かの馬鹿と違い、賢く育て、という事だ』
そうして何度目かのチャレンジの後、自分が諦める事にした。別にそこまで拘りがあった訳ではないし、当人も間違った方で気に入ったみたいだったからだ。
『くっ……言い返せねえ……とりあえず、名前、ありがとな! お前は今日からソフィーティア、ソフィだ!』
茶化すように言った自分の言葉に、男がかなり悔しそうな顔をするが、直ぐに気を取り直す。そうして、男は妻の抱えた自身と同じ真紅の瞳の幼子を抱きかかえて、嬉しげに告げる。
だが、そうして大声を上げたのが、いけなかった。当たり前だがすやすやと寝ている所での大声だ。赤子が目を覚まして、大泣きを始める。
『おい、馬鹿。あまり大声をだ……もう遅いか』
『うわ! ごめんソフィ! だから泣かないでくれ!』
『大声を出すな、と言っているのに……はぁ、ほら』
『うぅ……ごめん……』
『ほらほら、馬鹿なお父さんは放っておいて、お母さんと一緒にこっち居ましょう?』
機嫌よく自分の子供を抱きかかえていた男だが、妻から呆れまじれにそう告げられてソフィを妻に預ける。どうやら彼はこども好きではあるのだが、子育ては不得手らしい。そうして柔和な顔で赤子をあやす女を見て、自分は少しだけ、苦笑を浮かべた。
『ふん……変われば変わる物だ……これが、あの<<黄金の魔女>>の姿とはな』
『だから言ったろ? みんな誤解しているだけなんだ、って』
『我は素直に、それだけは貴様をすごく思うぞ。貴様は人を見る目とその人を惹き付ける度量だけは、感心に値する』
『そうかな? オレはそんな事思った事無いんだけどなー』
自分の滅多にない賞賛だが、男には相も変わらずその自覚が足りていないらしい。まあ、自分も素直に、最も王足り得ない王だ、とは思っているが、それでも、この人望を集めるという点だけは、王足りえるだろう。
『だってさ。みんなもわかってんじゃん。あいつが優しい奴だって。ただ単にちょっと人当たりが厳しいだけなんだよ』
『貴様は妹もそう言っていただろう?』
『あいつは面倒見良い奴だよ。自分できてるのに、なんだかんだ言っても、何度でも付き合ってくれたからな。あいつ、元気にやってるかなー……結局、オレが力使いこなせる様になった所、見せてないもんなー……』
自分の言葉を聞いて、男はもう長い間会っていない実の妹の事に少しだけ、寂しそうな顔を見せる。そんな彼に、自分はやはり人の子か、と思った。どれだけ離れても、家族が恋しいのは恋しいのだろう。
『せめて、父母の事にも興味を抱いてやれ……まあ、その妹の事が知りたいのなら、教えてやる』
『……え、マジ? マジでやってくれんの?』
彼でさえも、自分の今日の気前の良さは意外に思ったらしい。まあ、自分も彼の嬉しそうな顔に、出産祝いの一つでもくれてやるか、と思ったのだろう。
『ふん、暇潰しだ……今は地球と言う星に居る』
『地球、ねえ……この世界じゃなさそう?』
『違うな』
『……そっか。取り敢えず、元気そう?』
どうやら自分との再開は当分先そうだ、と思った彼は、取り敢えずその息災を問い掛ける。それを受けて、自分は遥か遠くの世界の観察を始めた。
『元気……そうだな。貴様に似たバカな男の調教に励んでいる様子だ』
『ほら、やっぱ面倒見良いじゃん。だって、オレみたいな出来損ないを見放さなかったんだぜ? そいつだって、大成するぜ。あいつ絶対教師とか向いてるもん』
『何度か足蹴にしているのが見えたがな……』
自分が笑いながら男に似た、と言うと、男が笑いながら、それを妹らしい、と頷く。自分が見通した所でも、少女は男と違い傲慢で唯我独尊であるが、面倒見は非常に良かった。それ故になんだかんだ言いつつも、皆から慕われていたのを、自らも見通す。どうやらこの兄妹は二人共、非常に稀有な人望を持ち合わせた者の様子だった。
『ま、それなら大丈夫だろ。だってオレよりあいつの方が遥かに賢いし、強いもんな。また暇が出来た頃にでも、顔見せに行ってやるか』
『そうしてやれ。どうせ貴様らには、世界の壁なぞ意味をなさん』
『ああ! じゃ、取り敢えず今日は戻るな! ソフィの名前、ありがとう!』
『気にするな、友よ』
自らの言葉を受けて、男も元気に手を振って、最後に赤子の手を持ってひらひらと振り、要らない事をするな、と妻に怒られつつ、自らの居城に帰って行くのだった。
『ふん……最後まで騒がしい奴だ……』
去っていった騒がしい男に自分は苦笑しつつ、龍の姿を取って寝転ぶ。そうして、暇潰しに様々な世界を眺める事にするのだった。
「……理解出来たか?」
『まだだろう……今の部分で全てを理解し得るとは思えん……』
語りの大半を終えて、ティアが言葉を掛ける。だがそれに声が響いて、否定を入れる。だが、それに再度の否定が入った。
「いや、大抵は理解してるよ……」
声は少年の物だ。まだ声変わりもしていないだろう年頃、もしかしたら、かつての男が龍と出会った頃ぐらいの年頃よりも少し年上ぐらいかもしれない。そうして、少年は続ける。
「消されるには、消されるなりの理由がある、だろ?」
「うむ……」
「で、オレはそれを察する事が出来るんだろ? じゃあ、ネタバレはやめてくれ。これでも冒険者の端くれ……ってか、冒険者だ。謎を解き明かすのが、冒険者の醍醐味だ。やっぱネタバレ無しで行こうぜ」
「……はぁ……」
『……はぁ……』
幾重もの呆れたため息が、場に響く。ここまで重大な話をさせておいて、おまけに真実理解しておいて、結果的に言った言葉は言外に興味無い、だ。呆れられるのも無理は無い。
「まったく……イクスそっくりの馬鹿っぷりだ……偶然か、必然か……」
『必然とは思いたくは無い……』
グライアの声に対して、声が響く。それは非常に泣きそうな声に聞こえた。そんな一同に、少年が口をとがらせる。
「へいへい、そりゃ、すいませんね。オレはあいにく、元からこの性格ですよ」
「貴様もそうだ、というのが、頭が痛いんだ……また、振り回される日々が続くのか、と思うとな……」
「でも、グライア……ちょっと楽しそう」
「さて、な」
グインの言葉に、グライアが苦笑を浮かべる。確かにあの当時も楽しかった事だけは、覚えているのだ。それを考えれば、少しだけ心が踊る事は踊るのであった。と、そんな雑談に入った場だったが、別の少女の声が響いてきて、終わりを告げる。
「カイトー! 晩ごはん作るから、ルシアが手伝ってってー! バカ皇子が腹減った、って煩いよー!」
「誰がバカ皇子だ!」
「うきゃあ!」
「おい、カイト。薪を集め終えたのなら、さっさと飯を作れ……ん? 誰か居たのか?」
カイトの近くの木々をかき分けて現れたのは、彼の仲間だ。彼らはどうやらカイトの側にあった人の気配に、首を傾げていた。そうして、カイトが振り向いた。
「ああ、いや、わり……ウィルだけか? ユリィの声したんだけど……」
「もごーもごー!」
カイトの声に、ウィルに握られたユリィが彼の手の中から手を振って自らの存在を主張する。が、一緒に居たのはそれだけでは無い様だ。そのすぐ後ろには、金糸の様な髪を持つ一人の少女が姿を表した。
「おにいさま……ごはん……」
「ん、クズハか。悪い悪い。すぐご飯にするな」
カイトの言葉に、クズハがこくん、と頷く。そうして、一同はその場を後にする。その後、一同は夕食を食べて、旅を続ける事になるのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第349話『皇国議会』