第339話 そして今へと続く
「……何を話してるんだ?」
リオンが一向に解除されない結界の中を興味深げに観察する。中では4人とも動いていない様に見えるが、それは単なる見せかけだ。グインが張り、カイトが強化した結界によって、そう見えているだけだ。
いや、それ以前として、この場に彼女らが居る事さえも、見えているのは彼らだけだ。他の面々には、自分達が談笑しているようにしか見えていない。
「わからぬ。じゃが、少なくとも、他愛無いことではないじゃろうな」
リオンの問い掛けに、ティナが首を振る。さすがのティナと言えど、カイトが強化してしまっては、安易に中を覗く事は出来なかったし、しようとも思っていない。
中で何が行われているのかは、彼女の言う通り、わからない。だがグインは大抵、ティナにはあけっぴろげになんでも聞かせてくれる。グインが唯一詳しく語られなかった事があるとすると、孤児であったティナの拾われた場所や状況等に関する事だけだ。その彼女らが、自身に聞かせない様にしたのだ。気になりはしても、それを覗くほど不粋では無い。
それに、中で話し合われている事が彼女達に大切な事に他ならない、と気付けるだけの思慮が、ティナには備わっていた。それを察した彼女は、彼女の慕う姉の一人の為、覗こうとしなかった。
「……はぁ。これは、少し妬けるのう」
ティナが女としての顔を覗かせる。確かに覗こうとは思っていないが、何が交わされているのかは大体理解出来たのだ。それ故の嫉妬だった。
彼女の方がティアやグライア達古龍と付き合いとしては遥かに長いし、そして深くもある。そうであるが故に、姉達の中にあった孤独を知っていたのだ。それ故に、そんな義姉達の中にある僅かな変化にきちんと気づけていたのである。
「あ奴を王の器として育てたのは余じゃが……少々育ち過ぎたかのう……」
自身の為した事だし、それを見込んだが故の行動なので、ティナに後悔は無い。だが、僅かばかりの見込み違いに、ティナが内心で臍を噛む。少々見込み以上に、器が大きく育ったのだ。育てた者として嬉しい誤算ではあるが、同時に、女として、有り難くない誤算だった。
「英雄とは、雄として英でるが故に、英雄である……理解もしておるし、納得もしておる……じゃが、うぅむ……久方ぶりに納得したくないのう」
珍しく少女の様に口を尖らせながら、ティナがつぶやく。この場の問題や彼女自身の経験から桜達の様に無作為に魔力を放出したり八つ当たりしたり、というのは無いが、それでも女性関係で口をとがらせるのは、かなり珍しい事だった。
というのも、彼女はカイトを覇王の器として育て上げた者として、カイトに女が増える事を納得しているし、彼女自身がなるべく様々な種類の女を増やそうとしている。それは英雄である以上、必須だからだ。彼女自身が言った様に、英雄とは雄として英でるが故に、英雄だ。よほどの器量で無い限り、どんな女でも愛せないと、拙いのだ。それは度量が無い、と看做されるからだ。
現に彼になるべく女をあてがおうとするのも、それ故だ。誰か一人しか、特定の条件でしか、女を愛せぬ存在が、民草全てに愛を振りまけるはずが無い。ティナにとって後宮とは、ドライな言い方をすれば、その度量を身につけさせる練習場でもあるのだ。
「遅かれ早かれこうなるじゃろう、とは思うておったが……やはり目の当たりにするとなると、嫉妬するとはのう……大昔に色々と経験して行けば良いと言うたが……うーむ……こういうのは、経験して良い事なのかどうか理解出来んのう……うーむ……姉上達と一緒に居られるのは嬉しいが……うーむ……」
こうやって幾つもつぶやいている事自体が、自らが逃避したいと思っているのだ、とティナは気づいて、複雑な表情になる。
カイトに女をあてがえるのは、ティナ自身が一段上に立っているという感覚があればこそ、だ。やはりどれだけ言おうと、ティナは魔王で、そして世界最大の英雄の一角だ。どう足掻いても、他の少女達では対等にはなれない。それ故に、カイトは後宮の最終的な意思統一はティナに一任しているのだ。それが、彼女の最大の特権だ。
だがそれ故に、精神的に対等と見なせる存在が入ってくるとなれば、嫉妬も生まれる。まだこれが義姉達で、その寂しさの理由も全て把握するからこそ、排斥はしない。出来はしない。カイトと同等に、義姉達は大切な家族なのだ。それを良しとするティナでは無いし、ずっと一緒に居られるというある種の言い訳にもなる。それは嬉しくもあった。
だが、嫉妬するのは、仕方がない。それは如何に英雄とて人である以上、仕方がない。性欲や嫉妬の薄い種族だったとしても、嫉妬が無いわけでは無いのだ。
「さて……これは荒れるのう……いや、暴れたいのう……これは帰ってから、貪るしか無いのう……」
ティナが自身の内側に渦巻く嫉妬の炎を持て余しながら、数年ぶりの嫉妬の炎に身を焦がす。この様子だとおそらく、帰ってから、かなりヤキモチを見せるだろう。と言うより、彼女はそれを自覚しているが故に、貪る様にカイトを求める事を決める。
「珍しいですね、ティナ様がそんなお顔をされるのは……」
見たことのないティナの女としての顔に、椿が珍しく目を見開いて思わず問い掛ける。椿はティナが嫉妬心を露わにするとは思ってもみなかった。
彼女は常に、良い女が増えるのはカイトが類稀なる王である左証、と喜んでいる、と思っていたのだ。しかし、今見せた嫉妬は、椿のそんな考えを改める物であった。そんなティナに、彼女は少しの親近感を得る。そうしてそれを言われて、ティナは思わず浮かべていた女としての嫉妬の顔を苦笑に変える。
「む……とは言え……そんな未来も、良いやもしれんのう」
彼女が魔王をやっていた時には考えてもみなかった未来だ。自身が姉達と同じ男を愛し、そして、お互いの子を抱くであろう日は、そう遠く無いのかもしれなかった。そして嫉妬してはいるが、そんな未来も悪くはない、そう思えた。
そうして、暫く後。結界が解除される。そこには、消える前と同じ4人の姿があった。
「終わったかのう?」
「まあな」
ティナの中に見える僅かな嫉妬に苦笑しながらも、カイトは右腕を捲る。すると、そこには3つの新たな紋様が刻まれていた。その3つは、純白、真紅、黄金の三色に淡く光り輝いている。誰も見た事がない、彼女ら古龍の印だ。
「……騎龍の契約……そうか……」
カイトの腕に浮かんだ3つの紋様を見て、ティナが全てを確信する。今までは、彼女らの単なる口約束に近いものだったのだ。それが、真に契約として、交わされたのである。それは彼の覚悟の証でもあり、必要な事でもあった。
騎龍、騎竜の契約、とは龍族にとって単なる契約ではない。龍や竜にとって、自身の命運さえ騎乗者に委ねる、という誓いであり、絶対の信頼の証あった。
竜や龍はその巨体から、背中の上には膨大な死角が存在している。そこに、誰かを乗せる、と言うことは、自らの命運を委ねる事に等しい。その『誰か』が裏切り、背中に刃を突き立てれば、如何に強大な龍といえど、命は無い。それ故、背に乗せる行為は意思を持つ龍にとって、特別な意味合いを持っていた。同性を乗せる場合は、親友の証。そして、異性を乗せる場合は、その者を番として、認めた証なのだ。
そして、如何に強大と言えど、如何に世界が滅びようと新生する古龍であろうと、彼女らは神であり、龍だ。それは、つまり。カイトが彼女ら古龍に夫として認められた証に、他ならなかった。
「ティナ、椿。これからも、よろしく頼む」
「はい」
「良い……が、その代わり今宵は少々荒れるぞ?」
自身の見立て通りに少し拗ねた様子のティナに、カイトが苦笑する。彼とて、こうなることは理解していた。そしてそれを慰めるのが、彼の仕事だ。そしてそれはもうかなり長いこと繰り返されてきた事だ。拒むことはありえなかった。
「……あー、もしかして、これって歴史的瞬間、か?」
そんな一同に対して、リオンは莫大な利益を嗅ぎとる。彼はカイトに恩を売ったが、その決断は正しかった。今後、カイトの帰還が公となれば、それに伴い彼女らとの婚約も公表されるだろう。それに伴う利益は経済的、軍事的にも莫大だ。
カイトは自身に売られた恩を忘れない。それをリオンは先ほどまでの遣り取りで見て取っていた。観光立国として軍事的に弱いアルテミシア王国にとって、彼に恩を売った事は、とんでもなく意味が大きかった。
そんなカイトがリオンのバックにつけば、それは即ちアルテミシア王国の防衛に、彼らが加わる可能性が出てきたのだ。そうなれば、多くの国がアルテミシア王国へと攻め入ろうとは考えないだろう。現状でもマクダウェル公爵家とは仲が良い。その上に当主に恩を売れたとなれば、莫大な利益だ。
それにもし強大な魔物が出ても、彼らが来てくれる可能性があるのは公に喧伝出来なくとも、伝わるだろう。それは、観光を生業とするこの国にとって、形にならない莫大な利益であった。そんなリオンの問い掛けを、ティナが認める。
「じゃろうな」
「かつては、思わなんだな。妾やグライア、グインが同じ男に靡くなぞ」
「それは余も同じだ。いや、なにより、グインと一緒、というのがな」
心底面白そうに、グライアが笑う。生まれてから幾星霜、既に億の時を優に超えて生きてきたが、まさかこんな事になるとは、思っても見なかったのだ。まあ、その変化の兆しらしい物はあるにはあったが、まさかそれがここまで至るとは、彼女らとしても、思いもよらなかった。
「……そう? 私達は似ている。だからこそ、何時かは同じ男を愛するって思ってた」
グインの言葉に、グライアとティアが嫌そうでいて、何処か嬉しそうな顔をする。私達は似ている、と言われるまで気付いていなかったが、確かに、似ていたのだ。
誰も彼もが寂しさを抱えて、それでいて、失われる事を知っているが故に、暖かさを得る事におびえていた。ティアが誰にも知られぬ大陸に引き篭もっていたのは世界に関わらぬ為だし、グライアが旅をしているのは、一処にとどまらないようにして、同じく世界に関わらない為だ。グインは言うまでもないだろう。
「で、我らが夫よ。これから、どうするのだ?」
「あ?」
ようやく理解した事に苦笑しつつ、照れ隠しを多分に含んだグライアから問いかけられ、カイトは何を当たり前な、という顔をする。
何をすべきか、というのは、喩え関係性が変わったからといっても、変わりはしない。そもそもでまだ自分が帰還を公に出来ない理由はまだまだ失われていないのだ。変わるはずが無かった。
「まあ、まずは天桜学園を地球に帰さないとな。そうじゃないと、オレも満足に動けん」
「その前に依頼受けてくれっと助かんだけっども」
「おっと」
リオンの言葉に、カイトが依頼を思い出す。そして、1つ聞いていなかった事に気付いた。
「依頼と言えば……やっぱジェルのコアは手に入れて帰るべきか?」
「ん?……ああ、それか。ああ、出来る限り、特に最奥のキング・ジェルのだけは頼む」
カイトの問い掛けに、リオンが首を縦に振る。ポートランド・エメリアのアーマラ姉妹が身に付けていた様に加工して、人魚族の陸上活動用の魔導具へと使われるのであった。
この魔導具は戦闘で破壊されることもあるし、そもそも消耗品――と言っても一年二年で使えなくなるわけではない――なので、定期的にジェルのコアが必要なのだ。そして、水練の洞窟のジェルの繁殖期は、そのジェルのコアの収集の格好の場なのであった。
「追加報酬はノーマルのジェルが銀貨1枚。ラージが銀貨5枚。ヒュージが金貨1枚。キングが金貨5枚だ」
更に続けて、リオンが現在の相場を告げる。当然だが、単純に倒すより、コアを無傷で入手する方が困難だ。その為、コア1つにつき、追加報酬が支払われるのであった。値段が違うのは、コアの種類によって耐久度が変わってくるからだ。当然だが、上に行けば行くほど、耐久度は高いし、その値段が高くなる。
まあ、そう言ってもこれは消耗品だしジェルのコアは場所が見えている為回収が容易なので、最上級の『キング・ジェル』となっても、そこまで高い値段では無かった。
「変わんないな」
「変わっても、困らねえか?」
「そりゃそうだ」
リオンの当たり前に近い問い掛けに、カイトが苦笑する。カイトが300年前に居た頃から、相場は変わっていなかった。まあ、定期的に需要があるし、そんなに困難な相手でも無いので、妥当と言えた。そうして、再びカイト達への質問会となり、依頼は終了したのであった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第340話『嫉妬』